アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(56)横溝の金田一耕助ファンあるある

(1)法事で帰省の際、「犬神家の一族」のスケキヨの白マスクをかぶって帰って、親戚から「もう帰ってくるな!」と叱られる。

(2)夜中に「八つ墓村」の頭に懐中電灯を指し模造刀を持ったコスプレをして、ご近所さん宅に醤油を借りに行って気味悪がられる。

(3)振り袖姿の若い娘さんを見ると、「獄門島」のように木に逆さ吊りにしたり、釣鐘の中に振り袖の娘さんを閉じ込めたい衝動にやたら駆られる。

再読 横溝正史(55)「空蝉処女」

横溝正史「空蝉処女(うつせみおとめ)」(1946年)は、もともと1946年の敗戦直後に横溝が完成させ関係者に送付し後は掲載を待つばかりの短編となっていたが、なぜか雑誌掲載されず未発表のまま長い間放置されていたものを、原稿の保管者から提供されて横溝の死後に発掘発表されたものである。

「終戦によって、ようやく人間らしい感情を取り戻していた私は、何年かぶりで中秋名月を愛(め)でる気になった。五分あまり歩いて大きな池のあたりにさしかかった時、突如として、うら若い女性の美しい唄声が聞こえてきた。声に誘われ竹藪(たけやぶ)の中へ歩を進めた私は、はたとその場に立ち止まった。行く手の小高い段の上に、月光で銀色に輝くワンピースに竹の葉影を斑々(はんばん)とさせて、神秘なまでに美しい女性が佇(たたず)んでいた…。ロマンチシズムの極致。数奇な運命を辿り、今蘇(よみがえ)った横溝文学異色の名作」(角川文庫版・表紙カバー裏解説)

本作は横溝正史の疎開先の岡山を舞台にした短編であるが、殺人も失踪も盗難も何ら事件らしい事件は発生しない。よって金田一耕助や由利麟太郎のような探偵も出てこない。作者である40代男の「私」(執筆当時の横溝だと思われる)が敗戦直後に疎開先の岡山の村落にて、ある夜に出会った、記憶喪失の謎の美しい女性(「空蝉処女」!)の戦争という時局に翻弄(ほんろう)された過酷な運命の話である。もっともラストで記憶喪失の過去は周囲の人々の善意により発掘再生され、彼女は無事幸せになるのだが。

本作では、タイトルの「空蝉処女」に話が集約するように最初から逆算し伏線回収で書かれている。なぜ彼女が「空蝉処女」であるのか!?「空蝉」と「処女」のそれぞれの意味とは何か!?最後まで読むと「なるほど」と読者は納得する仕掛けになっている。

1946年頃に書かれた短編であり、探偵小説とは別のところで、敗戦後の横溝正史ならびに作品に出てくる人々のあいだに共通してあった厭戦ムード(「戦争だけは嫌だ。もう戦争はこりごりだ」)の時代の雰囲気が如実に感じられる。探偵小説家の横溝のものとしては、探偵推理以外の異色の作ではある。

角川文庫「空蝉処女」(1983年)は杉本一文によるイラスト表紙で、そのまま「空蝉処女」の女性が描かれている。私は昔から杉本カバーイラストの「空蝉処女」を所有しているが、近年では本書も希少らしく古書価格が高騰しているようである。

再読 横溝正史(54)「首」

多作の量産作家の作品を何作も連続して読んでいると、状況設定や人物類型やラストの結末の付け方まで、いつの間にか似通り重複していて正直、ツライ時がある。以前に私は松本清張の社会派推理をよく読んでいたけれど、どうしても事件背景や犯行動機や殺人トリックや犯人暴露のオチが類似・重複して、多作な松本清張作品は読んでも印象に残らず、すぐに忘れてしまう。また似たような話が多いので別の作品と混同していたり、確かに読んだはずなのに、ある作品内容に関し全くの思い違いをしていて後々自分ながら驚くことがよくあった。

こうした事情は多作である横溝正史に関しても同様だ。私は一時期、横溝の探偵小説を毎日、連続してほぼ全作読んでいた時期があった。その時に、横溝のような多作の量産作家は、書き連ねていく内に個々の作が状況設定や人物類型や使用トリックや事件の真相と犯人の正体に至るまで、どうしても類似の重複になってしまい、「これと似た話は以前に横溝の作品で読んだことがある」「本作の殺人動機とトリックは、あの作品の使い回しだ」と読んでいる中途で分かってしまい、何となく興ざめなことがあった。

今回の「再読・横溝正史」で取り上げるのは、横溝の「首」(1955年)である。

「滝の途中に突き出た獄門岩にちょこんとのせられた生首。まさに三百年前の事件を真似たかのような凄惨な村人殺害の真相を探る金田一耕助に挑戦するように、また岩の上に生首が…事件の裏の真実とは?」(角川文庫版・表紙カバー裏解説)

やはり、本作は他の横溝作品とかなり似ている(笑)。「休息」と称して岡山の山奥の湯治場に岡山県警の磯川警部が金田一耕助を誘うも、実は以前に発生した迷宮入りの未解決事件の謎を金田一に解かせるためで、私立探偵の金田一耕助がいつの間にか事件解決に乗り出す冒頭の話の入り方は、同じ横溝作品の、例えば「悪魔の手毬唄」(1959年)によく似ている。一年前に起こった生首切断の殺人事件での被害者、山に猟に出かけた村の有力者の若者が一時的に行方不明になる事件の詳細は、同じ横溝作品の「鴉(からす)」(1951年)に酷似している。今回起こった生首切断の事件が三百年前、この地域の名主が何者かに生首切断にて殺害され、後に百姓一揆が発生したという、かの地で語り継がれる歴史上の事件が気味悪く現代に再現されるプロットは、横溝の「八つ墓村」(1951年)と同じであるし、さらに犯行時に犯人はなぜか「首」を切断して胴体と離し放置しておく合理的理由、これは犯人による、ある種の現場不在証明(アリバイ)工作に絡むものであるが、そのトリックは横溝作品の「車井戸はなぜ軋(きし)る」(1949年)に類するパターンのものである。そうしてラストで明かされる今回の一連の殺人事件の真相、真犯人はこれまた横溝の「悪魔の手毬唄」の結末と同一である。

横溝正史「首」は、どうしても他の横溝作品と多くの点が酷似しており、またそのままの使い回しが多いため、全体に薄味な「横溝正史の傍流短編」の悪印象が正直、私には拭(ぬぐ)えない。

本作では時代をまたいで三度の生首切断の殺人事件が起こる。いずれも被害者の首をわざわざ切断し、滝の岩(「獄門岩」!)の上に、これみよがしにさらして人々に見せようとする犯人の意図である。第一の首切り殺人は、三百年前に当地の有力農民(名主)が何者かに首切断で殺害され、これを機に農民らの怒りが爆発し百姓一揆の勃発にまで発展したのであった。続く第二の殺人は金田一がこの湯治場を訪れる一年前、山中に猟に出た村の若者が一時的に行方不明になり、後に首切断され殺害されて「晒(さら)し首」のように生首放置で、あたかも三百年前の事件を再現するような事件である。そうして第三の殺人は金田一らが村に滞在中に、映画撮影で当地を訪れていた関係者が、過去の生首切断事件に興味を示して夜半にかつての犯行現場に探索に出かけた所、またもや首切断で殺害されてしまうという奇異怪々な事件なのであった。しかも、第一と第二の首切り事件は、金田一耕助が当地を訪れるまで長い間、迷宮入りの未解決事件となっていたのだ。

「でもねえ、ただひとつ、ぼくには不思議に思えることがあるんです。…犯人が達夫(註─第二の殺人事件の被害者)の首を斬りおとしたってことね。それが不思議なんです。首を斬りおとすことは容易なことじゃありませんよ。時間もかかるでしょうしねえ。それにもかかわらず、ちょくちょく首なし事件ってのが起こるのは、犯人が被害者の身許(みもと)をくらまそうとするためでしょう。ところが、この事件では犯人はべつに、被害者の身許をかくそうともしなかった。生首は故意か偶然か、獄門岩にのっかっていたし…」

という作中の金田一耕助の発言にあるように、「なぜ犯人はわざわざ遺体の首を切断して、その首を隠すことなく、あえて『晒(さら)し首』のようにして人々に誇示したのか!?」の過去および今回の生首切断殺人の理由(わけ)、「犯人がぜひとも首切断をやらなければならなかった合理的な理由」というのが、横溝正史「首」での話も肝(きも)であり核心である。確かに金田一が指摘するように、普通の探偵推理の殺人事件では首切断の遺体があった場合、犯人は首のほうだけ隠匿(いんとく)して誰の死体か人々に知られないよう工作をする。そうした被害者を身元不明の遺体にするために通常、犯人は遺体の首を切断するのである。ところが、横溝の「首」における二度目と三度目の生首切断の殺人事件は、当地に伝えられる三百年前の歴史上の第一の生首事件を受けての単なる見立て演出の殺人ではない。つまりは、面倒であってもわざわざ遺体の首を切断して、しかもそれを大々的に人々にさらして見せようとする犯人の行為に、ある種の現場不在証明(アリバイ)工作に絡むトリックがあるのであった。ここが本作の何よりの読み所といえる。

最後に横溝の「首」の昔の角川文庫、杉本一文による表紙カバーのイラストは実に素晴らしい。紅葉の滝を背景に切断された人間の生首が岩(切り株にも見えるが…)の上にそのままさらされてある構図の衝撃イラストである。横溝正史「首」に関しては昔の角川文庫、杉本の傑作カバー絵の書籍をぜひとも所有して末永く愛蔵しておきたいものである。

再読 横溝正史(53)「金田一耕助の冒険」

横溝正史「金田一耕助の冒険」(1976年)は、私立探偵の金田一耕助と警視庁の等々力警部のコンビが活躍する探偵譚である。本作は全11編の短編からなり、一つの短編の長さはどれも40ページほど、タイトルは「××の中の女」で全て統一されている。本作は「女シリーズ」とも時に呼ばれる金田一耕助の短編を集めたもので、それらは1957年から58年にかけて雑誌「週刊東京」に断続的に掲載された。当時、横溝正史と島田一男と高木彬光の三氏の交代で一話二回続きの探偵ミステリー作品を本誌では長期連載していたようである。

横溝「金田一耕助の冒険」に収録の11の短編は、連載時の1950年代の敗戦後の東京は銀座あたりを舞台にした事件が主である。そのため物語に登場の事件の被害者も関係者も、夜の店に勤めるホステスとかバーテンダーとかキャバレー経営のオーナーなど、その職種の人が多い。というか登場人物のほとんどが夜の街界隈の関係者である(笑)。

本書は掲載形式が似ているため、ドイルの「シャーロック・ホームズ」やチェスタトンの「ブラウン神父」やクィーンの「エラリー・クリーン」の探偵推理の各短編集のシリーズと比較され、「それら海外ものに比べ、横溝の『金田一耕助の冒険』シリーズはやや劣る」の不名誉な評価をもらうことも多い。これには横溝がこの「女シリーズ」の「金田一耕助の冒険」で、密室殺人やアリバイ(現場不在証明)工作や意外な隠し場所など探偵推理の分かりやすくてインパクトのある王道トリックを狙わずに、殺人や盗難の事件があって、犯人が第三者に罪を着せようとする事前に練って張り巡らされた複雑な策略の暴露など、どちらかといえば玄人(くろうと)好みな地味で緻密(ちみつ)な細かなストーリー展開に毎作あえて傾注しているからだと思われる。だから、確かに横溝「金田一耕助の冒険」に収録の諸短編は一読、地味で薄味の印象もあるが、破綻なく精密によくよく考えて執筆されていることも確かで、実はそこが本書の良さであり読み所であると私は思う。

そのような比較的地味で玄人好みで緻密な全11編の「女シリーズ」の中でも、「鏡の中の女」は、発端の事件露見の話の導入(金田一と同伴の女性が銀座の喫茶室にて、向かいの席の見知らぬ男女の会話を読唇術で読んで聞いてしまい、それが殺人計画の会話であることをたまたま知る)から、ラストの犯人の意外性と殺人動機の突拍子もなさ荒唐無稽さで後々まで強く印象に残る。この事件の「意外な犯人」は多くの人が初読時には(おそらく)予測できないであろうし、また殺人の動機に関しても「本当にこんなどうしようもない理由の動機で人は殺人まで犯してしまうのか!」の現実には到底ありえない、フィクションの探偵小説ならではの結末というかオチに驚愕させられる。本作にて「現代はそういう時代なんですよ。ストレスの時代なんです。ひとがなにをやらかすかわからんということは…」などと金田一耕助は言ってはいるが。

最後に。横溝正史「金田一耕助の冒険」の角川文庫版の杉本一文による表紙絵カバーイラストの金田一耕助は、そのまま歌人で劇作家の寺山修司である。金田一の顔が寺山に似過ぎだ(笑)。

再読 横溝正史(52)「ペルシャ猫を抱く女」

昔の角川書店は「横溝正史全集」の完全版を期して、横溝が過去に執筆した作品は、ほぼ漏(も)れなく文庫にして出していた。そこで横溝の短編群を所収した短編集も数冊、編(あ)んでいた。横溝のデビュー作を含む大正期の横溝短編集「恐ろしき四月馬鹿」(1977年)、続く戦前昭和の短編を収録した「山名耕作の不思議な生活」(1977年)、それから戦後に発表の諸短編を集めた「刺青(いれずみ)された男」(1977年)と、その続編となる戦後第二の短編集「ペルシャ猫を抱く女」(1977年)である。これら4冊の書籍がいずれも1977年初版である。当時は横溝正史の小説は出せば相当に売れる、時代はまさに「昭和の横溝ブーム」過熱の真っ只中にあったのだ。
 
戦後第二の短編集「ペルシャ猫を抱く女」にて当時の横溝正史は、長編の「本陣殺人事件」(1946年)と「蝶々殺人事件」(1947年)の連載を同時進行で抱えながら、さらに短編の作品依頼にも応じて「ペルシャ猫を抱く女」に所収の作品群を書き続けた。横溝「ペルシャ猫を抱く女」に収録の諸短編を読んで、「横溝さんは金田一耕助の長編『本陣』や由利麟太郎の長編『蝶々』を書きながら、さらにここまでの短編秀作も同時に書ける余力があるのか!」と驚嘆させられる秀作や佳作(「消すな蝋燭(ろうそく)」など)もあれば、読んで「なんじゃ!こりや(←松田優作風)」と逆に腰を抜かす明らかに失敗作の駄作(「詰将棋」「生ける人形」など)もある。そうした収録作品の出来に雲泥(うんでい)の差があり過ぎる、複雑な読み味がする横溝の短編集「ペルシャ猫を抱く女」である。

ここでは横溝正史「ペルシャ猫を抱く女」の中で、かなりの良作の出来のよさだと私には思える、「雲泥の差」にて「雲」の方に該当する、本書の表題作である「ペルシャ猫を抱く女」(1946年)と「双生児は踊る」(1947年)について書いてみたい。これら二つの短編は執筆した横溝本人にとっても使われたトリックや話全体のプロットを気に入って、それなりに思い入れがあったに相違ない。事実、短編「ペルシャ猫を抱く女」は長編「支那扇の女」(1960年)に、同様に短編「双生児は踊る」は短編「暗闇の中の猫」(1956年)に、横溝の手により改稿され後に金田一耕助シリーズとして再び世に出されている。

(以下、犯人やトリックの詳細は直接に明らかにしていませんが、「ペルシャ猫を抱く女」と「双生児は踊る」の話の本質に触れた「ネタばれ」です。横溝の短編「ペルシャ猫を抱く女」「双生児は踊る」を未読な方は、これから新たに読む楽しみがなくなりますので、ご注意ください)

横溝正史「ペルシャ猫を抱く女」は、横溝が戦時に疎開していた岡山を舞台に、作中の語り手が知人から聞いた「明治犯罪史」に絡(から)む話とその後日談である。「明治犯罪史」という書物に掲載され、当時より広く世間に知られていた毒殺狂で毒殺魔と恐れられた明治の女性の古い肖像画(「ペルシャ猫を抱く女」)を持ち出して、由緒正しき伯爵家のある子女に対し、「あなたの一族の祖先の中に、かつて良人殺しの毒殺魔と恐れられた女性がいた。あなたはその毒婦の遺伝を継いだ生まれ変わり」云々で、気弱であるが美しい彼女を暗に脅(おど)し自分のものにしようとする、その家の菩提に当たる寺院の若い僧侶の暗躍である。事実、伯爵家の菩提寺から後に発見された「ペルシャ猫を抱く女」の古い肖像画の中の毒殺魔の毒婦の風貌は現在の彼女に驚くほど似ており、まさに「生き写しの生まれ変わり」とまで気弱な彼女当人は信じ込み、思いつめる程だったのである。

しかし、それは気弱な彼女を精神的に追い詰めて自分のものにしようとする若い僧侶の奸計(かんけい)であったことが本編の後半にて明かされる。伯爵家の菩提寺から発見された「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画の中の毒殺魔の毒婦の風貌が現在の彼女に驚くほど似ていて、まさに「生き写しの生まれ変わり」とまでに思われたのは、何と!その僧侶が現在の彼女の風貌にわざと似せて「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画として描かせた贋作(がんさく・後に複製で描いた偽物)であったのだ。だから後に描いた偽絵であったため、「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画の中の毒殺魔の毒婦の風貌は現在の彼女に驚くほど似ていたのである。

そして本作の最大の読み所は、贋作の「ペルシャ猫を抱く女」に関し、なぜその絵が偽絵と断言できるのか、一切の疑いや反論を完全に封じてしまう合理的で確定的なこれ以上ない明白な物的証拠であって、それは英字で肖像画に書き入れられていた「八木伯爵夫人の肖像」の意味の花文字なのであった。その詳細な理由は各自本作を読み確認して驚いてもらいたいが、この「贋作確定の純然たる物的証拠」というのが、本作「ペルシャ猫を抱く女」の話の肝(きも)であり、最大の目玉である。初読の際にはほとんどの人が驚き、すぐに納得させられる読後の爽快感のようなものを味わえるに違いない。角川文庫「ペルシャ猫を抱く女」の表紙カバーは杉本一文によるイラストで、そのまま表題作の「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画になっている。ただし、カバーイラストの「ペルシャ猫を抱く女」も贋作である。なぜなら、 杉本一文によるその表紙絵に「八木伯爵夫人の肖像画」の英字の花文字が書き入れられてあるから(笑)。

横溝正史「双生児は踊る」について、物語の状況設定や登場人物の特徴や配置を排し、探偵小説としてのトリックの原理的な骨格のみを取り出して述べるとすれば、(1)暗闇の中でも犯人が目的の人物をはっきりと識別し狙撃できた妙手と、(2)クローズド・サークルにおける殺人トリックの二人一役ということになる。本編は、この二本柱により構成された好短編といえる。特に(2)の「クローズド・サークルにおける殺人トリックの二人一役」が本作の出色(しゅっしょく)であり、おそらく現実にはあり得ない、いかにもな探偵小説に特有のトリック話といえる。

そもそも「クローズド・サークルにおける殺人」とは次のようなことだ。「クローズド・サークル」とは閉じた人間関係のことで、これはいわゆる「人間関係の密室」である。通常の「密室」は人間が外部から出入りできない(と思われている)空間的で物理的な密室であるが、クローズド・サークルの場合は、互いに見知っている数人がおり、特異な状況下で外部からの新たな人の侵入が不可能なため、そのうちの誰かが必ず犯人であるという「閉じた人間関係内での人的密室」をいうのである。この場合の「互いに見知っている数人がおり、特異な状況下で外部からの新たな人の侵入が不可能なため、そのメンバーの中に必ず犯人がいる」というクローズド・サークル形成の典型といえば、例えば「海上を航行する客船」とか「ノンストップで昼夜走行する寝台列車」とか「悪天候のため外部との連絡が遮断され屋外に出られない孤立した別荘」などの舞台設定が従来の探偵小説にてよく見られる。

この手の閉じた人間関係の人的密室の中で、「このメンバーの中に犯人がいることは確かだが、それが一体誰なのか分からない。明らかな挙動不審や経歴不明、中には偽名使用の人もいて、皆が怪(あや)しく疑おうと思えば果てしなく誰でも疑うことができる」のクローズド・サークルものの探偵推理は、かつてアガサ・クリスティが「オリエント急行の殺人」(1934年)や「そして誰もいなくなった」(1939年)らで散々にやり尽くした印象が私には強い。

昔からある「クローズド・サークルにおける殺人トリック」の定番パターンの中で、横溝の「双生児は踊る」ではサークル内の人物の変装(一人二役、二人一役、一人対一人の人物入れ替わり、実在しない架空の人物の創造など)という、これまた昔からよくある常套(じょうとう)なものが使われている。クローズド・サークル内では皆が互いに見知っている者同士なので外部からの見知らぬ第三者の、あからさまに怪しい不審人物がこの閉じた人間関係の密室(クローズド・サークル)に入ることは原理的に不可能なわけである。そこでサークル内のある人物が同じサークルのあるメンバーに変装し犯行を行って、つまりは「二人一役」をやって、二人一役の変装をした彼が変装された人物に罪をなすりつける型の割と基本に忠実で古典的な「クローズド・サークルにおける殺人トリック」が本作では使われている。また当作品のクローズド・サークル形成の状況設定は、警察から厳重に四方監視されている人の出入りが許されないキャバレーの店舗建物であった。

その他「双生児は踊る」では「なぜ暗闇の中でも犯人が目的の人物をはっきりと識別し狙撃できたのか」のトリックに加えて、「ああ、─暗闇のなかに何かある、─猫だ!猫だ!─猫がこちらをねらっている」の、停電のわずかな時間の暗闇の中で狙撃された被害者の「暗闇の中の猫」なる発言から真犯人の解明に繋(つな)がる展開も印象深いし、何よりも事件解明に乗り出す探偵役にタイトルの「双生児は踊る」の双子を配して物語進行させている点も誠に興味深い。作中にて推理し真犯人を突き止める探偵役たる「踊る双生児」の初登場時の紹介記述は、以下のようなものであった。

「星野夏彦と星野冬彦の踊る双生児(ダンシング・トゥイン)。…夏彦は色が白くて、冬彦は色が黒い。しかし、何から何までそっくりである。体つきから顔かたちにいたるまで、ひとめで双生児と知れるほどよく似ている。…夏彦は色が白くて、冬彦は色が黒い。双生児は踊る。タップの靴音。ランターン・ジャズバンドの気ちがいめいた騒々しさ」

これは探偵小説における探偵役としてインパクトがあるし、何よりもキャラが立っている。横溝は金田一耕助ではなくて、ないしは金田一耕助と平行して「踊る双生児」の星野夏彦と星野冬彦を探偵にした連続シリーズを戦後に執筆しても良かったのでは、と私には思えるほどだ。それ程までに「双生児は踊る」にての、二人の双生児探偵はとても魅力的な良キャラクターであると私は思う。双生児の二人の丁々発止(ちょうちょうはっし)の会話で、どんどん犯罪トリックや事件の真犯人を明らかにしていく話運びのテンポが良い。それから本作には、金田一耕助シリーズでお馴染みの等々力警部も出てきます。

再読 横溝正史(51)「刺青された男」

昔の角川書店は「横溝正史全集」の完全版を期して、横溝が過去に執筆した作品は、ほぼ漏(も)れなく文庫にして出していた。そこで横溝の短編群を所収した短編集も数冊、編(あ)んでいた。横溝のデビュー作を含む大正期の横溝短編集「恐ろしき四月馬鹿」(1977年)、続く戦前昭和の短編を収録した「山名耕作の不思議な生活」(1977年)、それから戦後に発表の諸短編を集めた「刺青(いれずみ)された男」(1977年)と、その続編となる戦後第二の短編集「ペルシャ猫を抱く女」(1977年)である。これら4冊の書籍がいずれも1977年初版である。当時は横溝正史の小説は出せば相当に売れる、時代はまさに「昭和の横溝ブーム」過熱の真っ只中にあったのだ。

戦時中には「探偵小説は英米の敵国の文学」とされ国家当局からの検閲が厳しく、日本的な時代物の「人形佐七捕物帳」シリーズらに執筆が制限されていたこともあり、戦後になって「さあ、これからだ。思いっきり思う存分に本格の探偵小説を書いてやろう」の横溝の創作の再出発に当たる、横溝正史「刺青された男」は1945年以降の短編を全10作収めている。
 
(以下、犯人やトリックの詳細は直接に明らかにしていませんが、本書収録短編にて使われているトリックの型や伏線に軽く触れた「ネタばれ」です。横溝の短編集「刺青された男」を未読な方は、これから新たに本書を読む楽しみがなくなりますので、ご注意ください)

本書に掲載順の時系列からして、戦後に発表の第一弾短編は「神楽太夫(かぐら・だゆう)」(1946年)になっているが、本当は戦後に最初に書かれたのは本書に七番目に掲載の「探偵小説」(1946年)の作品の方であった。敗戦後に週刊誌からの依頼を受け戦後第一弾の復帰作として「探偵小説」を書き始めたが、これが思いのほか原稿量が多くなって指定枚数内にまとめきれなかったため、急遽(きゅうきょ)枚数が少ない「神楽太夫」を書いて、それを当初の原稿依頼の先方に渡し、「探偵小説」の方は枚数が多くても掲載の我儘(わがまま)がきく、かつて自身が編集者を務めていた雑誌「新青年」に後日に回したという事情があったようである。

実質は戦後の横溝復帰作の第一弾に当たる「探偵小説」には、「さあ、これからだ。思いっきり思い存分に本格の探偵小説を書いてやろう」の論理的な本格トリック重視の、戦後の再出発にかける横溝正史の探偵小説に対する並々ならぬ意欲が満ちあふれている。事実、横溝は敗戦の当時を振り返り、以下のように述べている。

「八月十五日終戦の詔勅(しょうちょく)がくだって以来、私は意気軒昂(いきけんこう)たるものがあった。来たるべき文芸復興にそなえて、さまざまなトリックを温めはじめていた。今後探偵小説を書くばあい、できるだけ本格を書こうと決心していた私は、大小さまざまなトリックを考案しては悦(えつ)に入っていた」

「探偵小説」とは、そのまま何のヒネリもない平凡タイトルだが(笑)、中身はアリバイ・トリックの本格物で、横溝正史「探偵小説」の元ネタは、ドイルのシャーロック・ホームズ短編「ブルース・パティントン設計書」(1917年)と江戸川乱歩の「鬼」(1931年)である。それら元ネタにあるトリックを横溝が改良し、さらに上手い具合にまとめている。本作「探偵小説」は、創元推理文庫「日本探偵小説全集9・横溝正史集」(1986年)にも収録されている。このことから横溝の「探偵小説」は、探偵小説評論家や同業の作家や編集者から発表当時より、それなりの高評価な作品であったに違いない。

横溝正史のような多作の量産作家は、その時期に自身が気に入っているトリックや設定を自作にて何度も連投で使い倒すことが多い。そのため横溝の作品を連続して読んでいると「この時期の横溝さんは、こういうプロットやトリックが好きでハマって、かなり入れ込んで自作に連投しているな」と分かってしまうことがある。本書「刺青された男」の収録作品を書いていた時期の敗戦直後の横溝が気に入ってハマっていたのは「叙述トリック」で、それをどの作品にもよく使っている。

叙述トリックとは、話の内容ではなく話の語りの記述そのものに錯覚があるトリックで、「事件を記述する語り手が実は犯人」という「信頼できない語り手」と呼ばれるものだ。探偵小説における通常の語りは、三人称で公正で客観的な語り記述なため、多くの読者は、たとえ事件関係者の一人称な説明語りの記述でも警戒なく「公正で客観的」と思い込んでおり、そこであえてその裏をかいて「実は記述者の語り手が犯人で、これまでの記述は全く信頼できない叙述であった」というので、読者の驚きを最後に引き出す意外性が叙述トリックの面白さの醍醐味である。

本書の巻頭掲載となっている「神楽太夫」も当然、叙述トリックだ。厳密には「叙述トリックもどき」で、作中にて事件の概要を語る人物の意外な正体(作中の語り手が必ずしも犯人というわけではなく、その事件に関係した重要人物の内の一人であったというパターン)の暴露をラストに持ってきて読者を驚かせる趣向である。あと「神楽太夫」には「顔のない死体」のトリックも使われている。

「顔のない死体」トリックとは、顔面毀損(きそん)や首上切断などで身元判別不能な、いわゆる「顔のない死体」があって、その死体の正体は遺体の着衣や所持品から推定される通常被害者と目される人物そのままなのか、それとも事件の被害者と目される死体は実は事件の加害者として手配されている人物で、逆に殺害されたと思われている被害者が加害者であり、「顔のない死体」の被害者を装った本当の加害者は合法的に社会的抹殺の蒸発を遂げ、すでに上手いこと逃亡してしまっているのか。「顔のない死体」における被害者と加害者の入れ替わりはあるのかないのか、そのことが焦点となるトリックである。

ただし「神楽太夫」では、従来ありがちな「顔のない死体」にて「被害者と加害者の入れ替わりはあるのかないのか」以上の、さらに入り組んだ変則パターンを用いており、これは横溝の後の作品「黒猫亭事件」(1947年)での「顔のない死体」の変則のそれに一部よく似ている。おそらく戦中か戦後のかなり早い時期に、すでに横溝は「顔のない死体」トリックの様々な変則パターンを研究し考え尽くしていて、そのトリック研究の成果を今般の「神楽太夫」と後の「黒猫亭事件」に新たに書き下ろし使ったのであろうと推測される。

短編集「刺青された男」にて読むべき良作は「靨(えくぼ)」(1946年)であり、当作は世間一般にはあまり知られていない横溝の短編ではあるけれども、なかなかよく出来ている。あまり詳しく書くと「ネタばれ」になるので書けないが、本作はアリバイ・トリック(犯人が犯行時刻に殺人現場にいないことの現場不在証明のトリックが、元々のトリック構想仕掛人側のミスという、たまたまの「幸運」で成立する昔からよく使われる探偵小説にありがちな有名な定番パターンのあれ)。それに前述のような横溝正史が、この時期にハマって好んで多用していた叙述トリックもどきの作中での事件の語り手の意外な正体。それから本作タイトル「靨(えくぼ)」が読む前には唐突な印象を読み手に与えるが、本作を読み終わると「なるほど」と読者は納得させられる、タイトルの「靨(えくぼ)」が犯人の犯行動機に深く関係していることを明かすラストのオチである。以上の3点セットにて横溝正史「靨(えくぼ)」は短編ながら重厚な読み味がある。まさに秀作の良作だ。

本書に収録の作品一覧を目次で見ていると、本文庫全体の冠(かんむり)にする良タイトルの収録短編がこれ以外になかったのだろう。本書は「刺青された男」(1946年)の短編からタイトルを取って文庫本の表題としている。しかしながら、書籍全体の代表タイトルとなっている表題作の「刺味された男」は、少なくとも私には大して優れているとは思えず全くの凡作で読んで、がっかりする。そういえば「刺青された男」の短編も、作中にて過去の事件概要を語る人物の意外な正体をラストで明かす叙述トリックに類するパターンであった。横溝正史、敗戦直後は作中語り手の意外な正体の「叙述トリックもどき」を自作に連投で使い過ぎだ(笑)。

再読 横溝正史(50)「山名耕作の不思議な生活」

昔の角川書店は「横溝正史全集」の完全版を期して、横溝が過去に執筆した作品は傍流なマイナー作、あからさまな破綻作・失敗作、他人名義で発表した代筆など、どんなものでも漏(も)れなく片っ端から文庫にして出していたので、横溝のデビュー作らその周辺の短編群を所収した初期短編集も数冊、編(あ)んでいた。それが角川文庫の横溝正史「恐ろしき四月馬鹿」(1977年)と「山名耕作の不思議な生活」(1977年)である。「恐ろしき四月馬鹿」は大正時代の横溝短編を、「山名耕作の不思議な生活」は戦前昭和の横溝短編をそれぞれ収録している。

横溝デビュー作「恐ろしき四月馬鹿」を含む大正期の初期短編は、まだ横溝が10代から20歳前後と若く、筆が定まらないので全般に読んで辛(つら)く、話の内容も記憶に残らず読んでもすぐに忘れてしまうのだが、その続編にあたる戦前昭和の横溝の初期短編集「山名耕作の不思議な生活」の頃になると、次第に横溝正史の筆も慣れてきて安定し、いくらか読める短編が増えてくる。

まず読むべきは、本文庫のタイトルにもなっている「山名耕作の不思議な生活」(1927年)あたりか。本作には殺人や失踪や盗難など犯罪は特段、出てこない。「山名耕作」という大正期のモダン市民の変わり者の、これまた一風変わった生活風景や個人趣味を明かす趣向の都市小説である。これは純然たる探偵小説ではないし、またそのジャンルに属する「奇妙な味」とも言えない。大正期当時のモダニズムの影響下にあった都市風俗のユーモア読み物である。本文庫に収録の「川越雄作の不思議な旅館」(1930年)も、タイトルの類似からして「山名耕作の不思議な生活」と内容と読み味ともに似ている。

そもそも横溝正史という人は優秀で常連な雑誌投稿者で、力量が認められて雑誌「新青年」の編集者となり、それと並行して自作の創作もなし、後に編集の仕事を辞めて作家一本に活動を絞(しぼ)った実に多才な人であった。そのためこの人は、こだわりの自世界構築の自身の作品執筆も深くできるが、編集者の嗅覚(きゅうかく)で自分の味ではない小説も無難に広く書けてしまう。「山名耕作の不思議な生活」も横溝はこんな都市風俗のユーモア読み物など本当は書きたくないのに(笑)、原稿依頼を出した他作家らが殺人推理の本格探偵小説ばかりで内容が重複して雑誌が煮詰まるので多彩な誌面づくりのための編集者の機転から、探偵推理以外のこのような都市ユーモア小説を時に散発的にあえて書くと思われ、そこが「横溝さんはバランスの取れた優秀な書き手だ。自分の世界構築のこだわりだけでなく、雑誌編集者として多様な作風の才能も見せる」の感心の思いが昔から私はする。

次に本書で読むべきは「あ・てる・てえる・ふいるむ」(1929年)だ。これは有名な「横溝による乱歩代筆」の作である。当時、雑誌「新青年」が新年号に代表的な日本の探偵作家を一同に並べる特集を組んだが、乱歩が不調で書けなかったため、編集主任であった横溝が執筆し、しかしそれを江戸川乱歩の名義で世に発表したものである。今日では作家が原稿を飛ばして雑誌掲載できなかった場合に、編集者やアシスタントや他作家が代わりに書いて、だがそのことは隠して当該作家の筆によるものとする「代筆」は、読者や世間をだますことになるので大きな問題になると思う。しかし、昔はこのような代筆は日常的に行われていたらしい。

代筆の難しさは作品の自然さと出来具合の調整の配慮にあるのであって、普段この作家の作品を連続で読んでいる読者に「なにか違う…もしかしたらこれは本人が書いていないのでは!?」と疑われ見破られたら、もうアウトだから、元の作家の日頃の作風や文章に似せてまずは代筆しなければならないわけである。その上で、代筆作品はやたら力を入れて名作や話題作を書いてしまうと、後日、作品に覚えがない本人作家に迷惑をかけてしまうし、また逆にあまりにも駄作の失敗作を代筆として世に出してしまうと同様に当該作家の名誉を傷つけ、後々まで迷惑をかけることになる。だから代作する者は、「あまりに優秀作の名作を書いてはいけないし、逆にあまりにも駄作の愚作を出してもいけない」の両端への配慮が必要で案外、気を使うものである。

横溝正史による江戸川乱歩の代筆「あ・てる・てえる・ふいるむ」は、「実は横溝の筆によるもの」と明かされなければ「これは乱歩の作品だ」と少なくとも私は信じてしまうし、また大して目立って秀作でもなければ逆にそこまでの駄作とも言えず、適当に読み流せる無難な短編であると思う。その辺りの横溝による代筆の塩梅(あんばい)が絶妙だ。

本書の巻末短編「丹夫人の化粧台」(1932年)は、夫人の化粧台の謎で読者を引っ張ってラストまで一気に読ませるものがある。妙齢の美しい夫人を、若い青年数人が取り合う話である。夫人をめぐる決闘の末に絶命間際のライバルが残した「気をつけ給え─丹夫人の化粧台─」の意味深な言葉。同様に、鉛筆で走り書きの遺書のメモ「丹夫人の邸(やしき)で、猫の鳴き声を聞いたときこそ、君は警戒すべきだ」の不可解なメッセージ。「こんな荒唐無稽なことが本当にあるのか…だがしかし、もしかしたら現実の事件であるかも」。横溝の発想が当時の戦前昭和の社会の時代のはるか先を行く。現代の日本社会では「丹夫人の化粧台(の秘密)」のようなことは、実際ありえるかも(笑)。

再読 横溝正史(49)「恐ろしき四月馬鹿」

昔の角川書店は「横溝正史全集」の完全版を期して、横溝が過去に執筆した作品は傍流なマイナー作、あからさまな破綻作・失敗作、他人名義で発表した代筆など、どんなものでも漏(も)れなく片っ端から文庫にして出していたので、横溝のデビュー作らその周辺の短編群を所収した初期短編集も数冊、編(あ)んでいた。それが角川文庫の横溝正史「恐ろしき四月馬鹿」(1977年)と「山名耕作の不思議な生活」(1977年)である。「恐ろしき四月馬鹿」は大正時代の横溝短編を、「山名耕作の不思議な生活」は戦前昭和の横溝短編をそれぞれ収録している。

横溝正史初期短編集の一冊目にあたる「恐ろしき四月馬鹿」である。本書タイトルは横溝正史のデビュー作「恐ろしき四月馬鹿」から来ている。書誌情報的により正確に詳細に言えば、最初に大正期と戦前昭和の横溝の初期短編を一挙に集めた「恐ろしき四月馬鹿」のハードカバーの単行本(1976年)が角川書店から出され、後にそれを文庫本にする際に単行本のままでは収録短編が多すぎて総ページ数多く文庫本一冊に収録できないから、ハードカバー版の「恐ろしき四月馬鹿」の内容を二冊に分け、単行本前半の大正時代の短編群を文庫版「恐ろしき四月馬鹿」に新たに編み直し、同様に単行本後半の戦前昭和の短編群を文庫本「山名耕作の不思議な生活」として新しく編んで既出の一冊の単行本を二冊の文庫に分冊したのであった。昔の角川書店は横溝正史の作品が新たに発掘されたりすると、最初から角川文庫には入れず、まずは単行本かカドカワ・ノベルズで一度世に出してから後に再度、角川文庫に収録する手順をとっていたようである。

横溝「恐ろしき四月馬鹿」の文庫版に収録の諸短編は全14作、巻頭の「恐ろしき四月馬鹿」は横溝正史のデビュー作で、雑誌「新青年」の懸賞小説に応募し入選して雑誌掲載されたものだ。この時、横溝正史は弱冠十八歳、実家の薬局を継ぐため大阪薬学専門学校に入学した頃である。横溝デビューの二年後に江戸川乱歩もデビューし、乱歩の文壇登場となる。

「恐ろしき四月馬鹿」(1922年)はショートコントのような微妙な読み味がする。よくテレビのバラエティ番組でどっきり企画を相手に仕掛ける仕掛け人の方が、実はどっきりのターゲットで、そのことを知らずに仕掛け人が、最後にまんまとだまされてしまう「逆どっきり」のような話である。内容は凡庸(ぼんよう)だが、若き日の10代の横溝のタイトル付けのセンスが良くて、「恐ろしき四月馬鹿」と書いて「四月馬鹿」に「エイプリル・フール」の読み仮名を付けて読ませる趣向など、この先を大いに期待させる前途有望な新人のデビュー作といえるのではないか。

その他、収録の横溝の大正期の初期短編は、私は読んでもすぐに忘れてしまう(笑)。おそらくは熱烈な横溝正史ファンならば横溝の作品はコンプリートで所有して全作品を読みたいと思うであろうから、この横溝正史「恐ろしき四月馬鹿」の文庫本も当時は横溝ブームの中、かなり売れたのだろうか。

私は「再読・横溝正史」の記事を書いて人並みに横溝の探偵小説を読んではいるけれど、実はそこまで「熱烈な横溝正史ファン」というわけでもないので、デビュー直後のまだ筆が定まらない横溝の初期短編集は読んで正直ツラい感じもする。

再読 横溝正史(48)「鴉(からす)」

横溝正史の探偵小説を続けて読んでいると、「この時期の横溝さんは、こういうプロットやトリックが好きでハマって、かなり入れ込んで自作に連投しているな」と分かってしまうことがある。

「鴉(からす)」(1951年)を執筆時の横溝正史は、「ある人物が失踪蒸発し、しかし後に戻ってきて関係者一同の前に微妙に姿を現し、たびたび目撃される。と同時に奇怪な殺人事件が起きて、犯人はかつて蒸発したが戻ってきた疑惑の人物なのか!」の、いわゆる「人間消失」のプロットを連続して用いている。「鴉」と同時期に執筆の長編「悪魔が来りて笛を吹く」(1951年)も中編「幽霊座」(1952年)も、いずれも「一度は蒸発した因縁人物が再度現れて関係者一同に微妙に目撃され暗躍し、奇怪な殺人事件が起きる」の「人間消失」のプロットだ。しかも、その因縁人物の再訪が「悪魔が来りて笛を吹く」の場合にはまるで「悪魔」の降臨のように、「幽霊座」の場合はあたかも「幽霊」の徘徊のように、恐怖で不気味なオカルト演出にて横溝により周到に語られるのであった。本作「鴉」にても、自宅の庭の神殿から忽然(こつぜん)と「消失」したある人物が数年ぶりに村に帰ってきた気配があり、その村の土俗信仰にて神の使いであり神聖な鳥とされる鴉(からす)の不気味さで一種異様な神秘の世界へ読者を導いて翻弄(ほんろう)するのである。

横溝正史「鴉」の大まかな話の流れはこうだ。

「静養のために岡山県を訪れ、旧知の磯川警部を県警に表敬訪問した金田一耕助は、警部に誘われるまま山奥の湯治場に案内された。そこにはお彦様という女の神様が祀(まつ)られている神社があり、かつては神社を中心にたいそう栄えたところだったが、今ではすっかり寂(さび)れてしまっていた。なぜ磯川警部がこんな山奥の寂れた温泉宿に金田一を案内したかといえば、その事情は三年前に起きた事件に遡(さかのぼ)る。

当時、村の当主の一人娘の婿養子が狩猟が道楽の趣味で、子宝も授からぬ新婚の時から家を留守にし神社のそばにある山中の、おこもり堂に泊まって朝方にかけ山で猟をする。当家跡取りの孫の誕生を待ちわびている、娘の父親の村の当主はそんな婿養子に内心、怒り心頭である。そして、新妻は心配して『夫に何か間違いがあっては』と日頃より家に住み込んでいる若者を、若旦那の猟に同伴させ付けていた。ある日、山に猟に出掛けているはずの若旦那が突然家に帰ってきて、庭にあるお彦様の土蔵造りの神殿の扉を開いて中に入って行った。これは座敷にいた妻をはじめ家人一同が見ている。しばらくして今度は夫といつも狩猟に同伴の若者も駆け込んできた。そうして彼が言うには、『猟からおこもり堂に戻ってみると天井から鴉(からす)の死骸が吊り下げられており、朝飯に来るはずの若旦那も戻ってこない』というのだ。

鴉(からす)はお彦様のお使いといわれ、この付近では神聖な鳥であった。一同は慌てて庭の神殿に入ってみるが、確かに入ったはずの若旦那の姿はなかった。そこには祝詞(のりと)の折本が置いてあり、その間に鴉(からす)の羽根が挟(はさ)んであった。それを開いてみると『われは行く。三年のあいだわれは帰らじ。みとせ経ば、ふたたびわれは帰り来(きた)らん』と書かれていた。それは墨で書かれ、その上を鴉(からす)の羽根に血をつけたものでなぞってあった。すなわち、これ『人間消失』である。若旦那が庭にあるお彦様の土蔵の神殿の扉を開いて中に入って行ったのを妻を始めとして家人の皆が目撃し目を離さずに注視していた。そうして神殿から彼が出た姿を誰も見ていないのである。衆人環視の中で建物に入った人間一人がそのまま跡形もなく消えてしまう。本件はまさに『人間消失』なのであった。しかも、その『消失』の際に『われは行く。三年のあいだわれは帰らじ。みとせ経ば、ふたたびわれは帰り来らん』という、『一度は消えるが三年後に再び現れる』旨の不気味な書き置きを残して。さらに彼の蒸発と同時に相当な額の現金が持ち去られていた。それから若旦那が『人間消失』で行方不明となって、磯川警部に案内され当村を金田一耕助が訪れた日の明後日が、その『消失』日から数えて出現予告のちょうど三年目に当たるのだった!」

横溝正史「鴉(からす)」は、未解決の奇妙な事件の謎解明のために岡山県警の磯川警部が岡山の現地に金田一を案内し暗に金田一の出馬を請う話の導入が、例えば同じ横溝の「悪魔の手毬唄」(1959年)に似ている。また一度失踪した因縁の人物が数年後に帰って来るの予告を残して蒸発する設定は、例えば同じく横溝の「不死蝶」(1953年)によく似ている。元々あった「人間消失」計画に便乗し、かつ大金を横領した真犯人が絵に描いたような相当な悪人であり、本作は最後まで読んで一連の事件の謎解明がなされると、かなり爽快(そうかい)でスッキリとする満足な読後感が得られる。また探偵推理の中心たる「人間消失」のトリックも、消えた人間と残った人間の数の勘定にて辻褄(つじつま)が合う極めて合理的なものである。それに何よりも三年前の事件発生直後の山中の、おこもり堂現場での初動捜査の際の磯川警部の致命的ミスを金田一耕助がサラリと軽く指摘し、磯川がガックリ頭(こうべ)を垂れるラストの絶妙さがよい。横溝正史「鴉(からす)」は、なかなかの好編だ。

(以下、犯人や犯行動機について直接に明らかにしていませんが、本作にて使われるトリック気付きの発端や犯行動機ら伏線の回収の着目点に軽く触れた「ネタばれ」です。横溝の「鴉」を未読な方は、これから新たに本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

ここでは本作品にて読み所となる、事件の謎解明の主な急所のポイントを3つ挙げておきたい。

(1)女性が「あら、お兄さま」といった場合、「お兄さま」と呼ばれた男性は必ずしも血縁兄弟の兄であるとは限らないし、特定一人の人物を指すとも限らない。「お兄さま」とか「兄さん」というのは女性からする男性へ向けての一般呼称であって、ゆえに「お兄さま」に該当の人物は複数人いるのが常である。

(2)村の有力者である義父から跡取りの孫の誕生を一心に期待されているにもかかわらず、新婚で子宝も授からぬ内から若い婿養子が新妻を放っておいて家を留守にし、夜な夜な山中のおこもり堂に寝泊まりして趣味の狩猟をやり、精力的に野山を駆け回るのは、単に入婿の若旦那が「趣味の猟が好きだから」という理由だけでは到底あるまい。

(3)いわゆる「人間消失」の後、山中のおこもり堂にて「天井から鴉(からす)の死骸が吊り下げられ、室内の床一面は鴉の血に染まり…」といった現場の状況である場合、そうした鴉(からす)の死骸吊り下げや血の飛散は、呪術的で大袈裟(おおげさ)な神の儀式の非合理なものであるよりは、実はおこもり堂の室内こそが人間殺害の犯行現場であり、殺害時に床板に飛び散った被害者の人間血を隠すカモフラージュの目的で、わざと鴉(からす)の死骸を天井から吊り下げ鴉の血を床一面に犯人が撒(ま)き散らしたという合理的理由まで推理されるべきである。してみれば、「人間消失」で忽然と消えた失踪人物の白骨遺体は、殺害現場であった、おこもり堂の案外近くにて発見されるかもしれない。何よりも初動捜査の際に、「おこもり堂の床一面に飛び散った鴉(からす)の血と思われたものに実は人間の血が混じっていなかったか」を警察はまず調べるべきであったのだ。

再読 横溝正史(47)「壺中美人」

昔の角川文庫の横溝作品の表紙カバー絵は、もれなく杉本一文が描いていた。杉本は毎回カバー絵作成の際に事前に横溝の本編小説を読んで、それからイラストを描いていたに違いない。だから杉本一文の歴代イラストカバーをよくよく見ていると、明らかに本編の「ネタばれ」になっていることがよくある。

横溝正史「壺中美人(こちゅうびじん)」(1960年)も昔の角川文庫、杉本イラストをよく見てみると(笑)。本作を既読の者なら「壺中美人」の、かの「美人」の顔を凝視して必ずや思うところがあるはずだ。私は以前、本作初読ののち改めてカバー絵の「壺中」の「美人」を見て爆笑せずにいられなかった。

「無気味な絶叫に目をさました手伝いの老婆は、恐る恐るアトリエまで来た。そして鍵穴からのぞくと、中には血まみれのパレットナイフを握りしめ、器用に身体をねじまげながら壺の中へ入るチャイナドレスの女が…。陶器蒐集(しゅうしゅう)で有名な画家が自宅のアトリエで何者かに殺害された。等々力警部の呼び出しで現場におもむいた金田一耕助は、聞き込みを続けるうちに数日前テレビで見た『壺中美人』と称する曲芸を思い浮かべていた」(角川文庫版、表紙カバー裏解説)

陶器蒐集の画家が自宅のアトリエで何者かに殺害された事件である。その犯行直後に屋敷の手伝いの老婆が鍵穴から、血まみれのパレットナイフを握りしめ、器用に身体をねじまげながら壺の中へ入るチャイナドレスの女を目撃したという。等々力警部と共に捜索に当たった探偵の金田一耕助は、事件発生前に偶然にもテレビの寄席中継にて「壺中美人」を視聴していた。「壺中美人」とは、酢(す)や何かを飲んで関節をやわらかにした女や子供が手や脚をくねくね折り曲げて窮屈な壺の中へすっぽりと入る曲芸で、それをチャイナドレスを着た「壺中美人」と称する人物がやる。しかも金田一がテレビで視聴した「壺中美人」が曲芸に使用のものと全く同じ壺が、陶器収集の画家の殺害現場である彼の自宅アトリエにあったのだ。

横溝正史「壺中美人」は、「常日頃から隠そうと意識し注意していても、人間の日常的な性癖や無意識下の行動しぐさを当人が知らないうちについ出してやってしまう」、そうした「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」を金田一が慧眼(けいがん)をもって早々に気づくというのが、本作の話の肝(きも)である。おそらく横溝は探偵推理の細部の詳細を考えるより先に、「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」ネタを使ってまず一作書こうとしている。その上で「壺中美人」は、犯行動機やアリバイ工作の細部を継ぎ足し全体を組み立てる手順で創作されているに違いない。そのため、実は読み始めの冒頭の10ページ足らずの場面記述で「金田一耕助がおやとつぶやいて身をのりだした」云々の横溝による描写があり、それこそが「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」である。そうしてその内容が何であったかは、今度は作品のラスト近くでいよいよ「金田一の看破の鋭(するど)い気付き」として、ようやくタネ明かしされ披露されるわけである。

横溝「壺中美人」の難点として、作品全体の土台の必殺のネタとしてある「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」が、犯人の意外性やアリバイ・トリックの暴露に直接結び付いていないため、話に面白味がなく残念な読後感が本作にはどうしても残る。

その分、「犯人や関係人物らが、なぜそのような態度や行動をとったのか」や「犯行当日の各人物の具体的行動」の、動機や時系列説明に矛盾や破綻がなく、横溝は相当に気を使って注意して精密に書いているフシは感じられる。だが「矛盾や破綻がないように」のその精密さに横溝の筆の力が入りすぎて、どうも横溝正史「壺中美人」は「だから実はこうであったのだ」的な事後説明臭があまりにも強すぎ、私には少々クドい感じがする。