アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

フリッパーズ・ギター 小沢と小山田(1)「海へ行くつもりじゃなかった」

今回から新たに始まる特集「フリッパーズ・ギター・小沢と小山田」である。この特集タイトルは往年のフリッパーズの名物雑誌連載「月刊・小沢と小山田」に当然、由来している。日本の音楽史に残るであろう(たぶん)偉大な伝説、ポップ・ミュージックの金字塔バンド「フリッパーズ・ギター」(FIippers・Guitar)だ。

しかしながら、正直に白状すると私は昔からフリッパーズを知っていたわけではなくて、TBSドラマ「予備校ブギ」の主題歌「恋とマシンガン」からだった。緒形直人、織田裕二、渡辺満里奈らが出ていたドラマで、そのドラマ主題歌からさかのぼってファースト・アルバム「海へ行くつもりじゃなかった」を後に手に入れて聴いた。まだフリッパーズが5人体制だった時だ。

その頃、私は地方都市に住んでいて正直カルチャー・ショックだった。だいいち音楽に「ネオアコ」という系統というか、ジャンルがあるのを知らなかったし、もちろん「パステルズ」(Pastels)や「ヘアカット100」(Haircut100)など聴いたことがなかった。「エル・レーベル」(El・Label)もマイク・オールウェイ(Mike・Alway)も知らなかった。東京の「ハンター」や大阪の「タイム・ボム」のような名物輸入レコード店も近所にはなく、何しろうちの街には当時、全国チェーンの輸入盤屋「タワー・レコード」すら、まだ出店していなかったので。後に大阪に定期的に遊びに行って、レコード店巡りをして心斎橋のタイム・ボムにはよく行き大変お世話になった。感動だった。簡単に輸入盤が購入できる喜びが尋常でなかった。

1990年代の初め、大阪の心斎橋に「ビッグ・ステップ」というファッション商業ビルができる。中にCDショップの「HMV」が店舗で入って、それでたまたま偶然に洋楽担当の店員が単に熱烈なフリッパーズ・ギター好きだっただけなのかもしれないが、洋楽の店頭平積みや広告ポップありのオススメが、ことごとくフリッパーズ関連のフリッパーズ絡(がら)みだった、ニック・ヘイワード(Nick・Heyward)とか「アズテック・カメラ」(Aztec ・Camera)とか「ヒット・パレード」(Hit ・Parade )など。しかも「こんなマニアックでマイナーな音楽、普通にたくさん売れるわけねぇだろ」というのが当時は異常に売れていた。「何これ、フリッパーズ効果?」のような(笑)。そういった1990年代初頭のレコード店の喧騒が、今にして思えば非常に懐かしい。おそらくはフリッパーズ・ギターの影響であるな、「オリーヴ少女」がレコード屋に出没して海外のインディー・バンドの音源をやたら買い漁(あさ)っていたのは。

フリッパーズのファースト・アルバム「海へ行くつもりじゃなかった」は全曲英語詞で、いかにもな感じの作りだ。昔から変わらず今でも好きなのは「奇妙なロリポップ」「サンバ・パレードの華麗な噂が」「さよならパステルズ・バッヂ」である。特に「パステルズ・バッヂ」は、繰り返し聴けば聴くほど隙(すき)のない完璧なポップ・ミュージックだと溜め息混じりの感嘆で改めて素晴らしいとつくづく思う。「奇妙なロリポップ」は、雑誌「米国音楽」の付録に付いていたまだフリッパーズの前身バンド「ロリポップ・ソニック」(Lollipop・Sonic)のときの初期音源を後に私は聴いた。小山田の声が、かなり若くて今では想像できないほどの素直な歌い方だ。

最後に、当時ファースト・アルバムのCDオビ裏に書いてあったフリッパーズ・ギター、必殺の売り出しコピーを載せておこう。

「rm(レコード・ミラー誌)インディーズ・チャートになぜかひょっこり顔を出した、とっても爽やかでちょっぴりキンキーな日本のポップバンド、ロリポップ・ソニック。カプチーノもいいけれど、コーヒー牛乳にくびったけな君へ。1988年・夏、フリッパーズ・ギターとして国内デビュー!」

「カプチーノもいいけれど、コーヒー牛乳にくびったけな君へ」だって(笑)。「コーヒーミルク・クレイジー」なコピー文句が今読み返すと非常に恥ずかしく、思わず苦笑い。