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大学受験参考書を読む(24)栗原隆「基礎徹底 そこが知りたい古文」

栗原隆「基礎徹底・そこが知りたい古文」(2010年)は、以前に同じ駿台文庫から出ていた同著「ボーダーを超える古文」(1997年)に加筆し改訂したものである。

新著「そこが知りたい古文」の内容構成は、旧著「ボーダーを超える古文」とほぼ同じである。しかしながら、旧著タイトルには「ボーダーを超える」という応用編で上級者向けのニュアンスがあり、内容はほとんど変わっていないのに新著では「基礎徹底・そこが知りたい古文」とし、あえて「基礎徹底」と基礎編に徹するタイトルになっている所が面白い。この辺り、旧著から新著へのタイトル変更の印象操作を通して「応用から基礎へ」参考書の読み手対象レベルを故意に下げているのは、著者ないしは出版元の駿台文庫の意向が働いたものと思われる。

本書は一般的な大学受験の古文参考書と同様、古典文法や古文常識に一通り触れ解説しているが、さらにこの古文参考書の他著にない良さは、大学受験レベルの古文読解なのに日本古典文学のテクスト分析たる記号論構造主義の手法を応用していることだ。それは次のような著者の古文理解ないしは言語観に由来している。

「科学とは、ある領域に対して一般法則を探求して、合理的知識の体系を構築するものです。…『古文』についても同じことが言えます。『古文』とは『日本語』と『日本の文学的テクスト』のシステムを通時的に考察していく『科学』にほかならないのです」

こうした「古文とはテクストのシステムを考察していく科学にほかならない」とする著者の古文理解の立場から、例えば本書での「掛詞」の解説にてソシュール記号論を、長文古文の「物語テクストの構造」にて構造主義の分析手法を用いて解説している。特に後者の「物語テクストの構造」分析の読解解説は非常に優れている。「テクスト」とは本来「織物」の意味であり、そもそも言語とは、発話であれ記述であれ、必ず特定の語り手から発せられ、必ず特定の聞き手に伝わる言葉であって、言葉を発する主体も言葉が伝わる主体も必ず社会的存在であり特定の時間と空間に属するわけであるから言葉も必ず特定の時間と空間に属する。そこで言葉が属する時間と空間を「位相」とし、文学作品の物語世界にて、多様な言葉により織られ構成されるテクストには、さまざまな時間と空間の位相をもつ文章群が異なる次元の階層にて交錯し入り混じり多層化してある、とする。そして、テクストの物語世界にある多層な位相は四つのレベルに分類でき、その概要は本書解説に従えば以下の通りである。

「レベルⅠは、私たち現代人が『古文』の『物語』というテクストに対峙するときの、まさにその瞬間、つまり『解釈』の位相です。レベルⅡは、『作者』が扮している『虚構の語り手』が『物語』を語っている位相です。レベルⅢとは、私たち読者が追う、『物語』の登場人物が行動したり、語り手が、登場人物の属する環境を描写したり、登場人物の会話文などを引用している、『ドラマ』の位相です。そして、これら三つ世界の基層には、レベルОとして、生身の人間である、作者が実際に作品を執筆している『作者の時間』があるでしょう」

古文解釈が現代の私達にとって時に困難に感じられることの理由の一つに、この四つの位相レベルの中でレベルⅢの「登場人物の位相 」に属する登場人物の行動や会話引用を記述している作者の語り(ナレーション)の客観的な地の文の中に、レベルⅡの「虚構の語り手」の主観の感想が挿入句として無原則に頻繁に入ることによる読み手の混乱がある。レベルⅢのドラマ描写の客観ナレーションの地の文の中にレベルⅡの物語の語り手自身の主観的な感想が自在に入る挿入句の見極め、この挿入句の見極め処理が古文読解の困難を乗り越える一つの要点であると考えられる。こういった点からしても、著者による「物語テクストの構造」の四つの位相からの構造主義的なテクスト解析の読み方教授は大変に優れている。

ただ大学受験の古文にて物語長文を読む際、そうした四つの位相に厳密に分け解析して読むことなど大して必要ないわけで、わざわざそのようなテクスト解読の構造主義的な手法を使わなくても大学入試古文は普通に読める。だから、旧著「ボーダーを超える古文」に加筆・改訂し内容構成がほとんど変わらないにもかかわらず、新著「基礎徹底・そこが知りたい古文」と強引にタイトル変更してはいるけれど、やはり「基礎徹底」というには無理があって、どう読んでも「基礎徹底・そこが知りたい古文」に関しては旧著「ボーダーを超える古文」同様、応用編の上級者向けな大学受験参考書といった読後の感想に落ち着いてしまう。