アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

特集ドイル(6)「シャーロック・ホームズ 最後の挨拶」

小説をテレビドラマなり映画なりに映像化すると、だいたい原作イメージから大いに外れ、いつも失望すること多いが、「シャーロック・ホームズ」のドラマ化に関しては例外だったと思う。イギリスのグラナダTV制作、ジェレミー・ブレッド主演の「シャーロック・ホームズの冒険」(1985─95年)、あれは本当に素晴らしかった。

昔NHKで放映されていてよく観ていた。主演のジェレミー・ブレッドが繊細で天才で憂鬱(ゆううつ)で狂気で、しかしワトソンへの友情にひたすら厚い原作のホームズのイメージにぴったり合っていたし、衣装や家具調度の小道具、駅馬車や街灯ら「世紀末都市ロンドン」の街並みが見事な映像で雰囲気満点であった。またホームズの日本語吹き替えをやった露口茂(刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の山さん役の俳優でもある)の声も、英国制作のドラマ映像に異常に溶け込んで違和感がなかった。

コナン・ドイルの活字の小説も良いけれど、映像化されると、より感情移入できて浸(ひた)って原作を味わえる。例えば「青いガーネット」のラストで、ホームズが気の弱い宝石窃盗犯を見逃して「出てゆけ!」と激昂する場面は、テレビドラマで実際にホームズが激しく怒るのを観て余計に強く印象に残った。また「ソア橋」の凶器消失の仕掛けのトリック、ああいうのは文章で読むよりも映像で見たほうが一目瞭然で分かりやすい。私はドラマで見て、橋を絡めたあの凶器消失の仕掛けに、なるほどと深く納得した。

さて「シャーロック・ホームズ・最後の挨拶」(1917年)は、文字通り「最後」のラスト・エピソードを入れた形式的には締め括りのホームズ短編連作集である。

(以下、「シャーロック・ホームズ・最後の挨拶」各話の核心トリックに触れた「ネタばれ」です。「最後の挨拶」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

だいたいホームズは月刊誌に毎月掲載の一話完結であり、多くても40ページ強くらいで話が終わる短編連載形式だが、「ウィステリア荘」は例外的に二ヶ月に渡って連続掲載されている。だから枚数がやや多く話が少し長い。内容は、知り合った人の家に夕食を招待されて宿泊したら、翌朝その家の主人もコックも下男も「ウィステリア荘」の人々が皆いなくなってキツネにつままれた。そして後に行方不明の主人が死体で発見される、いわゆる「奇妙な発端」に属する話だ。最後は見事に謎が解けるけれど、短編として長さが中途半端な感が否めない。

こういう話は、さらに枚数を増やし長くして、しっかり人間関係の描写を書き込んで味わいをつける200ページくらいの長編にまとめる内容のものだと私は思う。短編ではなくて中途半端に少し長い程度なので、読んでいて消化不良の感が残る。ついで言うと「赤い輪」も「奇妙な発端」の話である。奇妙な下宿人、「奇妙さ」の話の出だしが「覆面の下宿人」に似ている。

「ブルース・パティントン設計書」は、新ネタで「遺体の移動」のトリックを絡めたものである、これまでのホームズ短編にて「遺体の移動」は出てきていないはずで、これが初だ。ネタばれで申し訳ないが、イギリスの国運を左右する英国製潜水艦の機密設計書類「ブルース・パティントン設計書」の盗難事件に絡んで、遺体を線路に面してる家の窓口から列車の屋根に乗せて人知れず移動させるというトリックが本編にて使われている。それで切り替えポイントが多い急カーブの線路際に、列車のカーブ走行の振動と車体の傾きから列車屋根上の遺体が線路脇に投げ出されること、ホームズが「列車の屋根に乗せて遺体の移動」を見事に推理する。

「遺体を移動させる」というのは探偵小説ではよくある。いわゆるアリバイ(現場不在証明)工作の一環として利用される。要するに殺人犯からすれば、時間的・空間的に遺体を自身から出来る限り遠ざけたいわけで、だから遺体を殺害現場以外の場所に運んで移動させる。しかし、その際に自分が遺体を運んでいる所を目撃されたら、もうアウトなわけだから周囲の人々に気づかれず、労力をなるべく使わずに人知れず効率的に死体を自身から遠ざけ遠くに運ぶ方法を考える。「列車の屋根に乗せて遺体移動」というのは、かなり大胆で理にかなった効果的な労力の少ない省エネ安全なやり方だ。ただドイルの「ブルース・パティントン設計書」では、遺体の移動をアリバイ工作に結びつけておらず、その分多少の残念な感が残る。

「列車の屋根に遺体を乗せ移動させてアリバイ工作」というのは、後に横溝正史が周到にやっていて私には印象深い。「探偵小説」(1946年)という、そのままのひねりのないタイトルの横溝の短編で(笑)。列車の屋根に遺体を乗せて人知れず隣町まで運ばせる。遺体が落下するのは、殺害現場から遠く離れた隣町で急カーブで車体が大きく傾く地点である。しかも、大雪の季節で急カーブ地点に落下した遺体に後続列車からの屋根上の雪が落ちて何度となく降りかかるので、雪に埋もれて遺体の発見が遅れる。おそらく、ドイルのホームズ「ブルース・パティントン設計書」の「列車による遺体移動」が元ネタで、その元ネタを膨らませて非常によく出来ている。昔読んだとき、私は感心した。

「ボール箱」は、良識派で残酷・陰湿な描写を避けるコナン・ドイルの例外的短編だ。「ボール箱」に入った切り取られた人間の耳が突然、送られてきてといった猟奇な話である。「悪魔の足」は、発火すると猛毒が発生して発狂死する植物「悪魔の足」を使った遠隔殺人エピソードである。

「フランシス・カーファクス姫の失踪」は、悪者の手に落ちて「失踪」した「姫」であったが、悪者が出す別人葬儀の棺桶が不思議に大きく、実は棺桶の中に2人の人間、失踪した「姫」までもが生きながらに収棺されており、最後はホームズが棺桶のからくりに気づいて、間一髪「姫」を救い出す。ホームズが気づかなければ、そのまま「姫」は生き埋めで何だかポオの「早すぎた埋葬」を思い起こさせる。

「瀕死の探偵」は、ホームズが仮病を装って自身を郵便物に同封の薬剤で殺害しようとした犯人に犯行を自白させる話だ。最初に仮病で衰弱なのに「ワトソン君には手に余る難病だ」と言ってワトソンを近づけず、彼の医者としての自尊心を傷つけるように見せて、ラストでは「仮病を装ってもワトソン君なら見抜くだろうから、実は近づけたくなかったのだ」云々でワトソンの医者の腕に敬意を払う、ひっくり返しの爽快な結末が心に響く。この辺り「ホームズとワトソンの深い友情」を読者に知らしめる好短編であり、ドイルは「短編の名手」といえる。

そして、ホームズの実質的ラスト作品「最後の挨拶」である。これは厳密には探偵小説ではない。時事的な国際スパイ小説のような感じだ。当時の第一次世界大戦の時事を反映して、本編を通してイギリス人たるドイルが敵国ドイツへの憎悪を露(あらわ)にする。この作品にはドイルの息子が大戦に参加して戦死という背景があることが、よく指摘されるが、これまで何年も費やして丁寧丹念に探偵小説のシャーロック・ホームズ短編を連載で積み重ねてきて、しかし最後の最後のラストで時事的な世界大戦を背景に愛国物に流れてホームズを終わりにする。私は非常に、もったいない気がする。理知的・論理的な純粋な探偵小説ではなくて、一時的で感情的な時事愛国物でホームズを終わらせる。とても残念だ。

以上、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ諸短編について数回に渡り書いてきたが、今回が最後なので最後に締めの総括を。

やはりドイルは「奇妙な発端」と「事件由来の外部世界への遡及(そきゅう)」の二大柱な探偵小説家だと思う。それぞれの記述技法の詳しい内容説明は以前の記事の中で繰り返し述べてきたので、ここでは割愛するが、ドイルはこの二つの手法に卓越しており、これらに尽きる。短編推理というのは、じっくり書き込むことができる長編とは異なり、少ない枚数の中で事件の謎を提示し、かつラストまでに必ずその謎を解いてテンポよく手際よく書き抜かなければならないので書く方は毎回大変である。それで短編の探偵小説では冒頭の奇妙な謎や犯罪トリックを、例えば特異な自然現象や人間の知覚錯覚に話を回収させるパターンが一つの系統の柱として昔から根強くある。最後に特異な自然現象の仕業や人間知覚の錯覚などを持ってくると、前半にどんなに不思議な謎の大風呂敷を広げても、「著者に見事してやられた」爽快な読後感を読者に付与しながら論理的破綻なく話が合理的に解決に導けるから。こういった自然の現象や人間の勘違い、錯覚を短編・探偵推理の解決の必殺のネタに利用するのは、例えばカーとかチェスタトンが後に散々やっている。

しかしながらコナン・ドイルは、もちろん探偵小説の時代的流行変遷やジャンルの歴史蓄積、新たな話パターンの捻出努力など色々あるが、ドイルの個人的な資質として彼は特異現象や人間の知覚錯覚などの物事の細かな点に引っかかって話を書かない。おそらく、ドイルはそういった細かな点に配慮した精密な探偵小説は書けない(笑)。どちらかというとドイルは大ざっぱで話を膨らまして大きく大きく展開させる、いわゆる「ストーリーテラーな作家」だと私は思う。そういった大きな語りの典型がホームズ短編において何度も多用される「奇妙な発端」であり、「事件由来の外部世界への遡及」であって、それがドイルのホームズ・シリーズの最大の魅力になっているのではないか。個人的にはそういう結論だ。

では最後に極私的な「傑作お気に入り・ホームズ短編ベスト7」を。以下、順位はありません。

「三人ガリデブ」(奇妙な発端)☆「六つのナポレオン」(奇妙な発端+意外な隠し場所)☆「唇の捻れた男」(一人二役)☆「白銀号事件」(動物が犯人)☆「踊る人形」(暗号解読)☆「ソア橋」(凶器消失)☆「ノーウッドの建築士」(身元判別不能な遺体)

特集ドイルのホームズ・シリーズ、これにて完結。ありがとうございました。