アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

江戸川乱歩編「世界短編傑作集1」

今回から新たに始める、江戸川乱歩が編纂(へんさん)のアンソロジー「世界短編傑作集」全5巻についての軽い感想など。まずは第1巻から。

(以下、江戸川乱歩編「世界短編傑作集1」収録短編の核心トリックに触れた「ネタばれ」です。「世界短編傑作集1」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

巻頭に来るのは、コリンズ「人を呪わば」。これは一つの事象・現実に対し、見る人によって認識のあり方や理解の仕方、推理のあり様は人それぞれで異なる。そうしたことを示した探偵推理の始源である。まさに「世界短編傑作集」の始まりにふさわしい作品である。

確かにそうだ。一つの事件、殺人現場、容疑者ら関係人物に対して名探偵や名刑事が論理的思考を存分に発揮し、犯人をあぶり出す鮮(あざ)やかな手際(てぎわ)がある一方で、鈍感な作中人物による思わず笑ってしまう的はずれな推理や、読み進めてもいっこうに犯人を特定できない素人読者もいるわけで、まさに「一つの事象・現実に対し、見る人によって認識のあり方や理解の仕方、推理のあり様は人それぞれで異なる」は探偵推理の基本で前提である。本作では後者の、ひたすら的はずれな推理連発で、しかしやけに自信満々な新人刑事が出てきて最後にクビになる話。上司との手紙のやり取り形式で記述が進む構成の妙も、またよし!

チエホフ「安全マッチ」と、グリーン「医師とその妻と時計」。これらは厳密には推理小説ではなく、通常の文学で、それに探偵推理的趣向が盛り込まれてるといった感じだ。まだ推理小説の形式や型がきちんと固まっていない時代の作品という気がする。何しろ江戸川乱歩編「世界短編傑作集」全5巻は古い時代順で「短編傑作」を並べるアンソロジーであり、これは最初の第1巻だから。しかしながら、例えば「医師とその妻と時計」の登場人物たちの心の葛藤、特に「その妻」の心の揺れ動きなど、今読み返してみても非常によく書かれている。推理小説云々を抜きにして通常の小説として読んで重厚で面白い。

モリスン「レントン館盗難事件」、これは密室にもかかわらず、相次いで宝石が盗難に会い盗まれるという不思議な事件である。ネタばれで申し訳ないが、ズバリ言うと「動物トリック」だ。窓から鸚鵡(オウム)が宝石くわえてくるという。動物を使ったトリックといえば、私はドイルのシャーロック・ホームズ「まだらの紐」を真っ先に思い出すけれど、かなり初期の時代の昔から「人間が犯人ではなく実は動物のしわざ。もしくは犯人が動物を使って不可能犯罪やる」というパターンは探偵推理小説には多々ある。

フットレル「十三号独房の問題」は、私は前から好きで。何しろフットレルの「思考機械の事件簿」シリーズが好きなので。「思考機械」の異名を持つ探偵博士が主人公の短編で、「思考機械」=シンキング・マシーンという、いかにもなネーミングである。この「十三号独房の問題」は、刑務所の監房から簡単に脱獄してみせると宣言して、実際に監房に収監されて、しかし、まんまと脱獄してみせる「思考機械」の活躍の話である。監獄内から外部に連絡を取る方法が偶然の幸運に頼っていて都合が良すぎる、あと、その連絡を受けて外部から脱獄協力する支援者がいるのも、完全に自力での脱獄ではないので少しフェアではないとも私は思うが、だが名作だ。

ロバート・パー「放心家組合」は、「人間の習慣・錯覚を利用した詐欺事件」があって、探偵が犯人追い詰めるが、最後の犯人のソツのない逃げ方、証拠隠滅の手際のよさが読み所である。

この第1巻には巻頭に編者の江戸川乱歩による「序」があり、その中で「クィーンのベスト十二」や「歴代短編の高位十四」や「乱歩のベストテン」が紹介されている。どれを見ても、ポオ「盗まれた手紙」が必ず1位か上位にランキングされている(ちなみに次点は、だいたいドイル「赤髪連盟」)。だから、乱歩も「世界短編傑作集」のアンソロジー編(あ)むに当たって、第1巻でポオの「盗まれた手紙」か「モルグ街の殺人事件」を手堅くお決まりの定番で入れるのも「あり」と私は思ったが。この第1巻を読んでいて「ポオの作品を再読したい」の衝動にずっと私は駆られていた。

次回も、江戸川乱歩編「世界短編傑作集」で。