アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(3)「迷路荘の惨劇」

1970年代後半から始まる横溝小説の映像化を受けての社会の「横溝正史ブーム」の中、過去作品の発掘再版だけでなく、一度は筆を折ったはずの横溝自身も意欲的に創作を再開する。すなわち、昭和49年に発表の「仮面舞踏会」(1974年)にて横溝正史は完全復活を果たす。以後「病院坂の首縊りの家」(1977年)、「悪霊島」(1980年)など齢(よわい)70代にして大ベテランの横溝は次々と新作を世に出す。

昭和50年に発表された「迷路荘の惨劇」(1975年)も世間での横溝人気再燃を受け、新人や社会派の台頭で一時は干されのスランプで筆を折っていたが、完全復活を果たし創作に意欲的に取り組んだ本格派・横溝正史、最晩年の仕事の一つに当たるものだ。その内容といえば、

「広大な富士の裾野の近くに、あたりを睥睨(へいげい)するかのごとく建つ豪邸・名琅荘(めいろうそう)。屋敷内の至る所に〈どんでん返し〉や〈ぬけ穴〉が仕掛けられ、その複雑な造りから別名・迷路荘と呼ばれている。知人の紹介で迷路荘を訪問した金田一耕助は、到着後、凄惨な殺人事件に巻き込まれた。被害者は、ここの創建者の孫・古館辰人(ふるだて・たつひと)元伯爵で、後頭部を一撃され、首にはロープで締められた跡が残っていた。やがて事件解明に乗り出した金田一は、二十年前に起きた因縁の血の惨劇を知り、戦慄する」

「広大な富士の裾野の近くに、あたりを睥睨するかのごとく建つ豪邸・名琅荘。屋敷内の至る所に〈どんでん返し〉や〈ぬけ穴〉が仕掛けられ、その複雑な造りから別名・迷路荘と呼ばれている」。「平安の昔、かつての瀬戸内海賊の本拠地で、北の要(かなめ)の北門島(ほくもんとう)の名がなまって獄門島」のような、どこかで聞いたことのある話だ(笑)。そして、こうした仕掛けが屋敷中の至る所に仕掛けられてある「迷路荘の惨劇」の連続殺人である。そうした舞台設定からして書き手の横溝は本作では最初から密室殺人は「断念」しているのか、迷路荘内に「どんでん返し」や「抜け穴」があるため密室が原理的に成立しないからと思いきや、これがまさかの「密室あり」(笑)。しかも、その密室トリックは「悪魔が来りて笛を吹く」(1953年)にて、かつて使ったものと同じであり、横溝晩年の創作なため過去作品の自作流用の再利用が多々ある。もっとも本作は、以前に発表された「迷路荘の怪人」(1956年)に手を入れた自作長編書き直しの体裁ではあるが。

結局のところ「迷路荘の惨劇」にて連続殺人の被害者は三人で、冒頭で金田一耕助が迷路荘に到着する際、今では没落の古館元伯爵一家並びに迷路荘に因縁ある二十年前の過去の「惨劇」関係者たる「尾形静馬」(おがた・しずま)という、これまた「犬神家の一族」(1951年)の「青沼静馬」(あおぬま・しずま)に似たような名前の失踪人物、片腕の男が現れて、たびたび関係者に目撃されては姿をくらまし古館前伯爵一家関係者を震撼させる。迷路荘にかつて出入りしていたが、初代古館当主に刀で左腕を斬り切り落とされて以来、行方不明となった尾形静馬なる人物の再訪か。思えば探偵小説にて「片腕がない」や「赤毛である」の見た目に大きな身体的特徴ある因縁人物が、これ見よがしに不自然なまでに何度も繰り返し目撃されては、しかしまた潜伏し不気味に闇の背後で暗躍するといった場合、その身体的特徴が大ありの人物は本人ではなく、関係者が変装し大袈裟に演技して(腕を片縛りして片腕に見せたり、地毛を隠して赤毛のカツラを被ったり)案外、律儀(りちぎ)にやったりしているわけだ。

本作「迷路荘の惨劇」を読む読者も、よほどの探偵小説ビギナーでない限り、最初から「もう本物の尾形静馬はすでに亡くなっていて、尾形静馬と目される、あまりに派手に何度も目撃される割りにはすぐに消えてしまう片腕の男は迷路荘関係者の変装であり、犯人による捜査撹乱の定石(じょうせき)であるな」と容易に了解してしまう。まさにフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」(1922年)にて、そうであったように。

それにしても「迷路荘の惨劇」は物語の進行が異常に遅い。「この先、あとどれくらい自分は執筆できるのか」人生の暮方に近づき、これまでの自身の探偵小説家キャリアの道筋を再確認するかのように横溝が、ゆっくりじっくり楽しんで書いているフシが本作には見受けられる。いわば読者のためだけでなく、「半(なか)ば自分のため」に執筆する横溝正史である。加えて、以前の壮年期のように掲載雑誌の売り上げに腐心することもなく、すでに大家で世間一般での自身の作家評価もあまり気にしなくてもよい、日本の探偵ミステリー文壇の一翼を担う余計な気負いも過剰にないため、自然体で自分の好きなものを「半ば自身のため」に思う存分、心ゆくまで書くことができた最晩年の横溝正史である。

おそらく「迷路荘の惨劇」を始めとする「仮面舞踏会」や「悪霊島」の復活後の一連の作品は、古巣の探偵ミステリー雑誌「宝石」か角川の新雑誌「野性時代」に初出連載のはずだ。横溝は、特に角川書店には「横溝全集」の角川文庫の莫大な売り上げで充分すぎるほど貢献しているから、他誌への連載とは違い、最晩年の横溝は角川の編集者に対して原稿枚数や作品内容に関し、いくらでもワガママがきく恵まれた創作環境下にあったに違いない。「迷路荘の惨劇」や「仮面舞踏会」の復活後の最晩年の作品は、横溝が心ゆくまで楽しんで書いているから話の進行が遅いし例外なく長編だし、内容も以前の横溝の小説にて読んだことがあるような(笑)、書き直しの再構成、既出作品よりのネタ流用や設定の重複が多くなる。

だが、そのように横溝が書く復活後の最晩年の長編群に対し、単純な物語の面白さ享受ではなく、読者のためばかりではなくて非常に楽しんで「半ば自分のため」に執筆する横溝正史の姿を想像しながら読むと、いくら長編で話が長くても、また話の進行が異常に遅くても、さらには過去作品の流用ネタや設定重複が多くあったとしても、横溝ファンなら飽きることなく最後まで楽しんで読めるはずだ。

そういったわけで、この「迷路荘の惨劇」は尾形静馬らしい片腕の因縁の人物が迷路荘に投宿し、しかしすぐに姿をくらまして行方不明となり、その間に古館元伯爵の第一の殺人が起こって警察と金田一が事件関係者全員に順番にいちいち話を聞く関係者聴取の場面が異様に長く、物語の進行が非常に遅いのだが(何と文庫本全500ページ中、第一の殺人と関係者全員に順番聴取の記述で半分近くの200ページも費やしてしまう)、愛ある横溝正史ファンは、迷路荘関連の人物相関図や古館家の家系図メモを作成しながら書き手の横溝同様、じっくりゆっくりと味わって本作を読むことが望まれる。