アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(6)「鬼火」

横溝正史の中編「鬼火」(1935年)に関し、本作タイトルとなっている「鬼火」とは、「人間や動物の死体から浮遊する霊魂の火の玉、蒼白い炎、亡くなった後にこの世に未練を残し、いたたまれない『怨』の思いが残って、その怨念が炎の火の玉となり可視化して暗がりや闇の中を目に見えて浮遊したもの」といわれている。

横溝正史「鬼火」について「ネタばれ」にならない範囲で横溝本人や作品そのものの公的なこと、私の読後の印象を幾つか挙げてみる。

まず本作執筆の契機はこうである。横溝が昭和八年に結核悪化のため大喀血して、雑誌「新青年」の読み切り企画を飛ばし転地にて休養に入る。この時、原稿を飛ばして穴になった読み切り企画に横溝のピンチヒッターとして代理掲載されたのが、小栗虫太郎「完全犯罪」(1933年)であった。それが小栗を代々的に世に知らしめる華々しい実質的作家デビューとなった。後日「横溝さん、あんたが病気したおかげで私は世の中に出られたみたいなものだよ」という小栗虫太郎に、「あほなこといいなはんな。わしが病気をしてもせんでも、あんたは立派に世の中に出る人じゃ」と横溝正史は、たしなめた。そういった小栗と横溝の交流話がある。その信州諏訪にての転地療養中に、横溝は「鬼火」を執筆する。健康で調子のよいときには一晩で百枚以上も書けていた横溝が病中病後のこの時は、さすがに身体が弱り疲労困憊(ひろうこんぱい)で筆が進まず一日に三、四枚書くのがやっとの虫の息。三ヶ月あまりかけ、ようやく「鬼火」を書き上げ完成させたという。執筆の際の横溝の一筆ごとの苦しい息遣いが実際に紙面を通して聞こえてきそうな横溝入魂の中編「鬼火」である。

「鬼火」は昭和十年に雑誌初出で、すでにその頃は日本の軍国主義体制下にて、描写の一部が当局の検閲に触れ発表時に一部削除を命じられる。そして敗戦を迎え、戦後に「鬼火」は削除部分を復刻した完全版が出される。その「鬼火」完全版の復刊に寄与したのが、前述の小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」(1934年)と並んで日本三大奇書の一つ、「虚無への供物」(1964年)を書いた中井英夫であった。偶然に幸運にも、中井が当局から検閲削除が入る前の雑誌掲載の当時の幻の完全版「鬼火」をなぜか所有していた。

改めてオリジナル完全版の「鬼火」を読むと、どの部分が発表時、検閲に引っ掛かり削除になったのかが分かる。私が確認する限りでは「エロ・グロ・ナンセンス」な過激性描写や扇情野蛮な猟奇の記述では全くなく、何てことはない、やや反倫理な男女の恋愛の裏切り描写が削除対象の主で、今読むとわざわざ削除するほどのことではない、本当に大したことない記述だと思うが、「鬼火」初出の昭和十年当時で日本の国家は、これほどまでの過剰検閲の思想統制かという感想を正直、私は持つ。敗戦間際の昭和二十年前後、さらなる狂信的な超国家主義の思想統制より十年前の時点で、すでにここまでの過剰干渉の検閲とはの驚きの感がある。

「鬼火」に関しては、雑誌初出時の竹中英太郎の挿絵があって、戦後に復刻した完全版「鬼火」は角川文庫「鬼火」(1975年)と創元推理文庫「日本探偵小説全集9・横溝正史集」(1986年)とがあるが、竹中の初出掲載時挿絵が載っているのは後者の創元推理文庫の方なので、横溝の「鬼火」を読むなら「日本探偵小説全集9・横溝正史集」をお薦めしたい。また竹中英太郎の探偵小説での扉絵・挿絵の一連の仕事については中井英夫「胎児の夢・竹中英太郎」(1980年)があり、中井はその他のエッセイや探偵小説の評論解説にて竹中英太郎のことによく触れ比較的頻繁に書いているので、そういったものも読みどころだと思われる。

肝心な「鬼火」の話の概要は、横溝が転地療養した諏訪を舞台に、その地方の豪家にて幼い頃から一緒に生まれ育ってきた男性二人の対立の憎しみの生涯の物語である。最後に「鬼火」の話導入の枕となる作中人物が語り出しの文章を引用すると、およそ以下である。

「この湖畔に長く住んでいる程の者なら、誰一人この話を知らない者はありますまい。…此の土地の者で私くらいの年輩の人間なら誰でも知っていますが、漆山家というのは、当時諏訪郡きっての豪家で、万造はその本家の一人息子、代助は分家のこれまた一人息子で、二人は同年の生まれでした。私は両方の親達を知っていますが、あんなに仲のいい善良な兄弟を親に持ちながら、どうしてこんな恐ろしい子供達が生まれたのか実に不思議で、二人はまるで、互いに仇敵となり、憎み合い、詛(のろ)いあい、陥(おとし)れ合うためにのみ、この世に生まれて来たようでした。それは既に、彼等が頑是(がんぜ)ない小児の時分からそうなので、それについて私は次のような出来事をお話する事が出来ます」