アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

江戸川乱歩 礼賛(18)「緑衣の鬼」

江戸川乱歩「緑衣(りょくい)の鬼」(1936年)は、以前に乱歩が絶賛したフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」(1922年)の骨格を借り乱歩なりの趣向にて肉付け創作した、いわゆる「翻案小説」だ。そのため、本家のフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」を既読の人は乱歩の「緑衣の鬼」を読む前からトリックも犯人も既に分かってしまうわけだが、それでも読んで面白い。

まずは、本作「緑衣の鬼」に関する乱歩による「自註自解」を載せておこう。あらかじめ補足しておくと「井上良夫君」というのは戦前に活躍した探偵小説評論家であり、後に「探偵小説のプロフィル」(1994年)という氏の評論集が編(あ)まれている。井上良夫はフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」を戦前日本にて最初に翻訳紹介し、乱歩同様「レドメイン家」を絶賛した人であった。

「私は昭和十年に、井上良夫君にすすめられて、フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』を初めて読み、非常に感心して、当時出ていた『ぷろふいる』という雑誌に長い読後感を書いた。…それ以来、世界のベスト・テンを挙げる場合、私はいつも、この『赤毛のレドメイン家』を第一位に置くことにしていた。それほど感心した作品なので、娯楽雑誌の連載ものに、その筋を取り入れることを思いつき、あの名作を一層通俗的に、また、私流に書き直したのである。一つ一つの殺人の場面は原作とちがっているし、私の作に頻出している『影』の恐怖は原作には全くないもので、犯罪の動機と大筋だけをフィルポッツから借りたものだ」

本作「緑衣の鬼」の元ネタとなっている「赤毛のレドメイン家」は、英国の田園田舎ダートムアを主な舞台に、ヒロインのジェニーの夫・マイクルがジェニーの叔父である赤毛のロバート・レドメインに殺害され、しかし殺害現場は血まみれだが、肝心のマイクルの死体は運び去られて所在が不明であり、その後やたらと「赤毛の」ロバート・レドメインが事件関係者の周辺に頻繁に現れ目撃されるが、しかしすぐに姿をくらますといった話である。しかも事件を解決して犯人を推理するために登場する探偵役は、ロンドン警視庁の刑事マーク・ブレンドンと刑事を引退した国際探偵ピーター・ガンズの二人である。最初の探偵役たるマークが事件の被害者の妻・ジェニーに恋心を抱いて「恋は盲目」でイカれてしまい、「心理の盲点」を作って犯罪捜査は難航する。後に二人目の探偵たるピーター・ガンズが登場し、マークに対し「心理の盲点」を指摘して「レドメイン家」における連続殺人事件の全貌と真犯人が明かされる筋運びである。

殺害されてはいるが肝心の遺体が発見されないので実のところ、殺されたのが誰だか分からない点は、顔面毀損(きそん)ないしは首上切断などで死体の身元判別が不可能な、いわゆる「顔のない死体」トリックに類する本格推理パターンの話といえる。この「顔のない死体」トリックの場合、着衣や持ち物から被害者と推定される人物は被害者ではなくて、加害者の犯人と目されている人物が実は身元判別不能な死体である、すなわち「顔のない死体」をめぐり被害者と加害者の入れ替わりはあるか否か、というのが事件の核心の焦点であり、そこが探偵小説としての面白味の読み所だ。もしくは「顔のない死体」の正体は被害者でも加害者でもなく、事件に関係のない全くの第三者を遺体調達し外部から持ってきて添える、さらには被害者と加害者の入れ替わりはなく、そもそも被害者と加害者は一人二役により錯覚された同一人物であった、という荒業(あらわざ)まで飛び出してくるような探偵推理における「顔のない死体」トリックの盛況ぶりである。探偵小説にて定番の「密室殺人」トリック同様、「顔のない死体」のパターンの話は古今東西、多くの探偵小説家が挑戦し書き重ねている。

フィルポッツ「赤毛のレドメイン家」の翻案小説である江戸川乱歩「緑衣の鬼」も、ヒロインの笹本芳枝の夫・笹本静雄が殺害され、しかしすぐに静雄の遺体は見つからず、後に腐乱した身元判別不能な静雄のものと目される死体が発見されて、ということになる。さらには、本家「赤毛のレドメイン家」では「赤毛」の男が殺人を犯して、後に犯人らしき「赤毛の」男が事件の後も不気味に何度も目撃されるが、かたや乱歩の「緑衣の鬼」は、殺害実行の犯人のトレードマークの目印が「赤毛」の赤ではなくて「緑衣」の緑である。翻案小説の本歌取(ほんかどり)で、赤から緑へ色を変えている所が乱歩の「緑衣の鬼」は面白いと思う。しかも本家の「赤毛のレドメイン家」は犯人と目される人物が単に「赤毛の男」であって、たまたま赤色なだけだが、乱歩の「緑衣の鬼」では緑色への病的執着から頭髪も緑、衣服も緑、持ち物や自宅の外観・内装も何から何まで全部が緑一色という異常な性癖の持ち主、夏目太郎という変質な人物(作中の乱歩の表現を借りれば「色気違い」)を作り出し、実際に作中にて動かしている所が江戸川乱歩の作品は優れている。

乱歩や井上良夫らの高い評価とは反対に、私はフィルポッツの「赤毛のレドメイン家」は以前に何度か読んではいるが、そこまでよく出来た探偵小説とは正直、思えなかった。「顔のない遺体」に類するパターンのトリック主柱としての「果たして被害者と加害者の入れ替わりはあるか否か」云々は確かに読み手の興味を惹(ひ)きつけ、熱中させ読ませるものがあるが、如何(いかん)せんフィルポッツの探偵小説家としての書き方が戦前の古典な探偵小説なためか、非常に牧歌的でぬるい。英国の田園田舎を舞台に叙情あふれる描写や過剰なまでにロマンチック過ぎる人物感情記述であり、探偵小説としての展開が遅い。リズムとテンポがない。江戸川乱歩「緑衣の鬼」は、主に都市を舞台にした探偵小説であり、洗練された探偵推理の節回しと、雑誌「講談倶楽部」に一年間連載の通俗長編であるため、毎回の話のリズムよくテンポが早く、かつ探偵推理以外にも冒険活劇の要素も各回ごとに程よく入れて本家「赤毛のレドメイン家」の弱点を克服しているように思う。

よって「緑衣の鬼」は、フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」を既読でトリックや犯人を既に知っている人でも、もちろん「レドメイン家」を未読で結末を知らない方にも、最良な通俗長編、娯楽大作の探偵小説と言えるのではないか。

またフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」に関連して、江戸川乱歩「緑衣の鬼」以外にも、作中にて探偵小説マニアの私立探偵に「レドメイン家」の書籍を無署名で贈呈し、あらかじめ小説を読ませ熱中させておいて、現実の殺人事件にて「赤毛のレドメイン家」をミスディレクションに使って推理の誤誘導を探偵にさせる、犯人たる「殺人魔」の鮮(あざ)やかな手口が冴(さ)えわたる戦前の長編探偵小説の大名作(と少なくとも私には思える)、蒼井雄「船富家の惨劇」(1935年)を私は激しくお薦めしたい。