アメジローのつれづれ(集成)

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江戸川乱歩 礼賛(21)「パノラマ島奇談」

江戸川乱歩「パノラマ島奇談」(1927年)のあらすじはこうだ。

「売れない物書きの人見廣介は、定職にも就(つ)かない極貧生活の中で、自分の理想郷を作ることを夢想していた。そんなある日、容姿が自分と瓜二つの大富豪・菰田(こもだ)源三郎が病死したという話を、知り合いの新聞記者から聞く。人見と菰田はかつて同じ大学に通っており、友人たちからは双生児の兄弟と揶揄(やゆ)されていた。菰田がてんかん持ちであり、てんかん持ちは死亡と診断された後に息を吹き返すこともあるという話、さらに菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っているということを知った人見の中に、ある壮大な計画が芽生える。それは菰田が蘇生したかのように装って自分が菰田に成り代わり菰田家に入り込んで、その莫大な財産を使って理想通りの地上の楽園を創造することであった。人見は自身の自殺を偽装して菰田家のあるM県に向かうと、墓を暴いて菰田の死体を掘り起こし、隣の墓の下に埋めなおした。そしてさも菰田が息を吹き返したように装って菰田になりすまし、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。

人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設していく。一方、蘇生後は自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を、菰田の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が菰田でないことを感付かれたと考えた人見は、千代子を自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして千代子の運命は?」

「パノラマ島」は、作中ではM県S郡の南端に位置すると書かれている。これは三重県(M県)の鳥羽(志摩郡=S郡)の離島がモデルといわれている。本作は、容貌の酷似を利用して死人が蘇生したと見せかけ、自己を抹殺した上で他人になりすまし残された巨万の富を意のままに蕩尽(とうじん)する、だが故人の妻に疑惑の念がきざしたのを察してこれを始末するが、結局最後に主人公の犯罪が暴かれるという倒叙展開の話である。

「パノラマ島奇談」について、後の乱歩の回想によれば、「雑誌『新青年』に自身の最初の長編で、ちょっと意気込んで書いたのだが、余りに独りよがりな夢を気ままに書き並べたので当時の読者には連載時からあまり好評ではなかった」旨が述べられている。確かに、本作「パノラマ島奇談」は、主人公・人見廣介が人物入れ替わりにて他人の財産を横領し、無尽蔵の金銭を用いて心ゆくまで作り上げる自分好みの「地上の楽園」詳細の長い記述(裸体で人魚のように島内を遊泳する美女らの描写など)は、その世界観に興味のない私のような読者には読んで冗長で退屈な思いがする。その分、ラストの大団円の必殺のオチ(「人間花火」!)は、最後に乱歩が投げやりで強引に話を終わらせた感があり、その結末の力技の無理やりな話の終わらせ方が私には昔から印象深い。

江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」は何度が映像化されている。まず見るべきは、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」枠で天知茂が名探偵・明智小五郎を演ずる「江戸川乱歩の美女」シリーズの「天国と地獄の美女・江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』」(1982年)であり、これは当時私は小学生であったが、初放映時にリアルタイムで土曜の夜9時に観ている。大富豪・菰田源三郎に容姿が瓜二つであり、菰田と入れ替わっても怪しまれないように、主人公の人見廣介を演ずる伊東四朗が自分の眼にキリのようなものを突き刺し片目を潰して、わざと失明する凄惨場面(ドラマ劇中で大富豪・菰田は片目が失明の設定であり、菰田と人見の両方を伊東四朗が演じていた)が、小学生だった当時の自分には相当に衝撃的で長い間、恐怖で忘れられなかった。土曜ワイド劇場の「天国と地獄の美女」は、「パノラマ島」の理想の楽園再現にて島で裸体で泳ぐ美女の描写など、ヌード映像提供のサーヴィス・ショットを案外しつこく撮って流しており、「パノラマ島」の怪しさ演出も満点な、なかなか優れた江戸川乱歩の映像化作品になっていた。

江戸川乱歩「パノラマ島奇談」の映像化で次に見るべきは、映画「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」(1969年)だ。これは必ずしも「パノラマ島奇譚」原作の厳密な映像化ではなく、むしろ「孤島の鬼」(1930年)をベースにしている。その上で「屋根裏の散歩者」(1925年)や「人間椅子」(1925年)ら、様々な乱歩作品を一つの映画の中にふんだんに盛り込んでいる。本作は昔の東映の怪奇幻想もののゲテモノ作品で、怪奇幻想と性的な描写満載であり、おまけに前衛(アバンギャルド)なワケのわからない演出の連発でもあったので、たとえ深夜であってもテレビ放送などされるはずもなく、映像倫理の面で引っかかってビデオやDVDソフトですら日本国内では正式に商品化されなかった。そのため、タイトルら映画の存在は知られていたが、実際に中身を観た人があまりいない、日本映画のカルトで「知る人ぞ知る」の有名作品にいつしかなっていた。

私は幸運なことに本作「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」を一度だけ、単館の独立系シネマのレイトショーで観たことがある。今でも鮮明に覚えているのだが、1992年の春、京都の「みなみ会館」だった。当時1990年代、私は京都に在住の大学生で京都は九条東寺のみなみ会館をホームの拠点にして、大阪や京都や神戸の単館シアターと名画座を中心に攻めてほぼ毎日、映画を観ていた。「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」上映中には本作での度肝を抜かれる破天荒演出に客席から何度か笑い声(爆笑や失笑)が起きていたことを今でも非常に懐かしく思い出す。「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」は、乱歩の映像化作品の中でも注目に値するものだし、「日本映画のカルト中のカルト」にふさわしい怪作といえる。