アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

東京スカパラダイスオーケストラ大百科(17)「スカパラ入門」(林昌幸 武内雄平)

特集「東京スカパラダイスオーケストラ大百科」もスカパラ各メンバーを一巡したので、今回が最終回である。最後は、かつてスカパラに在籍していたメンバーの話で締(し)めて特集をたたもう。

林昌幸さんのことなど。別名・MARC林。ギター担当。武内雄平さんのことなど。別名・スバラシイ武内。ソプラノサックス担当。

林昌幸は、スカパラの初期メンでバンド内では当時、冷牟田竜之と一番に親しかった人だ。武内雄平は、谷中敦、川上つよし、沖祐市、青木達之の各氏と同級でスカパラに参加する前から友人でバンド活動をやっていて、皆でスカパラに合流した人だ。しかし、林と武内はともに初期スカパラに在籍していたけれど中途で脱退してしまう。彼らのスカパラ脱退の、その後をカメラが追って追跡取材したドキュメンタリー「オーケストラ・リハーサル」という2001年に地上波テレビで放送された映像作品がある。このドキュメンタリーを観ると、その当時のバンド内での人間関係の悩みや、メジャーデビューはしたもののプロのミュージシャンとして生活していけるのかの経済的不安から、彼らがスカパラ本体を離れていった事情が映像インタビューにて明らかになる。

そして、初期スカパラに属しながら志半(こころざし・なか)ば、それぞれの事情で脱退していった林と武内の両氏と、同様にスカパラを続けていく過程で自身の精神的葛藤と格闘の末、スカパラを離れなかった谷中と、事故による肉体的怪我でスカパラを辞めそうになりながら、しかしギリギリの所で踏み止(とど)まって何とかスカパラを続けてこられた、ドキュメンタリー制作時にはまだメンバーだった冷牟田の両氏との対比(コントラスト)を浮き彫りにする構成でドキュメントは進行する。より具体的には2000年に行われたスカパラ最初のヨーロッパ・ツアーに密着の記録映像の形でドキュメンタリーは進み、その都度ツアーの旅の密着途中で随時4人の各人インタビュー挿入がある。すなわち、「なぜ谷中は中途で悩みながらもスカパラを辞めずに続けられて、スカパラを『自分の人生の財産』にできたのか」。他方、そうした谷中と対照をなす、「スカパラを離れ距離を置いた林は、どういう事情で独りで悩みに悩み抜いてスカパラ脱退を選択し、かつての自分のスカパラ脱退という選択に対する今の彼の胸中の心境はどういったものであるか」。加えて、林と同様に「初期スカパラにてプロのミュージシャンとして活動しながら、経済的不安から脱退を決めた武内のバンド離脱の決断と、そのような決断を下した以前の自分に対する後の心境、また彼の音楽に対する思いとは一体」。そして、そうした武内と対照をなす「バイク事故で負傷し再起絶望の淵を覗(のぞ)くも、しかし見事に復活を遂げスカパラ復帰を果たした冷牟田にとってスカパラというバンドを続けていくことの意味とは」。

林と武内、谷中と冷牟田の4人のスカパラ関係者におけるコントラストを軸にした秀逸ドキュメンタリーとなっている。前者の林、武内パートについては日本での現在の生活、仕事、家族の様子にまで案外に細かく強引にカメラを入れて、彼らの近況を映しながらのインタビュー敢行である。後者の谷中、冷牟田パートに関しては、スカパラのヨーロッパ・ツアーに密着でライヴ前後の楽屋の様子、スカパラへの現地の観客の熱狂、中途のバス移動での旅の映像を紹介しながらの現役メンバーの語りだ。

もちろん、林と武内、谷中と冷牟田の4人以外の他のスカパラの面々も実はたくさん出ていて内容もスカパラのバンド・ヒストリーなど多岐に渡り非常に濃く、例えばASA-CHANGの脱退やクリーンヘッド・ギムラと青木達之が亡くなったことに関し、古参メンバーからコメントを引き出したり、メンバー全員にそれぞれ話を聞いたり、特別に何もしていなくても、ただ映っているだけで爆笑なガモウのツアー中の面白映像も満載で(笑)、全メンバーが均等に登場し共にインタビューを受けているのだが、しかし以下では林と武内、谷中と冷牟田の彼ら4人の映像作品内での発言に、あえて焦点を絞り内容を限定して見てみよう。

まずは、スカパラ元メンバー・林昌幸、MARC林のパート。スカパラ脱退後の林の現在。仕事中の林の車にカメラが同乗して林の日常仕事の映像と共に次の字幕。「林は、製本会社でアルバイトとして働いている。社員では音楽の時間が少なくなる…」。林昌幸はスカパラを辞めた後も、ずっと音楽を続けていた。そして彼の現在のバンドの紹介。スタジオでの練習風景映像に、以下のような字幕の説明。

「脱退後はスカではなく、即興ジャズに傾いた。しかし2年後、自らがリーダーとなって新しいスカのバンドを結成した。『ブルービートプレイヤーズ』(Blue・Beat・Players)」

スカパラ脱退後に林が新しく始めたスカのバンドは「ブルービートプレイヤーズ」。名前が「東京スカパラダイスオーケストラ」に何となく似ている。かつて自分がやっていて無くしてしまったスカパラを、必死に取り戻そうとしてるかのような。それから林が振り返り語る当時、彼のスカパラ離脱の理由、それは「人間関係への戸惑い」。

「まさに辞めてからの方が、もっともっとツラかったですか…ね。とりあえず距離を置かなきゃどうしようもないなと思って、すごく迷惑かける形で、シカトこくような形で辞めたわけです。そのとき、でっかいイベント控えてたけど…」

スカパラをバックれ気味にシカトこくような形で突然に辞めたことへの後悔と自責。林のこのいきなりの脱退に関し、以前バンド内で林と一番親しかったメンバーの冷牟田は、「彼がいなくなった時点で、すでにかなりガックリきてて。そのあとリーダーのASA-CHANGが辞めるって言い出した時には、もう自分らだけでスカパラやるしかねぇなって腹くくってましたね」。その後、林の奥さんも出てきて、「1日中、音楽したいタイプだから。家に帰ってもずっと楽器さわってるから。…彼が悩んでた原因…スカパラを辞めたっていうのが、ほとんどですよね」。そして最後に林昌幸が途切れ途切れに語る自身の「今後のこれから」。

「やっぱり、あくまでも先の事を先決に考えたいですけど…ね。振り返るのは、あくまで二次的なこと。そう思いますけど…ね」

次にスカパラ元メンバー・武内雄平、スバラシイ武内のパート。「デビューして1年、バンドと就職に揺れたメンバーがいた」。就職を選んでスカパラを脱退した武内の現在は、朝日新聞政治部記者。北海道庁記者クラブに入る武内の背中をカメラが追いかけ、彼の慌(あわ)ただしい日常の仕事ぶりを映す。それから武内が振り返り語る当時、スカパラ脱退の理由。スカパラをやり続けていってこの先、プロのミュージシャンとして生活していけるのか、つまりは経済的なこと。

「当時はプロ的意識とかまだ少なくて、激しく好きだからやる。で、当時の専属契約料にしても、食っていける水準では全くなくて、僕のアルバイト料の方が高かったから。就職しないっていう選択肢は、現実的にいってなかったですね。…その後、CDが結構売れてるっていうニュースが入ったり、あと同僚の一人、青木だけど、彼は会社に勤めてたけど辞めてドラマーになっちゃったとか、そういうニュース聞くたびに大きく動揺して、俺どうしようかなってことは常に考えてましたけど」

林パートでの林の奥さん同様、武内パートでも武内の幼少の娘さんが出てきて、インタビューに常に同伴同席している。このドキュメンタリーは林、武内両氏の職場や、ご家族のご自宅に非常に細かくカメラを入れて撮影している。そして、いよいよ武内が自身の「今後のこれから」を語る前後になって、娘さんから「パパは、お休みじゃない日も朝早く起きて楽器演奏してるよね」みたいなことをふと言われ、不意を突かれて武内雄平は一瞬グッとなり、やや遠い表情になって、スカパラを辞めても実は音楽を諦(あきら)めきれていない自身の心情をカメラの前で吐露する。

「音楽って結構、僕にとって重要なものだから、どう関わるのがベストなのか、常に考えてて。ただ…今…どちらかと言えば、音楽で飯食うばっかりが音楽との関わり方じゃないというふうに、僕としては自分を説得というか、自分を納得させてね、やっていくしかない…」

続けて今度は、スカパラ現メンバー・谷中敦のパート。バンドのヨーロッパ・ツアーの密着映像、それから以下の字幕。「東京スカパラダイスオーケストラのツアーは過密スケジュール。バスで移動し、バスで眠る。…重なり始めた疲労。谷中はリハーサルを休んだ」。ツアーの旅の中途で体調を崩しリハーサルに参加できず、ツアーバスの中で一人孤独に休む谷中の映像を挟(はさ)みながらインタビューにて谷中が語る、自身の中で悩み葛藤がありながらも自分がスカパラを辞めずに続けてこられた理由。

「いや、俺なんて全然ネガティヴだよ。もともと別に俺なんかいなくたってバンドはできるよな、とか思ったし…。だって、ムダなんだもん、バリトンサックスなんて別にいなくたっていいんだよ。で、あまりにそれがツラかったのね。それでいろんな事、頭使って考えられるんだけど、頭使って同じ分だけ悩んじゃうから。やっぱり一人っきりにならないことが、すごい大事な事だと思うよ」

「やっぱり一人っきりにならないことが、すごい大事な事だと思うよ」、なるほど。そして最後に谷中敦が語る自身とスカパラの「今後のこれから」。

「東京スカパラダイスオーケストラというバンドで俺が今までやってきたっていうのは、間違いなく俺の財産だし、スカパラにとっても財産であってほしいと俺はいつも願ってるんだけど」

ヨーロッパ・ツアー密着でのスカパラ現メンバー・冷牟田竜之のパート。スカパラの海外ツアー先のタイでバイク事故に遭い足をケガして再起絶望の淵を覗くも、しかし見事に復活を遂げスカパラ復帰を果たした冷牟田。連日連戦の過酷なライヴと、ツアーバスで移動し車中泊の強行スケジュールに疲労困憊(ひろうこんぱい)な冷牟田の姿。「3日目以降、冷牟田が足を引きずり出す。4年前、彼はバスにひかれる大事故に遭う」の字幕。また「このツアー中、冷牟田が毎日飲んでいた薬」をめぐり、インタビュアーと冷牟田の次のようなやりとり。「それって痛み止めとかですか?」「いや、精神安定剤ですね。ツアーバスの寝てる所が狭いでしょ。上に何か乗っかってくる感じが、どうしても事故のときのことを思い出したりして」

非常に残念なことに冷牟田は後にスカパラを脱退してしまうが、まだこのドキュメンタリー制作の時点ではスカパラのメンバーである冷牟田竜之が語る自身とスカパラの「今後のこれから」。

「自分が生きてるんだな、生きててよかったな、って思うこと、いっぱいありますね。で、スカパラやっててよかったなって本当に最近、思うし。そういう意味では十年間で一区切りをつけて、また次の段階にスカパラは行くっていう。今は、そういう次の段階に行き始めた最初の頃ですね」

以上のような各氏のインタビュー映像を随時、挟み込みながらツアーの旅の密着記録は時系列で進み、ラストはツアー最終日・千秋楽の様子を収めて、スカパラ初のヨーロッパ・ツアーは各地で大盛況のうちに終了する。現地プロモーターも、そんなスカパラに対し高評価の太鼓判を押す。「今回のツアーでの彼らの演奏には大変、満足している。来年の現地のフェスに参加させたいと思う。彼らは十分に成功するだろう」。エンディングでは空港にて日本便の搭乗口へ向かう帰路に発(た)つスカパラの面々を映して、スカパラによる必殺カバー「ザ・ルック・オブ・ラヴ」(恋の面影)の曲がバックに流れ、「出演・東京スカパラダイスオーケストラ、林昌幸、武内雄平」のエンドロール・クレジットが出て、最後の最後に以下のような問いかけ字幕が表示され、ドキュメンタリー「オーケストラ・リハーサル」は静かに終わる。

「同じ志を持った仲間が、離れていった事はありますか?同じ志を持った仲間から、離れた事はありますか?それでもあなたは、自分がしている事を信じることができますか?」

特集「東京スカパラダイスオーケストラ大百科」、これにて終了の完結。ありがとうございました。