アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

YMO伝説(2)「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」

「イエロー・マジック・オーケストラ」(Yellow・Magic・Orchestra)、略して「YMO」の2枚目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、このセカンド・アルバムのジャケットに細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人が載ったことは、やはり大きかった。これで「YMOは細野と坂本と高橋」と世間一般に強く印象づけられたから。

同様に、次の企画ミニ・アルバム「増殖」でも3人のマネキンがたくさん立ち並んで「増殖」である。もともとYMOコンセプトのネタ元が北京交響楽団で共産圏の均質な人民で(だから中国の人民服着ていたりする)、「交響楽団風のいかにもな整然とした均質な顔つきで個性を出さずに、汗をかかずクールに黙々とシンセサイザーで演奏する」だった。均質、没個性、共通規格、大量生産はテクノ音楽のパブリック・イメージとしてあって、だから「増殖」も細胞分裂で同格同種な人物マネキンが、どんどん増えていく。案外ベタで定番なテクノのイメージなタイトルとジャケットだ、アルバム「増殖」というのは。

さて「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」までのYMOの音楽といえば、これは以前に「電気グルーヴ」の石野卓球が見事に喝破(かっぱ)したように、「初期のYMOはテクノではなく、ただのシンセ・バンドである」。なるほど「初期のYMOは、ただのシンセ・バンド」(笑)。よくよく考えたら「YMOの最初の1曲目」といえば、マーティン・デニー(Martin・Denny)の「ファイアークラッカー」だった。あの曲をシンセサイザーの電子楽器でやるのが、そもそもの始まりだった。例の有名なYMOの結成話で細野が坂本と高橋を自宅に招いてYMOに勧誘する。おにぎりを食べながらノートを見せて、「富士山が爆発して400万枚」という例の結成秘話である。マーティン・デニーの「ファイアークラッカー」は、いわゆる「エキゾチック・サウンド」で、大人がリビングでソファーに座ってワインでも飲みながら高級オーディオ装置で聴くような実は相当に保守的(コンサバ)な音楽であり正直、若者向けのテクノや後々のニュー・ウェーヴとは明らかに違う気がする。

YMOが在籍のアルファ・レコードの社長も当時はテクノといったジャンルの音楽を知らなくて、最初から「YMOはフュージョンのバンド」とする認識で、後に発売のファースト・アルバムの海外盤(US版)も、確か米国のフュージョン専門レーベルから出ていたはずだ。当時、アルファ・レコードには野呂一生が率いるフュージョン・バンドの「カシオペア」(Casiopea)がいたので、「そのカシオペアと同列ジャンルの音楽でYMO」というアルファの会社関係者の認識だった。しかし、当のYMOのメンバーは実は志(こころざし)高く、細野を始めとして皆が「クラフトワーク」(Kraftwerk)が「アウトバーン」で全世界で売れたようなテクノなバンドのイメージでの海外市場での売れ方を密(ひそ)かに狙っていたらしい。

だがしかし、例えば「コズミック・サーフィン」は、昔に細野晴臣が「クロスオーバー」といってフュージョン音楽をやっていた時に作った既出曲だし、曲自体は普通のフュージョンなのだけれど、ただ表面の音色がコンピューターの音になっているだけで、あれはテクノではない。同様に「マッド・ピエロ」もピュン・ピュンやたらコンピューター音を飛ばしてはいるけれど、テクノではない。表層の音色に騙(だま)されてはいけない。その他、「ライディーン」は普通のディスコ曲であるし、「ビハンド・ザ・マスク」もシンセサイザーの美しい音色を前面に出したシンセ・ミュージックな曲である。ならば「どんな曲がテクノなの?」「そもそもテクノって何?」「YMOの中でテクノな曲は何ですか?」絶対に必ず異論反論が噴出と思うが、私が考えるテクノの定義は以下だ。

「シンセサイザーやリズムボックスの電子楽器を使うの前提で、良い意味で音楽自体がアマチュアリズム、曲そのものが完成されていない、解体芸の要素があって革新的な新しい音楽」

ただ単に電子楽器のシンセサイザーを積み上げて、サンプラーも使って云々はテクノではない。誠に失礼で申し訳ないが、例えば冨田勲や喜多郎は、確かにシンセを使ってはいるけれど、ただ電子の音色というだけで、やっている音楽自体は普通の曲である。むしろ異常に保守的な音楽である(と少なくとも私は思う)。「YMOの第4のメンバー」といわれた松武秀樹の「ロジック・システム」(Logic・System)も、電子の音色は抜群なのに案外、曲自体は無難で常識的である。松武秀樹は冨田勲の弟子だし、彼はミュージシャンというよりは、どちらかといえばエンジニアの技術屋に近い人だと思う。「シンセやコンピューターを使ってピコピコな音を鳴らしてるだけでは必ずしもテクノにならない」という。

よくテクノの文脈で言われるのは、コンピューターが出てきたおかげでプログラミングのデータ打ち込みで機械を通じて譜面の音楽が再現演奏できて、従来の音楽家のように楽器演奏の技術習得の鍛錬が要らなくなった、ゆえにテクノは、アマチュアリズムの音楽であるという指摘だ。YMOのアルバム「BGM」収録の坂本曲に「音楽の計画」というのがある。「ただ音楽的感性のセンスがあって、当人の頭の中で音が鳴って『音楽の計画』ができていれば、そのまま機械を介して実際に曲ができてしまう」という意味の歌詞であり、電子機器を使ったら楽器演奏の熟練技術は、もはや要らない。楽器練習の修行時代を経なくてもよい。「テクノは良い意味で音楽自体がアマチュアリズム」である。

あとテクノとは、これはダンス・ミュージックも同じだと思うのだが、聞き手をうならせる何か一つの必殺のフレーズや特徴的なリズムがあれば、あとはそれをループ(反復)で延々と繰り返して楽勝ですぐに一曲が完成のような、非常にチープでちゃちな音楽だと思う。「チープでちゃちな音楽」というと、何だかよく考えられていない、作り込まれていない粗悪品の音楽のようにマイナスに思われがちだが、テクノというのは明らかに高度資本主義の消費社会にて流通するサブカルチャー文脈の身軽な音楽であり、伝統的なクラッシックや声楽オペラとは対極にある軽さ、まさに「ポップ」な音楽である。それで何か耳に残る必殺のフレーズや変則的リズムを一つ思いついたら、もしくは魅力的なメロディーを見つけたらサンプリングで流用しコラージュ的に別文脈解釈で重ねてつなぎ合わせて、それだけで曲ができてしまう。従来型の音楽のように、しっかりとした曲構成や曲展開、Aメロ、Bメロやサビの曲パーツ一式揃(そろ)いの必要はない。ただ一つの特徴的な優れたメロディーやリズムを反復で、ひたすら繰り返せばよい。特出した未完成の部分パーツが、ごろっと剥(む)き出しで単体であって、きちんとした曲構成を成して完結していない、いわゆる「解体芸の新しさ」として革新的で非常に魅力的な音楽、それこそがテクノだ。これを疑う人は、例えばイギリスのアシッド・テクノ「808・State」(808ステイト)の大名曲「キュービック」や「リフト」を思い出してみたまえ。あれらダンス・ミュージックなテクノは、耳に残る必殺のフレーズや変則的リズムを一つ思いついたら、もうそれだけで一曲できてしまうから。

では「YMOの中でテクノな曲は何ですか?」私は、アルバム「BGM」収録の「ユーティー」と、アルバム「テクノデリック」収録の「ジャム」の2曲を「YMOの中でこれこそテクノな楽曲」として挙げたい。実際にこの2曲はかなり好きである。

「ユーティー」は、常にカタカタ鳴る非常に耳に残るトリッキーなドラム、あれを思いついた時点で「ユーティー」という曲は完成である(笑)。全体の曲展開や曲構成など関係なくて、あの変則ドラムなリズム音素材があるだけで、もう立派なテクノになる。あのカタカタいうドラムは以前に作ったCM曲「開け心・磁性紀のテーマ」の時からあって、そのままの使い回しだ。もう一つの「ジャム」なら同様に、最初から最後まで繰り返されてる「レ、ファ、レ、ファ」の鍵盤ループ、あれを思いついて執拗に反復した時点で「ジャム」はテクノだ。「ジャム」に関して、よく言われるような「歌い出しがビートルズの『ペイパーバック・ライター』のようだ」とか、「高橋幸宏のジャムについての歌詞世界がシュールだ」などというのは枝葉末節な話で、あまり重要ではない。「ジャム」は「レ、ファ、レ、ファ」フレーズの鍵盤ループを思いついて繰り返した時点で決まりなテクノ曲である。

以上のようなテクノの定義でいうと、YMO以外の海外バンドでは、クラフトワークがやっている音楽が「電子楽器でアマチュアリズムで解体芸で革新的」で、あれこそテクノといえるのではないか。クラフトワークはベテランで古くから電子楽器を使って音楽をやっているので、昔は電子楽器の性能がかなり良くなくて、音をたくさん出すとボロが出るから、わざと音数を減らすというのを彼らは相当に意識的にやっていたと思うが、機材が良くなった近年でもクラフトワークは比較的、音数が少ない。音数が少ないから一つ一つの音が重くて広がりの余韻があって、「テクノ本領の解体芸の極致」な感じが私はする。機材が良くなっても、あえて音を重ねて入れない過剰にクドくしない適度な空白が、彼らが志向する「レトロ・フューチャー(原始未来)」のテクノなイメージにぴったり合致している。クラフトワークのオリジナル・アルバムなら、「コンピューター・ワールド」か「人間解体」あたりがベストなテクノといえる。また近年のアルバム「ツール・ド・フランス」も、一つの音ネタで強引に一曲を作り上げる手法がまさにテクノだ。「クラフトワークは相当に上手いな」と思い、私は感心する。

とにかくYMOでいえば、例えば「東風」は明らかにテクノではない。あの曲はテクノにするにはもったいない位、よく出来ている。メロディーがよくて、曲の各パーツも揃っていて作りが重厚でしっかりしていて一つの楽曲として完成している。テクノよりは、むしろクラッシックで本物のオーケストラでやったり、ピアノ単曲で弾きまくる名曲だと思う。とりあえず、「東風」はテクノにするには、もったいない程よく考えて作られた良曲だ。坂本作の「東風」は色々なバージョンがあるが、1980年代の「音楽図鑑」制作時の坂本龍一を追跡したフランスのドキュメント「トーキョー・メロディー」の中で、坂本龍一が矢野顕子と2人で並んで座って連弾するピアノ・バージョンの「東風」が私は昔から好きである。