アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

YMO伝説(3)「パブリック・プレッシャー」

「パブリック・プレッシャー」は、「イエロー・マジック・オーケストラ」(Yellow・Magic・Orchestra)、略して「YMO」の初期ワールド・ツアーのライヴ盤である。

この「パブリック・プレッシャー」には有名な話がある。もともと当時のワールド・ツアーはオリジナル・メンバーに加え、ギターの渡辺香津美に帯同してもらってYMOはライヴに臨んでいた。なぜかといえば、YMOは本当はギターに興味のない「ギターレス」の鍵盤とドラムのテクノ・バンドなのだけれど、機材の調整で曲データのロードに時間がかかる。データのロードを、いつもライヴ中に同時進行で自転車操業的にギリギリでやる。だから、その間に渡辺に間奏のギター・ソロをやってもらって時間を稼ぐ。

渡辺香津美という人は、当時から日本でも屈指なギターの上手いバカテク連発な人で、彼が早弾きのアドリブでギター・ソロをやると現地では大ウケなのだけれど、渡辺の長いギター・ソロがジャズのそれみたいになってしまう。YMOの3人は元々テクノがやりたくてYMOからフュージョンやジャズの要素を排除したいのに、ライヴで機材調整の時間繋(つな)ぎで前に出てギター・ソロをやる渡辺香津美をメンバーはステージ後ろで醒(さ)めた目で見ながら、「ジャズになってるな」。そうしたら「パブリック・プレッシャー」の音源発売時にレコード会社の権利関係で渡辺香津美のギター音が入れられなくなって、渡辺ギターのフュージョン・ジャズ的なものが偶然にも排除され、代わりに渡辺香津美のギター部分を坂本龍一が、わざとヘタウマで稚拙にシンセで弾いて音を差し替えた。結果「パブリック・プレッシャー」は、奇跡的にニュー・ウェーヴでテクノなライヴ・アルバムになった。

この話は、ものスゴくよく分かる。渡辺香津美というギタリストは偉大である。日本のギタリストの中で必ず上位に来るべき人である。テクニックや出すギターの音色で渡辺香津美と「カシオペア」(Casiopea)の野呂一生は、同時代の他の人達よりも頭一つ抜けていると思う。渡辺香津美なら、アルバム「スパイス・オブ・ライフ」あたり、野呂一生のカシオペアなら、まだ櫻井哲夫と神保彰がリズム隊だった初期カシオペアのライヴ音源「パーフェクト・ライヴ」がスゴい。

結局のところ、渡辺香津美も野呂一生も一小節にどれだけ多くの音を詰め込めてミスなく早弾きでスラスラ弾けるか、ギターを弾く人間の限界に挑戦するような(笑)、スポーツ選手のようにギターと音楽に向き合う人達だからバカテクでスゴいのだけれど、そこには音楽家としての作家性やオリジナリティの創造性の広がりはない。ギターを持ったスポーツ選手だから。坂本龍一はYMO以前に渡辺香津美と「KYLYN」で一緒にやって、渡辺のそういった力でねじ伏せてテクニック至上に走る「ギターの体育会系魂」に魅(み)せられ引きずられる渡辺香津美を前から知っているわけだ。それでYMOツアーでギタリストの体育会系たる渡辺香津美のギター・ソロを醒めた目で眺めて、坂本龍一いわく「ジャズになってるな」の感想だと思う。

だったら渡辺香津美のフュージョン・ジャズ要素ではない、「いかにもYMOな、細野と坂本と高橋の公認ギタリストは一体、誰なのか?」その答えはYMOの初期ワールド・ツアーから20年以上経って2000年代の21世紀になって初めて明かされる。すなわち「いかにもYMOな、細野・坂本・高橋の公認ギタリスト」とは、元「フリッパーズ・ギター」(Flippers・Guitar)の小山田圭吾だった。

この話も、ものスゴくよく分かる(笑)。小山田圭吾はギタリストとしては、渡辺香津美とは対極の人である。ジャズ・フュージョン系の長いアドリブ・ギター・ソロなど好きな人ではないし、ジャズ的背景の素養が希薄な人だし、また小山田は渡辺のようなギター・テクニック至上主義な人でもない。小山田圭吾が「コーネリアス」(Cornelius)で「69/96」のアルバムを作っていた時、むしろヘビメタやハードロックのギタリストにありがちなテクニック自慢で自己陶酔なギターの伝統的様式美を馬鹿にしてパロディ化していた程の人だから。彼はキーボードで鍵盤を叩くようにギターの音を出したり、ワンタッチで軽くギターのフレーズを曲中に入れたりすることができる人だ。そういったギター・アプローチが「いかにもYMOな感じ」が、私はする。最近のYMO再結成やそれに類するユニット、坂本のソロ仕事のギターに小山田が呼ばれるのはそういうことだと思う。近年では、小山田圭吾は細野晴臣から「小山田!YMOを継げ」と直に後継指名されて周囲からの期待に困惑で、彼は今まさに「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」の中にいるらしい(笑)。

さて「パブリック・プレッシャー」の中身の音に関しては、1980年代リアルタイムで私は「ライディーン」の7インチ・シングルのレコードを持っていて、そのB面に後に「パブリック・プレッシャー」に収録されるライヴの「コズミック・サーフィン」が入っていた。それをまず聴いて当時は心惹(こころひ)かれた。それから「パブリック・プレッシャー」のレコードを後に購入した。あのライヴの「コズミック・サーフィン」はロック魂炸裂というか、もともと「ベンチャーズ」(Ventures)がギターで抑揚をつけてノリノリで弾く主旋律を代わりにキーボードで「波乗りサーフィン」のように熱くやるというコンセプトの曲だから、ライヴ仕様の「コズミック・サーフィン」は、あの熱い盛り上がり具合が良い。松武秀樹が「コズミック・サーフィン」の曲中でビュンビュン飛ばしまくるSEの効果音も、音数が多くて音量がデカい(笑)。

「パブリック・プレッシャー」に関し、よく指摘されるようにレコードの最後で「ビハインド・ザ・マスク」の頭のイントロがかすかに入っていて、「アルファ・レコードは、まだワールド・ツアーのライヴ音源を持っているんだな」と当時、私も思った。事実、ワールド・ツアーを終えて日本に帰ってきたらシングルの「ライディーン」が大ヒットでYMOは人気者になっていて、さらに「パブリック・プレッシャー」がオリコン第1位になって、アルファ・レコードは蔵出しライヴの第二弾「パブリック・プレッシャー2」を出そうと企画していた。そうしたら細野晴臣が「ライヴの演奏状態が良くないから」とかで「パブリック・プレッシャー2」発売の企画を断って、「YMOは確実にキテるんだから今なら何出したって売れる。何でもいいから、とにかくレコード出してよ」とアルファの社長に言われ、「だったらスネークマン・ショーっていう面白コント集団がいるんですけど、彼らとコラボのミニ・アルバムでもいいですか?」ということになって、「パブリック・プレッシャー」の後にスネークマン・ショーとコラボの企画ミニ・アルバム「増殖」が出る。

後に、だいぶ経ってから渡辺香津美のギターが入った「パブリック・プレッシャー」修正前バージョンのライヴ・アルバム「フェイカー・ホリック」を私は聴いた。音質、アレンジ、オリジナル曲の再現性その他もろもろを考えて、「ライヴ盤の『パブリック・プレッシャー』は一枚で充分。パート2は出さなくて正解だったな」。正直、今でも私はそう思う。