アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

天才 岡村靖幸(4)「禁じられた生きがい」

傑作アルバム「家庭教師」を作った後くらいから、岡村靖幸=「岡村ちゃん」はスランプ期に入る。曲は出来るのだけれど、詞が書けなくなってきて。また、この時期からである、だんだん太りだしてくるのは。このCDのジャケ写真、髪形と水滴で何となくうまくごまかしているけれど(笑)、岡村ちゃん、明らかに太ってきてて声も以前のような高音が…。

だが、アルバム「禁じられた生きがい」は何とかシングルなどを集め曲数をそろえて無理矢理、強引に1枚のアルバムにしている。その分、アルバム全体のトータルな整合性は欠けるが、やはり天才・岡村靖幸、1曲ごとの破壊力は以前同様に抜群である。

時に「和製プリンス」と呼ばれる岡村ちゃんだが、インスト曲「あばれ太鼓」の「フォー」は、何か吉本新喜劇の昔の藤井隆に聞こえる(笑)。「青年14歳」ではドスの効いた低い声でコーラス隊を先導しているし、シングル「ターザンボーイ」もフェイクするボーカルや緩急自在の裏声がカッコよい。チャラ(Chara)をゲストに迎えた「パラシュート☆ガール」も、酔っ払ったような傍若無人な岡村ちゃんの歌い方と、スウィートで甘々なチャラの声質の歌唱との違いが曲中で対照的に浮かび上がり、互いの歌を生かしあっていて絶妙だと思う。

「禁じられた生きがい」では、岡村ちゃんの歌い方が以前のアルバムより、さらにドスが効いた低音をカマしているし、酔っ払ったようなグダグダな歌い方もわざと大げさにやっているし、「パピプペポ」のパ行の口泡飛ばす破裂音の歌い出しの爆発具合も最強な破壊力で、病的な裏声や連発するフェイク、泣き落としの崩れ落ちるボーカルも以前同様に良くて、確かに太ってきてあまり高音は出せなくなってきてはいるけれど、不利な材料がありながらもソング・パフォーマンスはレベルが上がって全体に仕上げて来ている感はある。聴く者を圧倒する全体の圧は相変わらずスゴい。やっぱ岡村ちゃん、この人は天才だわ(笑)。

さて「禁じられた生きがい」のアルバムの後、しばらく新譜が出ず、長い空白期間を経て岡村靖幸は活動復活するが、その後プライベートで色々な大変なことがあった。「チャームポイント」で近頃の女子高生の恋愛事情を嘆いたり、復活後の「純愛カウンセリング」の著書の中でも他人の恋愛に首を突っ込んだりしているけれど、「岡村ちゃん!最近の女子学生の恋愛事情とか他人の結婚話とか、そんな人の恋愛ごとなんてどうでもよいから、岡村ちゃん自身が充実した良い恋愛して早く結婚して、とっとと幸せになりなよ」と余計なお世話だが、いちファンとして私は強く思う。

岡村ちゃんみたいにカッコよくて、よい曲が作れて詞も書ける!歌も上手!ダンスもうまい!とくれば、それこそ「愛しちゃったんだろ?言うチャンス今だぜ。鳴らすんだ、僕らのラブ・タンバリン。財宝掲げて」(「ラブ・タンバリン」)から、「俺なんか、もっと頑張れば、きっと女なんかジャンジャン、モテまくり。やっぱマニュアル通りに見つめて、そんでもってマンション、マンション」(「どぉなっちゃってんだよ」)で、「ねぇ3週間ハネムーンのふりをして旅に出よう!もう劣等感ぶっとんじゃうぐらいに熱いくちづけ」(「だいすき」)から、「本音言うと結婚したいんだ、すぐ!」(「マシュマロ・ハネムーン」)で、「だってさ、だって、もしだよ、戦争なんか起きたらどーすんだよ。何が俺にできるんだよ。何が俺は選べるんだよ。そんなんだったら結婚しようよ。新婚旅行に行こうよ。あのフランスとかノルウェーとかニューヨークとかさ。イチャイチャしてさ。そんで子ども作って育てようよ。ねぇ解ってんの?」(「Punch」)から、「20代の真ん中じゃ気軽な恋ができない…妻になってよ」(「妻になってよ」)でカッコよい岡村ちゃんはそのままに、しかし独り我慢して全部抱え込んで苦しまず、早く結婚して私生活での自分の中での弱い部分やツラい部分を誰かに支えてもらう未来も「あり」だと思う。

岡村ちゃんは音楽とダンスは天才なのに、この人は意外にオクテで恋愛に臆病で変に生真面目で慎重な所があるからなぁ。「平凡な自分が本当は悲しい…君のために歌のひとつでも作ってみたい」(「ペンション」)みたいな(笑)。

今はどうか知らないが、昔は「プライベートで普通にモテるとは思うけど、あらかじめ相手の女性が自分が『岡村靖幸』であることを知ってて好きになってくれる。それってアーティスト『岡村靖幸』を抜きにした本当の、ありのままの自分を愛してくれているわけではなくて」といった旨のことを雑誌インタビューでよく語っていた。まさに「ねぇ君は僕の事好きだって言うけどさ、どうして?背が高いから?曲を作るから?歌を歌うから?踊りが上手だから?やめろ!僕は君の彼氏になりたいだけなんだ!」(「聖書」)といった芸能人やアーティストに特有な悩みである。

だが普通に考えて岡村ちゃん程の有名人なら、だいたい周りの人はアーティスト「岡村靖幸」で知っているし、そのように認知し、そのように誰でも接すると思うので、そんな岡村ちゃんが言うような「岡村靖幸の肩書きの看板外して抜きにして裸で、ありのままの人間そのものの自分を好きになって愛してくれる女性」など、そうした女神のような女性はなかなかいないと思うのだが。

アーティスト「岡村靖幸」を知らない女性、例えば、ずっと海外にいて帰国したばかりの現代日本に疎遠な「浦島太郎」的帰国子女な人か、テレビやネットに一切触れず、音楽を聴かないし映画も観ない全く世間ズレしてない箱入り娘のお嬢様くらいか、岡村ちゃんの条件に合うのは。しかも、そのような希少な理想的女性が仮にいたとして、岡村ちゃんが彼女と出逢える奇跡の確率、可能性は一体どれくらい?

もう追っかけの「岡村靖幸」ファンの一般人か、ヘアメイク、衣装さん、事務所スタッフかマネージャーなど身内仕事の関係者か、女優やモデル、女性タレントや女性アーティストの芸能人の同業者、その辺の女性で良いのではないか!?「岡村ちゃん、とりあえず早く結婚しろ!」。余計なお世話で、すみません。最近また「岡村靖幸・結婚への道」のような書籍を出しているが、「岡村ちゃん、そんな風に自身の結婚をネタにしてはダメだ。そんなことしたら現実的な結婚がますます遠ざかる。結婚とは疎遠になってしまう。ともかく早く結婚して幸せになれ!」と、やはり昔からの岡村靖幸ファンとして私は強く思ってしまう。

近年までプライベートでは本当に色々なことがあってかなり大変で、その都度、新譜がお蔵入りになったり、ライヴが中止になってファンクラブが解散し、身内の事務所スタッフが岡村当人に怒りを表明しつつ、ファンに向けてお詫びのコメントを公的に何回も出して、しかし、またしばらくして復活を遂げ音源を出したりライヴ・ツアーを再開したりするのは岡村ファンとして嬉しいけれど、プライベートでゴタゴタのクスリ関係、いわゆる「反社会的行為」は個人的に全然感心しないし、全く共感できないので。申し訳ないけれど、自分の中で岡村靖幸のキャリアは1990年代のアルバム「禁じられた生きがい」まで。正直、それ以降の岡村ちゃんの新譜の音源は、そんなに熱心に聴いていないしライヴ参戦もしていない。おそらくは、これからも。

いち岡村靖幸ファンとして、岡村ちゃんの真の成功と心からの幸福を陰ながら祈っています。そして「靖幸」「早熟」「家庭教師」「禁じられた生きがい」の各アルバムは名盤として私はこれからも、ずっと聴き続けるだろう。

シリーズ「天才・岡村靖幸」、これにて終了の完結。