アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(15)山口俊治「英語構文全解説」

山口俊治「英語構文全解説」(2013年)は、「S+V」から始まる英語構文の英文構成の全パターンを網羅で挙げて解説を施した文字通り「英語構文全解説」な参考書だ。もちろん「O+S+V」などの倒置、必ずしも「S+V」から始まるとは限らない例外パターンの構文も漏(も)らすことなく列挙し解説している。そのため「英語構文全解説」は頁数も中身も大変に厚い著書である。

編者の好みの恣意的選択で重要構文と思われるものを50文や100文、勝手気ままに自由に挙げるのではなく、英文の基本の「S+V」の後に何が続くか、例えば「S+V+M」や「S+V+O」や「S+V+O+C」など、考えられうる限りの可能性のユニット構成パターンを大学受験の過去問から引用し全てを網羅で挙げ解説しており、これを編纂(へんさん)して一冊の書籍にまとめるには相当な労力が要ると思われる。本書を執筆上梓の山口俊治の編纂の苦労にまずは敬意を表したい。

本書の出版事情について私はあまり詳しくは知らないのだが、どうやらこの書籍はかなり以前に出版され一度、絶版・品切で入手困難となり、しかし英語の参考書として大変に優れた書籍だったため、昔から「名著」の声が高く本書のファンが多く古書価格高騰の高値で取引きされていて、アンコール復刊を望む多くの声があり近年、めでたく復刻・再版された「知る人ぞ知る」英語参考書の名著であるらしい。そして、その復刻・復刊の際に著者の山口俊治が巻末付録の「補遺」を新たに付しての体裁となる。本書の復刊時には著者も相当なベテランで、これまでの自身の長い英語教師人生を振り返る「英語教育指導の集大成の総括」の思いを復刊の本書に託す気持ちもあったのだろう。本論以外にも「補遺」として、「英語構文談義」と「あとがき」の長い文章を巻末に付している。

前者の「英語構文談義」は「英文読解の根本的な考え方」の説明で、「山口・英文法講義の実況中継」(1985年)の解説内容に近い「談義」の読み物になっている。後者の「あとがき」は自身の遍歴と英語教育との関わり、すなわち生い立ちから学生時代の英語へののめり込み、学校を卒業して社会人となり予備校や大学で英語を教えることになった経緯、参考書執筆や教材作成の事情など、これまでに自身が執筆・作成した「参考書教材類一覧」リストを時系列で適時挿入しながら割合、個人の私的なことを奔放に述べている。

この山口俊治による「あとがき」が大変に面白いので、最後にその読み所の面白い箇所を幾つか軽く引用してみる。

まず以下は、後の駿台予備学校・英語課主任の伊藤和夫と山口俊治との交流である。「湯河原温泉に滞在、浴衣の胸襟を開いて思いの丈を語り合」った日本の英語教育の指導論を確立した偉大な先人、伊藤と山口の二人の巨頭会談、英語テキスト体系づくりの共同作業のエピソードだ。

「20代から30代は、やることなすことすべて新鮮で興味に満ち溢(あふ)れた勢いのある時期でした。先ず、すこぶる大きなものを得たのは予備校講師の体験です。特に、最初の山手英学院の大学受験科では、伊藤和夫先生とかなり親密に接する幸運に恵まれました。私のことを認めてくださり、模擬試験問題の出題も教材類の作成も任されました。資料を豊富に蓄積しておく重要さを知り、数十冊の手書きのファイルを作成したのはこの頃からでした。既存の参考書類について話し合うようになり、『温泉にでも泊まってとことん話しましょうよ』ということで、湯河原温泉に滞在、浴衣の胸襟を開いて思いの丈を語り合いました。…当時はまだ珍しかったインスタントコーヒーを飲みながら、体系づくりの作業に取り掛かったのでした」(「伊藤和夫先生との出会い」)

また以下は基本、非正規雇用の更新契約制、終身の契約なく病欠対応など社会保障のケアもなく、不安定な雇用に晒(さら)され続ける予備校講師の悲哀である。予備校業界や予備校経営者に対する山口の不信の表明、「利用できる人材かどうか区別し、これと思う人間には最上の笑顔で接し、利用し尽くそうという魂胆が見てとれる…『歌うような口調で接近してくる予備校経営者には要注意』という教訓」。昔も今も予備校講師は不安定な職業で、一握りの売れっ子人気講師はよくても他の多くの人達は「使い捨ての悲哀」を味わう残酷な職場だ。

「数々の予備校体験(山手英学院、代々木学院、早稲田学院、山梨予備校、代々木ゼミナール、駿台予備校ほか)を経るうち、『歌うような口調で接近してくる経営者には要注意』という教訓を得ました。有能な経営者ほど相手によって接する態度を変える能力が顕著なのです。利用できる人材かどうかを区別し、これと思う人間には最上の笑顔で接し、利用し尽くそうという魂胆が見てとれるようになっていました。見え透いたおだてに乗せられて溺(おぼ)れるのは御免で、『和而不流』(和して流れず)の気構えが生じたのはこの頃でした。人気が出て深入りしそうになると辞める、という他人には考えられない行動をとるものですから、引き止めようと玄関先に座り込まれたりしましたが、断固として、翻意することはありませんでした。予備校で平凡、不人気、実力不足などの理由で『戦力外通告』を受ける講師はざらにいましたし、一方、表面上ちやほやされていても、いったん病気したら最後、療養して勇んで出向いたら『先生の講座はございません』、こういう悲哀を味わう幾多の例を見るにつけ、深入りだけは避けようとした私の方針は誤っていなかったと思っています」(「予備校と訣別して」)

山口「英文法講義の実況中継」は、普段の講義内での雑談やジョークまで全て文字起こしをして活字にし収録した臨場感あふれる分かりやすい講義録体裁がウケて他教科にまで広がる「実況中継」シリーズの画期な大学受験参考書になったが、肝心の「英文法講義」の中身では、氏が「ネクサス」と呼んで解説講義にて常に強調していた「S─P」の主語・述語関係の見極め摘出、山口俊治がいう所の「ここが英語が分かるかどうかの岐路」のヤマが英文法講義の目玉であった。その氏による「ネクサス」の英文法教授に対する当時の大学受験生からの賞賛の好反応である。「今、九州ではネクサス旋風が吹き荒れています」←(笑)。

「受験生に教えていながら、ただ英文の表面だけをとって日本語に置き換えていくのを『英語を読む』ことだと考えて疑わない学生が多いことに気づきました。…そこで、講義中に、学生には耳慣れないネクサス(nexus)という用語と概念を取り入れてみました。…高校のリーディングでも文法でも、そのような視点からの指導は皆無でしたから、学生にはやたらと新鮮で、しかも、わかりやすかったようでした。この言葉を参考書の中で初めて使ってみたのが『英文法講義の実況中継』というわけです。すぐさま反響がありました。『今、九州ではネクサス旋風が吹き荒れています』という便りに始まって、続々と『わかる』『おもしろい』『英語の見方が変わった』と好意的な感想がどっと寄せられました」(「『英文法講義の実況中継』の反響」)

「実況中継」シリーズは山口の「英文法講義」を始めとして各教科なぜあのような色の良くないザラザラな質の悪い紙を製本に使うのか、私は長年ずっと不思議に思っていたが、それは「携帯してどこでも気軽に読めるよう書物全体を軽くするため…洋書のポケットブック風にするなど編集上の配慮」かららしい。なるほど納得だ。

「携帯してどこでも気軽に読めるよう書物全体を軽くするため、上下2巻に分け、薄手のざらざらした紙を用い、洋書のポケットブック風にするなど編集上の配慮も成功と見えて、増刷を重ねました。英語について全体を見通せる、という点が最大の特長で、英文法は嫌われ物、通読するには骨の折れるもの、という概念を一掃できたようでした」(「『英文法講義の実況中継』の反響」)

時に予備校講師の間で「自分の独自の教え方や解法のテクニックを他の同業者の講師に盗まれた」「板書やテキストのまとめが自分のものとソックリそのままで真似された」云々の内輪揉(うちわも)めがある。私のような予備校業界外の部外者からすれば、「誰が編み出した解説方法や解法テクニックであろうと風通し良く皆で共有し、その教え方が受験生全体に広く知れ渡り結果、若い学生の学力向上に貢献寄与できれば、それでよいだろう。特定の予備校講師が、ある教え方や解法テクニックに関し『これは自分が編み出した、あくまでも自分のもの』と述べて独占主張するのは人間が小さく実に大人げない、みっともない」と正直思うのだが、山口俊治ほどのベテラン重鎮な教育指導者でさえ、「英文法講義の実況中継」での「私とそっくりの説明の仕方」で他の講師が教え方を真似している事態にわざわざ言及し、自身の不快感情を露(あらわ)にする点に大変に驚き、少なからずの失望を氏に対し私は抱いた。

「『柳の下のどじょう』を狙って、類書が続々と出版され、どれもこれも間もなく消えて行きました。中には私とそっくりの説明の仕方(副詞節、仮定法など)も散見されました。地方の放送局の講師がこの本の説明をそっくり真似しているという事実を私に知らせてくれた読者もいました」(「『英文法講義の実況中継』の反響」)