アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(16)桜井博之「英文読解の着眼点 言い換えと対比で解く」

桜井博之「英文読解の着眼点・言い換えと対比で解く」(2015年)は、参考書のタイトル通り「言い換えと対比」で読み解く、そのうち特に後者の、主に問題英文全体にある「対比」の対立構造に着目して英語を読み解こうとする問題集だ。収録問題数は全20問であり、国公立二次試験対策に特化した問題集で、大学名は記載されてはいないが実際に出題された国公立二次の過去問と著者が作問のオリジナル問題で構成されている。ゆえに設問形式も国公立の二次試験らしく、客観式の記号選択は少なく、その代わりほとんどが記述式で下線部和訳、下線部の意味説明(「内容を日本語で説明せよ」)、指示語の内容要約まとめ(「具体的内容を日本語で述べよ」)の設問が多くを占める。

そもそも英文解釈には、各文章の構文を把握し丁寧に正確に読み重ねる一文精読の「ミクロな読み」と、文章全体に広くある論理展開パターンを見極め論旨を追う要旨把握の「マクロな読み」の2つがあり、それらが両輪のごとく同時機能し複眼的に英文を読む姿勢が大切だ。本書は、まさに後者の「マクロな読み」の論理展開の把握教授に的(まと)を絞って解説した良書となっている。その「マクロな読み」に使う英文の論理展開パターンは以下の4つである。

(1)対比・対立構造、(2)抽象と具体、(3)列挙・並列説明、(4)因果関係

(1)の「対比・対立構造」というのは、2つの事柄を文字通り「対比」で「対立」させながら論じていく論理展開パターンを指す。この論理の本質は「2つの対立するものが必ず同じ資格の同種で基本、大きな共通項があって、しかしながら項目観点別に見ると細かな対照の相違があり、ゆえに対比・対比構造になっている」ということだ。

例えば本書に掲載の問題例で言えば、問題2の「道具と機械」は、ともに「人間が加工・製作に用いるもの」という大きな共通項の前提がまずあり、その上で「道具は人間の一部で人間の力を補強するが、機械は人間とは異質なもので加えられる力の方向や性質を変える」という対照が成立するわけである。同様に問題4の「左脳と右脳」ならば、同じくどちらとも両方「人間の脳内部での機能分野」という前提の共通があり、その上で「左脳は言語処理の理路整然とした論理的思考をやるが、右脳は空間的方向づけや音楽・映像認知のイメージ思考をなす」といった、きれいな対立構造を作っている。だから、例えば「機械と左脳」では対比の対立には絶対にならない。「機械」は人間が加工・生産に用いるものであり、他方「左脳」は人間内部の脳機能分野で双方に全くの共通点がないから。前提の共通項がないものは、そもそも比べられないし対立の対比ができない。ゆえに対比・対立構造の場合、まず「何と何が対比の対立になっているのか」を見極め、次に対立構造を作る大前提となる両者の共通項を押さえた上で、「それぞれどのような観点から対比の対立があるか」簡略な対照表を頭の隅に描く、もしくは直接に紙の余白に書き出してみるとよい。実際、「英文読解の着眼点・言い換えと対比で解く」でも問題解説で著者は、対立構造の英文の場合には必ず対照表を作って解答解説をしている。

加えて難関国立二次の問題の場合、AとBが対立構造になっており、Aの内容は丁寧に述べられているのに、それに対照するBの内容が問題文に明確に書かれていない英文があって、あえてそのことを踏まえて「AとBの相違を詳しく説明せよ」といった設問指示の問題が出ることがある。だから、その場合はあらかじめ対照表を作っておいて、詳細に記述されていないBの内容はAの反対だから、その「反Aの内容」を類推し、問題英文に直接的に記されてないBの事柄として自身で言葉を補って答案にする必要がある。難関国公立二次では、そういった対立構造の論理を利用し筋道立てて思考する対応が、この対比の論理展開パターン英文にて求められることが時にある。

(2)の「抽象と具体」というのは、最初に抽象的な筆者の主張や一般的見解の説明を述べ、次にその抽象と同じ内容を具体例を挙げて説得的に説明展開する論述パターンのことだ。もしくは逆に、最初に具体例をあえて詳しく細かに書き入れ、その後その具体例から抽出される筆者の強い主張や一般的結論をまとめて記す、抽象と具体の順序が逆になる場合もある。

この抽象と具体の論理展開の難点は繰り返し反復の、いわゆる「ネタばれ」になるので読み手の関心をずっと惹(ひ)き付けられない、場合によっては読むことを読み手から途中で断念されてしまう危険性が常にある。最初の抽象的な主張や筆者の見解の全体を読んで知ってしまえば、後に続く説得の具体例は既出の抽象記述の抽象度レベルを落として、より具体的に述べる繰り返しの反復内容になるので読み手の方からすれば、あえて最後まで律儀(りちぎ)に読む義理はない。

そして、本書でいえば問題13がその典型に当たると思うが、例えば冒頭で「××には問題がある」と極めて大雑把に述べておいて、その問題内容の全容を一般化した形ですぐに明かさず、そのまま具体例を展開させ、文章全体を読み進めていく内に徐々に筆者の抽象的主張や見解の内実の全貌が明らかになっていくといった構成をとる英文が時にある。最初から抽象的主張や見解の内容全部を一気に明かすと、あとでどんなに優れた具体例を展開させて文章を続けても「ネタばれ」で、もはや読んでくれない、読み手が途中で読むのをやめてしまうリスクを減らす書き手の工夫である。だから、こういった展開パターンの英文の場合、「××には問題がある」ことは分かったから「その問題の内容の内実とは一体何なのか?もったいぶらずに早く述べろ!」と書き手に対しイライラしながらキレ気味に先を読み進めるのが、この手の論理展開英文に対する読み手側の正しい心得だ。「小出しにせずに早く全部言え!この野郎」というような(笑)

(3)の「列挙・並列説明」は入試問題英語では案外、盲点になる見落としやすい論理展開パターンだと思う。これは私の強い見解であるが、大学入試の現代文や英文解釈における要旨把握の指導で、文章には必ず筆者による強い主張、つまりは筆者の「イイタイコト」が必ずあるので文章を読む場合「まずはイイタイコトを探せ」というような、いわゆる宝探し的な「イイタイコト探し」の読みを主に予備校系の講師が大学受験生に教えるのは、あれは弊害でしかない。

「××すべき」「××であるべきだ」「××だと私は思う・考える」タイプの、ある意味ベタでコテコテな、あからさまに筆者のイイタイコトの主張文がある評論など普通に考えてそんなにない。常識的に考えて世間一般に流通している文章には特にイイタイコトなどない、単に客観的に物事を解説し論述する説明的な文章もたくさんある。世の中の人は、そうした特出したイイタイコトの自己主張など普段生活していて日頃から、めったやたらと思いつくわけもなく、ゆえに「私にはイイタイコトがある」の強い動機があるから人は文章を書くわけでは必ずしもなくて、特段イイタイコトがなくても日常的に文章を書いたりするわけで、だから全ての評論に必ずイイタイコトの筆者の主張があるとは限らない。特に取り立ててイイタイコトなど何もない単なる説明的な客観的文章も普通にあるので、「評論文を読む場合は必ず筆者のイイタイコトを探せ」の大学受験指導は、やはり弊害だ。おそらく受験生が無事に大学合格し、めでたく大学生になって勉強で過去の先行研究の学術論文を読んだりすると、ある人物や事柄や現象の考察(著名人物や歴史上の事件や社会的病理や自然科学現象など)、もしくは抽象概念の定義に関し、筆者による特出したイイタイコトなど別にない、いくつかの観点から物事をひたすら客観的に並列させ列挙し重ねて説明していく型の論述を読む機会の方が圧倒的に多いと思う。すなわち、相当な確率で「列挙・並列説明」の論理展開パターンを持つ文章を目にする場合が多い。

ところが現行の大学入試では、なぜか少数派のあからさまに筆者の主張のイイタイコトがある、ある意味ベタな評論が試験によく出され、本来的には圧倒的に多い別にイイタイコトなど何もない、列挙・並列説明タイプの評論はあまり出題されないので、そのため予備校講師が「評論文には必ず筆者のイイタイコトの強い主張があるから、まずはイイタイコトを探せ」の要旨把握指導をやり、それで純真な(?)まだ人を信じやすい若い大学受験生は完全に勘違いしてしまって本を読む際にはどんな文章にも必ず筆者のイイタイコトがあると強く信じ、とりあえずはイイタイコトを探す「文章読解の極意は筆者のイイタイコト探し」のようなイイタイコトの宝探し的貧弱な読みを生涯ずっと強いられることになる。大学入試問題にて、列挙・並列説明の論理展開が盲点になる背景の一つは、このイイタイコト探しの読みだけを突出させて、むやみやたらと無理矢理に強調する受験指導の弊害に由来している。

さて、この列挙・並列説明の論理展開パターンの難点は文字通りいくつもの説明を並列的に列挙・羅列していくため、論述が平板になりやすいことだ。例えば高校生に小論文を書かせると必ずあるのだが、列挙・並列説明の展開パターンを用いて「第一は…第二は…第三は…」というように機械的に数字の番号をふった箇条書きの小論文になってしまう。英文で言えば「first…second…third…」というような序数を入れた書き出しで頭を過剰に揃(そろ)える形式になる。「注意事項は以下の三点」のような箇条書きの書き方というのは、事務的連絡事項の場合には内容が読み手に簡潔に早く伝わってよいのだが、小論文や評論でこれをやると事務的で逆に分かりやすすぎて記述が平板になり論述の深まりがなくなる。だから、列挙・並列説明の論理展開パターンを選択する場合、書き手は形式化し過ぎて事務的連絡注意事項的な箇条書き風文章にならないよう序数で揃える書き出しをあえて避ける、時に番号明記の列挙記述パターンをわざと壊したりする工夫が必要である。そういえば、この文章の構成も4つの代表的な論理展開パターンを列挙し、順次それぞれの内容について並列説明する「列挙・並列説明」な論理展開になっている(笑)。

(4)の「因果関係」は、筆者の主張や見解や客観的な現象がまずあって、「なぜそう言えるのか」原因・理由説明の記述を加え議論を深めていく論理展開パターンである。因果関係の論理では「この部分が原因・理由で、この部分が結果で」と常にメリハリを意識しながら読み進めていくことが大切だ。因果関係は要旨把握で普段、文章を読む場合は割合問題はなくて、むしろ論述を批判的に読む、例えば論文審査や書評、論争やディベートで焦点にされ、ある意味、重宝される論理展開といえる。

そもそも独力で文章を書けたり議論の立論ができる人は元から優れた人が多いので、常識はずれの結論や議論の明白な飛躍・欠落の、あからさまなミスはそう易々とはしないものだ。それで論文審査やディベートで、どうしても批判的に相手の論述に挑(いど)む場合、確実に一つの焦点となるのがこの因果関係で、一見正しく普通に読めそうな因果関係にて原因と結論をつなぐ論理展開の導出に本当に無理はないか(例えば、原因の理由となる事例根拠のサンプルは適切か、因果の説明の議論流れに極端な偏りや省略の飛躍はないか)集中して精査される。事実、批判的読み手は、その多くが因果の接続に注目し常套(じょうとう)でこの不備を狙うし、因果の論理展開における接続記述が論述そのものの良し悪しの評価要素として重要視されることが非常に多いので、逆に文章を書く側は、そのことをあらかじめ見越し、自身の書いた文章での因果の接続具合をいつも慎重に何度も見直し推敲(すいこう)して論述完成にのぞむとよい。

「英文読解の着眼点・言い換えと対比で解く」は1日に二つ、三つ問題を解いて毎日やって1週間ほどで私は読了したが、最初のやり初めの数日間は対比・対立構造の論理展開パターンの問題英文ばかりが連続して出てきて、非常に不安になる(「この問題集に出てくる英文は『言い換えと対比で解く』のタイトル通り、もしかしたら対比・対立構造パターンだけなのか!?」)。しかしながら、問題9以降で対比・対立構造以外の論理展開を持つ英文も普通に出てくるので安心して下さい(笑)。