アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(22)関谷浩「古文解釈の方法」

昨今の社会で勉強の教え方やスポーツ指導やニュース解説で説明が複雑だったり内容が難しかったりすると、それだけで忌(い)み嫌われ、その分「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」の易しくて楽に理解できる説明解説や教授法の類(たぐ)いがやたら歓迎され、もてはやされる風潮があるが、私は全く感心しない。

もともとが複雑で難しい事柄もある。ゆえに説明や解説も誠実にごまかしなくやれば、当然ながら同様に複雑で難しくなる。「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」というのは、本当に堅実に真面目にごまかしなく取り組めば本来は到底そんな簡単に分かりやすく易化するはずがないものまで内容をかなり削って省略したり、時に強引に一般化して無理やり単純化・図式化した結果、「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」になったりしているわけだ。「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」は耳障(みみざわ)りがよくとっつきやすいが、ごまかしが伴う場合も多い。内容のない厳密で正確ではない薄っぺらなフェイク(まがい物)のガラクタで偽物な危険性が大いにある。ゆえに本来複雑だったり、難しかったりする事柄は妥協せずしっかり腰を据(す)えて、そのまま「複雑で難しいもの」として理解するしかない。いくら時間がかかっても手間暇がかかって苦労し消耗しようとも、そうして自分のものにして自身に血肉化する、そういった正攻法でやるしかないのである。

にもかかわらず、世間には相も変わらず「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」のガラクタのフェイクが溢(あふ)れかえっているのは、人々が中身の正確さ・厳密さ・精巧さは二の次で、とりあえずは簡単でお気軽で楽な解説説明や方法を手っ取り早く求めるからに他ならない。そして、そういった世間の人たちの求めに応じ、「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」は市場価値が出る。下世話な言い方をすれば簡単に沢山売れてすぐに金になり楽に儲(もう)かる。そのため一部出版社やメディアや専門家や自称「先生」の人達がワル乗りして、そうしたフェイクのまがい物を放送やネットの情報媒体に乗せたり、書籍やカリキュラム一式教材にして日々、量産販売しているわけである。

同様に大学受験参考書も最近はやたらと「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」を売りにした軟派な参考書籍が多くあって、そういった参考書を執筆の著者は「教え方の上手な先生」であり、「人気のカリスマ教師」ということに一応、世間ではなっている。しかし、ここでも前述のようにそれら耳障りの良い売り文句に常につきまとう内容のない、厳密で正確ではない薄っぺらなフェイクのまがい物、ガラクタで偽物な危険性に十分に注意を払うべきである。

さて駿台予備学校の古文科、関谷浩執筆の「古文解釈の方法」(1990年)この参考書は昔から解説文が堅苦しくて取っつきにくい、内容が難しくて分かりづらい、難度が高く同様に難しい参考書、同じく駿台の英語科、伊藤和夫「英文解釈教室」(1977年)のまるで古文バージョンのようだと(笑)、時に酷評される書籍だ。しかしながら、ごまかしなく誠実に厳密に正確に本格的に「古文解釈の方法」を教えるとなると、これくらい難しくて複雑で習得に苦労するのは当たり前で、関谷師の「古文解釈の方法」の難しさを責める以前に、ここは「難しくて分かりづらい」と簡単に根を上げてしまう忍耐強さが足りない自身の甲斐性のなさを大いに反省すべきであろう。「古文解釈の方法」は、「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」今風の軟弱な大学受験参考書とは明らかに一線を画する、無愛想だが本格派で本物な本当に良い参考書だ。

古文を教えるのが下手な高校教師や古文が苦手な学生は古文の勉強というと、どうしても敬語と文法の助動詞の活用・意味を主とする品詞分解にのみ一生懸命になって、そこにだけ気を取られ、それだけで精一杯。教える側も教わる側もいつも敬語と助動詞文法の品詞分解ばかりをやっている悪印象が私にはある。当然、古文の学習は敬語法や助動詞文法以外にも学ぶべきことは多くあり、関谷師の「古文解釈の方法」は、敬語と助動詞文法はもちろんのこと、その他の重要事項も漏(も)らさず網羅されていて総合的な古文学習の参考書としてよく出来ている。準体法や中止法、「××ば」の条件節に続く主体の転換、引用や挿入の見極めなど硬質な文体で厳密に詳細に書かれている。ゆえに一読して確かに「難しい」と感じるが、いずれも必修の事柄である。

しかしながら、ここにも最近の「易しく丁寧な解説で誰にでも分かりやすい」や「短時間で最小限の努力で効率よく習得できる」を良しとするお手軽で安易な易化の魔の手が迫っていた。近年、この「古文解釈の方法」は改訂版(2013年)が新しく出た。明るいデザインや見やすいレイアウトの形式上の改訂はともかく、中身の一部まで変わっている。つまりは旧版よりも内容が易しくなって易化している。問題と解説の一部を削って内容が旧版より薄くなっている。

「古文解釈の方法」は、準体法・中止法、動詞・形容詞・形容動詞の活用、助動詞・助詞の意味と活用、敬語法、引用・挿入、和歌の読解の各項目からなる。旧版には助動詞・助詞の意味・活用を終えて、敬語法の単元に新たに入る前に本居春庭「詞の通路」を読ませる問題演習があった。この文章が相当に良い内容の古文で、動詞や助動詞・助詞の文法学習を終えるに当たり「助動詞・助詞を正しく学ぶことは確かに大切だが、古文の読解はそれだけでは十分でない。語句の係り受けを理解しなければ正しく文章を読めないこと」を戒(いまし)め伝える、古文学習の基本の大切さを読み手に訴えかける本居春庭の文章である。

だが、この本居春庭の古文を読ませる問題演習が新しく出た改訂版にはない。旧版には確かにあったのに改訂版では丸々削除されている。改訂版で変に受験生に媚(こ)びを売って今風の丁寧で親切な(?)分かりやすいカジュアルな参考書を目指し、旧版の一部内容を削除し中途半端に内容を易化させてしまったこと、特に本居春庭の読解問題を無くし内容を薄くしてしまったことに私は関谷師に対し大変に失望し立腹した。