アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(37)青木裕司「世界史講義の実況中継」

語学春秋社の「××講義の実況中継」シリーズは、予備校での生の講義を(おそらくは)その場で録音し講師のしゃべりをそのままテープ起こしした大学受験参考書であり、私が学生の時にはすでにあった。

ところで、学校を卒業してからも授業中に先生が脱線して熱心に話してくれた雑談を異様に鮮明に、なぜかいつまでも印象深く覚えていたりすることがある。私の場合、学生時分に読んだ青木裕司の「世界史講義の実況中継」(1991年)がまさにそれだった。その中で青木裕司が中国近代史の、いわゆる「毛沢東の長征・大西遷」について語るところが昔から強く印象に残っている。非常に熱心に青木が語る。

毛沢東の共産党軍が「北上抗日」の方針を決め、南の根拠地・端金を放棄して北の延安まで行軍する。しかし、日本を含む欧米列強諸国が駐留支配の沿岸地域は避けねばならず、内陸アジアの険(けわ)しい山岳地帯を経て北上するしかない。中途は難所の連続で山あり谷ありの道なき道である。行軍の途中で同志が次々と谷底に落ち、大雪山でバタバタと凍え死に、大湿原の底なし沼にズブズブと足を取られ皆が脱落していく。1万2千キロを踏破し18の山脈を越え数百回に渡る国民党軍との戦闘を経て、いよいよ目的地の延安に到着。だがその時には、かなりの同志が死んで紅軍の数は大幅に減っていたという。

「世界史講義の実況中継」なので紙上の間接講義なのだが、なぜかこの話の部分がとても印象深かった。それで最近また青木裕司の改訂版「世界史講義の実況中継」を手に入れて読んでみたら昔と同じ(笑)、以前と変わらず青木先生は「毛沢東の長征」について熱く語っていた。

近年、改訂の「世界史講義の実況中継」(2005年)を数十年ぶりに読んでみた。講義内容の大枠は昔の版とは、あまり変わっていない。しかし少し気になる個所もあった。これまた中国近代史の「南京虐殺事件」に関する記述だ。改訂版には「補足」があって、偕行社「南京戦史」(1989年)と「南京戦史資料集」(1993年)の書籍紹介や、南京虐殺事件について「虐殺があった事実は動かしがたい。虐殺された人数など数の問題は関係ない」とした三笠宮崇仁(昭和天皇の弟)の発言引用がある。私が昔、数十年前に読んだ旧版にはなかった記述だ。

おそらく青木裕司は、版を重ねるうちに右派・保守や歴史修正主義な人達からしつこく言われ、またウンザリするほど耳にしたのだろう、「虐殺被害者の人数が事実と異なり多すぎる。30万人虐殺説は嘘…だから、南京虐殺はないに等しい事件」という類(たぐ)いの定番で強引な詭弁を(註)。だから改訂版にて「南京戦史」の史料紹介をしたり、わざわざ「虐殺の事実はあった。被害者の人数の問題ではない」とする皇族関係者の発言を「補足」で載せたりする。今や日本国内での「南京虐殺事件」に関する歴史認識も、そうした「量を質に転化させる」量質転化もどきな歴史修正主義のデタラメ議論の免責論が横行するほどの堕落ぶりである。そんな現在の堕落した歴史認識問題にいちいち律儀(りちぎ)に対応して、改訂版に新たな「補足」説明まで加える青木裕司は「非常に気の毒だ」。そういった感慨を正直、私は持った。

最後に数十年来、疑問に思っていることを。青木裕司の自己紹介文「1956年、スターリン批判の年に福岡県久留米市に生まれる」。あれは何なの?自分の生年に、あえて「スターリン批判の年」という文言をつけるのが意味不明で昔から訳が分からない。


(註)「南京虐殺事件の被害者の数が事実とは違い不当に多く報告されている」と被害人数の把握がデタラメなことに固執し、粘着に「数」を批判し続けることで論点をズラし、南京虐殺をやった加害国の日本の方が、むしろ被害人数を不当に水増しされ常に糾弾され続ける「被害国」であると主張して、結果、少なからずあった日本軍の戦時の市民暴力の「虐殺行為の事実」が見事うやむやになって、いつの間にか免責されるという歴史修正主義者が好んでよく使う「量質転化もどき」な、ごまかし詭弁(きべん)の強引な手口。