アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(102)高畠金蔵「奇跡を起す両国式合格作戦」

現在は閉校してもうないが、以前に医歯薬受験対策専門の両国予備校というのがあった。そこの創業者であり理事長であった高畠金蔵はなかなかクセのある人で(笑)、レギュラーのラジオ番組を持って精力的に出演していたり、1980年代から90年代にかけての全盛期には東京だけでなく、大阪にも支店校舎を出して全国ネットのテレビCMを流したりもしていた。

医歯薬専門の両国予備校は通学はなく全寮制で、必ず寮に入寮して予備校の厳格な生活指導監視下にて24時間、受験勉強に取り組む、かなりのスパルタであったという。入寮の際には理事長みずから長時間の講話の個人面談をやって、医歯薬科大学合格のために勉学に真剣に打ち込む当人の覚悟の程を誓わせたり、恋愛禁止の校則、毎日の「自宅学習報告書」の記入提出や毎朝テストなど随時やって「四六時中、勉強漬け」の相当に厳しい大学受験指導をやっていたらしい。

私は九州出身なのだが、当時のスパルタな両国予備校のような厳しい受験指導をやる予備校で、九州・山口地方に北九州予備校というのがあった。北九州予備校は現在も九州地区を中心に各校ある。校舎に「努力は実る」というデカイ文字看板があって、私は北九州予備校(通称・北予備)に通ったことはないのだが、北九州予備校も、かの両国予備校に負けず劣らず昔はかなり厳しかったらしい。予備校生の授業出席率はほぼ100パーセント(つまりはサボりは絶対に許されない)で昔、北九州の小倉の街で夕方にあまりに多くの若い学生らしき人達が一方向にゾロゾロ大移動していくのに遭遇し、驚いたことがあった。どうやら、あれは夜間に強制の絶対出席で予備校生を自習室に入れて勉強させる北予備名物の毎日行事であったらしい。北九州予備校も両国予備校と同様、入寮の学生が多く予備校の監督指導下にて24時間、受験勉強に真剣に取り組むというかなりのスパルタであったという噂を聞く。

医歯薬専門予備校や普通の予備校内での医歯薬系進学クラスの設置は現在では一般的であるけれども、まだ昔は医歯薬受験対策の専門予備校は珍しかった。ここに両国予備校の発展、躍進の理由があった。いつの時代にも代々医師の家系で必ず医者にならなければならない者、実家が開業医で子弟に病院を継がせたい親の意向で絶対に医学部進学を果たさないといけない受験生は一定数存在する。そして、そうした受験生の医師家庭は、往々にして経済的に豊かで「我が子を医学部合格させるためなら学費が高額であっても構わない」で、医学系予備校に多額の授業料を払込みできるものである。そこに業界先駆として昔の時代から早くも医歯薬受験専門を看板に創業した両国予備校の勝算は確かにあった。

1980年代から90年代にかけての全盛期に両国予備校は東京と大阪に校舎を持ち、全国ネットのテレビCMを流したりしていた。その両国予備校のCMに出演していたのは俳優の山本陽子だった。山本陽子が派手な舞台メイクで「私も頑張っています」とか「Do・Your・Best!」などと毎度テレビCMの中で言っていたことに、山本自身は大学受験と縁がなく、年齢的にも受験生世代とかけ離れており、受験生にファン層がいるとも思えないことから、「結局は理事長が山本の熱烈ファンで高畠理事長の個人的趣味での抜擢か!?」などと当時より(そして、たまに今でも)山本陽子が両国予備校CMに出演の件は不思議がられていた。

しかし、あれは山本陽子が昔、同時代の80年代に松本清張原作の「黒革の手帖」(1978年)のテレビドラマ版(1982年)で主演を演じていたからに他ならない。松本清張「黒革の手帖」は、地味な女性行員の原口元子が銀行顧客の裏金口座の金を横領し、それを元手に銀座のクラブのママとなり、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する夜の街・銀座で、「黒革の手帖」の秘密メモを武器にホステスや高級クラブ同業者、銀座の上客の男たちと張り合い、彼らを出し抜いて銀座一の高級店「クラブ・カルネ」のオーナーママにまで登り詰めるピカレスク・サスペンス(悪漢小説)である。主人公の銀座ママの原口元子は、脱税を重ねて蓄財している常連客、産婦人科医の楢林と、裏口入学を手引し儲けて銀座で豪遊している医科系大学専門予備校経営の橋田の裏の犯罪を知って、彼らをゆすり取引して夜の銀座でさらにのし上がっていくわけである。そうした「黒革の手帖」ドラマ劇中にて原口元子を演じた山本陽子が、これまた劇中での因縁ある宿敵、医科系大学専門予備校の橋田を想像させる、医歯薬専門の両国予備校のCMに、いかにもな銀座ホステス風の派手な舞台メイクであえて出演するという、あれは松本清張「黒革の手帖」のテレビドラマを背景にした壮大な伏線回収でパロディの傑作冗談CMであるのだ(笑)。

だから、私は当時から両国予備校の山本陽子のテレビCMを視聴するたび毎回、爆笑していた。

このブログ全体のための最初のノート

今回から新しく始める「アメジローのつれづれ」(※以前に別の場所でやっていたブログ記事をそのまま移動しているため全く同じ文章があります。しかし、それは赤の他人の第三者によるコピーとか盗作・剽窃(ひょうせつ)ではありません。当ブログを書いているのは前のブログ主と同一人物です)

本ブログ「アメジローのつれづれ」は全三部よりなります。第一部は「生活のたのしみ」、第二部は「音楽のたのしみ」、第三部は「読書のたのしみ」。

第一部の「生活のたのしみ」は、現在の日々の生活(ライフスタイル)について。最初は精神態度とかバイクとかファッションなど私の基本の生活スタイルである、いわゆる「モッズ」についての特集「モッズな生活」から。そして過去に遡(さかのぼ)って、以前に私は京都に住んでいたことがあるので特集「京都喫茶探訪」。昔よく行った京都のタンゴ喫茶「クンパルシータ」の思い出など。

第二部は「音楽のたのしみ」で、スカパラについての特集「東京スカパラダイスオーケストラ大百科」、つづいてYMO(イエローマジック・オーケストラ)に関する特集「YMO伝説」、さらには特集「フリッパーズ・ギター・小沢と小山田」「天才・岡村靖幸」「ピチカート・ファイヴの小西康陽」「懐かしのルックアウト・レコード」など。

第三部は「読書のたのしみ」。別ブログ「アメジローの岩波新書の書評」で収録できなかった岩波新書以外の書籍に関することを。まずはトキワ荘出身漫画家で私が大好きだった寺田ヒロオの「テラさん」についての「特集・寺田ヒロオ」から始めて、次に海外の探偵小説・ミステリーの「シャーロック・ホームズ」「アルセーヌ・リュパン」「エラリー・クイーン」ら諸探偵の短編集の書評を。加えて、日本探偵小説界の巨星・横溝正史と江戸川乱歩の特集「再読・横溝正史」「江戸川乱歩・礼賛(らいさん)」。そして日々愛読している太宰治全集より特集「太宰治を読む」から、最後に比較的長いシリーズ「大学受験参考書を読む」へ。

お探しの記事やお目当ての特集は、本ブログ内の検索にて特集タイトル(の一部フレーズ)を入力でサーチをかけて頂くと出てきます。

京都喫茶探訪(1)クンパルシータ

今回から始まる新シリーズ「京都喫茶探訪」である。以前に京都でよく行った純喫茶のことなどを。ただ昔よく行った喫茶店への私の思いを書いているだけで、「あの店の由来や歴史はこうで」のタメになる話や「得々メニューはこれだ!」のようなお薦め情報はないので、読んでいて正直うっとうしいと思う。一般に他人の私的な思い出話ほど第三者が聞いて本当にどうでもよくて、なおかつうっとうしいものはないので。だが、このブログはほとんど人が来ないから(笑)。人に読んでもらうのが目的ではなく、自分のためだけに書いているので、それがせめてもの救いだ。

以前、京都の木屋町に「クンパルシータ」というタンゴ喫茶があった。昼間は開いていなくて夕方から深夜に開いている喫茶店だった。映画館でレイトショーを観たり、晩飯を食べて一杯やった後によく行っていた。何だか好きで本当に頻繁に寄っていた、クンパルシータには。

狭い路地の風俗店に囲まれた場所にあるので、呼び込みのオッサンの「どうですか?サービスしますよ」の怪しい勧誘の声を毎度かいくぐって(笑)、クンパルシータのドア開ける。左手にカウンター兼厨房の小さなスペースあって、カウンターの上壁に飾りでトランペットが置いてあり、さらにカウンターの奥にオーディオセットが見えて(といってもCDプレイヤーはなく、アナログのレコードプレイヤーとカセットデッキだ)、店の左壁にトイレのドアがあって、そのドアの左手の電気のスイッチの辺りに藤沢嵐子の直筆サイン色紙が飾ってある。椅子は特注で作らせた赤い薔薇(ばら)のビロードのような高級な造りで、店の奥の中央に暖炉があってテーブルは8つくらい。歩くと硬い床が上品にコツコツと鳴る。店内の改装は昭和30年代に一度やったと言っていた。店内の様子を説明し出すとキリがないが、今でもハッキリ覚えている。店の感じとか空気とか、その時聴いたタンゴとか、もちろんコーヒーの味も。

女主人のママが一人でやっていて、コーヒー1杯を淹(い)れるのに時間がかかってね(笑)。先客がいるときは1時間待ちは普通。だが、昔は私も時間がたくさんあったので苦にならなかった。いつも一人で入店して本を読んだり音楽を聴いたりして、ずっと待っていた。近所に「みゅーず」という名曲喫茶でクラシックを聴かせる店があって、そこはコーヒーもすぐ出て来るしアルバイトの人も多くて、しっかりした店だったけれど、なぜか待たされるクンパルシータの方が好きだった。「コーヒーの濃さは、いかが致しましょうか?」と注文のときに細かく聞いて1杯ずつ淹れてくれた。コーヒーの味は苦いシブイ感じだ。私は常にブラックでしかコーヒーを飲まないので、苦いシブイ味のコーヒーが好きなのだ。

私がクンパルシータに通っていた1990年代当時、タンゴの音楽では正統より少し外れたアストル・ピアソラ(Astor・Piazzolla)やヨーヨー・マ(Yo-Yo・Ma)が流行っていて(おそらくCMや映画音楽にて彼らの楽曲が当時よく使われていたため)、だが、なぜか通ぶって藤沢嵐子や阿保都夫(あぼ・いくお)らをリクエストしていた。だいたい、まず嵐子さんを頼んでかけてもらって、その後、変則でわざと「美輪明宏お願いします」と言ったりして。私は、本当はタンゴには全く詳しくはないのだが(笑)。でも、よせばいいのに調子に乗って「やっぱり嵐子さんは上手いですね。嵐子さんだと安心して聴けますねぇ」などと言ったりするので、ママも「この人は、かなりのタンゴ好きな人」と勘違いされていたと思う。すみません。しかし、藤沢嵐子は当時から「かなり上手い」と思って私は好きだったのだけれど。最近は「歌姫」と呼ばれる人は多いが、私のなかで「歌姫」といえば真っ先に思い浮かぶのは藤沢嵐子だ。あと阿保都夫の「スキヤキ」(「上を向いて歩こう」)もクンパルシータで何度も聴いたな。阿保郁夫も本当に洗練されていて日本人の発声とは思えないくらい藤沢嵐子同様、実に巧(たく)みで上手いのだ。

ママともよくお話しした。もうだいぶ時間も経っているのでママとの当時の会話の内容もここに書いてもよいと思うけれど、敗戦後まもなくの頃、映画会社の人たちが店の奥でヒロポンをやっていて当時、店を一緒にやっていたママのお母さんが怒った話。敗戦後まもなく京都四条の美松会館付近の闇市にカレーライスを食べに行った時の話。まだ大映でスターとして売れる前の勝新太郎がクンパルシータの店に来て、店の公衆電話で話す「もしもし勝だけど」の声が聞こえて来て「勝って変な名前だなぁ」とママが思っていたら、勝新太郎が「僕はタンゴよりもジャズが好きでねぇ」と言った話。あとは市川雷蔵の話なども。あの頃は周防正行監督の「Shall ・Weダンス? 」(1996年)が劇場上映された時代で、ママも昔はタンゴを踊る人だったらしく、それを観に行った時の話。映画の面白場面とあらすじを最後まで詳しく話してくれた。結構、繰り返し何度もね。

クンパルシータも今では閉店でもう行けないが、最近でもたまに思い出す、店の感じやコーヒーの味、当時聴いていたタンゴ、藤沢嵐子や阿保都夫の「スキヤキ」、そしてママのことを。特に藤沢嵐子はその後、普通にCDを購入して聴いたけれど、なぜかしっくりこない。家で聴いても車の中のカーステでかけても、これが不思議と駄目なのだ。嵐子さんを聴くのならクンパルシータに行って聴かないと。音楽も音楽みずから聴かれる場所を選ぶのか?

そういったわけで藤沢嵐子も久しく聴いていない。藤沢嵐子と「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の音源など。本当に今となっては去っていった昔の記憶だけ、懐かしくて楽しい思い出だけだ。後には実物は何も手元に残らない。クンパルシータは、嶽本野ばらの小説「カフェー小品集」(2001年)のなかにも出てくる。最後はセンチメンタルで懐古な感傷モードで非常に湿っぽく、誠にすみません。

モッズな生活(3)ホンダ ジョルカブ

最近、イギリスでの、いわゆる「モッズ」たちによるスクーター・ランの雑誌記事を見た。皆さん、かなりカスタムしてデコレーションを入れた状態のよい「ベスパ」(Vespa)や「ランブレッタ」(Lambretta)を所有していて、モッズ=「貧しい労働者階級のリアルな怒りの若者文化」というよりは「デザイナーや業界人など比較的裕福な階層による最新の流行ファッション」という印象を正直、私は持った。

いまやモッズといえば当たり前のように「べスパやランブレッタのスクーターが必須アイテム」のような話になっていて、その類のスクーターに乗っていると「あなたモッズですか?」とすぐ周りの人達に言われそうだが(笑)、もともとモッズの若者は最初から「スクーター好き」だったわけではない。本当はモッズも初めのうちは四輪の自家用車を購入して乗り回したかった。しかし、モッズは底辺の労働者階級の若者文化だから彼らに金なく、残念ながら車が買えなかった…だから車体価格が割安なスクーターに乗っていただけのことだ。

バイクに乗るとき排気ガスで自慢のモッズスーツが汚れるので、軍の払い下げのパーカーをモッズコートとして汚れよけに着ていたくらいお洒落には神経質だった若者たちだから、モッズな若者で金があったら普通にスーツが汚れない四輪の車を購入して乗る。事実、1960年代後半から四輪の価格が安くなり、自家用車人気が高まるとイタリアのランブレッタ社はバイクが売れなくなり、1971年にスクーター生産をやめている。

さてイギリス本国ではどうなのか分からないけれど、今や日本でベスパやランブレッタ所有するのは、かなり大変である。まず車体価格が高いし、しかも近所にべスパやランブレッタを扱う専門店などそうそうないし、部品調達や修理メンテナンスの面でおそらく素人には無理だ。またベスパは故障しやすい、たとえ新車でも一度バラして再度、組み立て直してから乗らないとすぐ不調になるのウワサ(真偽は不明)も時に聞く。

映画「さらば青春の光」とテレビドラマ「探偵物語」の工藤ちゃん(松田優作)の影響で「一度はランブレッタかベスパを所有したい」と思いながらも、メンテナンスの手間や車体購入の経済的負担の金銭面で思いかなわず、私は今デザインがべスパやランブレッタぽいホンダの「ジョルカブ」に乗っている。そんなわけで愛車の赤のジョルカブにフロント・キャリアとバンパーを付けてみた(画像のような感じ)。

さすがにフロント・キャリアとバンパー完備の赤のジョルカブに、モッズスーツとモッズコートを着用で街乗りして信号待ちなどしていると「おまえはモッズか?」「もしかしたら映画『さらば青春の光』やバンドのコレクターズのファンの方ですか?」のような、無言ないしは有言の車中や通行人からの声が時に掛かって困る(笑)。

ジョルカブは、見かけはジョルノのデザインにカブのエンジンを積んでいるので「ジョルノ+カブ=ジョルカブ」なのだが、ステップに4速のギアが付いていて、足元でガチャガチャやりながら走る操作性が面白い。また、エンジンがホンダの「カブ」だから汎用性が効いて交換・代替部品も豊富にあるし、近所のバイク店でオイル交換などのメンテナンスも気軽に日常的にできる。それに何しろホンダのカブは「ストップ・ゴー」を日常的に頻繁に繰り返す郵便や新聞配達の業務用バイクに採用されるくらい故障が少なくエンジンが強く、総走行距離もかなり長くまで行けて末永く乗れるらしいので、モッズな方で「一度はランブレッタかベスパを所有したい」と思いながらも思いかなわずな人に私は強くお薦めしたい。

ジョルカブはもう生産中止だが、まだ中古車で日本国内にてそこそこの車体数は流通しているし、価格的にもそこまで高騰の「幻の車種」ではないらしいので、お薦めです。

大学受験参考書を読む(101)霜栄「生きる漢字・語彙力」

以前に、駿台予備学校の霜栄「生きるセンター漢字・小説語句」(2015年)の練習例文が差別、下品、性的表現(下ネタ)を含み悪ふざけで不適切だと社会的に問題になったことがあった。

当の著者の霜栄からすれば、タイトル「生きるセンター漢字・小説語句」の「生きる」というフレーズに引っかけ、「印象に残る例文・意味で生きる語彙力を」という狙いから、「ふだん使いそうな例文を採用し、実際に生きる語彙力を身につけられるようにと考慮しました。自分で使いこなせないような例文や意味の乏しい例文では、用法が身につかないからです」(「はじめに」)となるらしい。

無味乾燥な模範的な例文ではなくて、10代の大学受験性にも身近で実感が湧(わ)く例文を「生きる語彙力」養成のためにと最初は案外まじめに考えて構想し執筆していたところ、それがいつの間にか自分の中で常識的な大人であり教育者で教師の抑制の自己検閲が効(き)かず、自身の中で勝手にエスカレートして「(10代の受験生が)ふだん使いそうな例文を採用し、実際に生きる語彙力を身につけられるようにしなくては。自分で使いこなせないような例文や意味の乏しい例文では、用法が身につかないから」の思いだけが勝手に肥大し暴走して(笑)、遂には完成した参考書が、練習例文が差別、下品、性的表現(下ネタ)を含み悪ふざけで不適切だとの批判を受けて社会的に問題にされてしまうわけである。

例文に大いに問題がある、霜栄「生きるセンター漢字・小説語句」は苦言の批判をさんざん受けて、書店店頭から速やかに回収され即時絶版の扱いになったらしい。霜師は駿台文庫にて「生きるセンター漢字・小説語句」の漢字の読み書き対策の現代文参考書を昔から長く出し続けており、短期間で頻繁に改訂を重ねているので一体どの正式タイトルの、いつ発行年の霜栄「生きるセンター漢字・小説語句」シリーズの中の書籍が練習例文が差別、下品、性的表現(下ネタ)を含む悪ふざけで社会的問題になったのか、私には分からない。

私が現在所有している、駿台文庫の霜栄「生きる漢字・語彙力」は2006年初版の第11刷である。この参考書を読む限り、そこまであからさまにドギツい下ネタの低俗表現は目立ってないが、やはり霜師が執筆した後に問題を引き起こすことになる「生きるセンター漢字・小説語句」シリーズ中の一冊であるからなのか、本書でも読んで思わず訂正を入れたくなる不適切な駄文、微妙な読み味のウケを狙った奇文の練習例文がいくつか見受けられる。

以下、霜栄「生きる漢字・語彙力」(2006年)より、それら典型的な駄文・奇文の練習例文をいくつか挙げてみる。冒頭の数字は問題文番号、カタカタ表記は読みないしは書き取りで問われている漢字問題部分、そして最後のカッコ内の文章は私のコメントである。

「40・カンジョウ(勘定)を払わず店を出たら、食い逃げと言われた」(「(勘定を払わず店を出」るのは無銭飲食である。反社会的な犯罪行為の内容例文で、教材として不適切)

「63・チョウセン(挑戦)する前から僕はさっさと諦めた」(後ろ向きな消極内容であり、若い学生に読ませる文章として、やや不適切。もっと前向きな内容例文にする工夫の余地あり)

「79・嬉々としてジョゼツ(饒舌)を振う。その彼の姿に違和感を感じた」(「違和感を感じた」は重複表現で誤り。「腹痛が痛い」「乗馬に乗る」と同様な誤り。「違和を感じた」「違和感を抱いた・覚えた」にするべき)

「98・親にはバレないよう、コウミョウ(巧妙)にね」(学生に向けて親に黙って悪事をけしかけるような呼びかけ例文で、教育的に問題あり)

「123・家族十七人を食べさせるのは、ヨウイ(容易)なことじゃない」(「今の世の中に家族が十七人もいる家庭などあるか!? 」のツッコミ待ちの、明らかにウケを狙った例文でフザケていて不適切)

「86・あの人がダラク(堕落)していくのを私、笑って見ていたわ」(人の不幸を笑う反倫理的内容である。また女性の話し言葉の俗っぽい文章であり、教材として不適切)

「200・触れると指にダンリョク(弾力)を感じた」(抽象的すぎる文章で性的・下ネタを連想させるので不適切)

「240・グラスを傾け、微笑む。なんて美しいキョコウ(虚構)の愛」(「グラスを傾け、微笑む」のが必ずしも虚構でつくりごとの愛とは言えない。「美しい本物の愛」の場合もありうる。一方的な決めつけの皮肉な例文内容で、教材としてやや不適切)

「322・シャワーをア(浴)びてからにしようよ」(この後の性行為を連想させる性的・下ネタの例文で、かなり不適切)

「360・行って、花嫁をリャクダツ(略奪)してくるんだ」(「花嫁の略奪」は明らかに反倫理的で犯罪行為である。人の道に反する犯罪をけしかけるような呼びかけ例文で、教育的に問題あり)

「367・みんなヘイサ(閉鎖)的なの、ちょー好きだよね。だよね」(「ちょー」「だよね」など話し言葉の俗っぽい例文で、教材として不適切)

「380・人生をモサク(模索)するのは十二歳で飽きた。十二?」(一人でボケて最後に一人でツッコむ漫才のような文章で明らかにフザケている。教材として不適切)

「386・ブルジョアジーはハイセキ(排斥)しろだってさ」(共産主義者や労働運動に参加している人を馬鹿にするような、資本家(ブルジョアジー)の階級に属する人の発言に読める。特定の思想をもつ人やある階層の人々を馬鹿する発言の例文は、教育的に問題がある)

「418・あいつらがサンニュウ(参入)してきてややこしくなったんだ」(特定の人々や集団を排斥するヘイト的内容の話し言葉である。教材として不適切)

「527・高校野球で大切なのはレンタイ(連帯)感であり、個ではない」(偏向した一方的な決めつけの例文内容で、教材としてやや不適切。高校野球ではチームの連帯以外に個の大切さも必要である。「連帯」のみの強制で、高校野球指導にて体罰・イジメが横行する今日的な問題も考えるべき)

「605・タンテキ(端的)に言えば、私と別れたいってこと?」(恋愛上の女性の話し言葉であり、俗っぽい。教材として不適切)

「646・彼女は彼が転ぶのを見てカイサイ(快哉)を叫んだ」(他人の不幸を喜ぶ反倫理的な内容の例文である。教育的に問題あり)

「672・すまない。君のことがワズラ(煩)わしくなったんだ」(恋愛上での相手拒絶の発言と思われ、話し言葉で俗っぽい。教材として不適切)

「683・ちょっとユダン(油断)するとすぐ浮気するんだから、もう」(605同様、恋愛上の女性の話し言葉であり、俗っぽい。教材として不適切))

「697・コイ(故意)に転んで、好きな女の子の気を引こうとする」(「好きな女の子の気を引く」ためにわざと転ぶなど危険行為であり、周囲に者にも迷惑がかかり問題である。例文内容が教材として不適切)

「766・インネン(因縁)つけといて、そのまま帰れると思うなよ」(ヤクザやチンピラが言うようなせりふで反社会的な例文である。教材としてかなり不適切)

「776・フキュウ(不朽)の名作『戦争と平和』はサイコーっすねぇ」(カタカナ表記と語尾の「サイコーっすねぇ」が明らかにフザケている。本当に「戦争と平和」を最高と思って、ほめているとは読み取れない。からかい口調の文章で不適切)

「803・あいつは今もマルクスをキンカギョクジョウ(金科玉条)としている」(現在、マルクスを読んだり学んだりしている共産主義者を馬鹿にするような内容の例文である。特定の学派・思想を馬鹿にしたり一方的に非難するのは、教育的に問題がある)

「853・孔子の言葉は、いつの時代もシゲン(至言)である、ってさ」(776同様、末尾の「ってさ」でフザケており、儒家の孔子を馬鹿にしているように読み取れる。からかい口調の文章で不適切)

「1036・彼がチョウラク(凋落)する日も近いさと男は嬉しそうに笑った」(646同様、他人の不幸を期待して喜ぶ反倫理的な内容の例文である。教育的に問題あり)

「1192・画像は消去した。これで証拠のインメツ(隠滅)は完璧さ」(「画像消去で証拠隠滅」は犯罪行為である。反社会的な内容の例文で、教材としてかなり不適切)

「1144・ヒサイ(被災)地からの映像に親戚のおばちゃんが映っていた」(自分の身内の不幸を口外し進んで皆に知らせるような不謹慎な内容の例文で感心しない。教材としてやや不適切)

「1260・ヨコシマ(邪)な考えを彼女に見抜かれちゃった。えへっ」(末尾の「えへっ」がフザケており、話し言葉で俗っぽい。教材として不適切)

大学受験参考書を読む(100)二戸宏羲「現代文テーマ別 頻出課題文集」

大学入試の現代文は常に初見の問題文なので、受験生は何から出典の評論文と小説が出題されるか予測できず毎回、試験のその場で考えて現代文の問題を解くしかない。この意味で現代文は事前の知識よりも、その時々での読解の思考が試される科目といえる。

結果ひどい話が、評論と小説ともに毎回問題となる出典文章が違う現代文には試験前にできる対策はない、現代文の試験対策として事前にやれるのはせいぜい漢字や慣用句の語句知識習得だけといったことになる。

だが、やり方はある。毎回出題出典が違う入試現代文でも前もってやれる対策はある。それは評論文読解に際して、主要テーマや評論のキーワードの背景知識と基本知識をあらかじめ知って自分の中にインプットしておくことだ。そうすれば初見の評論であっても、テーマとキーワードに応じた評論要旨が事前に予測でき、既知の事柄を踏まえながら問題文に当たれて、初読で早く深く内容理解して読める。

例えば、近代化論における「近代(化)」「脱近代(ポストモダン)」、貨幣論におけるマルクス主義の資本主義批判と、現代思想の記号論を背景にした価値生成理論の概要など、それぞれ入試現代文で頻出テーマの背景知識、また「イデオロギー」「ジェンダー」「文化多元主義」らの評論文でのキーワードの意味内容を事前に知って評論文を読めば、初読で難解な抽象的文章であっても、そこそこ対応できる。むしろそれら主要テーマや評論のキーワードの背景知識と基本概念を全く知らず、いきなり入試現代文の評論問題を読んだら何を書いているのかワケが分からないことになると思う。

以上のことは入試の現代文読解以外での、一般の読書論のアドバイスにても同様で、「それだけで終わらせずに、共通テーマの論文・書籍を必ず連続して複数読め。そうすればテーマの全体像や考察の背景、繰り返し使われている概念用語の内容が如実に分かって、より深く理解できる」「世間一般に有名な代表作だけでなく、その作家の個人全集を最初から最後まで時系列で全巻読め。そうすれば書き手の考え方から人となりや嗜好(しこう)、癖(くせ)まで分かって、作品をより深く理解して読めるようになる」などとよく言われる。これらは主要テーマや評論のキーワードの基礎的な背景知識をあらかじめ知っていれば、入試現代文の評論問題にて初読で難解な文章であってもそこそこ対応できる、の原理に通じる事柄であると思う。

駿台文庫、二戸宏羲(にと・こうぎ)「現代文テーマ別・頻出課題文集」(2010年)は、入試現代文の評論問題に挑(いど)むに当たり、それら主要テーマや評論のキーワードの基礎的な背景知識を事前にインプットしておく参考書として最適である。かなりの冊数の幅広い各テーマの評論文の読み所を抜粋し集中して載せているので、大した読書経験がない受験生でも、これ一冊を読むだけで昨今の入試現代文の評論テーマの定番の背景知識と頻出概念用語の概要ならびに傾向のトレンドを手っ取り早く知ることができるのである。

本書は「××を巡(めぐ)って」の見出し別に全16テーマに分けられており、テーマ内容は「第Ⅰ章・今日的テーマ」として近代化、科学技術、情報化社会、環境と生態系など。「第Ⅱ章・普遍的テーマ」として文化と文明、日本と日本人、時間、人間のこころ、芸術、文学らの各論典型の代表論説が掲載されて全部で80の評論文抜粋である。本参考書1冊を読むだけで、すでに80冊の書籍を読み重ねた程の感触が得られて非常に効率的である。

構成は見開き2ページの完結で、右ページには(おそらくは)大学入試過去問の評論問題文の抜粋(ただし設問はなし)、左ページにはテーマ(「切り口」「モチーフ」)と要旨のまとめ(「考察」)と重要語句の解説(「語彙」)、漢字の確認(「漢字の書き取り」)、読解をより深めるための問いかけ(「考えてみよう」)がある。

二戸宏羲「現代文テーマ別・頻出課題文集」のタイトル頭には、「入試までに必ず読んでおきたい」の文言が付いている。まさしく本書は「入試までに必ず読んでおきたい」のであって、本参考書を読んで主要テーマや評論キーワードの背景と基本知識の概要ならびに傾向を事前に知った上で、入試現代文の評論問題に臨むのが最良(ベスト)である。

大学受験参考書を読む(99)「鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁」

近年、街の書店でよく見かけるようになった鉄緑会の書店売り大学受験参考書である。鉄緑会は東京と大阪で展開する東京大学の受験指導を専門とする予備校である。当会公式の肩書名称は「東京大学受験指導専門塾」となっている。鉄緑会の「鉄」は東京大学医学部の同窓会組織である鉄門倶楽部から、「緑」は東京大学法学部の自治会である緑会からそれぞれ一文字とって「鉄緑会」となっている。

ゆえに受験指導の講師は、過去に自身も東大入試を突破して受験傾向を知悉している東京大学の学部生および院生か卒業生であり、鉄緑会に入会できるのも主に中高一貫の有名進学校の、最初からある程度の学力がある東大入試で勝負できる学生であるという。鉄緑会に入会のために事前の厳しい、出身高校に関する書類選考か入塾テストのような学力審査があると思われ、東大合格する以前に、まずこの鉄緑会に入会するのが相当に困難だと思われる。門戸が狭い、選ばれた受験生しか入れない少数精鋭の「東京大学受験指導専門塾」といったところである、鉄緑会は。

こうした門戸が狭い、選ばれた受験生しか入れない少数精鋭の「東京大学受験指導専門塾」のブランドネームのプライドの高さがあるためか、全国書店売りの大学受験参考書であっても鉄緑会の書籍はかなり高額である(苦笑)。

先日、「鉄緑会・東大英単語熟語・鉄壁」(2009年)を購入し一通り読んでみた。本書は全666ページ。英単語と英熟語が類義のテーマ別に全セクションで50に分けて掲載されている。単語の原義や英熟語の成り立ちがイラストのイメージ図、便宜の一文アドバイスなどにより、丸暗記に頼らず意味づけて効果的に覚えられるよう大変に工夫された編集である。

ただ私が読んだ感触では、特に東大受験に絞って東大英語での過去問頻出のものや、東大の問題作成者が好んで実は毎年、重複してよく出されている英単語・英熟語を調べ上げて載せた「東大英語に特化した東大入試専用の英単語・英熟語集」とまでの熱は正直、感じられない。だから、本書は特に東京大学志望者ではなくても、東大以外の他大学受験予定の学生が使っても非常に有用であり、全く問題ないと思われる。

「鉄緑会・東大英単語熟語・鉄壁」の問題点をあえて言えば、大学受験英語で昔から定番の英単語・英熟語は大変に細かく掲載され万全であるが、時事英語でよく使われるような最新のトピック語・流行語・新語、特定分野の専門語・業界語の掲載が少ない。また全体に動詞が多く、逆に名詞の収録が少ない。あと定価¥2100で書籍として高額であるというのが気になるところではある。

大学受験参考書を読む(98)森一郎「試験にでる英単語」

森一郎「試験にでる英単語」(1967年)は、昭和の時代から今日まで増版され続けている受験用英単語集のベストセラーである。通称「でる単」「しけ単」。1967年の初版発行で、2011年8月時点で何と!累計1488万部。著者の森一郎は元は英語教師で都立日比谷高校で教鞭をとり、東大進学指導で高い合格率の実績を挙げていたという。

「試験にでる英単語」以前の従来の英単語集は、主に英字新聞や英語書籍でよく使われる英単語をピックアップし、収録語はアルファベット順で掲載されるのが常であった。しかし、著者の森一郎は、大学受験の試験問題解答に求められる語彙(ごい)と、英字新聞などを読む際の英語文化圏での日常生活で求められる語彙にはへだたりがあることに気付き、また学習効率からすれば多くの従来書のようにアルファベット順ではなく、出題頻度順に掲載するほうが望ましいと考えた。これらの点を踏まえ過去の試験問題を徹底調査し、最も重要な頻出単語から順番に配列して出版されたのが本書であり、この執筆編集コンセプトが「試験にでる英単語」となるわけである。なるほど、英字新聞などを読む際の英語文化圏での日常生活で求められる英単語ではなくて、日本の大学受験英語の「試験にでる英単語」であるのだ。

「試験にでる英単語」の「まえがき」によると、本書は「明治35年以降、大正時代を経て昭和50年の現在に至る約70年間の新制大学・旧制大学・旧制高等学校・旧制高等専門学校の入学試験問題を手元に揃(そろ)え、十数年間にわたって独自の方法で分析調査し整理した結果でき上がったもの」であるという。初版が1960年代の昭和の時代なので、当時は現在のようなコンピューター集計やAIの自動解析による頻出別・重要度順の「試験にでる英単語」のあぶり出しではなくて、著者の森一郎が全て手作業でデーター整理作業を行っていたと思われる。

そういった並々ならぬ、人知れずの相当な苦労が著者の森一郎にあったであろうことから、本書に対する森の思い入れと自信はかなり強いらしく、本書の「まえがき・改訂に際して」にて著者の森一郎は、全国読者の受験生からの難癖・クレームまがいの「質問」にも案外、律儀(りちぎ)に真面目に、時にキレながら(笑)いちいち答えているのが今読み返すと面白い。例えば、

「あなたは、technology、reverie、snobbish、antipathy、frustration、その他多くの重要な語が従来の英単語集に入っていないと言っておられるが、ぼくの持っているA社の単語帳には、そのほとんどがちゃんと収録されている。だからあなたは大うそつきである。…あなたのうそには我慢ができない。著者としての責任ある答えを望む」(「質問・その4」)

という読者からの「大うそつき」呼ばわりの挑発質問に対し、「本書が世に出る以前の大ベストセラーのブームになる前の英単語集には、当時は確かにtechnology、reverie、snobbish、antipathy、frustrationらの語を掲載した書籍はなかった。私の『試験にでる英単語』が売れて、本書での『technology、reverie、snobbish、antipathy、frustration…ら試験に頻出の重要単語が収録されていない』という私の指摘を他の出版社が読んで知り、改訂してそれら単語をそっくりそのまま後日に収録したのである。だから私は大うそつきではない」旨の質問回答を紙上にて森一郎はしている。いちいち真面目に対応する必要もないクレーム質問だとは思うが、それに律儀に答えているのが読んで何だか馬鹿らしい(笑)。

また

「先生のお書きになった英単語集は、あまり多くの人たちが持っているので、大学の先生方もこの本をお調べになって、将来はこの本の中にある単語を試験に出さないようになるのではないでしょうか」(「質問・その5」)

というような妙に心配性すぎる(笑)読者からの質問もある。これに対し、「いったい英単語の中から、本書に収録した単語とその訳語を取り去ったら、何が残るだろうか。それこそ空気を抜いたボールのように、あるいは電池の入っていない懐中電灯のように」云々とこれまた真面目に相手をして著者の森一郎は紙上にて質問回答している。つまりは「『試験にでる英単語 』に掲載されている単語は文章を構成する上で絶対に欠かせないもので、本書に載っている語を使わずに英文記述することなど到底不可能だから、本書に収録してある単語とその訳語がわざと大学受験の英語問題からあらかじめ回避されることはない」と森一郎は言うのであった。それは当たり前だろ(爆笑)。

「『試験にでる英単語 』が売れに売れて、あまりに多くの受験生が持っているので、出題する大学側が将来はこの本の中にある単語をわざと試験に出さないようにする」とか常識的に考えてあるわけないだろ!いちいち真面目に対応する必要もない変に心配しすぎる質問で、それにこれまた律儀に著者の森一郎が答えているのが読んでいて、やっぱり馬鹿らしいのである(笑)。

森一郎「試験にでる英単語」を、私は受験勉強時に使ったことはなかった。高校の副教材で購入させられていた別の英単語集と熟語集でずっと英語の勉強をしていたから。受験が終わって無事に大学進学した後に、本書を改めて入手し初めて読んでみた。確かに、大学受験英語を読む上で必須の絶対に知っておかなければならない定番の英単語が頻出別・重要度順に効率よく掲載されていて、非常に有用である。

英文解釈にて知らない語が出てきた場合、パニックにならず、すぐに諦(あきら)めずに、前後の文脈の因果関係や対立や反復・同義の構造を見切る、接頭・接尾語の原義から推測する、似たスペルの単語を連想して意味の当たりを付ける…など、様々なテクニックがあるが、最初からその英単語の意味を普通に知っていれば、スムーズに英文が読めるのも確かである。より多くの英単語の意味を常日頃から広く知っているに越したことはない。そういった意味で、昭和の時代から今日まで増版され続けている受験用英単語集のベストセラー、森一郎「試験にでる英単語」を手元に置いて読んでおくのは、なかなか有効だと思われる。