前回からの続き。
(以下、短編集「エラリー・クイーンの冒険」(1934年)の核心トリックに触れた「ネタばれ」です。クイーンの「エラリー・クイーンの冒険」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)
「見えない恋人の冒険」は、美徳があり周囲の皆から好印象の人物が、第一級殺人の罪に問われて収監される。彼が所有の銃から発射された銃弾の条痕(じょうこん)と殺害された被害者の身体を貫通した銃弾のそれとが一致したのである。これは「彼が犯人」であることを指し示す決定的物的証拠であったが、結末は、この殺人事件を捜査する警察の検視官で、遺体を埋葬する葬儀屋でもある男が、皆から好印象の人物と、ある一人の女性をめぐる恋のライバルで(だが、密かに心を寄せて周囲の者の誰もが、検視官で葬儀屋である彼の恋心を知らなかったので、その男こそは「見えない恋人」というオチ)、恋愛ライバルの相手に殺人の罪を着せ陥(おとしい)れるために仕組んだものであったのだ。
この場合、銃弾が被害者を貫通せずに体内に弾丸が残っていれば、検視官で葬儀屋の彼が検視の際に銃弾のすり替えが秘密裏に処理できるので「完全犯罪」は成功であったが、たまたま銃弾が被害者の身体を貫通し、その現象から細かな矛盾に気づいたクイーンにより、検視官の犯罪もくろみが暴露される。本文記述によれば、銃弾が体内を貫通したことが「天の配剤(悪業は、必ず最後には露見して罰せられること)」というわけである。
ところで、探偵小説にて絶対に遵守されなければならない20の規則を以前に挙げた、「ヴァン・ダインの二十則」に「探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない」というのがある。クイーンの「見えない恋人の冒険」を初めて読んだ昔から本作に関しては、「捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない」の原則に反しているように思う。「そりゃ警察の検視官が犯人なら、殺人遺体の体内から取り出した銃弾の条痕などいくらでも細工で改変して、無実の第三者に罪をなすりつけることは容易にできるだろう。でっちあげの冤罪(えんざい)の末の完全犯罪など、捜査員の一人が突然犯人に急変すれば、とても簡単」に思えて、クイーン「見えない恋人の冒険」にはアンフェアで残念な読み味がいつも残る。
「チークのたばこ入れの冒険」は、地味だがエラリー・クイーンの本作中での犯人を辿(たど)る発言と思考が終始、論理的で合理的である。アパートで殺された男性のそばにたばこはあるのに、たばこ入れが見当たらない。と同時に、このアパートで連日、宝石盗難の事件が続発している。盗まれた宝石は紙たばこに巻いて、チーク木材のたばこ入れに窃盗犯が隠していたのだが、そのチークのたばこ入れをめぐり、チークのタバコ入れで似たものが2つある、殺人被害者と非常に似た容姿の兄がいる、などの事柄からエラリー・クイーンが極めて合理的に推論をめぐらし、最後に「Q・E・D(証明終わり)」と告げるクイーンの鮮(あざ)やかさである。また本作では最後の一行で「真犯人は誰か!?」、読み手のほとんどがの人がノーマークで意外な人物が犯人で、初読の際に多くの人が少なからず驚くはず。
「双頭の犬の冒険」は、嵐の晩の旅行中にクイーンが立ち寄った宿屋で出くわす怪奇な殺人の話である。宿の主人が船長と称する、「双頭の犬」という名称の風変わりな建物の宿屋で、以前に犬を連れて投宿した宝石泥棒がそのまま行方不明となり彼の犬は殴打で殺され、それ以来、この部屋に夜な夜な明らかに人間の立てる音ではない、すすり泣くような異様な幽霊の声が聞こえるというのである。
本作の中でエラリー・クイーンはアメリカの作家、エマーソンの言葉を引用し、「知識というのは恐怖の解毒剤」(註─知識があれぱ無駄に恐怖することなく、合理的解釈で正しく理解できるの意)と述べる。話の前半で、「夜な夜な明らかに人間の立てる音ではない、すすり泣くような異様な幽霊の声」の非合理な怪奇話で長く引っ張って、それは実は以前に投宿して姿を消した宝石泥棒は、同じく「双頭の犬」の宿に泊まっていた金物商の出張商人の男に殺害され宝石を略取されて、しかも彼は金物商であるので床板を外す道具や遺体の腐乱防止の生石灰を持っていたため、殺害した宝石泥棒の遺体を宿の床下に隠したのである。それで宝石泥棒が連れていた犬は殺された1匹だけと皆は信じていたが1匹だけでなく、最初から2匹で実は逃げたもう1匹の犬がいて、その生き残りの犬が、床下に埋められている宝石泥棒の主人の遺体に夜ごと引き寄せられ、床を爪で引っ掻いて悲しく吠(ほ)えるので、それが「夜な夜な明らかに人間の立てる音ではない、すすり泣くような異様な幽霊の声」に聞こえていたという怪奇の合理的な解決である。そして偽物の宝石をつかまされた金物商の男が、床下の遺体を再び掘り返そうとした時に、彼は「殺害された主人の仇(かたき)」とばかりに、犬に襲われ亡くなってしまう。
この短編の怪奇話のミソは、「明らかに人間の立てる音ではない、幽霊の声」が、獰猛な飼い犬のそれであり、皆が犬は1匹だと思い込んで、すでに殺されているはずなのに、実は元から2匹いて、その生き残りの1匹という真相であった。なるほど、本短編のタイトルは「双頭の犬の冒険」であり、「双頭の犬」は殺人が起きた宿の屋号であるばかりではなく、「双頭」で「実は犬は2匹いた」のネタばれが最初から堂々とさらされているわけである。そして読み手は、最初はこの「双頭の犬の冒険」タイトルに何とも思わないが、読了し結末まで知ると、「確かに『双頭の犬』だわ(笑)」と妙に納得する絶妙な仕掛けとなっている。そうした宿屋の屋号と今回の一連の事件の核心的事実での「双頭の犬」の符号に関しては、本作ラストにてエラリー・クイーン君も触れている。
「ガラスの丸天井付き時計の冒険」は、事件を解決したエラリー・クイーンに言わせれば、「あまりにも簡単で」「きわめて初歩的なものだ」ということになるらしい。事件は、殺害された骨董品店の店主が死の間際に、殺人犯を皆に知らせようとするのだが、加害者の名を記す筆記用具がなかったために、店内にある水晶と古時計(「ガラスの丸天井付き時計」)を用いて半死半生の中で犯人を暗示する暗号を残した。本作は「ダイイングメッセージ(死者の伝言)」を読み解くタイプの推理短編である。だが、これは犯人が別の関係者に犯罪の濡れ衣を着せようとし、被害者によるものと思われたメッセージに細工する。しかし、この殺人被害者が2月末の閏年(うるうどし)に誕生日で、暦上は4年に1歳しか年をとらない、ないしは通常の人と同等に年を重ねるのに4倍の歳月がかかってしまうという特殊事例があったために、エラリー・クイーン君に犯罪を露見されてしまうという話である。この推理の論理の過程は細かいので、ぜひとも本作を精読して各自で確認してもらいたい。確かに犯人推理の過程に破綻なく、言われてみれば一貫して簡単で、ある意味地味だが本格推理な短編である。
「七匹の黒猫の冒険」は、猫ぎらいのアパートの老婦人が猫嫌いなのに、なぜか毎週一匹ずつ黒猫を買い求めるという、まだ殺人や盗難の事件は発生していないが明らかにおかしい、いわゆる「奇妙な発端」から始まる事件である。その老婦人の妹は猫好きで、資産を持っている姉を頼る他なく姉のもとに身を寄せているが、姉妹の間は険悪でいつも争いが絶えない。その話を聞いてクイーンが老婦人のアパートを訪ねると、姉妹は行方不明で、一匹の黒猫は頭を砕かれ殺されているし、他の六匹の猫もかまどで焼かれて骨になっていた。人間消失と動物虐待の殺伐(さつばつ)とした「奇妙な発端」の典型事件である。
ネタばれすれば、老婦人の姉は険悪な仲の妹が自身の財産相続を狙って、毎日の食事に毒を盛っていると信じて疑わず、猫嫌いの姉は自分の命の防御策として毒見役に黒猫を使っていたという、読み進めてみれば、かなり殺伐とした救いようのない話で(苦笑)。同じ一つ屋根の下で姉妹で同居しながら、互いに不信で殺害される恐れまで疑っていたとは世も末である。クイーンらの捜査の過程で後に老婦人の姉の遺体が見つかり、行方不明となっていた妹も殺害されたであろうことが予測される。ならば姉の食事に毎度、毒を入れて毒見役の黒猫六匹を殺したのは一体誰だったのか!?
実は姉の食事に毒を混入していたのは妹ではなく、老姉妹の部屋に出入りしていた管理人の男であった。彼が毎度食事に毒を入れていたのだが、老婦人の姉の防御で黒猫の毒味があったため目的の毒殺が果たせず、ついには毒見役の黒猫を六匹殺した末に、今度は毒混入の方法を変えて、食べ物の中にではなく、ナイフ、フォークの食器に毒を塗って老婦人の毒殺を果たす。この場合、毒味役の猫はナイフ、フォークの食器を使って食べないから七匹目の毒見役の黒猫は死なない。それで最後は「七匹(目)の黒猫」は従来の毒殺ではなく、例外的に頭を砕かれ管理人の男により殺されたというわけ。
それにしても殺害された老婦人の姉は、「財産目当ての妹に毒を盛られた。私は妹に殺された」と思い無念のうちに亡くなったであろうし、本作の読者も途中までは「食事に毒を入れていたのは同居する妹だ」と、書き手であるクイーンの周到なミスディレクション(誤誘導)により一度はダマされる。しかし最後の最後で「妹が犯人」のハシゴを一気にはずして、読者のほぼ皆がノーマークであったであろう「管理人の男こそが毒混入の真犯人である」と指摘して読み手を驚かせるのである。作者のクイーンの、この手並みの鮮やかさと来たら!
劇中の探偵のエラリー・クイーンを始め、本短編を最後まで読んだ読者の私達は、「老婦人の妹が姉を毒殺の犯人でなくて、別の人で良かった。同じ一つ屋根の下で姉妹で同居しながら、互いに不信で殺し合うとは世も末」の悲しい気持ちが少しは救われて回復される。老婦人の毒殺と七匹の黒猫の殺害は、同居の妹ではなくて、別の人物で本当に良かったと、私としては読了して少しだけホッとする結末の「七匹の黒猫の冒険」である。
クイーン「エラリー・クイーンの冒険」所収の全10編の内、特に出来が良いのは、ドイルのシャーロック・ホームズ「六つのナポレオン」(1905年)とポー「盗まれた手紙」(1844年)への敬意を評したオマージュ的短編の「一ペニイ黒切手の冒険」。怪奇の合理的解決と実はタイトルが、すでにネタばれになっていて読了後に痛快な「双頭の犬の冒険」。あとは、探偵推理における「奇妙な発端」の典型話で、姉妹の不仲と動物虐待な話で殺伐として救いようのない内容ではあるが、ラストでの真犯人の発覚で少しだけ(少なくとも私は)救われた気になる「七匹の黒猫の冒険」あたりである。













