アメジローのつれづれ(最新)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

江戸川乱歩編「世界短編傑作集2」

江戸川乱歩が編纂(へんさん)のアンソロジー「世界短編傑作集」全5巻の軽い感想など。今回は第2巻について。

(以下、江戸川乱歩編「世界短編傑作集2」収録短編の核心トリックに触れた「ネタばれ」です。「世界短編傑作集2」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。

第2巻はルブランのリュパン・シリーズ「赤い絹の肩かけ」から始まる。これは短編リュパンのなかでも、かなり上位に位置する好編だと思う。リュパンがガニマール警部を誘い出す「意外な発端」のオープニング、リュパンが殺人事件の遺留品の片方を警察に渡して、ガニマールをまんまと利用する本編の展開、そして最後にガニマールから拳銃を突き付けられ退路を絶たれるも、リュパンがハッタリをかまして軽く逃げおおせてしまう痛快なラストまで、もう全ての記述に無駄がない。まさしく「世界短編傑作」だ!未読な方は是非。

ポースト「ズームドルフ事件」は、近代文学たる探偵推理の理想型のような作品である。密室殺人で、外部から密閉された部屋で男が銃で射殺されるわけだが、さんざん宗教的呪いや神による罰など前近代の呪術的なものを振りまわして作者が読み手を翻弄する。しかし、最後はしっかりとした科学的(正確には化学的)で合理的な説明記述にて密室射殺事件の謎を見事解決に導く。

「近代文学たる探偵推理小説の掟」として、例えば密室殺人の場合、遠方外部からの超能力とか、呪術による呪い殺しとか、人間には全く理解できない人智の到底及ばない神の力とか、そのような前近代的なもの持って来て話を終わらせるのは明らかにペテンで許されない。必ず合理的で現実にありうる説明が必要である。そうでないと事件を「解決」したことにはならない。それで、この「ズームドルフ事件」は極めて合理的な、誰もが「なるほど」と納得できる密室殺人の「解決」を最後に作者が周到に用意している。だから本作は「近代文学たる探偵推理のお手本」といえる推理小説の基本中の基本な短編といえる。

フリーマン「オスカー・ブロズキー事件」、これは色々なアンソロジーによく収録されている定番な短編である。倒叙もので、最初に書き手が犯行の過程を丁寧に書いて、読み手もあらかじめ犯人がわかっていて、それから探偵なり刑事が犯行現場や容疑者の何に気づいて、何に引っかかり、どのようにして犯人を追いつめていくのかが読み所の推理小説である。例えばテレビドラマ「刑事コロンボ」が、まさに倒叙形式に当たる。本作は第1部で「犯罪の過程」、第2部で「推理の過程」の全二部構成になっていて、探偵役の主人公(ソーンダイク博士)が、いわゆる「魔法の箱」を常に携帯しており、その中に小型の顕微鏡やら試験管やらが入っていて、事件現場で即座に遺留品の分析をやって最終的に犯人にたどり着く。緻密(ちみつ)な科学推理小説である。

ホワイトチャーチ「ギルバート・マレル卿の絵」と、クロフツ「急行列車の謎」は、共にいわゆる「鉄道もの」だ。昔は、まだ自動車や飛行機がなくて公共の移動機関として船か鉄道が主で、特に鉄道に対する人々の期待や関心が高かった。それで探偵推理で「鉄道もの」といえば、列車そのものが消える(列車消失)か、動いている列車の密室状態の客室で殺人が起こるパターンが多い。前者の「列車消失」が「ギルバート・マレル卿の絵」で、後者の「列車客室での密室殺人」は「急行列車の謎」にそれぞれ該当している。

全体的な読後の感想として、この第2巻は「機械トリック」が多い。電気やら火薬やらの機械的な仕掛けを施して遠隔から人を殺そうとするものだ。結局、機械トリックというのは、書く人にとって便利であると思う。話の前半で、いくら犯罪に関する不可能性=「容疑者全員にことごとくアリバイあり」の謎の大風呂敷を広げておいても、科学的な機械トリックを最後に持ってくれば必ず合理的に難なく無難に事件を解決できるから。犯罪に関する謎を無理なく回収して見事に着地点に持っていける。しかし、読む方としては機械トリックというのは無味乾燥で面白くない。

例えば、本巻に収録のベントリー「好打」。ゴルフ場でのグリーン上での遠隔殺人である。ネタばれで申し訳ないが結局、ゴルフクラブに事前に細工をしてクラブのヘッド部分に爆薬を仕掛けておいて、被害者が球を打って「好打」のナイスショットの瞬間に爆発して爆死。私としては、「あーそうですか」のような(苦笑)。その他にも、本巻収録作品には機械トリック多い。ブラマ「ブルックベンド荘の悲劇」も、コール「窓のふくろう」も電気や鉄砲を使った機械トリックだ。短編というのは字数が短く制限されているので執筆するのが難しいのだが、さんざん謎の風呂敷を広げておいて、最後に機械トリックに収斂(しゅうれん)させて終わらせるのは安易で無味乾燥で私は読んで正直、辛(つら)いのである。

やはり「機械トリック+アルファ」で、機械トリック以外にも、さらなる別の要素を加える創作の工夫がないと。そのようなことを何となく感じさせる江戸川乱歩編「世界短編傑作集」の第2巻である。

このブログ全体のための最初のノート

今回から新しく始める「アメジローのつれづれ」(※以前に別の場所でやっていたブログ記事をそのまま移動しているため全く同じ文章があります。しかし、それは赤の他人の第三者によるコピーとか盗作・剽窃(ひょうせつ)ではありません。当ブログを書いているのは前のブログ主と同一人物です)

本ブログ「アメジローのつれづれ」は全三部よりなります。第一部は「生活のたのしみ」、第二部は「音楽のたのしみ」、第三部は「読書のたのしみ」。

第一部の「生活のたのしみ」は、現在の日々の生活(ライフスタイル)について。最初は精神態度とかバイクとかファッションなど私の基本の生活スタイルである、いわゆる「モッズ」についての特集「モッズな生活」から。そして過去に遡(さかのぼ)って、以前に私は京都に住んでいたことがあるので特集「京都喫茶探訪」。昔よく行った京都のタンゴ喫茶「クンパルシータ」の思い出など。

第二部は「音楽のたのしみ」で、スカパラについての特集「東京スカパラダイスオーケストラ大百科」、つづいてYMO(イエローマジック・オーケストラ)に関する特集「YMO伝説」、さらには特集「フリッパーズ・ギター・小沢と小山田」「天才・岡村靖幸」「ピチカート・ファイヴの小西康陽」「懐かしのルックアウト・レコード」など。

第三部は「読書のたのしみ」。別ブログ「アメジローの岩波新書の書評」で収録できなかった岩波新書以外の書籍に関することを。まずはトキワ荘出身漫画家で私が大好きだった寺田ヒロオの「テラさん」についての「特集・寺田ヒロオ」から始めて、日本探偵小説界の巨星・横溝正史と江戸川乱歩の特集「再読・横溝正史」「江戸川乱歩・礼賛(らいさん)」。加えて海外の探偵小説・ミステリーの「シャーロック・ホームズ」「アルセーヌ・リュパン」「エラリー・クイーン」ら諸探偵の短編集の書評を。それから日々愛読している太宰治全集より特集「太宰治を読む」、そして比較的長いシリーズ「大学受験参考書を読む」へ。

お探しの記事やお目当ての特集は、本ブログ内の検索にて特集タイトル(の一部フレーズ)を入力でサーチをかけて頂くと出てきます。

京都喫茶探訪(1)クンパルシータ

今回から始まる新シリーズ「京都喫茶探訪」である。以前に京都でよく行った純喫茶のことなどを。ただ昔よく行った喫茶店への私の思いを書いているだけで、「あの店の由来や歴史はこうで」のタメになる話や「得々メニューはこれだ!」のようなお薦め情報はないので、読んでいて正直うっとうしいと思う。一般に他人の私的な思い出話ほど第三者が聞いて本当にどうでもよくて、なおかつうっとうしいものはないので。だが、このブログはほとんど人が来ないから(笑)。人に読んでもらうのが目的ではなく、自分のためだけに書いているので、それがせめてもの救いだ。

以前、京都の木屋町に「クンパルシータ」というタンゴ喫茶があった。昼間は開いてなくて夕方から深夜に開いている喫茶店だった。映画館でレイトショーを観たり、晩飯を食べて一杯やった後によく行っていた。何だか好きで本当に頻繁に寄っていた、クンパルシータには。

狭い路地の風俗店に囲まれた場所にあるので、呼び込みのオッサンの「どうですか?サービスしますよ」の怪しい勧誘の声を毎度かいくぐって(笑)、クンパルシータのドア開ける。左手にカウンター兼厨房の小さなスペースあって、カウンターの上壁に飾りでトランペットが置いてあり、さらにカウンターの奥にオーディオセットが見えて(といってもCDプレイヤーはなく、アナログのレコードプレイヤーとカセットデッキだ)、店の左壁にトイレのドアがあって、そのドアの左手の電気のスイッチの辺りに藤沢嵐子の直筆サイン色紙が飾ってある。椅子は特注で作らせた赤い薔薇(ばら)のビロードのような高級な造りで、店の奥の中央に暖炉があってテーブルは8つくらい。歩くと硬い床が上品にコツコツと鳴る。店内の改装は昭和30年代に一度やったと言っていた。店内の様子を説明し出すとキリがないが、今でもハッキリ覚えている。店の感じとか空気とか、その時聴いたタンゴとか、もちろんコーヒーの味も。

女主人のママが一人でやっていて、コーヒー1杯を淹(い)れるのに時間がかかってね(笑)。先客がいるときは1時間待ちは普通。だが、昔は私も時間がたくさんあったので苦にならなかった。いつも一人で入店して本を読んだり音楽を聴いたりして、ずっと待っていた。近所に「みゅーず」という名曲喫茶でクラシックを聴かせる店があって、そこはコーヒーもすぐ出て来るしアルバイトの人も多くて、しっかりした店だったけれど、なぜか待たされるクンパルシータの方が好きだった。「コーヒーの濃さは、いかが致しましょうか?」と注文のときに細かく聞いて1杯ずつ淹れてくれた。コーヒーの味は苦いシブイ感じだ。私は常にブラックでしかコーヒーを飲まないので、苦いシブイ味のコーヒーが好きなのだ。

私がクンパルシータに通っていた1990年代当時、タンゴの音楽では正統より少し外れたアストル・ピアソラ(Astor・Piazzolla)やヨーヨー・マ(Yo-Yo・Ma)が流行っていて(おそらくCMや映画音楽にて彼らの楽曲が当時よく使われていたため)、だが、なぜか通ぶって藤沢嵐子や阿保都夫(あぼ・いくお)らをリクエストしていた。だいたい、まず嵐子さんを頼んでかけてもらって、その後、変則でわざと「美輪明宏お願いします」と言ったりして。私は、本当はタンゴには全く詳しくはないのだが(笑)。でも、よせばいいのに調子に乗って「やっぱり嵐子さんは上手いですね。嵐子さんだと安心して聴けますねぇ」などと言ったりするので、ママも「この人は、かなりのタンゴ好きな人」と勘違いされていたと思う。すみません。しかし、藤沢嵐子は当時から「かなり上手い」と思って私は好きだったのだけれど。最近は「歌姫」と呼ばれる人は多いが、私のなかで「歌姫」といえば真っ先に思い浮かぶのは藤沢嵐子だ。あと阿保都夫の「スキヤキ」(「上を向いて歩こう」)もクンパルシータで何度も聴いたな。阿保郁夫も本当に洗練されていて日本人の発声とは思えないくらい藤沢嵐子同様、実に巧(たく)みで上手いのだ。

ママともよくお話しした。もうだいぶ時間も経っているのでママとの当時の会話の内容もここに書いてもよいと思うけれど、敗戦後まもなくの頃、映画会社の人たちが店の奥でヒロポンをやっていて当時、店を一緒にやっていたママのお母さんが怒った話。敗戦後まもなく京都四条の美松会館付近の闇市にカレーライスを食べに行った時の話。まだ大映でスターとして売れる前の勝新太郎がクンパルシータの店に来て、店の公衆電話で話す「もしもし勝だけど」の声が聞こえて来て「勝って変な名前だなぁ」とママが思っていたら、勝新太郎が「僕はタンゴよりもジャズが好きでねぇ」と言った話。あとは市川雷蔵の話なども。あの頃は周防正行監督の「Shall ・Weダンス? 」(1996年)が劇場上映された時代で、ママも昔はタンゴを踊る人だったらしく、それを観に行った時の話。映画の面白場面とあらすじを最後まで詳しく話してくれた。結構、繰り返し何度もね。

クンパルシータも今では閉店でもう行けないが、最近でもたまに思い出す、店の感じやコーヒーの味、当時聴いていたタンゴ、藤沢嵐子や阿保都夫の「スキヤキ」、そしてママのことを。特に藤沢嵐子はその後、普通にCDを購入して聴いたけれど、なぜかしっくりこない。家で聴いても車の中のカーステでかけても、これが不思議と駄目なのだ。嵐子さんを聴くのならクンパルシータに行って聴かないと。音楽も音楽みずから聴かれる場所を選ぶのか?

そういったわけで藤沢嵐子も久しく聴いていない。藤沢嵐子と「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の音源など。本当に今となっては去っていった昔の記憶だけ、懐かしくて楽しい思い出だけだ。後には実物は何も手元に残らない。クンパルシータは、嶽本野ばらの小説「カフェー小品集」(2001年)のなかにも出てくる。最後はセンチメンタルで懐古な感傷モードで非常に湿っぽく、誠にすみません。

モッズな生活(3)ホンダ ジョルカブ

最近、イギリスでの、いわゆる「モッズ」たちによるスクーター・ランの雑誌記事を見た。皆さん、かなりカスタムしてデコレーションを入れた状態のよい「ベスパ」(Vespa)や「ランブレッタ」(Lambretta)を所有していて、モッズ=「貧しい労働者階級のリアルな怒りの若者文化」というよりは「デザイナーや業界人など比較的裕福な階層による最新の流行ファッション」という印象を正直、私は持った。

いまやモッズといえば当たり前のように「べスパやランブレッタのスクーターが必須アイテム」のような話になっていて、その類のスクーターに乗っていると「あなたモッズですか?」とすぐ周りの人達に言われそうだが(笑)、もともとモッズの若者は最初から「スクーター好き」だったわけではない。本当はモッズも初めのうちは四輪の自家用車を購入して乗り回したかった。しかし、モッズは底辺の労働者階級の若者文化だから彼らに金なく、残念ながら車が買えなかった…だから車体価格が割安なスクーターに乗っていただけのことだ。

バイクに乗るとき排気ガスで自慢のモッズスーツが汚れるので、軍の払い下げのパーカーをモッズコートとして汚れよけに着ていたくらいお洒落には神経質だった若者たちだから、モッズな若者で金があったら普通にスーツが汚れない四輪の車を購入して乗る。事実、1960年代後半から四輪の価格が安くなり、自家用車人気が高まるとイタリアのランブレッタ社はバイクが売れなくなり、1971年にスクーター生産をやめている。

さてイギリス本国ではどうなのか分からないけれど、今や日本でベスパやランブレッタ所有するのは、かなり大変である。まず車体価格が高いし、しかも近所にべスパやランブレッタを扱う専門店などそうそうないし、部品調達や修理メンテナンスの面でおそらく素人には無理だ。またベスパは故障しやすい、たとえ新車でも一度バラして再度、組み立て直してから乗らないとすぐ不調になるのウワサ(真偽は不明)も時に聞く。

映画「さらば青春の光」とテレビドラマ「探偵物語」の工藤ちゃん(松田優作)の影響で「一度はランブレッタかベスパを所有したい」と思いながらも、メンテナンスの手間や車体購入の経済的負担の金銭面で思いかなわず、私は今デザインがべスパやランブレッタぽいホンダの「ジョルカブ」に乗っている。そんなわけで愛車の赤のジョルカブにフロント・キャリアとバンパーを付けてみた(画像のような感じ)。

さすがにフロント・キャリアとバンパー完備の赤のジョルカブに、モッズスーツとモッズコートを着用で街乗りして信号待ちなどしていると「おまえはモッズか?」「もしかしたら映画『さらば青春の光』やバンドのコレクターズのファンの方ですか?」のような、無言ないしは有言の車中や通行人からの声が時に掛かって困る(笑)。

ジョルカブは、見かけはジョルノのデザインにカブのエンジンを積んでいるので「ジョルノ+カブ=ジョルカブ」なのだが、ステップに4速のギアが付いていて、足元でガチャガチャやりながら走る操作性が面白い。また、エンジンがホンダの「カブ」だから汎用性が効いて交換・代替部品も豊富にあるし、近所のバイク店でオイル交換などのメンテナンスも気軽に日常的にできる。それに何しろホンダのカブは「ストップ・ゴー」を日常的に頻繁に繰り返す郵便や新聞配達の業務用バイクに採用されるくらい故障が少なくエンジンが強く、総走行距離もかなり長くまで行けて末永く乗れるらしいので、モッズな方で「一度はランブレッタかベスパを所有したい」と思いながらも思いかなわずな人に私は強くお薦めしたい。

ジョルカブはもう生産中止だが、まだ中古車で日本国内にてそこそこの車体数は流通しているし、価格的にもそこまで高騰の「幻の車種ではないらしいので、お薦めです。

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大学受験参考書を読む(67)秋山仁「数学講義の実況中継」

私が高校生だった1980年代に当時、駿台予備学校の数学科に在籍していた秋山仁の数学の大学受験参考書が流行ったことがあった。その時の秋山仁の数学参考書といえば、例えば駿台文庫「発見的教授法による数学シリーズ」全7巻(1989─95年。森北出版から2014年に復刻・復刊)や、「数学講義の実況中継・問題の戦略的解法」上下巻(1987年)などだ。

秋山の数学書籍が優れていたのは、漠然と何となくの慣れの手癖で解く数学ではなくて、「なぜそうなるのか」とか「より効率的で上手に美しく解ける方法はないか」を主体的に模索し工夫して考える数学の思考や発想法を教える数学だったから。後に私は気付いたが、秋山仁の数学参考書は丸善出版の古典の名作、ポリア「いかにして問題を解くか」(1975年)を(おそらくは)相当参考にしている。

高校生であった当時、私は学校で教わる教科書や副読問題集レベルの数学では校内の中間・期末テストでは高得点がとれるけれども、校外模試やそれこそ本番の大学受験の数学の入試問題にはほとんど対応できないことに気付いていた。実際に標準的な高校の普通科で通常カリキュラムとして教えられる数学と、校外の大学入試で出される受験の数学とでは明らかにレベルが異なる。大学入試レベルの数学の方が高校の通常授業での数学よりも遥(はる)かに難しい。そして、その難しさは「なぜそうなるのか」とか「より効率的で上手に美しく解ける方法はないか」を学生自身が主体的に模索し工夫して考えさせる数学であり、標準的な高校の普通科で通常カリキュラムとして教える数学は、毎度漠然と何となくの慣れの手癖で解けてしまう惰性の数学だった。

高校の数学の授業時に副読本として数研出版の「チャート式」シリーズを買わされて、私はよくやっていたけれど、あれは「漠然と何となくの慣れの手癖で解く数学」の典型であって、もちろん全くの高校数学の基礎が分かっていない学生は教科書ともども、そこから始めるしかないが、実はその教科書レベルのチャート式レベルの数学では、到底「数学を知っている」ことにならないし、「数学の本質を理解している」ことには全くならないのである。

最近よく聞く話で、「公文式の算数・数学をやっていた子どもは小中学生までは算数・数学が得意でよい成績を修めるが、高校の数学で突然に伸び悩んで大学受験の数学でつまづき失敗することが多い」というのがある。あれは公文式の算数・数学は、徹底した基礎計算の反復練習の指導だけであって、まさにチャート式の数学のような「漠然と何となくの慣れの手癖で解く数学」のみであるので毎度惰性で機械的に数学問題を解こうとし、「なぜそうなるのか」とか「より効率的で上手に美しく解ける方法はないか」を学生自身が主体的に模索し工夫して考える数学的思考や発想法の本質要素の育成に欠けているから、本当の意味での数学の学力養成に寄与しないのだと私は思う。

私の高校時代を振り返っても、例えば二次方程式があったとして、すぐに因数分解したり平方完成させたりしようとするし、その方法手順も手癖で覚えていてそれとなく出来るけれど、「なぜ二次方程式があったら即座に因数分解や平方完成しなければならないのか」そのことの意味を私は全く理解していなかった(笑)。本当は、「関数には(1)方程式で書き示す代数的アプローチと、(2)グラフで図示する幾何学的アプローチの2つがもともとあって、一般的に数式で示されているものは(1)の方程式で書き示す代数的アプローチであるから、それを(2)のグラフで図示する幾何学的なそれに移行する際の必要作業に因数分解や平方完成が該当するため」云々のことを根本から理解していなければ、「数学の二次方程式が本当に分かった」とか「二次方程式をそこそこ使いこなせる」ということには決してならないのである。

こうした「漠然と何となくの慣れの手癖で解く数学」(基本の最低限の基礎)と、「『なぜそうなるのか』『より効率的で上手に美しく解ける方法はないか』を主体的に模索し考える数学」(数学の本質)の2つの面からの習得が必須な数学において、後者の内容は特に重要であると思う。

秋山仁の一連の数学の大学受験参考書「数学講義の実況中継・問題の戦略的解法」らを最初に読んだ時、「これは数学の本質を受験生に教える主体的に考えて解く本格派の数学講義だ」と率直に思えた。ただし、秋山仁の大学受験の数学参考書のレベルは相当に高く、私には難しい(苦笑)。秋山の駿台文庫「発見的教授法による数学シリーズ」は、かなりの名著であるにもかかわらず長い間、絶版・品切れで多くの人が読めなかったが近年、森北出版から復刻・復刊されている。「やはり名著の名参考書は皆に切望されて、後によみがえるのだな」の納得の思いが私はした。

大学受験参考書を読む(66)板倉由正「エスカレーター式 日本史総合テスト7週間」

最近どうやら絶版の大学受験参考書が人気であるらしい。昔に定価で書店に並んでいた大学受験参考書が現在では絶版品切れの入手困難なために一時的に人気沸騰し、かなりの高額で取り引きされているというのだ。例えば、前に有坂誠人「例の方法」(1987年)という現代文の大学受験参考書があった。もともと定価¥750であるが、最近(2021年1月)テレビで本参考書が紹介されたらしく、その影響もあり本書は絶版品切れで入手困難であったため、昨今では定価の30倍の¥30000以上の価格がついてネット上の古書店などで取り引きされているらしい。

絶版・品切の入手困難な昔の大学受験参考書が投機の対象になって、それをせどりして高額転売したり、またそうした絶版参考書を「収集(コレクション)」と称して相当な金額にて買い集めたりするのは、正直私はよくないと思っている。「絶版の稀少本ならば高額になって当たり前。販売したい売り手と購入したい買い手がいて双方が合意の上であれば、どんな価格設定であろうとそれは合法的な経済活動の範囲だ」云々の、転売・せどりを容認する毎度の議論があるけれど、以前に例えば店頭で¥750で売られていたものを後に¥30000の値を付け販売して差額を手にするのは「合法的な経済活動の範囲内」で法律的には何ら罰せられることなく認められても、倫理的に私は全く感心しない。「絶版参考書を高値で売る方も、また買う方も、人としてどうなのか!?」の思いが率直にする。私ならばそうした昨今の絶版参考書ブームの流行には、とりあえず乗りたくないし、絶対に乗らないのである。

思えば、大学受験参考書というのは不思議なジャンルの書籍だ。小説ならば一度は単行本で出て、後に廉価の文庫本で再度発売されるし、専門の論文や学術書も後に書き手の著作集や全集が編(あ)まれ、そこで作品は再度世に出る。またそうでない書籍でも、だいたいは地域の公立図書館に蔵書としてある。ところが、書店売りの大学受験参考書は一度出てもすぐに絶版・品切れになって、再発されることは非常に希(まれ)だし、受験参考書は地域の図書館にはない。だから絶版参考書の人気は高まるし、時に投機の対象となり古書価格が異常に高騰して一部の人々が狂乱してしまう。参考書は書籍の中でもかなり特殊なジャンルで、一般的な書籍であるよりは、どちらかといえばすぐに絶版で入手困難になり取り引き価格が高騰する週刊誌や写真集らと同様な、特殊ジャンルの出版物であると思う。

さて、そうした所で私は特に絶版の大学受験参考書を収集しているわけではないが、自宅の書棚に今では入手困難の珍しい大学受験参考書はあるのかと思って見てみたら、洛陽社の板倉由正「エスカレーター式・日本史総合テスト7週間」(1964年)があった。その他にも洛陽社の昔の参考書が数冊、自室の書棚にある。昔、私が学生の頃は洛陽社の大学受験参考書は街の書店にあって適正に定価で販売されていたが、最近では洛陽社の書籍は書店にてほとんど見かけなくなった。洛陽社はもう廃業してしまったのか、近年では出版営業活動はやっていないらしい。洛陽社の名称は「洛陽の紙価(しか)を高める」(昔に中国の晋の左思が文学作品を作った際、これを写す人が多く、洛陽では紙の値が高くなったという故事から成語した、「著書の評判がよくて売れ行きのよいこと」のたとえ)に由来している。洛陽社といえば、昔は小西甚一の古文参考書「古文研究法」(1955年)ら名著のベストセラーを多く出していた印象が私には強い。近年の洛陽社は「洛陽の紙価を高める」ような増冊人気の書籍に恵まれなかったのか、最近では洛陽社の本を書店で見かけなくなって非常に残念である。

板倉由正「エスカレーター式・日本史総合テスト7週間」は、洛陽社から出ていた「エスカレーター式・総合テスト7週間」シリーズの内の日本史の問題集だ。日本史だけでなく本シリーズの参考書は皆そうであるのだが、全7週間で毎日問題演習を重ねる内容で、1日につき大問を4つほど「第1週・月曜日」から「第1週・火曜日」と毎日継続して問題を解く形式で、最終日の「第7週・土曜日」まで1日ごとにその日にやるべき日本史の問題があらかじめ掲載されている。そうすると結果、トータルで7週間で約170問の日本史大問をこなすことになる。1日も欠かすことなく週と曜日の指定掲載の「日本史テスト」を読者に毎日やらせて(ただし、いずれの週も日曜日の問題はなく、「日本史テスト」は日曜は休みである)7週間かけて一冊を完成させると自然と日本史の実力が身に付いているというのが本書のミソである。学生は本書に対し週と曜日のスケジュールを守らずにまとめて一気にやったり、時にサボったり、順不動で勝手にやってはいけない。毎日、指定の週と曜日に従って掲載の順序を守ってコツコツと地道に7週間かけて一冊の「日本史テスト」をやり遂げ完成させなければならないのだ。

本書「エスカレーター式・日本史総合テスト7週間」のタイトルに「エスカレーター式」とあるのは、第1週は原始・古代から始まって比較的易しい問題であるが、第2週や第3週以降で中世や近世の範囲の問題も入って来て徐々に問題が難化していき、最後の方の第6週や第7週になると近現代に加えてテーマ史や総合問題の難問も出てきて、まさに「エスカレーター式」に無理なく自然に日本史の受験勉強のレベルアップがなされるような編集の工夫が施されていることによる。本書に掲載の毎日やる「日本史テスト」は、共通一次試験が実施される前の各大学がそれぞれに作成し出題していた昔の大学入試の過去問である。東京大学を始め九州大学慶應義塾大学ら、昔の入試問題があって、今あらためて解いてみると全体的になかなか難しい日本史の問題だと私には感じられた。日本史に限らず、大学受験は近年のものよりも昔の時代の方が入試問題は難しく、大学側が入学志願者に求める学力は昔の方が厳しくて、はるかにレベルが高いと思える。

あと実際に毎日、週と曜日の指定通りに問題演習を重ねて、七週間かけて「エスカレーター式・日本史総合テスト7週間」をやってみたが、7週間もかけて一冊の日本史問題集を毎日やるのに中途で飽きてきて、「毎日やるのはめんどくさい。いっそのこと一気にやって早く本書を終わらせたい」の思いに幾度となく駆られ、正直私はツラかった(笑)。

大学受験参考書を読む(65)横田伸敬「横田の交響曲(シンフォニー)日本史」

横田伸敬「横田の交響曲(シンフォニー)日本史」(1989年)は、大和書房の「受験面白参考書」(略して「オモ参」というらしい)の大学受験参考書シリーズの中の一冊である。何よりもタイトルの「交響曲(シンフォニー)日本史」にて、「交響曲」の「シンフォニー」が「日本史」のアナグラム(単語の文字順序を並べ替えることで全く別の意味にさせる言葉遊びのこと)になっていることに、私は今までそのことに気づいていなかったので、本書を介して今更ながら驚かされた。「シンフォニー」→「ニホ(フォ)ンシ」になっているのだ。

私は本参考書の著者である横田伸敬という人についてほとんど知らないのだが、この人は大阪出身で、どうやら本書が出された1980年代には関西の予備校で大学受験の日本史指導をされていた方だと思われる。そのためか「横田の交響曲(シンフォニー)日本史」を読むと所々でコテコテの関西弁が出てきて、紙上講義にて読み手の受験生のウケを狙(ねら)う語りの雑談も満載である。「関西人は常に貪欲(どんよく)に笑いを取りに来るな」の思いがする。この意味で「受験面白参考書」(略して「オモ参」)シリーズの中で、本書ほど「受験面白参考書」の「面白(おもしろ)」の趣旨を踏まえたシリーズにふさわしい書籍はないと思われるほどだ。

ただ本参考書で著者の横田伸敬が書いている、時にコテコテの関西弁での渾身(こんしん)の雑談の脱線トークは、冷静に読んで笑えないし、実の所そこまで面白くはない(苦笑)。昔の予備校文化で人気講師の講義中になされる雑談が「相当に面白い!」と評判になることはよくあったが、あれは当日に満席の大教室で多人数で聞くからその場の高揚した講義の雰囲気も手伝って、瞬間的に「面白い!」と感じられてしまうのだと思う。ああいうのは録音したものや紙面に文字起こししたものを改めて後日、冷静に一人で聞き直したり読んだりしてみると案外「そこまで面白いわけではない」の感想になるのでは、という気はする。

本書は200ページほどで原始・古代から近現代まで全ての時代を全40の項に分け解説講義している。「交響曲(シンフォニー)日本史」だけに原始・古代は第Ⅰ楽章であり、中世は第Ⅱ楽章、近世は第Ⅲ楽章で、近現代は第Ⅳ楽章の「交響曲」編成になっている。各項の講義は、まず「セオリー」と呼ばれる「××を把握せよ」といったアドバイスがあり、次に「公式」と呼ばれる簡略なまとめの図式が掲載されている。その上で京都大学や早稲田大学難関大学のそこそこ難しい日本史入試の過去問の「例題」が載せてあって、前掲の「公式」を活用すればそれら難関大学の日本史過去問が解ける流れになっている。ただし、著者によって示される「公式」の簡略な図式のまとめは、後にやる入試過去問の「例題」が解けるよう周到に逆算して、その問題から「公式」のまとめを著者が作成しているか、もしくはその「公式」まとめに対応して完答できる入試過去問だけ著者が懸命に探し出し、わざと選んで載せて結果、「『横田の交響曲(シンフォニー)日本史』での『公式』は使える公式で万能で効果あり」の宣伝を単にしているだけのようにも思える。本参考書のみで実際の大学受験日本史に対応できて合格できるのか、私には大いに疑問である。

その他、本書には語呂合わせを主とした「覚え方」というのが時々、出てくる。それら「覚え方」は、なかなかよく考えられており(こうした歴史語句や年号の語呂合わせの記憶法を思い付くのが上手な人というのは、どこにでもいるものだ)、とても参考になる。例えば以下のような「江戸時代の農村における商品経済の浸透」の項での「四木三草」(四木とは桑・楮・茶・漆。三草とは麻・藍・紅花)の「覚え方」はよく出来ていて、「なるほど」と思わず私は感心してしまった。

「あさ(麻)口べに(紅花)をぬった人があい(藍)さつをしてくれたので、うれし(うるし・漆)くなって顔のこうぞ(楮)うをくわ(桑)しくみたら、めちゃ(茶)くちゃだった」

大学受験参考書を読む(64)宮尾瑛祥「宮尾のアッと驚く英語長文読解ルール」

宮尾瑛祥(みやお・えいしょう)「宮尾のアッと驚く英語長文読解ルール」(1988年)は、パラグラフリーディングないしはディスコースマーカーを指標とする英語長文の読み方を教授する大学受験参考書だ。ここでいう「パラグラフリーディング」とは、各段落ごとに要点を把握して、同時に先の文内容も予測しながらマクロの視点で英語長文を読み進めていくこと。また「ディスコースマーカー」とは、文脈の流れや構造、文と文との論理関係を示す単語や句のことであり、そうしたマーカーとなる語に注意しながら英語長文を読んでいく方法を指す。

今日の2000年代以降の受験英語指導では、パラグラフリーディングないしはディスコースマーカーを指標とする英語長文の読み方を大学受験生に教える教師は多くいるが、これらパラグラフリーディングの読み方指導をすでに1980年代からやっていた代々木ゼミナールの宮尾瑛祥は、さすがに早いと思う。パラグラフリーディングは、一文精読では英文を読めるのだが、それが長文になると読んでいて既読の内容が整理できず、また先の内容予測も全くできないとか、長文英語を最後まで読んだけれども全体の大意や要旨が明確に把握できないという人に特に効果のある長文読解法といえる。

宮尾瑛祥「アッと驚く英語長文読解ルール」には、早稲田大学ら主に難関私立大学の過去入試の長文英語が掲載されている。その問題演習のおよその手順は以下だ。

(1)まず、そのまま問題英文が掲載されてある。(2)それから次のページで問題英文中で必ずチェックするべきトピック語やキーセンテンス、時に文の流れが大きく変わる論理展開を示す単語や句(例えば「for・example 」の具体化を示すマーカーとか、「not・A・but・B」の対立を表すマーカーとか、「in・short」や「therefore 」の要約・まとめのマーカーなど)が太字で印字されている(解答アプローチ)。ここでこの太字の各種マーカーに全部もれなく気づき、主張の文や文脈の流れや論理展開を意識しながら読めたかどうか、本参考書の読み手は各自チェックするわけである。(3)その上で今度は一文ごとの英文解説に移る(パラグラフ・リーディングとリーディング・メソッド)。この場合、構文解説ら一文精読の説明ではなくて、全体からの論理の流れ、例えば、ここまで英文を読んできて絶対に読み逃してはいけない押さえておくべき主張文や議論の流れの構造、そしてこの時点でできる先の英文の内容予測などの説明となる。この部分は、もはや英語の参考書ではなく、まるで日本語の現代文の紙上講義を受けているような錯覚にすらなる(笑)。それから、いよいよ設問ごとに問題を解いて解答解説をしていく。(4)そして最後に改めて問題英文の日本語訳全文と解答の掲載があって(全訳とAnswer )、1つの問題演習がこれで終わる、の手順になっている。

宮尾「アッと驚く英語長文読解ルール」は昔の参考書ではあるが、著者の紙上でのパラグラフ・リーディングに基づく長文読解解説の手際(てぎわ)が相当によく、かなり手慣れているため、スムーズに早く読めて比較的短期間で英語の長文読解の要領(コツ)が理解でき身に付く。もちろん、パラグラフリーディングというマクロな視点から長文英語を広くかつ深く読む方法教授が本書の主眼であるので、本参考書では一文ごとの構文解説や日本語訳の作り方についての詳しい親切な解説はない。本書は、そういった英語の基本はすでにマスターしている、ある程度は英語ができる学生に向けた上級レベルの英語の大学受験参考書である。

最後に本書カバー表紙にある紹介文を載せておく。

「受験生の多くが勘違いをしていることに、長文を直訳的に読解しようとしていることがある。これでは長文読解問題に対応することはできない。読解ルールさえマスターすれば、全訳する必要はなく、また知らない単語にいらざる恐怖心を抱くこともなくなるのだ。長文読解のコツを会得し、読解ルールに従って読み解く作業をすれば、長文のキーアイデア、キーセンテンスがすぐわかり、簡単にその長文問題の主題(トピック)を見つけ出すことができる。あとは問題に対応して正答を書き入れてゆくだけだ」