アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

フリッパーズ・ギター 小沢と小山田(2)「恋とマシンガン」

「フリッパーズ・ギター」(FIippers・Guitar)のヒット・シングル「恋とマシンガン」は、いつ聴いても「ダバダバダバダバ」言っている(笑)。この時、元ネタのイタリア映画「黄金の七人」のサントラが、かなり売れたらしい。今にして思えば「ナック」もフリッパーズぽい映画だ。元「ピチカート・ファイヴ」(Pizzcato・Five)の小西康陽によるとDJをやるとき映画「黄金の七人」メインテーマの皿を回すと、当時はフリッパーズ好きの「オリーヴ少女」がざわつき、やたら騒いで会場での選曲ウケは毎回、上々だったらしい。

さてフリッパーズ・ギターのお二方、小沢健二と小山田圭吾、私よりも年上で目上の大人に対し誠に失礼で申し訳ないが、当時この人たちは「クソガキ」の「恐るべき子どもたち」だった(笑)。フリッパーズと同じ男性2人組ということで大先輩の鈴木慶一と高橋幸宏の「ビートニクス」(Beatniks)と人気で売れていた「B'z」(ビーズ)に喧嘩をふっかけるわ、「ソフトバレエ」(Soft・Ballet)のダンスを馬鹿にするわ、「ニューエスト・モデル」(Newest ・Model )の中川敬とふざけて対談するわ、世間でのバンドブームを鼻で笑い「たま・スピッツ・ユニコーン」をひとまとめにして一刀両断に切り捨てるわで、見ていてハラハラなのだが正直おもしろかったりした。当時、近くに「ユニコーン」(Unicorn)の奥田民生ファンの人がいて、その人はマジでフリッパーズにキレていたけれど。

フリッパーズ・ギターは「恋とマシンガン」を出した頃には初期の5人バンド体制をやめて小沢と小山田の男2人体制だったから、特に同じ男2人グループに対するちょっかいの出し方が半端でなかった。雑誌の撮影でB'zと隣のスタジオになったとき、「僕たちB'zさんのファンなんですよ、サインください。ついでに写真も撮らせてくださいよ」とか明らかに不真面目な態度で言って、後で稲葉浩志に「あの人たち、本当は僕らのこと嫌いでしょ」と見事に喝破されていた(笑)。

「ユニコーンはサッカー部のキャプテンがやってる、さわやか人気者のバンドだからね」といった小沢の発言も(確か)あった。フリッパーズは洋楽や文学や映画やファッションに長(た)けた洗練された文化系の、やや斜に構えた軟弱な屈折ぶりが売りで、「サッカー部のキャプテン」のさわやか体育会系ノリや田舎のヤンキー文化をあからさまに馬鹿にしているところがあった。それで「ビートパンク知能指数が」など、これまた小沢が言うわけだ(笑)。当時の、いわゆる「バンドブーム」の中でフリッパーズと並んで売れていたバンドは比較的単純コードのビートパンクばかりで、まさに「バンドやろうぜ」状態のノリから出てきたようなグループが多かったから。

他方、フリッパーズ・ギターは他のビートパンク一辺倒の単純バンドとは違い、ネオアコや映画音楽の海外サントラなど洋楽の洗練された蓄積が存分にあったので練(ね)りに練った普遍的ポップ・ミュージックのレベルにまで達していた(これは、あくまでも私の主観だ)。バンドブームの当時、「恋とマシンガン」のような複雑な楽曲を書けるグループはフリッパーズ以外にいなかった。他バンドより頭ひとつもふたつも抜きに出ていた。バンド人気や売り上げセールスはともかく、音的にはもう完全に勝負ついていてフリッパーズの完全勝利だったからなぁ。

フリッパーズ・ギターは、「たま・スピッツ・ユニコーン」をセットにして他バンドとそのファン共々、さんざん馬鹿にしていた。後年、ユニコーンの奥田民生がバンドブームの当時を振り返り、「いやー俺たちも広島からわざわざ上京して来て、東京でレコードばっかり買ってるバンドに負けてたまるかっていう気持ちありました」とインタビューで言っていて、「あー東京でレコードばっかり買ってるバンドって絶対フリッパーズー・ギターのことだろうな。当時からユニコーンのメンバー、フリッパーズの小沢と小山田に相当ムカついてたんだろうな」と後になって私は、しみじみと思った。

文化系の、ひねくれフニャモニャラパワーで(笑)、ニューエスト・モデルの中川敬とふざけ半分で対談したときも、「君ら汗かかないよね。ロックじゃないね」みたいな挑発で返されて小沢と小山田はヘラヘラしていた。「僕たちは汗かかないし、ひ弱で軟弱で嫌われ者だからツアー出ても周りは敵だらけで大変ですよ。東名阪でライヴ6本やって死のロード」とか(笑)。もう書き出すとキリがないが、「汗かくのはカッコを悪いし、筋肉は頭悪い」趣旨のこと言いまくって体育会系ロック・バンドのビートパンク知能指数を馬鹿にする。すると高橋幸宏が「もともとの虚弱で、ひ弱な文化系は僕ら世代が元祖で、僕なんか前から神経症を患(わずら)って、ずっとビョーキですから」のようなフリッパーズとの「虚弱ビョーキ自慢」対決などもあって正直ワケが分からなかった。

そういったわけで必然的に他バンドと仲悪く、そのファンからも恨みを買って行く先々でさんざん憎まれていた才能あふれるフリッパーズ・ギターの小沢と小山田の両君であるが、極めつけは「恋とマシンガン」がレコード大賞の新人賞を獲った時のフリッパーズの二人のテレビ出演だ。当時、私は観ていたけれど、この人たちは、これまた明らかに不真面目で不遜な態度だった。司会が和田アキ子と坂東英二だったが、坂東英二は若者人気のフリッパーズのことなど知らないから、小山田に「君は何の楽器を演奏してるの?」「ドラム担当の小山田です」←「こら!お前、ギターとボーカル担当だろ」と思った。おそらく、あの場面のあの瞬間、日本全国のフリッパーズのファンがお茶の間テレビの前で、いっせいに小山田にツッコんでいるはずだ(笑)。あと「レコード大賞」はTBSなのだが、わざと他局の音楽賞の名前言って和田アキ子が明らかにムッとしていたような記憶がある。

だが、フリッパーズの二人の気持ちは分からないでもない。結局「恋とマシンガン」はTBSドラマ「予備校ブギ」(渡辺満里奈、織田裕二らが出ていた青春ドラマ)の主題歌なので「どうせ自局ドラマのタイアップつながりでTBSがフリッパーズにレコード大賞をあげたのだろ、出来レースでしょ」と(たぶん)皆が思っていたし、フリッパーズの二人もそのことを知っていたので悪ノリしてフザケていたと思う。つまりはTBSテレビのフリッパーズの扱いが、同じTBSドラマで主題歌をやった「ロマンティックが止まらない」の「C・C・B」と同じように軽く見積もられていて、しかしフリッパーズ・ギターは他のアイドル・バンドとは違って実は音楽にプライドある本格派な若者で、おまけにバンドブームやお茶の間テレビの歌番組やレコード大賞などの賞レースをあからさまに馬鹿にするほどタチが悪かったので、小沢と小山田のナメた態度に司会の和田アキ子が激怒の結末という。

それでトロフィーをもらって最後に「恋とマシンガン」を歌っていたけれど、明らかにナマ歌ではなく、やる気のない口パクだった。それからフリッパーズの二人、「今度、新しいアルバム出すとき『レコード大賞・新人賞受賞アーチスト』って印刷した紹介シール、CDに貼って僕ら売り出すんですよ」とか、レコード大賞受賞ネタ(?)を後々まで結構しつこく引っ張っていた。

「恋とマシンガン」の副題は「Young Alive in Love!」=「若者は恋に生きる!」だ。題名もよい。