アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

ピチカート・ファイヴの小西康陽(2)「我が名はグルーヴィー」

今回の「ピチカート・ファイヴの小西康陽」は、自称「ピチカートマニア!」な私が選ぶ「ピチカート・ファイヴの10+2曲」である。ピチカート・ファイヴ(Pizzicato・Five)の楽曲は最高だ。ベストな12曲で以下、順位はありません。


(1)「私のすべて」

これは「キャッチーで下品でキュートでゴージャスな」野宮真貴のピチカート・ファイヴ内でのキャラクター設定紹介ソングだ。「そうよ私はデタラメで気まぐれで生意気で、ワガママでぜいたくで気どり屋で、嘘つきであやふやでいい加減。だけど私は愛されてる。それは私が可愛いから」。小西康陽は、この歌詞を改変して後に夏木マリにも歌わせていた。ピチカートのベストな12曲を選ぶとなぜか全て野宮真貴時代のピチカート・ファイヴになってしまう。田島貴男時代の楽曲は、もはや「オリジナル・ラヴ」(Original・Love)に聴こえてしまうからなぁ。


(2)「トゥイギー・トゥイギー、トゥイギー対ジェームズ・ボンド」

この曲は野宮真貴をピチカートに迎えた小西康陽の曲かと思いきや、実は小西曲ではなくてピチカート以前のソロ時代からの野宮の持ち歌であった。1960年代の弾けるスウィンギング・ロンドン的な小西による後のアレンジが秀逸で、「トゥイギー・トゥイギー」はライヴでやると必ず盛り上がる。特にピチカートの海外ライヴでは必殺な定番曲だ。本曲PVにて若き日の小西康陽が高浪慶太郎と一緒に野宮のバックでアライグマのしっぽの帽子をかぶって一心不乱に踊る姿が(笑)。毎度のライヴで変なクネクネ・ダンスの動きで一心不乱に踊りまくるミスター小西は、今風の流行りの関西弁でいえば相当な「ヘタレ男子」であった。
 

(3)「マジック・カーペット・ライド」

小西康陽は大学卒業後、新卒採用で就職せず、実家からの仕送りと家庭教師のバイトで、しばらく過ごしていたらしい。その間に東京中の名画座を巡り日々、映画ばかり観ていたという。芸術家ないしは職人肌で感性の強い独自の世界観を持つ小西は、一般企業のルーティン仕事にガマンできなかったのか。「マジック・カーペット・ライド」の「魔法のじゅうたんに乗って」は、「いつまでも二人遊んで暮らせるならね」とか「同じベッドで抱きあって死ねるならね」など、かつてのモラトリアム人間たる小西康陽による幸福なモラトリアム・ソングだ。
 

(4)「サンキュー」

大学卒業後、普通に就職しなかった小西康陽だが、後に彼はレコードデビューをしてプロの音楽家になった。細野晴臣プロデュースで、細野の「ノン・スタンダード」(NON・STANDARD)レーベルに最初のピチカート・ファイヴは所属していた。当時の小西のインタビューやコラム記事など読むと、レーベル主宰の細野に対する苦言や批判めいたものも多少ある。小西康陽、やはりこの人は、やがては独立して自分でプロデュースをやり、みずからの独自レーベルを立ち上げるような才能の器(うつわ)の人なのであった。「サンキュー」は、後のベスト盤によく収録されている「ワールド・ピース・ナウ・ミックス」のバージョンが好きだ。音色やアレンジが非常に凝(こ)っている。


(5)「万事快調」

後にピチカート・ファイヴは細野晴臣の手を離れ、キャリアを重ね中堅バンドとなり、新メンバーに野宮真貴を迎えてレコード会社も移籍した。CBS・ソニーから日本コロムビアの所属になった。以前のCBS・ソニー在籍時には、売り方に関しレコード会社に対するバンド側からの不信も少なからずあったらしい。新しいレコード会社の日本コロムビアと小西康陽はずっと蜜月だった。会社内で小西の私的レーベルも作ってくれて恵まれた創作環境下にあった。小西康陽が「師匠」と仰ぐ信藤三雄のアート・ディレクションで、アルバムのジャケット・デザインやケース装飾にも異常なまでにこだわりを見せた。ミュージシャンのミスター小西は音楽以外のことで、グッズのコーヒーカップのプロダクト・デザインに何度もダメ出しするような変わった男であった(笑)。「万事快調」は曲も好きだがPVも好きだ。信藤三雄が撮影監督で、元「フリッパーズ・ギター」(Fiippers・Guitar)の小山田圭吾や「スクーターズ」(Scooters)のメンバーと扮装して楽しく踊るPVが印象に残る。


(6)「CDJ」

この曲は歌詞が良い。「CDJ」は、綺麗な女性の野宮真貴に「あなたの大切なレコードを割っちゃった。私にはうるさいだけのゴミ」とか「あなたのお気に入りなんて、私には退屈なだけなの」と、わざと言わせる歌だ。ダメ男が美女から辛辣(しんらつ)な言葉を浴びせられ、逆に興奮して萌(も)える歌である。ミスター小西も日頃より、美しい女性から「あなたの自慢のレコード・コレクションなんて私には、うるさいだけのゴミ」と痛烈に罵倒(ばとう)されたいM男気質の人であるに違いない(笑)。


(7)「ゴー・ゴー・ダンサー」

この曲は昔から好きだ。とにかく一聴して後々まで強く印象に残る。小西康陽の仕事でCM曲やジングル、TV主題歌、デモ曲等を集めたレア音源集のアルバム「グレイト・ホワイト・ワンダー」というのがある。それに収録の「Tokyo・FMジングル・ 見えるラジオ篇」とノーマルの「Tokyo・FMジングル」が、そのまま「ゴー・ゴー・ダンサー」を流用で再利用の使い倒しで私は笑った。手抜き仕事でも聴く者に確実に爪痕(つめあと)を残す、小西康陽の天才クリエーターぶりに脱帽である。


(8)「ハッピー・サッド」

「ハッピー・サッド」は「Happy・Sad」である。楽しそうにしていると思ったら、次の瞬間、急に落ち込んで悲しんでいる喜怒哀楽が激しい無邪気な恋人(男性)のことを歌ったものである。この楽曲の特に何のどこが優れていて良いというわけではないのだが、「非常によく出来た精巧に作り込まれた小品」といった感じがする。あまり強く自己主張しない、部屋に置いて感じのよい精巧小物や上質な高級家具の調度品といった感じだ。過剰に創作されていない無意識の感じのよさが「ハッピー・サッド」は、数あるピチカート楽曲の中である意味、頂点を極めているような気がする。「ハッピー・サッド」は小西康陽の音楽仕事の一つの到達点なのではないか。世間的にはピチカート・ファイヴといえば「スウィート・ソウル・レヴュー」や「東京は夜の七時」が有名なのだろうけれど、私は「ハッピー・サッド」の方を断然、推(お)す。


(9)「If・I・were・a・groupie」

この曲にはマイった。1990年代当時、新譜で聴いて私は見事にヤられた。「もしも私がグルーヴィーだったら」の野宮真貴の歌の繰り返しに、かつてグルーヴィーでバンドの追っかけをしていた想定の女性の若い時代の「あの頃」への懐古ナレーションが入って、ナレーションで女性が饒舌(じょうぜつ)に語る。しかも、女性のナレーションが昔の大映ドラマにて硬質で冷たい声でやっていた来宮良子に似ている。とにかく、この曲のアイディアにシビれた。当時、90年代の日本でこんなイカした曲を思い付いて書ける人、ピチカートの小西康陽以外、誰もいなかったよ。小西康陽は、その他のアルバムでも劇中劇セリフのようなナレーションを入れるのが好きな人である。過去に中村正、細川俊之、石坂浩二ら各氏がナレーションにて小西のアルバムに参加している。


(10)「ウィークエンド」

「女性上位時代」などに続く、小西康陽の映画タイトル・シリーズの楽曲である。ピチカート・ファイヴの「ウィークエンド」PVは野宮真貴と、「コレクターズ」(Collectors)の加藤ひさしのカップルが緑豊かな別荘の郊外田園で抱き合い犬の散歩などをして「愛し合う二人の短い週末」の幸福風景を撮ったものだ。「ウィークエンド」は、言わずと知れたゴダール映画からのタイトル流用である。本家ゴダール(Godard)の「ウィークエンド」を観ている人は、ピチカートのPVとの内容の違いに驚くはずだ。ゴダールの「ウィークエンド」は、「週末に郊外の田舎に休暇に行こうとしたら、中途で交通事故の渋滞に巻き込まれて無惨な轢死体(れきしたい)を見せられる」とか、「田舎の山道で妖精の少女に出会い、からかって火をつける」など、相当に「皮肉っぽいブラックな話」である。同様にゴダールの「万事快調」も、あれは商業映画からのゴダールの決別の意を示したもので、「タクシーを拾って夜遊びに行く若い女性」の歌のような内容ではない。社会主義革命を志向する労働運動取材ルポ現場の、どちらかと言えば「暗くて陰鬱な話」の映画だ。ゴダール映画を単なる「ポップでキャッチーなおしゃれ映画」に勘違いさせるので小西康陽は正直ヒドイと思う。だが、ピチカートの楽曲「ウィークエンド」は良曲である。


(11)「プレイボーイ・プレイガール」

この曲は、ホームパーティで大音量でエンドレスのリピートで流して盛り上がる曲で、ズバリいって「パーティソング」のキラーチューンである。美しい大人な男女が社交の楽しいパーティの歌だ。「プレイボーイ・プレイガール」のPVにて、「プレイガール」の野宮真貴を優しくエスコートするのが「シティボーイズ」の斉木しげるであり、彼が「プレイボーイ」なわけである。おしゃれなスーツの着こなしと華麗な身のこなし、時に会場全員で合わせる大胆な失神ダンスにて確かにPV中の斉木しげるは「プレイボーイ」の様相だ。ミスター小西も、モテモテの「プレイボーイ」とまではいかなくとも、パーティ会場にてDJで皿を回しながら時に往年ライヴでの変なクネクネ・ダンスの動きで彼が一心不乱に必死に踊りまくっている情景が、「プレイボーイ・プレイガール」の曲を聴くたび私の頭の中で、いつもフラッシュバックする(笑)。
 

(12)「大都会交響楽」

これは解散間近の制作で、ピチカート・ファイヴの最後の締めくくりの幕切れに相応(ふさわ)しい楽曲である。「大都会交響楽」は、都会の街のざわめきの喧騒にて基本バラバラでガチャガチャしているのだけれど、各人の街中でのバラバラな動きや雑踏の喧騒が、実はリズミカルな規則を保って一つの大きな楽曲になっているというアイディアの着想である。様々な人がいて一見、バラバラで不規則に思える街中の喧騒を一つの楽曲にまとめて再現するアイディア曲に、演奏楽器がたくさんあって多くの人々が参加し指揮されて一つになるオーケストラの演奏形式を取り入れて「大都会交響楽」として、そのまま体現してしまう所が小西康陽は素晴らしい。少人数編成の、基本はボーカルとギターとベースとドラムのロックバンドが、金管楽器などクラシックのオーケストラ編成の楽団を取り入れ多人数にてやるアイディアは昔からあった。例えば「ビートルズ」(Beatles)の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」など。しかし、ピチカート・ファイヴの小西康陽のオーケストラをバンドに入れる際の、一見バラバラだが実は調和がとれている「大都会」の街の喧騒と、同様に様々な楽器と奏者がいるが見事に調和をなしているオーケストラの「交響楽」との融合発想の接点アイディアが、過去のいずれのバンドも凌駕(りょうが)し、非常に優れている。