アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(46)「霧の山荘」

横溝正史「霧の山荘」(1958年)のおおよその話の筋はこうだ。あらかじめ補足しておくと、「K高原のPホテル」は「軽井沢高原のプリンスホテル」の匿名表記といわれている。

「昭和33年9月、K高原のPホテルに滞在していた金田一耕助を江馬容子という女が訪ねてきた。容子は『自分の伯母である元映画スターの紅葉(西田)照子が、30年前に起こった迷宮入り事件の犯人に最近会ったと言いだし不安がっている。ついては伯母に会い、相談にのってやって欲しい』との依頼を金田一に持ちかける。この奇妙な依頼に応じ、照子の待つM原にある別荘へ向かった金田一は、しかし途中で道に迷ってしまった。途方に暮れる金田一を迎えに来た、派手なアロハシャツを着た若い男は照子の使いの者と名乗り、金田一を目的の別荘に案内する。しかし建物には鍵がかかっており、呼び出しにも返事がない。不審に思った2人がカーテンの隙間から中を窺(うかが)うと、そこには身につけた浴衣を赤黒い液体で染めた照子が床に血だまりを残して倒れていた。アロハを着た若い男が石につまずき生爪をはがして歩けなくなったため、金田一が別荘の管理人を呼びに行き、警察にも通報してもらったが、戻ってみると不思議なことにアロハの男も死体も忽然と消えていた。翌朝、K署の捜査主任・岡田警部補から照子の死体が発見されたとの連絡が入る。一緒に避暑を過ごそうとPホテルに来ていた等々力警部とともに金田一が別荘に急行すると、別荘の裏の潅木林の中に裸にされた照子の死体が横たわっていた」

本作のウリは死体消失である。しかも探偵の金田一耕助みずからが、案内役の依頼人の使いのアロハシャツを着た男と共に、「霧の山荘」屋内にて血まみれになった依頼人の凄惨な死体と床の血だまりをガラス戸の外から発見する。金田一がアロハの男を現場に残し、別荘の管理人を呼びに行き現場を一時離れ後に戻ってきてみたら、死体も床の血だまりも全てが跡形もなくきれいになくなっていた!全くの五里霧中な、狐につままれたような不思議な事件である。そうして遺体は別荘裏の潅木林の中で後に発見された。

横溝正史「霧の山荘」における死体消失と殺害現場の早急な復元回復のトリックは、エラリー・クイーン「神の灯」(1935年)の家屋消失のそれと同じである。大がかりな邸宅消失のトリック(「何と!あんな大きな屋敷が一晩のうちに忽然と消えるなんて」)は、ある程度の探偵小説好きな方なら大抵知っている話で、本作は初読であっても読み始めのかなり早い段階ですでに「ネタばれ」のような微妙な読み心地になる(笑)。それで書き手の横溝正史も「霧の山荘」での死体消失と殺害現場の早急な復元回復トリックは、読者に早々に見破られると思っているから、無理に謎を引っ張らず割合に早い話の段階でトリックの全容をあっさり明かしてしまう。そうして話の中心は、犯人らの真の狙いの動機と、その裏に仕組まれたアリバイ・トリックへと移っていく。横溝「霧の山荘」では、往年の名女優のいたずらに第三者が「便乗」して、ある人物を罪に陥れることと、「列車内でのスリと駅のプラットフォームにての通信文」云々のアリバイ工作が中盤からラストまでの話の中心になる。

海外の探偵推理小説にて、家屋消失や列車消失ならびに大人数の乗客や住人消失の話は昔からよく書かれているが、「あんな大きな建物や列車や大勢の人たちが跡形もなく忽然と消えるとは!」と散々に謎を引っ張ったわりには、最後にその謎が解明されると「大がかりで不思議な消失」のトリックが大したことなくて大抵は、がっかりする。クイーンの「神の灯」でもそうだし、横溝正史の「霧の山荘」でもそれは同様だ。

ただ横溝「霧の山荘」の場合、金田一が死体消失と殺害現場の早急な復元回復トリックに気づく発端が、「そういえば海外の探偵小説で『神の灯』のような屋敷消失の大胆なトリックがありましたね」のような海外ミステリー典拠の気付きではなくて、「戸締まりはぜんぶなかからしてあるし、雨戸もみんなしまっている」と別荘案内の際にアロハの男がつい口をすべらせた「雨戸」という言葉を金田一が覚えていて、その言葉に引っ掛かり、そこから死体消失トリックを金田一が見破る横溝の書き方に私は感心した。そのトリック看破の発端記述の工夫が、横溝正史「霧の山荘」にての玄人地味な良さの実の読み所であるように私には思えた。