アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(101)霜栄「生きる漢字 語彙力」

以前に、駿台予備学校の霜栄「生きるセンター漢字・小説語句」(2015年)の練習例文が差別、下品、性的表現(下ネタ)を含み悪ふざけで不適切だと社会的に問題になったことがあった。

当の著者の霜栄からすれば、タイトル「生きるセンター漢字・小説語句」の「生きる」というフレーズに引っかけ、「印象に残る例文・意味で生きる語彙力を」という狙いから、「ふだん使いそうな例文を採用し、実際に生きる語彙力を身につけられるようにと考慮しました。自分で使いこなせないような例文や意味の乏しい例文では、用法が身につかないからです」(「はじめに」)となるらしい。

無味乾燥な模範的な例文ではなくて、10代の大学受験性にも身近で実感が湧(わ)く例文を「生きる語彙力」養成のためにと最初は案外まじめに考えて構想し執筆していたところ、それがいつの間にか自分の中で常識的な大人であり教育者で教師の抑制の自己検閲が効(き)かず、自身の中で勝手にエスカレートして「(10代の受験生が)ふだん使いそうな例文を採用し、実際に生きる語彙力を身につけられるようにしなくては。自分で使いこなせないような例文や意味の乏しい例文では、用法が身につかないから」の思いだけが勝手に肥大し暴走して(笑)、遂には完成した参考書が、練習例文が差別、下品、性的表現(下ネタ)を含み悪ふざけで不適切だとの批判を受けて社会的に問題にされてしまうわけである。

例文に大いに問題がある、霜栄「生きるセンター漢字・小説語句」は苦言の批判をさんざん受けて、書店店頭から速やかに回収され即時絶版の扱いになったらしい。霜師は駿台文庫にて「生きるセンター漢字・小説語句」の漢字の読み書き対策の現代文参考書を昔から長く出し続けており、短期間で頻繁に改訂を重ねているので一体どの正式タイトルの、いつ発行年の霜栄「生きるセンター漢字・小説語句」シリーズの中の書籍が練習例文が差別、下品、性的表現(下ネタ)を含む悪ふざけで社会的問題になったのか、私には分からない。

私が現在所有している、駿台文庫の霜栄「生きる漢字・語彙力」は2006年初版の第11刷である。この参考書を読む限り、そこまであからさまにドギツい下ネタの低俗表現は目立ってないが、やはり霜師が執筆した後に問題を引き起こすことになる「生きるセンター漢字・小説語句」シリーズ中の一冊であるからなのか、本書でも読んで思わず訂正を入れたくなる不適切な駄文、微妙な読み味のウケを狙った奇文の練習例文がいくつか見受けられる。

以下、霜栄「生きる漢字・語彙力」(2006年)より、それら典型的な駄文・奇文の練習例文をいくつか挙げてみる。冒頭の数字は問題文番号、カタカタ表記は読みないしは書き取りで問われている漢字問題部分、そして最後のカッコ内の文章は私のコメントである。

「40・カンジョウ(勘定)を払わず店を出たら、食い逃げと言われた」(「(勘定を払わず店を出」るのは無銭飲食である。反社会的な犯罪行為の内容例文で、教材として不適切)

「63・チョウセン(挑戦)する前から僕はさっさと諦めた」(後ろ向きな消極内容であり、若い学生に読ませる文章として、やや不適切。もっと前向きな内容例文にする工夫の余地あり)

「79・嬉々としてジョゼツ(饒舌)を振う。その彼の姿に違和感を感じた」(「違和感を感じた」は重複表現で誤り。「腹痛が痛い」「乗馬に乗る」と同様な誤り。「違和を感じた」「違和感を抱いた・覚えた」にするべき)

「98・親にはバレないよう、コウミョウ(巧妙)にね」(学生に向けて親に黙って悪事をけしかけるような呼びかけ例文で、教育的に問題あり)

「123・家族十七人を食べさせるのは、ヨウイ(容易)なことじゃない」(「今の世の中に家族が十七人もいる家庭などあるか!? 」のツッコミ待ちの、明らかにウケを狙った例文でフザケていて不適切)

「86・あの人がダラク(堕落)していくのを私、笑って見ていたわ」(人の不幸を笑う反倫理的内容である。また女性の話し言葉の俗っぽい文章であり、教材として不適切)

「200・触れると指にダンリョク(弾力)を感じた」(抽象的すぎる文章で性的・下ネタを連想させるので不適切)

「240・グラスを傾け、微笑む。なんて美しいキョコウ(虚構)の愛」(「グラスを傾け、微笑む」のが必ずしも虚構でつくりごとの愛とは言えない。「美しい本物の愛」の場合もありうる。一方的な決めつけの皮肉な例文内容で、教材としてやや不適切)

「322・シャワーをア(浴)びてからにしようよ」(この後の性行為を連想させる性的・下ネタの例文で、かなり不適切)

「360・行って、花嫁をリャクダツ(略奪)してくるんだ」(「花嫁の略奪」は明らかに反倫理的で犯罪行為である。人の道に反する犯罪をけしかけるような呼びかけ例文で、教育的に問題あり)

「367・みんなヘイサ(閉鎖)的なの、ちょー好きだよね。だよね」(「ちょー」「だよね」など話し言葉の俗っぽい例文で、教材として不適切)

「380・人生をモサク(模索)するのは十二歳で飽きた。十二?」(一人でボケて最後に一人でツッコむ漫才のような文章で明らかにフザケている。教材として不適切)

「386・ブルジョアジーはハイセキ(排斥)しろだってさ」(共産主義者や労働運動に参加している人を馬鹿にするような、資本家(ブルジョアジー)の階級に属する人の発言に読める。特定の思想をもつ人やある階層の人々を馬鹿する発言の例文は、教育的に問題がある)

「418・あいつらがサンニュウ(参入)してきてややこしくなったんだ」(特定の人々や集団を排斥するヘイト的内容の話し言葉である。教材として不適切)

「527・高校野球で大切なのはレンタイ(連帯)感であり、個ではない」(偏向した一方的な決めつけの例文内容で、教材としてやや不適切。高校野球ではチームの連帯以外に個の大切さも必要である。「連帯」のみの強制で、高校野球指導にて体罰・イジメが横行する今日的な問題も考えるべき)

「605・タンテキ(端的)に言えば、私と別れたいってこと?」(恋愛上の女性の話し言葉であり、俗っぽい。教材として不適切)

「646・彼女は彼が転ぶのを見てカイサイ(快哉)を叫んだ」(他人の不幸を喜ぶ反倫理的な内容の例文である。教育的に問題あり)

「672・すまない。君のことがワズラ(煩)わしくなったんだ」(恋愛上での相手拒絶の発言と思われ、話し言葉で俗っぽい。教材として不適切)

「683・ちょっとユダン(油断)するとすぐ浮気するんだから、もう」(605同様、恋愛上の女性の話し言葉であり、俗っぽい。教材として不適切))

「697・コイ(故意)に転んで、好きな女の子の気を引こうとする」(「好きな女の子の気を引く」ためにわざと転ぶなど危険行為であり、周囲に者にも迷惑がかかり問題である。例文内容が教材として不適切)

「766・インネン(因縁)つけといて、そのまま帰れると思うなよ」(ヤクザやチンピラが言うようなせりふで反社会的な例文である。教材としてかなり不適切)

「776・フキュウ(不朽)の名作『戦争と平和』はサイコーっすねぇ」(カタカナ表記と語尾の「サイコーっすねぇ」が明らかにフザケている。本当に「戦争と平和」を最高と思って、ほめているとは読み取れない。からかい口調の文章で不適切)

「803・あいつは今もマルクスをキンカギョクジョウ(金科玉条)としている」(現在、マルクスを読んだり学んだりしている共産主義者を馬鹿にするような内容の例文である。特定の学派・思想を馬鹿にしたり一方的に非難するのは、教育的に問題がある)

「853・孔子の言葉は、いつの時代もシゲン(至言)である、ってさ」(776同様、末尾の「ってさ」でフザケており、儒家の孔子を馬鹿にしているように読み取れる。からかい口調の文章で不適切)

「1036・彼がチョウラク(凋落)する日も近いさと男は嬉しそうに笑った」(646同様、他人の不幸を期待して喜ぶ反倫理的な内容の例文である。教育的に問題あり)

「1192・画像は消去した。これで証拠のインメツ(隠滅)は完璧さ」(「画像消去で証拠隠滅」は犯罪行為である。反社会的な内容の例文で、教材としてかなり不適切)

「1144・ヒサイ(被災)地からの映像に親戚のおばちゃんが映っていた」(自分の身内の不幸を口外し進んで皆に知らせるような不謹慎な内容の例文で感心しない。教材としてやや不適切)

「1260・ヨコシマ(邪)な考えを彼女に見抜かれちゃった。えへっ」(末尾の「えへっ」がフザケており、話し言葉で俗っぽい。教材として不適切)