アメジローのつれづれ(集成)

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大学受験参考書を読む(27)田村秀行「田村の現代文講義」

昔から代々木ゼミナールが出す、「代々木ゼミ方式」という冠タイトルが付いた代々木ライブラリーの大学受験参考書が好きだった。高校生の頃、友人が学校に持って来ていて、あの書籍としての洗練された感じが。まず表紙カバーの装丁が代々木ライブラリーの本は比較的落ち着いて上品でよい。また別冊の問題冊子が巻末に付いて問題と解答解説があらかじめ分離していて、多くの紙面を費やす本体に詳細な解答解説が割(さ)かれているのも好感が持てる。

「田村の現代文講義」全五巻(1984─87年)は、代ゼミの田村秀行による現代文の問題集シリーズである。私の記憶の感慨で、それまでの大学入試の現代文といえば記号選択でも傍線記述説明でも答えがまずあって、その答えを前もって知っている教師が強引に後付けで「だからこうなる」式に結びつけ説明づける場当たり的「解説」もどきが多くて、どんな現代文問題に対しても通用する常に一貫して持つべき読解の方法論を教えてくれる人は少なかった。結果ひどい話が、評論と小説ともに毎回問題となる出典文章が違う現代文には一貫した解法はない、勘やフィーリングに頼る何となくの直感の読みが主で、現代文の試験対策として事前にやれるのはせいぜい漢字や慣用句の語句知識習得だけといったことになる。

「田村の現代文講義」を初めて読んだ時、非常に新鮮だったのは「助詞の使い分けに着目する」といった日本語の文法規則に基づいた丁寧でミクロな読み、また客観式問題の記号選択で「適切でない」選択肢の判定基準根拠を「アサ、スギ、ナシ、ズレ」とパターン化して教えてくれていたことだ。特に後者の選択肢の判断基準に関し、こうした指導は今の大学受験指導では普通にやられているが、まだ昔は珍しかった。いつもただ何となく「適切でない」選択肢を排除するのではなく、こういった誤選択肢のパターンを事前に知って確固たる判断根拠をもち、常に確信して正解選択肢を選ばないといけない。

私は過去問の教材研究も熱心にやったことがないので入試現代文を日々遊びで解いてみての感触になるが、客観式問題における「適切でない」誤選択肢パターンには、おそらく少なくとも以下のものがあると思われる。

バツ(本文とは全く違う反対の事柄が書かれている)、ナシ(常識的な内容で正しいが問題文中に書かれていない)、イイスギ(一見適切と思われる選択肢に「必ず」や「絶対」などの極端な限定・強調を付けることで内容が逸脱してしまっている)、バクゼン(正しい選択肢文ではあるが全体に抽象的に漠然と述べられており、「最も適切なもの」を選ぶ場合、より詳しく具体的に述べられている他の選択肢との比較で落とさざるをえない)、カケ(本文中のテーマ、話題、特徴など必ず触れるべきポイントが二つか三つ以上あるのに選択肢の中であえて一つにしか触れていない。故意に欠落を作っている)、テイサイ(課題文中のキィワードや主題となる言葉を抜き出しつなぎ合わせて適当にもっともらしい選択肢文を体裁よく作っている。よくよく読んでみると語句のつながりが不自然で文章が意味不明である)

こういった客観式問題の選択肢見極めにおける「バクゼン」「イイスギ」を「田村の現代文講義」では「アサ」「スギ」とパターン化して丁寧に解説しており、決して場当たり的でない、どのような現代文問題に対しても常に一貫して取るべき解答姿勢を示してくれていて田村秀行の参考書を初めて読んだとき非常に印象深かった。

私は田村秀行の代ゼミでの現代文講義を実際に受けたことがないのだが、噂では田村秀行は大変に真面目な方で表情を変えずに淡々と授業をするので、同僚で友人の代ゼミの古文講師、土屋博映から「能面田村」と当時は言われていた(笑)。