アメジローのつれづれ(集成)

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大学受験参考書を読む(29)田村秀行「本音で迫る小論文」

田村秀行「本音で迫る小論文」(1988年)は、大学入試の小論文対策の受験参考書である。本書は、田村秀行監修、梵我堂主人著の「本音で迫る小論文」の何やらめんどくさい体裁の書となっている。実際に執筆しているのは代々木ゼミナールの現代文講師の田村秀行なのだが、その田村はあくまでも本参考書の監修であり、著述は梵我堂主人となっている。なぜこのような訳のわからない、変なことになっているのかといえば、それは本書を読む限り以下のような事情による。

もともと代ゼミで大学入試の現代文を担当していた田村秀行が現代文に加えて、小論文対策の講座も開講してやりたいと当時の代ゼミ教務課に掛け合ったところ、教務は田村は現代文講師なので小論文の講座は開講できないと断わり許可しなかった。そこで、大和書房の「受験面白参考書」シリーズで今般の「本音で迫る小論文」を書店売りの大学受験参考書として世に出した。ただし代ゼミの教務が小論文講座の開講を認めてくれなかったので、そのことを不服とし抗議の意味で、本参考書の著者を田村秀行とはせず、架空の人物である「梵我堂主人」にして。梵我堂主人(ぼんがどう・しゅじん)というのは、本書によれば江戸の時代に生まれ後の明治の世まで生きた人物で、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の悟りを開き、安静の悟りを得た人であるという。彼は「天竺に渡り、『梵我一如』の悟りを開くも、近年帰朝して世を見るに、世はさらに我と肌合わぬ様に変はれれば、…世が曲がりて、本音こそが斜にものを見る戯作の道にかなへると思へばなり」の本意にして、大学受験の小論文指導にて読者に向け、田村秀行演ずる架空人物の梵我堂主人が遺憾なく「本音」を語りまくるという設定である。

そうして「本音で迫る小論文」の後の増販での監修者である田村秀行の「監修者追記」によると、「当初は代ゼミの教務から小論文を担当させてもらえず」の恨み節の抗議の意で田村秀行監修、梵我堂主人著の「本音で迫る小論文」の受験参考書を出したが、本書が受験生に好評であったため、後に代ゼミ教務から正式に改めて小論文ゼミの担当を依頼され、本書の精神に基づいて今では大学入試の現代文に加えて小論文対策の講座もやっている、という。本論から暗に読み取れる、「以前は小論文を担当させなかった代ゼミの教務、ざまあみろ」的な田村秀行による挑発的な書きぶりになっている。

本書が出された1988年の80年代から90年代には、まだ本格的な小論文指導の大学受験参考書はあまりなかった。それゆえ田村秀行「本音で迫る小論文」(面倒だが厳密には田村秀行監修、梵我堂主人著「本音で迫る小論文」)は、その内容はともかく、それなりに貴重な小論文対策の受験参考書であったと思う。現在とは違い、大学受験小論文の指導法は昔はまだ確立されておらず、当時の大学受験生は小論文という受験科目に対する情報知識や方法論をほとんど知らなかったと思われるので。

田村秀行「本音で迫る小論文」は大和書房から出ていた「受験面白参考書」シリーズの中の一冊なので、やや「面白さ」も狙って、本論にて大学受験の小論文に関し「本音」をズバズバ語る内容になっている。例えば冒頭の「理論解説編」にて、

「小論文では皆の言えることをいっても意味がない」「小論文では採点者と同じレベルの内容が必要とされる」「小論文入試では、大学の教官が自己の不快を未然に防ぎ、酒を面白く呑むために行われる」「小論文入試では、学力に目をつぶり、ユニークさを求めている」「大学は、勉強が出来るかユニークなものが入れる所であって、どちも満たさない者は大学へ行く資格はない」

らの各種原則がまず挙げられる。正直、「本音で迫る小論文」は悪ノリのキワモノ狙いで、田村秀行はフザケすぎである。真剣に大学合格したい真面目な大学受験生は小論文試験に挑(いど)むに当たり、本書での「本音で迫る」提言をそのまま聞き入れて実践してはいけない。「小論文入試では、大学の教官が自己の不快を未然に防ぎ、酒を面白く呑(の)むために行われる」とか、「小論文入試では、学力に目をつぶり、ユニークさを求めている」などは明らかに言い過ぎである。大学入試の小論文で採点者は、自分が「自己の不快を未然に防ぎ、酒を面白く呑むため」といった個人的な私情をはさんで採点などしない。小論文入試では、だいたい採点基準や配点表があって採点者は、それに基づいて厳密厳正に小論文の採点評価をしているはずであるし、「小論文入試では、学力に目をつぶり、ユニークさを求めている」のようなことも決してない。無駄に奇をてらった新奇の「ユニークさ」を狙いに行くような小論文は、逆に「キワモノ」として敬遠され、得点評価は低くなる。

常識的な通常の内容の小論文でも、文章がしっかりして論理的整合が取れていれば、本参考書で明確に否定されている「高校の先生に好かれる意見」「高校生らしい意見」の論述であっても、そこそこの得点はもらえるし、それで合格圏内に到達できる。

田村秀行「本音で迫る小論文」では、よそ行きで優等生的、無難で常識的な従来型の小論文の模範解答に対する対抗意識が著者の田村秀行にもともと強烈にあって、その常識的な模範解答の逆を行く逆張りのすすめを「本音で迫る小論文」と称しているのであり、どうも壮大に小論文指導の方向内容がズレているように思える。