アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(47)「壺中美人」

昔の角川文庫の横溝作品の表紙カバー絵は、もれなく杉本一文が描いていた。杉本は毎回カバー絵作成の際に事前に横溝の本編小説を読んで、それからイラストを描いていたに違いない。だから杉本一文の歴代イラストカバーをよくよく見ていると、明らかに本編の「ネタばれ」になっていることがよくある。

横溝正史「壺中美人(こちゅうびじん)」(1960年)も昔の角川文庫、杉本イラストをよく見てみると(笑)。本作を既読の者なら「壺中美人」の、かの「美人」の顔を凝視して必ずや思うところがあるはずだ。私は以前、本作初読ののち改めてカバー絵の「壺中」の「美人」を見て爆笑せずにいられなかった。

「無気味な絶叫に目をさました手伝いの老婆は、恐る恐るアトリエまで来た。そして鍵穴からのぞくと、中には血まみれのパレットナイフを握りしめ、器用に身体をねじまげながら壺の中へ入るチャイナドレスの女が…。陶器蒐集(しゅうしゅう)で有名な画家が自宅のアトリエで何者かに殺害された。等々力警部の呼び出しで現場におもむいた金田一耕助は、聞き込みを続けるうちに数日前テレビで見た『壺中美人』と称する曲芸を思い浮かべていた」(角川文庫版、表紙カバー裏解説)

陶器蒐集の画家が自宅のアトリエで何者かに殺害された事件である。その犯行直後に屋敷の手伝いの老婆が鍵穴から、血まみれのパレットナイフを握りしめ、器用に身体をねじまげながら壺の中へ入るチャイナドレスの女を目撃したという。等々力警部と共に捜索に当たった探偵の金田一耕助は、事件発生前に偶然にもテレビの寄席中継にて「壺中美人」を視聴していた。「壺中美人」とは、酢(す)や何かを飲んで関節をやわらかにした女や子供が手や脚をくねくね折り曲げて窮屈な壺の中へすっぽりと入る曲芸で、それをチャイナドレスを着た「壺中美人」と称する人物がやる。しかも金田一がテレビで視聴した「壺中美人」が曲芸に使用のものと全く同じ壺が、陶器収集の画家の殺害現場である彼の自宅アトリエにあったのだ。

横溝正史「壺中美人」は、「常日頃から隠そうと意識し注意していても、人間の日常的な性癖や無意識下の行動しぐさを当人が知らないうちについ出してやってしまう」、そうした「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」を金田一が慧眼(けいがん)をもって早々に気づくというのが、本作の話の肝(きも)である。おそらく横溝は探偵推理の細部の詳細を考えるより先に、「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」ネタを使ってまず一作書こうとしている。その上で「壺中美人」は、犯行動機やアリバイ工作の細部を継ぎ足し全体を組み立てる手順で創作されているに違いない。そのため、実は読み始めの冒頭の10ページ足らずの場面記述で「金田一耕助がおやとつぶやいて身をのりだした」云々の横溝による描写があり、それこそが「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」である。そうしてその内容が何であったかは、今度は作品のラスト近くでいよいよ「金田一の看破の鋭(するど)い気付き」として、ようやくタネ明かしされ披露されるわけである。

横溝「壺中美人」の難点として、作品全体の土台の必殺のネタとしてある「隠そうとしても本人には気づかない無意識下での人間の癖や動作しぐさの露見」が、犯人の意外性やアリバイ・トリックの暴露に直接結び付いていないため、話に面白味がなく残念な読後感が本作にはどうしても残る。

その分、「犯人や関係人物らが、なぜそのような態度や行動をとったのか」や「犯行当日の各人物の具体的行動」の、動機や時系列説明に矛盾や破綻がなく、横溝は相当に気を使って注意して精密に書いているフシは感じられる。だが「矛盾や破綻がないように」のその精密さに横溝の筆の力が入りすぎて、どうも横溝正史「壺中美人」は「だから実はこうであったのだ」的な事後説明臭があまりにも強すぎ、私には少々クドい感じがする。