アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

江戸川乱歩 礼賛(16)「大暗室」

江戸川乱歩「大暗室」(1939年)は「暗黒星」(1939年)とタイトルが似ており、ほぼ同時期の雑誌連載作である。だからなのか、私はいつも両作を混同してしまう。また乱歩の通俗長編は長期連載にあたり、乱歩自身が結末をあらかじめ考えず場当たり的に自転車操業で案外いい加減に書いているため、筋の破綻や毎度の似通った趣向やトリックが多く、私は読んでも記憶に残らず、読後に内容をすぐに忘れてしまう(笑)。だから、数年おきに長編乱歩を繰り返し新鮮な気持ちで読める江戸川乱歩なりの探偵小説の楽しみはあるのだけれど。

探偵小説家に限らず、どのような文学者においても斬新なアイディアが次から次へと噴出してしょうがない、何を書いても乗りに乗って傑作の連発、当人にとっての後の代表作の量産で実に上手く行ってしまう、まるで自身の筆先に神が降りてきたような、ある種の神がかった「作家生活、奇跡の時代」というのがあるものだ。例えば横溝正史においては、敗戦直後の私立探偵・金田一耕助の初登場による「本陣殺人事件」(1946年)から「獄門島」(1948年)を経ての傑作連発、誠に神がかった「横溝、奇跡の時代」があった。同様に江戸川乱歩にても、そうした時代はある。それはデビュー直後から1920年代前半までの短編執筆の時代だ。「二銭銅貨」(1923年)や「D坂の殺人事件」(1925年)や「心理試験」(1925年)や「屋根裏の散歩者」(1925年)や「人間椅子」(1925年)など後の時代にまで残る傑作、乱歩にとっての代表作はこの時期に集中して書かれたのであった。特に1925年はまさに「江戸川乱歩、奇跡の年」であったといってよい。

そして江戸川乱歩、この人は初期短編の「奇跡の時代」を過ぎると、たちまち駄目になってしまう。凡作、駄作、破綻作の連続である。この探偵作家としての暗黒時代への突入には、さまざまな背景や契機の要因があるのだろうが、その一つに乱歩が講談社の大衆文芸雑誌に誘われ連載したら思いのほか世間読者の評判がよく上々で、しかも乱歩自らに言わせると「講談社は他社と比べて稿料が高く厚待遇だった」そうで、それから乱歩は「キング」ら講談社系に常連執筆の大衆読者に向けた通俗長編連載の書き手になってしまった。この意味で、講談社の「講談倶楽部」の求めに応じ書いた乱歩にとっての初期の通俗長編「蜘蛛男」(1930年)の世俗人気の成功は、乱歩が通俗娯楽の常連書き手になる画期の重要な出来事であった。

先鋭で正統な探偵雑誌ではなくて大衆娯楽雑誌の通俗長編だから、探偵推理としてトリックが新奇で斬新ではなくても、伏線の張り巡らしや回収に失敗しても、最悪、話に矛盾があり破綻していても編集部も担当編集者も許してくれるし、評論家や読者からそこまで酷評され責められることもないのである。要するに毎月毎号の連載にて読者を惹(ひ)きつけ、続きの次号をとりあえず読ませればよいわけだから、何ら大した中身はないのに初読時のインパクトや読み味のスリルやスピード感や「エロ・グロ・ナンセンス」の退廃的雰囲気やエスカレートした扇情描写が主で、探偵小説として詰めた本格の趣向や練りに練った「奇妙な味」の工夫は二の次になってしまう。そして一読後、その場限りの印象楽しみだけで後に何も残らず、話の内容をすぐに忘れてしまうものも多い。

ただ、そうした通俗乱歩の長編小説も軽く読んで十分に楽しめることは確かだ。江戸川乱歩「大暗室」は講談社の雑誌「キング」に一年半連載の通俗長編であり、探偵推理と善玉悪玉の冒険小説で、「パノラマ島奇談」(1927年)風の乱歩の幻想的な地底王国の創造趣味が程よく組み合わされている。「大暗室」は、通俗の大衆娯楽小説として連載当時から好評人気であったに違いない。最後に本作「大暗室」の概要を載せておく。

「客船・宮古丸が難破の折、九死に一生は得たが大海をあてどなく漂う、有明男爵とその家令・久留須左門と、男爵の友人であるが内心で男爵を憎む大曽根五郎。危地を脱する予兆に呉越同舟の均衡は脆(もろ)くも破れ、父子二代にわたる因果の物語が始まる。配するは亡父の弔い合戦に赴く青年二人、有明友之助(有村清)と大曽根竜次(大野木隆一)。それと知らず出逢い宿業の仇敵と認めあうに至る二人こそ、有明と大曽根を継ぐ者である。恋人役に健気な美少女・星野真弓ををはさみ、正義を旗に掲げる貴公子と、帝都に大暗室と呼ぶ王国を築き全世界の覇者たらんと欲する地底魔との壮絶な戦いの火蓋(ひぶた)が切って落とされた!」