アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(55)「空蝉処女」

横溝正史「空蝉処女(うつせみおとめ)」(1946年)は、もともと1946年の敗戦直後に横溝が完成させ関係者に送付し後は掲載を待つばかりの短編となっていたが、なぜか雑誌掲載されず未発表のまま長い間放置されていたものを、原稿の保管者から提供されて横溝の死後に発掘発表されたものである。

「終戦によって、ようやく人間らしい感情を取り戻していた私は、何年かぶりで中秋名月を愛(め)でる気になった。五分あまり歩いて大きな池のあたりにさしかかった時、突如として、うら若い女性の美しい唄声が聞こえてきた。声に誘われ竹藪(たけやぶ)の中へ歩を進めた私は、はたとその場に立ち止まった。行く手の小高い段の上に、月光で銀色に輝くワンピースに竹の葉影を斑々(はんばん)とさせて、神秘なまでに美しい女性が佇(たたず)んでいた…。ロマンチシズムの極致。数奇な運命を辿り、今蘇(よみがえ)った横溝文学異色の名作」(角川文庫版・表紙カバー裏解説)

本作は横溝正史の疎開先の岡山を舞台にした短編であるが、殺人も失踪も盗難も何ら事件らしい事件は発生しない。よって金田一耕助や由利麟太郎のような探偵も出てこない。作者である40代男の「私」(執筆当時の横溝だと思われる)が敗戦直後に疎開先の岡山の村落にて、ある夜に出会った、記憶喪失の謎の美しい女性(「空蝉処女」!)の戦争という時局に翻弄(ほんろう)された過酷な運命の話である。もっともラストで記憶喪失の過去は周囲の人々の善意により発掘再生され、彼女は無事幸せになるのだが。

本作では、タイトルの「空蝉処女」に話が集約するように最初から逆算し伏線回収で書かれている。なぜ彼女が「空蝉処女」であるのか!?「空蝉」と「処女」のそれぞれの意味とは何か!?最後まで読むと「なるほど」と読者は納得する仕掛けになっている。

1946年頃に書かれた短編であり、探偵小説とは別のところで、敗戦後の横溝正史ならびに作品に出てくる人々のあいだに共通してあった厭戦ムード(「戦争だけは嫌だ。もう戦争はこりごりだ」)の時代の雰囲気が如実に感じられる。探偵小説家の横溝のものとしては、探偵推理以外の異色の作ではある。

角川文庫「空蝉処女」(1983年)は杉本一文によるイラスト表紙で、そのまま「空蝉処女」の女性が描かれている。私は昔から杉本カバーイラストの「空蝉処女」を所有しているが、近年では本書も希少らしく古書価格が高騰しているようである。