アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(52)「ペルシャ猫を抱く女」

昔の角川書店は「横溝正史全集」の完全版を期して、横溝が過去に執筆した作品は、ほぼ漏(も)れなく文庫にして出していた。そこで横溝の短編群を所収した短編集も数冊、編(あ)んでいた。横溝のデビュー作を含む大正期の横溝短編集「恐ろしき四月馬鹿」(1977年)、続く戦前昭和の短編を収録した「山名耕作の不思議な生活」(1977年)、それから戦後に発表の諸短編を集めた「刺青(いれずみ)された男」(1977年)と、その続編となる戦後第二の短編集「ペルシャ猫を抱く女」(1977年)である。これら4冊の書籍がいずれも1977年初版である。当時は横溝正史の小説は出せば相当に売れる、時代はまさに「昭和の横溝ブーム」過熱の真っ只中にあったのだ。
 
戦後第二の短編集「ペルシャ猫を抱く女」にて当時の横溝正史は、長編の「本陣殺人事件」(1946年)と「蝶々殺人事件」(1947年)の連載を同時進行で抱えながら、さらに短編の作品依頼にも応じて「ペルシャ猫を抱く女」に所収の作品群を書き続けた。横溝「ペルシャ猫を抱く女」に収録の諸短編を読んで、「横溝さんは金田一耕助の長編『本陣』や由利麟太郎の長編『蝶々』を書きながら、さらにここまでの短編秀作も同時に書ける余力があるのか!」と驚嘆させられる秀作や佳作(「消すな蝋燭(ろうそく)」など)もあれば、読んで「なんじゃ!こりや(←松田優作風)」と逆に腰を抜かす明らかに失敗作の駄作(「詰将棋」「生ける人形」など)もある。そうした収録作品の出来に雲泥(うんでい)の差があり過ぎる、複雑な読み味がする横溝の短編集「ペルシャ猫を抱く女」である。

ここでは横溝正史「ペルシャ猫を抱く女」の中で、かなりの良作の出来のよさだと私には思える、「雲泥の差」にて「雲」の方に該当する、本書の表題作である「ペルシャ猫を抱く女」(1946年)と「双生児は踊る」(1947年)について書いてみたい。これら二つの短編は執筆した横溝本人にとっても使われたトリックや話全体のプロットを気に入って、それなりに思い入れがあったに相違ない。事実、短編「ペルシャ猫を抱く女」は長編「支那扇の女」(1960年)に、同様に短編「双生児は踊る」は短編「暗闇の中の猫」(1956年)に、横溝の手により改稿され後に金田一耕助シリーズとして再び世に出されている。

(以下、犯人やトリックの詳細は直接に明らかにしていませんが、「ペルシャ猫を抱く女」と「双生児は踊る」の話の本質に触れた「ネタばれ」です。横溝の短編「ペルシャ猫を抱く女」「双生児は踊る」を未読な方は、これから新たに読む楽しみがなくなりますので、ご注意ください)

横溝正史「ペルシャ猫を抱く女」は、横溝が戦時に疎開していた岡山を舞台に、作中の語り手が知人から聞いた「明治犯罪史」に絡(から)む話とその後日談である。「明治犯罪史」という書物に掲載され、当時より広く世間に知られていた毒殺狂で毒殺魔と恐れられた明治の女性の古い肖像画(「ペルシャ猫を抱く女」)を持ち出して、由緒正しき伯爵家のある子女に対し、「あなたの一族の祖先の中に、かつて良人殺しの毒殺魔と恐れられた女性がいた。あなたはその毒婦の遺伝を継いだ生まれ変わり」云々で、気弱であるが美しい彼女を暗に脅(おど)し自分のものにしようとする、その家の菩提に当たる寺院の若い僧侶の暗躍である。事実、伯爵家の菩提寺から後に発見された「ペルシャ猫を抱く女」の古い肖像画の中の毒殺魔の毒婦の風貌は現在の彼女に驚くほど似ており、まさに「生き写しの生まれ変わり」とまで気弱な彼女当人は信じ込み、思いつめる程だったのである。

しかし、それは気弱な彼女を精神的に追い詰めて自分のものにしようとする若い僧侶の奸計(かんけい)であったことが本編の後半にて明かされる。伯爵家の菩提寺から発見された「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画の中の毒殺魔の毒婦の風貌が現在の彼女に驚くほど似ていて、まさに「生き写しの生まれ変わり」とまでに思われたのは、何と!その僧侶が現在の彼女の風貌にわざと似せて「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画として描かせた贋作(がんさく・後に複製で描いた偽物)であったのだ。だから後に描いた偽絵であったため、「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画の中の毒殺魔の毒婦の風貌は現在の彼女に驚くほど似ていたのである。

そして本作の最大の読み所は、贋作の「ペルシャ猫を抱く女」に関し、なぜその絵が偽絵と断言できるのか、一切の疑いや反論を完全に封じてしまう合理的で確定的なこれ以上ない明白な物的証拠であって、それは英字で肖像画に書き入れられていた「八木伯爵夫人の肖像」の意味の花文字なのであった。その詳細な理由は各自本作を読み確認して驚いてもらいたいが、この「贋作確定の純然たる物的証拠」というのが、本作「ペルシャ猫を抱く女」の話の肝(きも)であり、最大の目玉である。初読の際にはほとんどの人が驚き、すぐに納得させられる読後の爽快感のようなものを味わえるに違いない。角川文庫「ペルシャ猫を抱く女」の表紙カバーは杉本一文によるイラストで、そのまま表題作の「ペルシャ猫を抱く女」の肖像画になっている。ただし、カバーイラストの「ペルシャ猫を抱く女」も贋作である。なぜなら、 杉本一文によるその表紙絵に「八木伯爵夫人の肖像画」の英字の花文字が書き入れられてあるから(笑)。

横溝正史「双生児は踊る」について、物語の状況設定や登場人物の特徴や配置を排し、探偵小説としてのトリックの原理的な骨格のみを取り出して述べるとすれば、(1)暗闇の中でも犯人が目的の人物をはっきりと識別し狙撃できた妙手と、(2)クローズド・サークルにおける殺人トリックの二人一役ということになる。本編は、この二本柱により構成された好短編といえる。特に(2)の「クローズド・サークルにおける殺人トリックの二人一役」が本作の出色(しゅっしょく)であり、おそらく現実にはあり得ない、いかにもな探偵小説に特有のトリック話といえる。

そもそも「クローズド・サークルにおける殺人」とは次のようなことだ。「クローズド・サークル」とは閉じた人間関係のことで、これはいわゆる「人間関係の密室」である。通常の「密室」は人間が外部から出入りできない(と思われている)空間的で物理的な密室であるが、クローズド・サークルの場合は、互いに見知っている数人がおり、特異な状況下で外部からの新たな人の侵入が不可能なため、そのうちの誰かが必ず犯人であるという「閉じた人間関係内での人的密室」をいうのである。この場合の「互いに見知っている数人がおり、特異な状況下で外部からの新たな人の侵入が不可能なため、そのメンバーの中に必ず犯人がいる」というクローズド・サークル形成の典型といえば、例えば「海上を航行する客船」とか「ノンストップで昼夜走行する寝台列車」とか「悪天候のため外部との連絡が遮断され屋外に出られない孤立した別荘」などの舞台設定が従来の探偵小説にてよく見られる。

この手の閉じた人間関係の人的密室の中で、「このメンバーの中に犯人がいることは確かだが、それが一体誰なのか分からない。明らかな挙動不審や経歴不明、中には偽名使用の人もいて、皆が怪(あや)しく疑おうと思えば果てしなく誰でも疑うことができる」のクローズド・サークルものの探偵推理は、かつてアガサ・クリスティが「オリエント急行の殺人」(1934年)や「そして誰もいなくなった」(1939年)らで散々にやり尽くした印象が私には強い。

昔からある「クローズド・サークルにおける殺人トリック」の定番パターンの中で、横溝の「双生児は踊る」ではサークル内の人物の変装(一人二役、二人一役、一人対一人の人物入れ替わり、実在しない架空の人物の創造など)という、これまた昔からよくある常套(じょうとう)なものが使われている。クローズド・サークル内では皆が互いに見知っている者同士なので外部からの見知らぬ第三者の、あからさまに怪しい不審人物がこの閉じた人間関係の密室(クローズド・サークル)に入ることは原理的に不可能なわけである。そこでサークル内のある人物が同じサークルのあるメンバーに変装し犯行を行って、つまりは「二人一役」をやって、二人一役の変装をした彼が変装された人物に罪をなすりつける型の割と基本に忠実で古典的な「クローズド・サークルにおける殺人トリック」が本作では使われている。また当作品のクローズド・サークル形成の状況設定は、警察から厳重に四方監視されている人の出入りが許されないキャバレーの店舗建物であった。

その他「双生児は踊る」では「なぜ暗闇の中でも犯人が目的の人物をはっきりと識別し狙撃できたのか」のトリックに加えて、「ああ、─暗闇のなかに何かある、─猫だ!猫だ!─猫がこちらをねらっている」の、停電のわずかな時間の暗闇の中で狙撃された被害者の「暗闇の中の猫」なる発言から真犯人の解明に繋(つな)がる展開も印象深いし、何よりも事件解明に乗り出す探偵役にタイトルの「双生児は踊る」の双子を配して物語進行させている点も誠に興味深い。作中にて推理し真犯人を突き止める探偵役たる「踊る双生児」の初登場時の紹介記述は、以下のようなものであった。

「星野夏彦と星野冬彦の踊る双生児(ダンシング・トゥイン)。…夏彦は色が白くて、冬彦は色が黒い。しかし、何から何までそっくりである。体つきから顔かたちにいたるまで、ひとめで双生児と知れるほどよく似ている。…夏彦は色が白くて、冬彦は色が黒い。双生児は踊る。タップの靴音。ランターン・ジャズバンドの気ちがいめいた騒々しさ」

これは探偵小説における探偵役としてインパクトがあるし、何よりもキャラが立っている。横溝は金田一耕助ではなくて、ないしは金田一耕助と平行して「踊る双生児」の星野夏彦と星野冬彦を探偵にした連続シリーズを戦後に執筆しても良かったのでは、と私には思えるほどだ。それ程までに「双生児は踊る」にての、二人の双生児探偵はとても魅力的な良キャラクターであると私は思う。双生児の二人の丁々発止(ちょうちょうはっし)の会話で、どんどん犯罪トリックや事件の真犯人を明らかにしていく話運びのテンポが良い。それから本作には、金田一耕助シリーズでお馴染みの等々力警部も出てきます。