アメジローのつれづれ(集成)

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再読 横溝正史(53)「金田一耕助の冒険」

横溝正史「金田一耕助の冒険」(1976年)は、私立探偵の金田一耕助と警視庁の等々力警部のコンビが活躍する探偵譚である。本作は全11編の短編からなり、一つの短編の長さはどれも40ページほど、タイトルは「××の中の女」で全て統一されている。本作は「女シリーズ」とも時に呼ばれる金田一耕助の短編を集めたもので、それらは1957年から58年にかけて雑誌「週刊東京」に断続的に掲載された。当時、横溝正史と島田一男と高木彬光の三氏の交代で一話二回続きの探偵ミステリー作品を本誌では長期連載していたようである。

横溝「金田一耕助の冒険」に収録の11の短編は、連載時の1950年代の敗戦後の東京は銀座あたりを舞台にした事件が主である。そのため物語に登場の事件の被害者も関係者も、夜の店に勤めるホステスとかバーテンダーとかキャバレー経営のオーナーなど、その職種の人が多い。というか登場人物のほとんどが夜の街界隈の関係者である(笑)。

本書は掲載形式が似ているため、ドイルの「シャーロック・ホームズ」やチェスタトンの「ブラウン神父」やクィーンの「エラリー・クリーン」の探偵推理の各短編集のシリーズと比較され、「それら海外ものに比べ、横溝の『金田一耕助の冒険』シリーズはやや劣る」の不名誉な評価をもらうことも多い。これには横溝がこの「女シリーズ」の「金田一耕助の冒険」で、密室殺人やアリバイ(現場不在証明)工作や意外な隠し場所など探偵推理の分かりやすくてインパクトのある王道トリックを狙わずに、殺人や盗難の事件があって、犯人が第三者に罪を着せようとする事前に練って張り巡らされた複雑な策略の暴露など、どちらかといえば玄人(くろうと)好みな地味で緻密(ちみつ)な細かなストーリー展開に毎作あえて傾注しているからだと思われる。だから、確かに横溝「金田一耕助の冒険」に収録の諸短編は一読、地味で薄味の印象もあるが、破綻なく精密によくよく考えて執筆されていることも確かで、実はそこが本書の良さであり読み所であると私は思う。

そのような比較的地味で玄人好みで緻密な全11編の「女シリーズ」の中でも、「鏡の中の女」は、発端の事件露見の話の導入(金田一と同伴の女性が銀座の喫茶室にて、向かいの席の見知らぬ男女の会話を読唇術で読んで聞いてしまい、それが殺人計画の会話であることをたまたま知る)から、ラストの犯人の意外性と殺人動機の突拍子もなさ荒唐無稽さで後々まで強く印象に残る。この事件の「意外な犯人」は多くの人が初読時には(おそらく)予測できないであろうし、また殺人の動機に関しても「本当にこんなどうしようもない理由の動機で人は殺人まで犯してしまうのか!」の現実には到底ありえない、フィクションの探偵小説ならではの結末というかオチに驚愕させられる。本作にて「現代はそういう時代なんですよ。ストレスの時代なんです。ひとがなにをやらかすかわからんということは…」などと金田一耕助は言ってはいるが。

最後に。横溝正史「金田一耕助の冒険」の角川文庫版の杉本一文による表紙絵カバーイラストの金田一耕助は、そのまま歌人で劇作家の寺山修司である。金田一の顔が寺山に似過ぎだ(笑)。