アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(30)「病院坂の首縊りの家」

横溝正史「病院坂の首縊(くびくく)りの家」(1978年)は「金田一耕助・最後の事件」のコピーが付いて、最初に迷宮入り事件を置き二十年後にそれが解決をみる上下二巻の壮大な長編である。ゆえに本作品は全二部構成で長い。読むのに骨が折れる。そういえば、横溝の「病院坂」は映画になって映像化されている。市川崑監督による石坂浩二が金田一耕助に扮する映画シリーズの最終作、シリーズ完結作である。だから「病院坂」は、映像化され映画になっているので市川の金田一映画は重宝する。

内容は横溝「悪魔が来りて笛を吹く」(1953年)にも匹敵するドロドロで性倒錯のタブーな話である。以下、市川版映画の内容に沿って話を進めると、劇中でいえば萩尾みどりは自分の母親と父親、いわゆる「自身の出生の秘密」を知ったら、そりゃ驚くだろう。しかも法眼病院の主人と現在交際中で、その間に二人の子どもがいて(あおい輝彦と桜田淳子)「法眼の正妻の佐久間良子が、まさか自分の××とは」「しかも佐久間良子の娘と萩尾みどりの娘が桜田淳子の一人二役でウリ二つで、兄のあおい輝彦が兄弟なのに妹の桜田淳子に求愛して」など今書いている時点でも話が入り乱れ私は混乱しているが、「実際にこんなことはありうるのか」と思わず半畳を入れたくなるようなスゴい話だ(笑)。

最初の写真館になぜか廃屋での婚礼写真の出張撮影依頼があって、焦点か合わない失神した不気味な花嫁と怒りっぽい花婿の記念撮影、それで後日現場に行ったら「人間の生首の風鈴が」というドイルのシャーロック・ホームズばりのインパクト大で衝撃的な「奇妙な発端」から始まるところ、これを映画の映像で実際に視角的に見せる趣向が、まずは横溝の「病院坂の首縊りの家」映画化の成功要因であると私は思う。この奇妙さ、不気味さで一気に映画本編の話に引き込まれる。話の流れ上、本編オープニングから流れるジャズもモダンで洗練されていてよい。

さらに映画でいえば、あおい輝彦が演ずるヒゲもじゃの強引な兄の役が、実は法眼家の過去のある人物に容姿から性格まで似ているところがミソである。あと第一の殺人現場に案内された容疑者が、実は以前にも犯行で現場を訪れているため、初めて事件現場に来たように装(よそお)いながら刑事の案内誘導なく、たくさんある部屋の中から死体がある部屋のドアを自分から躊躇(ちゅうちょ)なく一発でごく自然に開ける。金田一は、その動作を見て「この人が犯人」と第一の殺人の直後に犯人が分かってしまうわけだが、話の都合上、冒頭から「あなたが犯人ですね」と名指しして問い詰めないところが探偵推理のミステリー話たる所以(ゆえん)である。探偵の冴(さ)え渡る推理で早い段階に犯人を明かして連続殺人事件を未然に防ぐのは話の都合上、盛り上がりに欠けるわけで。探偵は「名探偵」でなく、文字通り「迷探偵」で犯人にさんざん連続殺人をやらせた上で最後の最後に犯人明かしをしないと探偵推理のミステリーとして話が盛り上がらないわけで。そういった意味でいえば、いつも犯人に連続殺人を許して最後の最後で犯人が分かってしまう金田一耕助は、「まさに探偵小説にふさわしい迷探偵である」といえる。

本作「病院坂の首縊りの家」以外でも金田一長編にて、いつも金田一耕助は犯人にさんざん思う存分、連続殺人を許した後に最後の最後でやっと真犯人が分かるので、「早期の発見推理にて事前に犯人を言い当てられない金田一は無能な探偵」の金田一耕助批判をやって本気で怒る人が時々いて正直、私には信じられないほどだが、そういう人は探偵小説の趣旨そのものを分かっていない。無粋(ぶすい)で野暮(やぼ)な人である。繰り返して言うが、探偵の冴え渡る推理で早い段階に犯人を明かして連続殺人事件を未然に防ぐのは盛り上がりに欠けるわけで、話の都合上、冒頭から「あなたが犯人ですね」と名指しして問い詰めないところが探偵推理のミステリー話たる所以である。

映画キャストでは、桜田淳子の一人二役、市川版の映画「犬神家の一族」以来の、あおい輝彦の再登場、探偵助手の草刈正雄の三枚目ぶりで彼と石坂・金田一とのやりとりが見ものだ(原作の「病院坂」には草刈の探偵助手の役はない)。冒頭と最後の横溝正史本人と夫人の出演は愛嬌(あいきょう)というか、横溝ファンへのサーヴィスである。横溝正史は結構、目立ちたがりで出たがりなところがある。

市川崑監督による金田一シリーズは映像化された幾多の金田一探偵譚の中でも特に優れており、連続して観ていると石坂浩二の金田一以外にも常連キャラクターの楽しみがある。例えば、加藤武のずっこけ警部。粉薬を吹いて「よおっし!わかった、犯人は××」でポンと手を叩く短絡的なトンデモ推理に、周りの人が「はぁ?」となるコメディ・リリーフなところとか(笑)。坂口良子は今回出るのか、毎回登場の草笛光子、三木のり平、常田富士男は今度はどんな役をやってくれるのか。ついで三木のり平の奥さん役で出る無愛想な裏方スタッフのおばさんも毎度気になるわけで。しかしながら、市川版金田一シリーズ映画を総括してのMVP級の影の最大功労者は大滝秀治で決まりだろう。

大滝秀治は一作目「犬神家の一族」(1976年)の神官のときは、まだおとなしい。次作「悪魔の手毬唄」(1977年)の死体監察をした町医者になると、だんだんコツをつかんでくる。さらに三作目「獄門島」(1977年)の分鬼頭の主人の長セリフで、やや爆発。四作目「女王蜂」(1978年)の風邪引き弁護士で中爆発。そして、この最終作「病院坂の首縊りの家」(1979年)の定年間際の巡査で秀治は大爆発。昔の事件調書を見て「わしの字だ、こりゃー」←(笑)。もうね、観ている方は作品を重ねるごとにエスカレートしていく大滝秀治のハジけっぷりに大爆笑なわけである。

映画「病院坂の首縊りの家」の最後は、佐久間良子を乗せた人力車が病院坂の下まで下って行き、佐久間は車の中で静かに絶命する。人力夫の小林昭二が頭(こうべ)を垂れてハラハラと涙を落とす。それを病院坂の坂の上から石坂浩二の金田一耕助が悲しく見つめている。金田一はこの後、アメリカに旅立って消息不明。まさに「金田一耕助・最後の事件」に、ふさわしい幕切れである。