アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

東京スカパラダイスオーケストラ大百科(5)「グランプリ」(ガモウ)

「東京スカパラダイスオーケストラ」には節目節目で「バンド危機」があるように思う。ギターの林昌幸の急な脱退でバックれ気味に突然に辞められてライヴ当日にギターがいなくて大変とか、バンマス(バンド・マスター)のASA-CHANGの「もうバンド解散しましょう」勧告など。

それでアルバム「パイオニアーズ」完成後にリーダーのASA-CHANGが抜けて、アルバム「ファンタジア」を新しく作った後にまたまたフロント・メンバーのクリーンヘッド・ギムラがいなくなり、スカパラは再び数回目かの「試練のバンド危機」を迎える。「ファンタジア」はリーダーのASA-CHANGなき後、バンドとして妙に吹っ切れた非常に清々(すがすが)しい、クリーンヘッド・ギムラの色が濃く出た派手でカラフルな傑作アルバムだと思うが、そんなギムラがいなくなってからの最初の作品が「グランプリ」となる。フロントに立っていたクリーンヘッド・ギムラ不在の空白を必死で埋めるかのように様々な人達をゲスト・ボーカルに迎えてセッションをやりまくっている。小沢健二、石川さゆり、高橋幸宏、俳優の岸谷五朗まで。あと、お笑いコント・パートも曲間にあって、竹中直人、YOU、永瀬正敏の面々も参加している。CDの内容は普通に楽しく面白いが、当時は「スカパラ試練のとき」というか、「相撲で連日、他の部屋に出稽古に出掛けて行って相手の肩を借り他流試合を重ね、ひたすら自分を追い込む悲壮感」のようなものを私は感じた。音楽自体にはそんな湿っぽさなど全くないのだが。

昔のスカパラは、クリーンヘッド・ギムラだけスカパラ・スーツではなくて何かワケが分からないド派手なツッコミ所満載な衣装でステージ中央にスキンヘッドで存在感抜群に立っていて、その周りで他のメンバーが各自が熱く楽器を演奏して、さらに冷牟田竜之がチキをやりながらステージ上を縦横無尽に異常な速さで走りまくりパニック・ムードを演出して客をアオりまくる強烈イメージがあった。そうしたバンドの中心核(コア)たる根っこを無くして、スカパラが漂流しセッション修行をひたすら重ねている感じが当時はあった。

アルバム「グランプリ」では、小沢健二「しらけちまうぜ」、石川さゆり「真っ赤な太陽」が特に好きだ。「花ふぶき・愛だろっ!愛っ」も名曲である。あと「スカング・フー・マン95」はスゴいキレキレの切れ味が鋭いスカで、まさしくスカパラの彼らにしかできない唯一無二な「東京スカ」だ。

ガモウさんのことなど。テナーサックス担当。今では正式表記は「GAMO」だが、昔は「蒲生俊貴」と律儀(りちぎ)に本名のクレジットになっていた。同様にナーゴも今では「NARGO」だけれど、スカパラでデビューの頃は「名古屋・ナーゴ・君義」というミドルネームのような感じだった。「GAMO」は何て日本語表記したらよいのか。「ガモー」「ガモウ」、とりあえず「ガモウ」でいこう。

ガモウは北海道出身で野球をやっていた元高校球児でドラムを叩いていたのに、ソニー・ロリンズ(Sonny・Rollins)の音に感動し衝撃を受けてサックスをやって、上京して東京の新宿あたりに住んでいた。当時の日本はバブル経済が最高潮で地価が上昇しまくり、住んでいたアパートが取り壊しになって、かなりの立ち退き料もらう。それで、その金でアメリカに単身で音楽修行に行く。ガモウはビジュアルと違って何だか生き様がカッコいいな(笑)。

昔、スカパラは竹中直人とテレビ番組やディナーショーでよく絡(から)んでいて、竹中直人がお気に入りで一番よくイジっていたのは(たぶん)ドラムの青木達之だったが、次がガモウあたりだった。「ガモウ、お前俺よりも年下かよ!老(ふ)けてるな!見た目貫禄あるな!」と竹中直人に言われていた(笑)。

ガモウは面白い。ライヴでメンバー紹介のとき、「ガモウさん、一言お願いします」でマイクを持たせると会場が異常に盛り上がる。ライヴ中のダンスも動きも面白い。元「ブランキー・ジェット・シティー」(Blankey・Jet・City)の中村達也がサポートに入ったとき、「ガモウさんのトリッキーな動きが」。後ろでドラムを叩きながらウケていたらしい。だがガモウは、サックス演奏でもバンド内発言でも締(し)めるところはしっかり締めるし、きちっとやる。この人がスカパラを支えるバンドの屋台骨なところはあると思う。クリーンヘッド・ギムラの追悼ライヴでの挨拶報告をスカパラ・メンバーを代表して彼がしっかりとやる。

ドキュメント「キャッチ・ザ・レインボー」の中で、海外でのインタビューの受け答えをめぐって谷中敦と加藤隆志が言い合いになる場面がある。メンバー全員が同席でいて、谷中が「インタビューで、ああいう答えかたすると深まりがない。相手に軽く見られるからよくない」旨を加藤に言う。それで加藤も何かを言い返して、しばらくシーンとなって険悪な重いムードが立ち込める。その時だ、ガモウが「そっちにワインない?」と陽気に少し間の抜けた感じで切り出すのは。それで茂木欣一が「いゃーたくさん、ありますよ」と陽気に返して一時的になごんで場が回復して救われる。そりゃね、ガモウは天然なところがあるので、そうしたシリアスな場面でも自分のテーブルにワインがなくて、だが「ワインが飲みたい」と普通に思って「そっちにワインない?」と単に言っただけの可能性が大いにあるが(笑)、私は「加藤さんに助け船」の配慮で険悪な重いムードを打開のために、ガモウが極めて自然にわざと軽く、あそこは切り出したのだと思う。あくまでも私の勝手な推測ではあるが。だから、ツアー中はたくさん酒を飲んだりタバコを吸ったり、ライヴMCもダンスも動作も面白かったりするが、しかし、やるときはさりげなくやるし、きっちり締める。そんな懐(ふところ)の深さが頼りになる大人、「ガモウさん、アダルトっす!」って感じだ(笑)。

だが、その一方で冷牟田竜之のスカパラ脱退の際には「何でガモウさん、冷牟田さんを引き止めなかったのか。バンド・ヒストリーのバンド貢献でのスカパラ内でのメンバー序列を考えたら、あの状況下で冷牟田さんのスカパラ脱退を止められる人は唯一、ガモウさんしかいなかっただろう」。昔から冷牟田ファンの「冷牟田推し」の私が、一時的にガモウのことを恨(うら)めしく思ったのも事実である。

スカパラ在籍の最後の方の冷牟田竜之は足をケガして身体が思うようにならず、以前と同様のライヴ・パフォーマンスができなくて明らかにイラついていて、精神的に鬱(うつ)の状態に入っていた。冷牟田は、スカパラ結成時からの初期主要メンバーで年長であるし、バンドの苦労人であるし、スカパラの初期メンバーで冷牟田と一番親しかった名曲「モンスター・ロック」を一緒に作ったギターの林昌幸は早くに突然にスカパラを辞めてしまっていたし、その他ASA-CHANGやギムラ、冷牟田と年齢が近くて旧知で親しかった運営相談役なメンバーもいなくなり、冷牟田竜之は最後の方はバンド内でどちらかといえば孤立気味だった。少なくとも私にはそのように見えた。ガモウは冷牟田と比較的年齢が近く、新加入や年少の他メンバーは歳上の彼を「ガモウさん」と普通に呼ぶのだけれど、冷牟田だけはガモウのことを「ガモウちゃん」と、より親しく呼んで頼りにしていた。「ホント、ガモウさんも行く先々のツアー各地で若いメンバーの谷中や加藤とじゃれてグダグダに酒を飲んで、谷中さんが悪酔いし暴れて倒れて歳上のガモウさんが谷中さんの介抱するとか、そういうことではなくてね。酔いつぶれた谷中の介抱など他メンバーかスタッフにやらせときゃ良いんだから(笑)、ガモウさん、バンド内で苦しんで悩んでいる冷牟田さんの精神ケアに早く回れよ!そして、冷牟田脱退を事前に阻止しろよ」と正直、冷牟田ファンの私は一時期、強く思った。ガモウも私のような本当はバンド内の実情を何にも知らない部外者に一時的であれ一方的に逆恨みされて、今となっては何とも気の毒な実に迷惑な話だが(笑)。

ガモウのMCや楽曲途中で発せられる、おっさんくさいダミ声が私は好きだ。酒とタバコとサックスで鍛えられたガモウのおっさん声が好みだ。「これからもスカパラで長くサックスを吹けるよう、禁酒・禁煙をして喉(のど)を大切にしてください、ガモウさん」。

ガモウの演奏で好きなのは、「火の玉ジャイヴ」で最初から一人でマイクを持って喋(しゃべ)ってライヴの客を煽(あお)って、すかさずテナーサックスを自在に吹きまくるところ。あの曲は完璧に彼の独擅場だ。昔よく演っていた「ジャングル・ブギ」の狂ったようなサックス・ソロも好きだ。あとはアルバム「ファンタジア」の最後の曲「スウィートG」を昔、ライヴでガモウが変なステップを刻みながら(笑)、これまた一人サックスを全開ノリノリで吹きまくっていたところ。

その他、奥田民生ボーカルの「美しく燃える森」での間奏のガモウのソプラノサックスのソロは耳に残って私は印象が深い。彼は管楽器のサックスをやる以前はドラマーでドラムを叩いていた。昔のスカパラ・ライヴで茂木欣一と並んで「ガモウ対茂木」のツイン・ドラムのバトル企画をやっていて、それが新鮮で観ていて非常に面白かった記憶がある。