アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

東京スカパラダイスオーケストラ大百科(4)「Fantasia」(クリーンヘッド・ギムラ)

長いバンド・ヒストリーのバンド・キャリアの中途にて、「東京スカパラダイスオーケストラ」の面々が国内ツアーを重ね日々ライヴをやりまくり、また海外にも頻繁に行って現地のライヴハウスや野外フェスに常連バンドとして繰り返し出るようになるにつれ、どうもスカパラの活動がライヴ優先で何だかスタジオ録音のオリジナル・アルバム制作にあまり力が入っていない感触が正直、私にはあった。

シングルやアルバムの売り上げよりも、ライヴ活動でバンドの収支を回収しているような悪印象が一時期のスカパラにはあった。事実、スカパラはライヴがかなり良いので、いつの間にか新譜のアルバムを私は購入しなくなっていた。その分ライヴ遠征をしたり、ベスト盤を購入して手早く済ませたりしていた。しかし、スタジオ録音のオリジナルで今も好きで日々、愛聴している非常に完成度が高いと思えるスカパラのアルバムもある。4枚目のオリジナル・アルバム「Fantasia」である。前作の「パイオニアーズ」が暗くてシリアス、突き詰めた内向イメージが強くあったためか、この「ファンタジア」はかなり明るくカラフルな突き抜けた感じがする。この頃のスカパラ・スーツは黄色だったので、後にこの黄色のスーツでテレビの音楽番組に出てスカパラのメンバー、「ダウンタウン」の松本人志から「カレーうどんの汁が飛んでも大丈夫そうな衣装やなぁ」ってツッコまれていた(笑)。

この頃になると初期の昭和歌謡の「いなたい感じ」な「東京スカ」へのこだわりがなくなり、シングルで切ったスカ曲「ハプニング」以外に、スカではない楽曲「インターセプター」も果敢(かかん)にやる。とにかく「インターセプター」はハイテンションな必殺曲で、ライヴでやると会場全体が必ず盛り上がる。あと収録楽曲にて強く印象に残るのは、ナーゴのミュートする孤高なトランペットが秀逸な「モーメンツ・イン・ヘヴン」とか、クリーンヘッド・ギムラがワイルドに聖書の七つの大罪を叫ぶ「スカドン」とか、変則スカなリズムが心地よい「ブラック・スワン・レイク」とか、タイトル通りそのまま高速な「ハイスピード・バス」など。全体に良曲ばかりで、アルバム1枚を通しで聴いて捨て曲がない。「ファンタジア」は1枚のアルバムとして静動・速遅・堅柔の各要素が多彩にあり、それら要素のバランスが絶妙でトータルで非常にまとまって良く考えられている。しかも、スカ以外の楽曲も抵抗なく様々に入れてバラエティーに富んだ充実のアルバムだ。

やはりスカパラのようなインスト主体のバンドでは、声を出す人の印象が強く残るように思う。私には「ファンタジアはギムラさんのアルバム」という感じが強い。前作アルバム「パイオニアーズ」の完成後に、バンド・マスターのASA-CHANG(バンドの発起人で東京スカパラダイスオーケストラの名付け親)が「スカパラ脱退します」「バンド解散しましょう」とメンバーに解散宣告をする。しかし「いや、俺たちは続けるから」と残りのメンバーが言って、結局バンドは解散せずスカパラは続いていく。それで「パイオニアーズ」の次のアルバム「ファンタジア」がASA-CHANG抜きでの初めての新体制でのスタジオ・アルバムとなる。そんなインスト主体のアルバムで唯一、声を出しているギムラがなぜか異様に目立つ。だから「ファンタジアはギムラさんのアルバム」という感じが私はする。

クリーンヘッド・ギムラ。ボーカルその他もろもろ担当。病気のため、アルバム「ファンタジア」発表後に逝去されました。

クリーンヘッド・ギムラさんのことなど。彼はスキンヘッドでデカくて、ちょっとバンド内での存在感が半端ではなかった。この人だけスカパラ・スーツではなくて一人だけラメ入りなどのスゴくド派手な衣装で、それがまた異常によく似合う。「生まれもって華のある人って、やっぱりいるものだな」と私は思った。

とにかく昔のスカパラの印象は、ギムラだけスカパラ・スーツではない、何だかワケがの分からない「普通の人じゃ到底着こなせないだろう」といったツッコミ満載のド派手な衣装を着て中心に立っていて(笑)、その中心のギムラの周りを赤い髪の冷牟田竜之が、チキをやってアジテート(扇動)しながらステージ上を縦横無尽に隅から隅まで異様に速いスピードで走り回っていて、残りのスカパラ・スーツを着たメンバーが各自、自分の楽器を熱く演奏しまくる、そんな強烈イメージがあった。クリーンヘッド・ギムラの担当肩書「におい」というのも、当時からワケが分からなかったし。スキンヘッドで一人だけ違う衣装で異彩を放つ雰囲気担当の強烈なフロントマンだった。

今でも昔のライヴ映像を見ると(スカパラ最初期のクラブチッタ川崎での白スーツに赤シャツのときのもの)スゴい。クリーンヘッド・ギムラは、「ジャングル・ブギ」の間奏でマイクスタンドをツルハシのように振り下ろしステージに何度もガンガン叩きつけ暴れまくっている。まさにギムラの独戦場だ。そしてこの時、スカパラホーンズの面々といえば、皆ステージ後方に避難している。

クリーンヘッド・ギムラはワイルドで面白い人だった。スカパラがせっかく待望のメジャー・デビューを決めたのに、なぜか単身いきなりアメリカに行ってバンドを留守にする。それで、しばらくして帰国し日比谷野音のとき、いきなりサプライズで登場したりしていた。あとスキンへッドだったから「すみません。朝シャンしてて遅刻しました」とか、「ちょっと美容室に髪切りに行ってきます」のような髪の毛ネタはギムラの鉄板だった。

しかし、その一方でギムラは怖い厳しい人でもあった。スカパラ加入前から谷中敦は川上つよし、沖祐市、青木達之の各氏と友達でバンド活動をやっていて、だが谷中だけ楽器をやっていなくてボーカルで歌っていた。そしたら川上らがスカパラに勧誘されて、谷中は「ヤバい、友達とられる」って焦ってた(笑)。それで谷中敦、スカパラのスタジオに行って「何かあったら飛び込みで歌ってやろう」くらいの意気込みで足組んで挑発気味にリハーサル見学をしていたら、ギムラが「コラてめえ、なに足組んでんだ(怒)」。スカパラの人達は比較的穏(おだ)やかでメンバー同士のケンカ話をあまり聞かないが、それでもバンド早創期には初期立ち上げ主要メンバーで年長のギムラが新メンバーの谷中に「バンド内指導」の一環で何か言って、そしたら谷中もギムラに言い返して互いに一触即発のケンカ寸前、ギムラと谷中の殺気だったバンド内バトルはよくあったらしい。初期スカパラに関し、そういった噂は昔からそれとなく耳にする。

クリーンヘッド・ギムラが亡くなったとき、スカパラのメンバーは小沢健二のソロツアーに帯同していて(確か)ライヴ終わり人気(ひとけ)のない無人のコンサートホール会場のロビーで、マネージャーからギムラ逝去の知らせを聞く。それで後日、ライヴで小沢が「ギムラさんに捧げます」の鎮魂で「天使たちのシーン」を静かに歌って、スカパラ・メンバーが小沢健二に「ありがとう」って声をかけるという。

クリーンヘッド・ギムラは破格で豪快で型破りな大きな人だったので「ジャングル・ブギ」や「あんたに夢中」や「妖怪人間ベム」のカバーなど、これまた型破りな歌をライヴでやってステージ上で映(は)える人だった。普通の人が「妖怪人間ベム」を生歌で客前でやっても、あそこまでハマって盛り上がらない、到底スカパラのギムラのようには。