アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

東京スカパラダイスオーケストラ大百科(3)「Pioneers」(北原雅彦)

「東京スカパラダイスオーケストラ」のメジャーデビュー後の3枚目のアルバム「Pioneers」は、一聴して全体にシリアスで暗く内向して突き詰めた感じがする。アルバム・ジャケットも地味な色だし、この時代のスカパラ・スーツは濃い青(ネイビー)でバンドそのものが当時はシック(落ち着いた大人)な暗い印象だった。

このアルバム制作途中にバンド・マスター(バンマス)のASA-CHANG、バンドの発起人で東京スカパラダイスオーケストラの名付け親のメンバーが「スカパラ脱退します」「バンドは解散しましょう」と呼びかける。しかし、そこで残りのメンバーが同意せず、結局バンドは解散せずにスカパラは続いていく。だから、このアルバムはスカパラの一つの節目で、メジャーデビューの「スカパラ登場」からセカンド・アルバムの「ワールド・フェイマス」を経て、このサード・アルバムの「パイオニアーズ」までがスカパラ第一期の感が私にはある。

第一期の初期は、「みんなスカ好きだけど、このバンドがやっているのはジャマイカ本場のスカやニューウェーヴの2トーン・スカではなくて、あくまでも東京スカ」という姿勢があって、それで昔の昭和歌謡テイスト楽曲「ワールド・フェイマス」や「あんたに夢中」や「妖怪人間ベム」のカバーを「東京スカ」としてハズしてわざと狙(ねら)ってやっていたと思う。おそらくはASA-CHANGの好みで彼のアイデアだと思うが、それが見事にピタリとはまり、初期のスカパラは怪しさが満点で「いなたい雰囲気」のカッコよさがあった。特にこの「パイオニアーズ」に収録の「マライの號(とら)」や、笠置シヅ子の「ラッパと娘」のカバーは明白にASA-CHANGの好みで彼のど真ん中の趣味のように思える。絶対にASA-CHANGが最初に「この曲をやろう」と言い出した感じがする。「パイオニアーズ」を制作して次の4枚目の「ファンタジア」のアルバムの頃になると、ASA-CHANG在籍時の昭和歌謡の「東京スカ」の味が何となく抜け、新しくクリーンヘッド・ギムラ主導のより洗練されたカラフルで派手な東京スカパラダイスオーケストラになる。すなわち、新たに「新生スカパラ」の第二期が始まるのではないか。

北原雅彦さんのことなど。トロンボーン担当。日本人で、ここまでドレッドヘアとヒゲが似合うレゲエな人を私は北原雅彦以外で知らない。

北原雅彦は、もともとサーファーで単に長髪なだけだったのだけれど、スカパラに加入したらバンマスでヘアメイクの仕事をしていたASA-CHANGから、「北原さんはドレッドにしたら絶対に似合いますよ。知り合いの美容師に連絡しましたから今すぐ行って下さい」と言われた(笑)。バンマスのASA-CHANGは、人とは違う一見変わった突飛なことを考えてすぐ実行に移すアイディアあふれる人で、とにかくプロデュース力がある人だった。

スカパラは、いつもキメキメの一同おそろいのスカパラ・スーツを仕立てているが、実はメンバーごとにスーツの型が決まっていて、例えば谷中敦は主にダブルのコンポラ・スーツ、大森はじめは4つボタンの細身のスーツなど。それで北原雅彦は三つ揃いの正装スーツで、いつもベストを着用して落ち着いてシック(大人)でカッコよい。

最初にスカパラに参加したとき、「今度スカやるバンドに誘われたんだけど、みんな楽器初心者でスゲー下手くそなんだよ」と同窓でスカパラの元ギターの寺師徹に北原雅彦は言っていたらしい(笑)。それで「イキのいい大学の後輩」のナーゴを北原が連れてきてトランペット・ソロをメンバーの前で吹いてもらって、「うわー上手いな、出す音が心に染(し)みるね」とメンバー全員がしんみりとなり、それまでギムラがトランペット担当で吹いていたけれど、それ以降やめたというスカパラ結成当初のバンド内秘話がある。だから、ナーゴのトランペッターの魅力を遺憾なく発揮させた曲に「ザ・ルック・オブ・ラヴ」(恋の面影)のくすんだミュートなトランペット音色の極上カバーがあるが、途中からナーゴの主旋に北原が静かにトロンボーンを重ねるところ、あの曲で北原雅彦のナーゴへの「後輩愛」を私は勝手に感じてしまって、いつもジーンとする。

北原雅彦は声が高いし普段からテンションも高い。ドキュメンタリー「キャッチ・ザ・レインボー」のDVD副音声にて、北原が異常にハイテンションで一人で勝手に暴走しまくって、あからさまに川上つよしが引いていたりで面白い(笑)。なるほど、この人は声が甲高くて普段からテンションが高いからライヴMCでは陽気で面白くてよいけれど、ときどき加減が分からなくなって暴走するときがある。北原雅彦は、教師になろうと思って教員免許取得のために学校に教育実習に行って、思いのほか校風や規則が厳しい学校で教員志望をやめている。おそらく北原雅彦、長髪のヒゲのレゲエな風貌で甲高い声のハイテンションそのままで教育実習に行って、学校の人から引かれていたと思う(笑)。

だが、他方ドキュメント「SMILE」では、ライヴ・ステージ上で北原の前に回り込んでカメラを構えたカメラマンの牧野耕一に北原が蹴りを入れて険悪ムードになり、しかし互いに話し合って和解する「シリアスな北原雅彦」も見られる。この人は毎日、長時間トロンボーンの厳しい練習を自らに課して欠かさない「継続は力なり」の本当は真面目で堅実な真摯(しんし)な人である。酒も飲まないしタバコも吸わないし、大の甘党で甘いものが大好きだし。

金管楽器のことを私はあまり分からないけれど、ガモウほどのサックス演奏巧(たく)みな人が、さらに「北原先生」と呼んで一目置くくらいなので、北原雅彦はやはり金管楽器のテクニックやブラスアレンジにて才能あふれる「先生」であるに違いない。「ハプニング」での北原のトロンボーン・ソロ、他のホーン隊との1対4の掛け合いバトルが好きだ。あとはシングル「ゴールド・ラッシュ」での北原のトロンボーン・ソロが強く印象に残る。正直、あそこまで執拗にスライドの抑揚を刻んで長く太い音をだせる自在に吹きまくるトロンボーンの演奏を、私はスカパラの北原雅彦以外で未だに聴いたことがない。はたまた初期のライヴで定番だった「ガッツィー・ボンゴ」での、北原がステージ上を旋回しながら吹く浮遊感あふれるソロ。「ガッツィー・ボンゴ」は静かで派手さはないのだけれど、まさに「入魂」で魂が入ったクールな静寂曲、真摯な感じがする曲でスカパラの最初の時代を思い起こさせる良曲だ。