アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

フリッパーズ・ギター 小沢と小山田(6)「ヘッド博士の世界塔」(その2)

(前回からの続き)そして、いよいよ傑作の名盤アルバム、フリッパーズ・ギター(FIippers・Guitar)「ヘッド博士の世界塔」の最大の盛り上がりのクライマックスな7曲目「奈落のクイズマスター」が来る。

この目玉曲の「奈落のクイズマスター」、曲は同時代の、これまた傑作で名盤「プライマル・スクリーム」(Primal・Scream)の「スクリーマデリカ」に収録されたリミックス曲「ローデッド」の引用サンプリングというか、そのままのパクリだ(笑)。ゆえに「クイズマスター」にアルバム内でのクライマックスの照準を定めて作っているなら、聴き所は歌詞にある。フリッパーズ・ギターの作詞は全曲を小沢健二がやっていた。当然のことながら「奈落のクイズマスター」の歌詞も小沢が書いている。

アルバム完成直後の雑誌インタビューにて、「このアルバムのメッセージ的なものが、まさに『それはこれなんだ』的に音楽として提示されているのが、7曲目の『奈落のクイズマスター』と思うんだけども」の問いに同意し、「ヘッド博士は、この曲で行くんだ!って思ったことはすごく深い」と述べていた作詞担当の小沢健二、以下は当時の彼の発言である。

「この『奈落のクイズマスター』は…超奈落という。…あれ、この7曲目は真空だ!っていう。…退屈な世界に対するいらだちとか、そういう個人のレベル的なものは『カメラ・トーク』で終わってるような気がするんだけど。ここではもっと、もっと何か普遍的な、真実的な事が入ってるんであって。気分という言葉を使われると、それは『カメラ・トーク』で終わってると思う。…今までは、フリッパーズは『決して致命傷には至らない傷が…』とか『たまにかいま見えるナントカが…』とか言われたけと、もうそんなもんじゃなくて。『─ではない』のNOT構文ではないフリッパーズが全開してて、『奈落のクイズマスター』の曲にはNOT構文が出ない。…つまり、これまでの『なんとかISなになに』のNOT構文とは当然違うわけでさ。…NOTじゃなくて、BE動詞的なんだけど、今回『なんとかIS…』で止めても、文章として破綻していないというものを作ったからさ。そこがこのLPのミソなんだよね、『なんとかIS…』で破綻してない。ある!あるんスよ!じゃあ何があるんだ?って言われても…あるんスよ!としか言えない。でもあるんスよ!(笑)」

これは思考様式の違いの変化の話である。要するに今までのフリッパーズは、退屈な世界に対するいらだちなど個人レベルの気分的なもの、そういうものを前面に出してやっていた。例えばアルバム「カメラ・トーク」での「寒い冬の日に鐘が鳴りだして、いらだちさえ僕は抱きしめたいと思った」(「青春はいちどだけ」)とか、「世界は僕のものなのに…と花束をかきむしる17歳の僕」(「午前3時のオプ」)とか、「分かり合えやしないってことだけを分かり合うのさ」(「全ての言葉はさよなら」)だとか。自分と世界の折り合いがつかない苛立(いらだ)ちだったり、他者と心の底から分かり合えない諦(あきら)めだったり、そういうものが「個人のレベル的なもの」で、小沢が英文で例えていう所の「NOT構文」である。本来は「─であるべきはず」なのに「─ではない」という否定のNOT構文だから「─ではない」欠落のいらだちが常に付きまとう。モラトリアムでメランコリックで、しかし甘くせつなく美しい青春のようなもの。これはアメリカ文学でよくある定番なテーマであり、小沢健二は大学で英米文学を専攻して勉強していたから、こういった欠落の甘くせつなく美しい青春の詞を軽々と上手に書けていた。

しかしながらフリッパーズ・ギターも「ヘッド博士の世界塔」の頃になると、かつての「カメラ・トーク」の時のような「─であるべきはず」なのに「─ではない」のNOT構文の否定の欠落のいらだち、甘くせつない青春の季節はもはや過ぎ去ってしまって、ただ単に何かが「ある!あるんスよ!」(笑)。否定のNOT構文から、存在のBE動詞になるわけだ。「なんとかISなんとか」の「S+V+C」の第2文型から、BE動詞の後ろに補語をとらず、「なんとかIS…」で完結して破綻しない「S+V」の存在示唆な第1文型になる。それで「何かある!確かに何かある!」のだけれど、それが何であるか具体的に明確に言わない、というか言えない。せいぜい言って「もっと何か普遍的な、真実的な事」とするのみ。別な所で「最終的にポジティヴなものがないと、ダメですよ。…その辺で僕らはすごく誤解されてる。最終的にそういう救いのあるものは必要なのよ」といったことは発言しているが。

「奈落のクイズマスター」は「笑い声だけが響く、真空宇宙の奈落で雪が降り積もるなか渦を巻いて昇りながら、美しい涙さえ次から次へ食い尽くす狂態を晒(さら)しながら、ひたすら自分のためだけに自身にクイズを出し続ける永久循環・無限問答」な歌だ。だから、そういった静寂の覚醒境地で自分に課す永久無限クイズの問いの中に「もっと何か普遍的な、真実的な事」や「最終的に救いがあるポジティヴなもの」が「何かある!確かにある!」のだろうな。

この記事は次回へ続く。