アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(44)塚原哲也「東大の日本史 25カ年」

教学社から出ている「難関校過去問シリーズ」、塚原哲也「東大の日本史・25カ年」(2008年)に絡(から)み、東京大学二次試験、日本史論述問題の傾向や対策以前に日本史の論述問題への対応として一般的な事柄をまず述べておくとすれば、以下のようになる。

論述問題とは出題者が何を要求して何を書かせたがっているか、解答者が察する問題である。論述問題の答案作成において、学び初めの不慣れな時は特に「内容を掘り下げて密度濃く、かつ幅広く書いてアピールしてできるだけ多く得点しよう」という気になるが、字数制限や行数指定がある論述問題にて、そうそう様々なことを掘り下げて、しかも盛りだくさんには書けないものだ。当然、論述問題を作問している大学側にもあらかじめの模範解答があり採点基準があって、その条件を答案論述中に書いて条件を満たしていれば加点となり、書けずに欠落してれば減点になる。最初から出題者が想定し要求していることを過不足なく書けば、自然と字数と行数を満たす問題になっているはずである。ゆえに論述問題では出題者が何を要求し、どんなことを書かせたがっているか、試験会場の問題初見にて素早く的確に察知して見切り、入学希望大学の出題者の要求通りに適切に書き抜くことが重要となる。

よくよく考えたら学校を卒業して社会に出てから仕事ができる人というのは、要は相手が何を望んでいるのか、上司や顧客の言外の要求を素早く的確に察知して見切り自分から進んで自発的にやる人が、いわゆる「デキる人」である。相手から指示されて初めて気づいて重い腰を上げ、やっと実行に移す人は駄目なわけである。恋愛でもそうだ。口には出さない異性の言外の要求があって、それを事前に察し前もって相手の思う通りにやってあげるのが「異性への優しさ」であり「自身の余裕」であり、それが「大人の恋愛」というものだ。だから大学入試の日本史論述に習熟していると、その辺りの直接的には明示されない相手の言外の暗示的要求を即座に適切に察知する能力が養成され、社会に出て「大変に仕事ができる有能な人」や、恋愛において「非常に異性にモテる羨(うらや)ましい人」になれるかもしれない(笑)。

さて、東大の日本史論述問題は「標準的な高校の授業では、さすがにこれは教えないだろうし、第一こんな歴史事項は教科書や参考書に詳しく載っていないだろう」という傍流で細かな問題も実際に出題されている。しかし、そこで諦(あきら)めずに設問にある史料やリード文を手がかりに日本史の知識がなくても自分なりにその場で考え対応して、答案を作っていく思考力ある学生に合格を出して、東大は入学させたい。「知らなかったらそこで終わりで諦める」硬直した生真面目な融通の効かない、柔軟に軌道修正ができない学生は要らない。たとえ知らなくても自身の中に限られてある知識を駆使し、工夫して柔軟に主体的に考え続ける賢い受験生を東大は自分たちの大学に迎え入れて入学させたいのだと思う。だからなのか、日本史の知識と関係なく、ただ提示の史料から読み取れることを抽象化して簡潔にまとめるだけ、設問の問い方から解答を類推したりする「もはやこれは日本史の問題ではなくて、どちらかと言えば古文や現代文の問題だ」というタイプの論述も正直ある。

例えば2003年度の第1問「律令国家の国家認識と外交姿勢」では、「当時の日本と唐・新羅との関係の意味を、たて前と実際の差に注目しながら説明」させるもので、唐と新羅に対する日本外交の「たて前」と「実際の差」の二つのポイントを押さえてまとめる論述である。一般の教科書レベルでも、またどんなに詳しい日本史参考書にも、そのような「古代の律令国家外交のたて前と実際の差」など載ってはいない。もうこれは問題に付された具体的史実の史料を試験当日その場で読んで対処する、その史料から読み取れる「たて前と実際の差」の内容事柄を自分なりに抽象化して、そのまままとめる古文か現代文の読解問題である。こういうのは、もはや日本史の試験ではない。

ただ、その一方で東大の日本史論述は「論述テーマに沿った自身の中にあらかじめある定番で定型な日本史の前知識」と、「提示されて当日初めて試験会場で見る問題文の誘導や史料から読み取れること」の二つの内容をバランスよく過不足なく両方を、うまく論述答案に繰り込まなければならない。東大の日本史論述にて高得点や完答を狙うには、その配分にひとえにかかっているといえる。前者の定番で定型の日本史の前知識だけで書くと問題文リードや史料を踏まえ活用していない独りよがりの論述解答になるし、また後者の問題文誘導や提示史料から読み取れたことのみで書いて日本史の定番前知識を入れないと、いかにもその場で考えてインスタントに即席でこしらえた深まりのない薄っぺらい論述答案の悪印象を採点者に与えてしまう。東大論述の試験を受ける受験生は、前もって自分の中にある日本史の前知識と問題文や提示史料から当日に読み取れることの二つの要素とを、必ず過不足なくバランスよく答案記述に盛り込む強い意識を持って論述作成するとよい。

真剣に取り組めば、それだけ得るものもある東大の日本史論述であり、過去問を解いていると面白い。例えば2004年度の第2問「中世・近世前期の貨幣流通」、この問題に「永楽通宝が相当数まとまった状態で遺跡から発掘される際の銭貨が土中に埋まるまでの経過」を説明させる論述ある。「なぜ多数の貨幣が土中に埋まった状態にあったのか」。解答は「室町当時、貨幣が流通手段だけでなく、蓄財手段として一般に認識され機能していたから」といった内容を中心に書き抜けばよいわけだが、これは問題作成した人が(おそらくは)経済史をやっている人で、明らかにマルクス「資本論」の「貨幣とは価値尺度、貨幣退蔵、支払手段」云々を踏まえて作成した論述だと思われる。果たして10代の受験生が「貨幣といえば価値尺度、貨幣退蔵、支払手段」と普通に知っているのか。もしくは試験会場での問題初見で「多数の銭貨が土中に埋まっている現象は貨幣の蓄財」と連想で即に気付くのか。案外、難しいところではないか。

史料から読み取れる「多数の銭貨が土中に埋まっている現象は貨幣の蓄財」に加え、あらかじめ知っている日本史の教科書的前知識たる「室町時代には貨幣経済が発展浸透し人々は貨幣蓄財をするようになっていた」論旨にて「問屋や撰銭」の定番な歴史用語も書き入れ、問題文や提示史料から当日に読み取れることと前もって自分の中にある日本史の前知識の二つの要素の二元的構成にて論述を組み立てればよいはずだ。本論述は、まず史料からの読み取りの思考力が試され、次いで日本史の定番知識も問われている良問であるに相違ない。

最後に、教学社の「難関校過去問シリーズ」で「東大の日本史・25カ年」の解説と模範解答を執筆の塚原哲也、この人は駿台予備学校の日本史科の人である。本書にて論述問題の設問(問いかけ)パターンに沿った記述のあり方、解答の作り方の雛型(ひながた)が丁寧に解説されており、氏が作成掲載の模範解答ともども有用である。提示の史料は過不足なく全てを使って必ずそれら史料から読み取れる内容を均等に解答論述に繰り入れること、「変化・変遷・推移」や「展開・経過」の過程を聞かれたら必ず二つ以上の時期を取り上げ、それぞれの事項を対比させコントラストを付けて書くことなど、論述解答の作り方の基本を親切丁寧に教えてくれる。