アメジローのつれづれ(集成)

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大学受験参考書を読む(71)太田あや「東大合格生のノートはどうして美しいのか?」

太田あや「東大合格生のノートはどうして美しいのか?」(2009年)は、近年人気で売れに売れたという「東大合格生のノートはかならず美しい」(2008年)を始めとするノート術の好評シリーズの内の一冊である。本書の帯には「シリーズ累計50万部の大ベストセラー」とあることから本シリーズは好評人気で事実、相当に売れたらしい。

私も学生時代から、また学校を卒業した今でも書き抜きメモやまとめのノート作成を日々しているので、特に「東大合格生」に限らず、他の人は普段どのようにノートを作成し見返し勉強しているのか、他人のノートが気になっていた。太田あや「東大合格生のノートはかならず美しい」のシリーズは東大合格生のみならず、他大学の学生や社会人や研究者、かつての文豪作家らの自作ノートを数多く写真掲載しているので、それらを見て自身の日々のノートの書き方・使い方の参考にして活用しようと思ったのである。

例えば「東大合格生のノートはどうして美しいのか?」の最初のページには「再び・コラージュノート」とあって、「『東大合格生のノートはかならず美しい』のギャラリーでひときわ注目を集めたノート。リクエストにお応えして再び登場」という紹介文とともに、前著で読者からの反響が多くあったという大学受験日本史のまとめの自作ノートが見開き原寸大でそのまま写真掲載されている。これ、菅野祐孝の、いわゆる「立体パネル」の日本史ノートそのまんま(笑)。以前に日本史の予備校講師に菅野祐孝という人気の人がいて、彼が受験生に「日本史まとめのノートを丁寧に作れ」という。「細かくノートを書いて、しかも教科書や史料集の写真・地図をそのまま切り取りノートに貼って、自分独自(オリジナル)の日本史ノートを完成させろ!」とかいう。それで昔は「菅野祐孝の日本史」は人気で、菅野の日本史参考書もよく売れていたから菅野祐孝ファンの菅野「信者」の大学受験生が全国各地に多くいて、菅野の指示通りに細かい日本史ノートをみんな作るわけね(苦笑)。

「東大合格生のノートはかならず美しい」の著者・太田あやと本シリーズ出版元の文藝春秋・編集部の人たちは、かつて「菅野の日本史」で有名であった予備校講師の菅野祐孝を知らないのか!?「そりゃまぁ、めでたく東大合格となった以前の大学受験生の中にも菅野祐孝ファンの菅野『信者』の人は少なからずいるだろうな」とは思う。

太田あや「東大合格生のノートはかならず美しい」「東大合格生のノートはどうして美しいのか?」らのシリーズ書籍を一通り見て、実はそこまで感心したり参考にして自身も真似したくなるような「美しいノート」は残念ながら私の場合、なかった。ほぼ皆無であった。本シリーズには社会人のビジネスノート、学者の研究ノート、作家の取材構想ノートら著名人のノートも掲載されているけれども、「東大合格生のノートはかならず美しい」のタイトルにこだわれば、本書で紹介されている「東大合格生のノート」が私には「かならず」しも「美しい」と感ぜられなかったのは、単純に率直に言って以下の理由による。

「ノート記述の字が汚い。ないしは字が幼く子供ぽくて大人の字ではない」

結局のところ、これに尽きると思う。いくら「東大合格生」で前途有望な優秀な人であっても、やはりまだ10代の高校生が主に書いた「東大合格生のノート」であるので、全般に皆さんノートの字が汚い。ないしは書く字が幼くまだ子供ぽくて大人の字ではない。だから少なくとも私には「美しいノート」とは到底、思えない。

逆に言えば、「美しいノート」を作りたいのなら美しい大人の字を書くように日頃から心がけ努力してノート記述すればよいことになる。そうすれば「美しいノート」に必ずなる。昨今では「美しいノート」作成術が流行人気で、あれこれ方法を細かく指南する人がいるけれども、「美しいノート」作成のために例えば「文頭は必ずそろえる」とか「小見出しをつける」とか「多色のマーカーを使ってカラフルに仕上げる」など様々な技術があるらしいが、そういうのは私からすれば所詮は「小手先のテクニック」でしかなく、「美しいノート」作りに大して寄与しない。

「美しいノート」にするためには、単に美しい字を書くよう日頃から心がけノート記述すればよい。そんなに「美しいノート」を作りたいのなら手っ取り早くペン字の練習でもやったら、というのがとりあえずの私の結論である。