アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(34)菅野祐孝「日本史講義の実況中継」

菅野祐孝という人は日本史の予備校有名人気講師だが、「良くも悪くも予備校講師らしい人」だ。菅野本人や氏の日本史講義をかつて受けた人には申し訳ないけれど、私はこの人は、いわゆる「カリスマ人気予備校講師」として功罪両面あると思う。

まず「功」から言うと、この人の網羅的な入試過去問研究が挙げられる。「日本史講義の実況中継」(1989年)を読むと分かる。氏は難関私立を意識した、かなり詳細な授業をやる。特に私立の難関校は山川出版「日本史用語集」の「頻度1」(十何社ある教科書のうち1社の教科書にしか書いてないような非常に細かい明らかに高校生レベルを超える専門的知識・用語)を普通に出すが、そういった難問にも対応できるように教える。それで、例えば「これは昔に慶応で出ました」「早稲田ではこんな細かい所まで聞かれます」と大人の菅野先生が言うと、10代の若い受験生は無知で純真だから「おーっ」と感嘆するわけだ(笑)。

私は高校を卒業して、しばらく経ったら分かったけれど、入試の過去問の研究分析をやって傾向をつかんで結果「××大学ではココが出る」と言えるのは、そこまで大したことではない。大人で並の能力があって時間がある人は普通にできる。ただ高校生や浪人生の受験生は時間がないから。高校や予備校の先生のように一科目だけ特化して出来ても大学には受からないから、複数科目を平行して勉強しないといけないので、特定科目をさかのぼって詳しく過去問研究をやる暇(ひま)がない。だから、大人の予備校の先生が過去問研究をやって情報提供してくれると、自然「おーっ」となる。

高校の先生が予備校講師のように入試過去問研究をやって、傾向対策を教えてくれない。これは私の偏見かもしれないが、標準的で一般的な高校教師は残念ながら教材研究の勉強を普段から研鑽(けんさん)してやっていない。生活指導の取り締まりや学校行事の遂行や部活動の指導などに多忙で、毎年お決まりの同じ授業をやっている。日本史の高校教師なら教科書の重要用語を羅列して、ただ板書するだけの明らかな手抜き授業だ。別に高校の先生など授業が下手でも、飲酒運転や重大犯罪をやらかさない限り、クビにならず終身雇用で定年まで勤続できる。だから、そういうダレた普段からの高校の授業があって、所変わって予備校に行くと予備校講師が「ズバリここが出る!」などと言ってくれるので受験生が非常に新鮮に感じて変に無駄に感動する。

他方、もちろん「罪」もある。特に菅野祐孝に関する限り、あの有名な「立体パネル」である。氏が「立体パネル」という日本史のまとめノートを作れという。一時代を見開き2ページに集約した、まとめのノートを。しかも教科書の地図やら図版や写真をコピーして貼ってまとめる作成に非常に手間のかかるノートをである。ノートを作っている間、受験生は手間と時間かかって工作のようで楽しいのである。しかも苦労してだんだん「立体パネル」のノートが完成してくると勉強の成果が目に見えて形になるようで。しかし「立体パネル」のノート作りは時間を費やす作業の労力の割には成果はない。結局、ノートを作る「図画工作」に夢中になって、肝心の歴史事項を覚えて理解する、時には苦痛を伴う暗記の作業や反復継続で問題に接し慣れていく問題演習をやっていないから、実際の入試問題を解けない。いくらキレイで精密なノートを作っても、大学側はそんなことは知らない(笑)。とりあえず入試当日に試験をやって合格ライン以上を得点した学生にしか入学許可は出さない。「菅野先生、受験生に立体パネル作れとか本当にヒドいな。仮にあれでうまくいって学習できたとしても点数が取れるのはセンター試験と私大入試くらいで、国立二次の論述問題には対応できないだろうな」と私は思う。

また、例えば「菅野先生は手ぶらでチョークのみ持参で教室に入ってきて、前もって細かな歴史用語や指導のポイント事項を全て正確に把握していて一切、講義ノートを参照せず淀(よど)みなくスラスラと立体パネルの板書をやるので感動した」ようなことを懐かしんで回顧される、菅野日本史講義の元受講者の方が今でもおられるが、ああいうのは日本史教科の内容を教える本質以外での案外、枝葉末節な単に「菅野氏の予備校講師としての自分の見せ方、ショービジネス的な人気予備校講師の自身の売り方」みたいなものであって。おそらく、以下のような正論本筋を書くと菅野の日本史元受講生や熱烈な菅野「信者」の方に激しく恨(うら)まれて、お叱(しか)りを受けそうだが、「菅野先生の立体パネルの板書が素晴らしくて感動した」などという無邪気さは、大学に入って本格的に学問をやるために「まずは大学入試対策の受験勉強をやって日本史の基礎学力をつけて、大学に入ってからも支障なく脱落せずに学問ができるよう、あらかじめ歴史の基本を学んでおく」という受験勉強の本筋から明らかに逸脱していると私は思う。

結局のところ、日本史を教えていないのである。これまでの入試過去問で問われた用語や知識を効率的に網羅で挙げて、受験生に覚えるよう指導するのみである。菅野祐孝という人には日本史の歴史(学)そのものを教えるというよりは、大学受験日本史を素材にして情報知識のまとめ方・覚え方を単に教える人といった悪印象が残念ながら私には残る。