アメジローのつれづれ(集成)

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大学受験参考書を読む(76)菅野祐孝「日本史講義の実況中継 テーマ史」

語学春秋社から出ている菅野祐孝の「日本史講義の実況中継」は、原始・古代から近現代までの「通史」が上中下巻で三冊あり、その他にも「文化史」と「テーマ史」の巻があった。今回の「大学受験参考書を読む」で取り上げるのは、菅野祐孝「日本史講義の実況中継・テーマ史」(1994年)である。

語学春秋社の「××講義の実況中継」は話し言葉の講義録体裁の大学受験参考書で、様々な教科のラインナップがあり、現在でも大変に人気のシリーズである。今ではあの講義録体裁の話し言葉の実況中継講義も創作執筆して、あたかも教室講義での架空の臨場感が出るよう執筆工夫されているらしいが、昔の初期の出始めの頃の実況中継シリーズは、実際に教室で行われている講義をその都度、録音し後に文字に起こして活字にし、「タイトルに偽(いつわ)りなし」の、まさにタイトル通りの「××講義の実況中継」として律儀(りちぎ)に出していた。

だから、シリーズ初期に当たる菅野祐孝「日本史講義の実況中継・テーマ史」も、実際に予備校で行われた夏期講習「頻出テーマ史」の6日間の集中講義の現場での録音音声を書き起こしの「実況中継」になっている。本参考書の冒頭にて担当講師の菅野祐孝は、次のように述べるのであった。

「これから 『日本テーマ史』ということで集中講義を行います。…この講義は例年のものとちょっと違うんです。知らない生徒もいるので、1つ最初に断っておきますが、語学春秋社から 『実況中継』という本が出てますね。これからやる講義はあのシリーズ中の1冊、『日本テーマ史』として刊行することになっているんです。その内容を今からしゃべっていく。今ぼくの腰ではテープが回っていますけれども、それに全部収録されます。そして、それが今度、活字になって起こされて、受験生の手に渡る。だから、『実況生中継』というわけなんです(笑)。なかなか記念になるかと思います」

本書は6テーマの8講義の収録で扱うテーマは

「日本仏教史、教育史、貨幣史・金融史・流通史、北海道史・日露関係史、農業史、家族制度史・婚姻史・女性史」

となっている。本講義中に講師の菅野祐孝が何度も述べているように、実際の大学入試問題は時代別の通史だけでなく、縦割りの形式にて特定のテーマ(分野)に焦点を当て、それを時代順に追って設問を立てていく出題も頻出で実はよくあって、そうした分野別の出題形式にも対応できるようにしておかなければいけないわけである。ゆえに、本参考書のような「テーマ史」の切り口からの受験日本史指導は大変に効果的といえる。

6テーマの8講義にて全8回の各回のテーマ史講義の最後には、本日講義された内容で実際の大学入試問題が解けるかを試す、主に難関私立大学の過去問演習もある。また実際の予備校での夏期講習の模様の音声を全録しているため、講義中の脱線話の長い雑談もそのまま活字になって収録されている。若者の恋愛事情、受験出願のスケジュールの立て方や試験当日の心構えの話など、菅野祐孝は割合フランクに時に面白く、しかし最後は真面目に紙上にて自在に語っている。単に大学受験の日本史指導をするだけでなく、この人は人を楽しませるサーヴィス精神が旺盛で、また流暢(りゅうちょう)なしゃべりの才能もある。

私が昔に菅野祐孝「日本史講義の実況中継・テーマ史」を初めて読んだ時に驚いたのは、まず予備校での菅野の日本史講義には最前列にいつも席を取っている、おそらくは教壇上の菅野と顔見知りの菅野「信者」の受講生が数人いるらしく、本書「日本史講義の実況中継・テーマ史」でもそうなのだが、教壇から菅野が前列の数人の受験生に一問一答的な質問を順番にしたりして、難しい問題に答えると講師の菅野が大げさに感心してみせたり、無駄に褒(ほ)めて持ち上げてみたり、また指名される生徒の方もこのやり取りの要領を心得ていて、自分がわからない問題ではわざとボケたウケ狙いの解答をして、講師の菅野がそれに反応しツッコんだり、混ぜ返して話を広げたりで講義中に笑いが起こるような光景である。これはお笑いの舞台で漫才師が観客をイジってアドリブで即にネタに組み込んで劇場全体を沸(わ)かせたり、トークの上手い歌手が曲間にステージ上から前列の客に気軽に話を振って、そのやり取りを最後は笑いに昇華させてコンサート会場全体の雰囲気を盛り上げる、ショービジネスの人が日頃からよくやっているお笑いの定番話芸のようだ。当時、予備校に行ったことがない私は、菅野「日本史講義の実況中継・テーマ史」を初読の際、「予備校でやる講義は高校の授業とは違って、こんなに楽しげなエンターテイメントの感じのなのか!? 」と思った。

また本書「日本史講義の実況中継・テーマ史」にて、講師の菅野から「僕の通常授業を一学期に引き続き二学期以降も受けられる生徒はいいけど、この夏期講習が最後で地方に戻らなければいけない生徒は手を挙げろ」とか、「この夏期講習が最後でも、また冬季講習に来られる人は冬に会いたいと思います」の発言があって、「自分が住む地域に予備校がなくて菅野祐孝の日本史講義を受講できない受験生は夏休みや冬休みの長期の休みを利用して、わざわざ上京し、東京に宿を取り滞在して有名講師の講義を受けているんだな」と私は衝撃を受けた。「こんな人達がライバルの大学入試で勝ち抜いて自分が合格するのは結構、難しいな」と率直に思った。

本参考書を購入した1990年代当時、私は地方都市在住で、私の街には代々木ゼミナールや河合塾ら全国展開の大手予備校の直営支店校舎はなく、また昔は現在の衛星通信授業のような、東京の有名講師の講義を受講できる映像メディアを介したブースでの視聴システムの学習形態もまだ普及していなかったし、動画配信をやるソーシャルメディアのソフトもハードもなかった。つまりは「大学受験教育の地域格差」が露骨にある時代であったのだ。菅野祐孝のような有名な東京の人気予備校講師がおこなっている講義内容を「日本史講義の実況中継 」の全国書店売りの大学受験参考書以外で知る機会は上京を除いて、地方に在住の人には当時、皆無であった。