アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(51)武井正教「展開する世界史 基礎編」

今でこそ予備校産業は発展して、一等地に派手に最新の大型校舎を構え(かつての名古屋駅前の某大手予備校の複数校舎の増築乱立とか)、大々的に広告を打ったり流したり(ある野球場に某有名予備校が大きな看板広告を出していたり)して派手で明るい予備校イメージであるが、一昔前の予備校といえば裏通りの雑居ビル群の一角にあったりして(以前に福岡・天神の繁華街の通称「親不幸通り」にあった某老舗予備校は有名)、今の人にはあまり信じてもらえないかもしれないけれど、昔は予備校に出入りしていたり浪人しただけで「人生の落伍者」の烙印(らくいん)を押されたようなマイナス・イメージのダメージがあった。そのため、昔は今のように予備校産業が発展しておらず市場規模も小さく、受験生の生徒集め以前に予備校にて受験対策指導する講師の人材確保が大変だったようである。

以前に代々木ゼミナールの世界史講師に武井正教という人がいた。この人が代ゼミの現職の予備校講師になるまでの経歴インタビューを昔に読んだことがある。武井正教は元高校教諭である。氏のインタビュー記事を読むと、都立新宿高校で教えていた時に、代々木ゼミナールの当時の理事長、高宮行男(代ゼミの経営母体は学校法人・高宮学園で創業は高宮行男。高宮没後も高宮一族による経営)が新宿高校に訪ねてきて、「是非とも力を貸してほしい。放課後に出講の補講の形でうちに来て予備校生に受験指導していただきい」。それで武井正教は校長同席の下、高宮理事長の話を聞いて「わかりました。協力します。私が出講しましょう」の旨の返事で話が決まり、後々予備校産業の方が高校よりもバブル的に相当に発展し、やがて武井正教は高校教師を辞めて代々木ゼミナールに完全移籍するのであった。武井当人談のこの話では都立高校の教員の公務員なのに、校長同席の場で私塾の代ゼミへの出講に協力同意とか「公務員の副業・アルバイト禁止の規則」に抵触しないのか、今読むと少し不安になるけれど(笑)、とにかく昔の昭和は緩(ゆる)い時代だったのである。

そういえば、昔の昭和の時代の代々木ゼミナールのベテラン世代の講師陣は皆さん優秀で、主に元は都内の大学合格実績がある進学校で教えていた受験指導に定評がある教諭であった。同じく代ゼミで世界史を教えていた「世界史年代記憶法」(1976年)の名著を出していた山村良橘も元は都立日比谷高校の教諭であったし、代ゼミで物理を教えていた「前田の物理」(1995年)の大学受験参考書を執筆の前田和貞も元々、都立多摩高校の教諭だった。山村良橘も前田和貞も武井正教と同様、元は都立高校教諭から後に予備校講師に転職のパターンである。当時より理事長の高宮行男が相当頻繁に大学合格実績がある新宿高校や日比谷高校や多摩高校ら、都内の多くの高校に直々に出向いて受験指導に名のある教諭に代ゼミへの出講を頼み込み、後に皆さん高宮理事長の勧誘・説得で高校を辞めて代々木ゼミナールの専任講師になったと思われる。

世界史講師の武井正教と山村良橘、物理講師の前田和貞の経歴事例を軽く見ただけでも分かるが、高宮行男は優秀な教諭を引き抜きの前提で都内の高校と密接な関係を持ち、やがて後に自身が経営の代々木ゼミナールにことごとく引っ張ってきている。その他にも代ゼミの英語講師の猪狩博は元は高輪高校教諭、現代文講師の堀木博禮は元々は麻布高校教諭であった。昔の昭和の時代の代ゼミの東大コースら難関大学対策の看板講師には、都内の公立か私立の有名進学校の受験指導経験豊富な元教諭を専任講師としてそろえていた。

恐るべし、有能すぎる代々木ゼミナール創設の初代理事長、高宮行男である。「親身の指導・日々是決戦」で、そりゃ代ゼミの英語科の原秀行も高宮行男と高宮一族に嫉妬で立腹するわな(笑)。

武井正教は公式プロフィールにて「山梨県出身」と前職の「都立新宿高等学校教諭を永年経歴」はよく書いているけれども、自身の出身大学については公式に書いていない。自身が出た大学に関し武井本人が明かしたくないフシが感じられるので、ここでは武井正教の出身大学名は明かさないが、この人はある仏教系大学の出身で(確か)東アジアの宗教史を専攻研究していて、日本仏教史学の大家である辻善之助の指導を受けていた。その上で後に武井正教は高校世界史の教員になった。

武井正教「展開する世界史・基礎編」(1988年)は、大和書房の「受験面白参考書」(略して「オモ参」というらしい)の大学受験参考書シリーズの中の一冊である。「基礎編」のタイトルになっているのは執筆時に、「本書はあくまでも基礎編であり、いずれ近いうちに続編として世界の各地域の横のつながりを明確にした同時代史な立体世界史『展開する世界史』の応用編を執筆出版したい」の思いが著者の武井正教にあったからだと思われる。事実「展開する世界史・基礎編」の続編に当たる武井正教「新編集・武井の体系世界史・構造的理解へのアプローチ」(2006年)が後に出ている。「展開する世界史・基礎編」の続編たる応用編の「新編集・武井の体系世界史・構造的理解へのアプローチ」が数十年ぶりに出て、体系化された武井正教の「展開する世界史」がついに完成なのであった。

最後に、「展開する世界史・基礎編」の表紙表カバーに掲載の「受験生諸君へ」と題された本書はしがきの一部、武井正教の文章を載せておく。

「諸君のなかには、世界史は質量ともに多く厄介で得点が取りにくい学科だと思い込んでいる人がいるようだが、実はとんでもない錯誤である。世界史での受験生が他の同列学科の受験生よりも合格者が多いという事実を見れば判る。学ぶには学び方がある。この本はそこから生まれたものである。もし世界史が思うように上達できないという人は、おつむが冴(さ)えないのではなくて、学び方およびその質量に当を欠くところがあるからである」