アメジローのつれづれ(最新)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(63)宮崎尊「東大英語総講義」

近年では東進ハイスクールに出講し、「東大英語」など難関大学対策の上級者レベルの英語を主に担当している宮崎尊について、この方は私が高校生だった1980年代から有名予備校講師としてご活躍で、氏のことは昔から知っていた。当時は「スイスイ頭に入る英単語の集中講義」(1990年)や「メキメキ力がつく受験英語の集中講義」(1990年)の氏の大学受験参考書が出ていたし、また旺文社「大学受験ラジオ講座」(通称「ラ講」)の講師も宮崎尊は務め、昔から幅広く活躍されていた。

今となっては「スイスイ頭に入る英単語の集中講義」の大学受験参考書は、私には非常に懐かしく思い出される。最近では普通に当たり前のように指導されているが、機能語(前置詞、接続詞、助動詞)や多義語や基幹動詞の理解に際し、原義である核(コア)となる基本の意味が必ず1つあるから、その原義のコア・イメージを最初に押さえておき、それからその原義の核イメージから枝葉な各々の細かな意味・用法を理解して覚えるという、いわば「抽象の基本の原義から具体の詳細な意味・用法へ」という英単語理解の指導を大学受験英語でほぼ最初に大々的にやり始めたのが、おそらく宮崎尊だった。

例えば前置詞の「for」に関し、「for」の原義は「対象を遠方から包括的に見る」である。その原義の意味から「対象を遠方から包括的に見る」ので「方向」(─へ向けて)や、「対象を遠方から包括的に見る」ことで「目的・意向」(─のために)の意味が生まれたり、さらには対象を遠方から包括的に見続けていると「交換」(─に代えて)の欲求も新たに生じたり、身体と気持ちの関心が対象の方向へ包括目視で向いているから「賛成・味方」(─に賛成して、─を支持して)の意味にもなったり、「対象を遠方から包括的に見る」ことを通して「基準」(─の割には)の判断が出来たり、はたまた前置詞以外で「for」は接続詞にもなって、「対象を遠方から包括的に見る」ことにより初めて可能になる「理由説明」(─というのは)の様々な意味・用法を持つのであった。要するに前置詞・接続詞の「for」といえば、最初から「方向」や「目的・意向」や「交換」や「理由説明」ら複数の意味内容をバラバラに個別に覚えるのではなく、まずは「for」の原義を理解し、そこから「抽象→具体」の思考の手順で本質理解しながら各意味・用法を覚えて「for」という英語を英文読解でも英作文でも自在に使いこなせるようにしておけ、といった指導である。そうしたことが宮崎尊「スイスイ頭に入る英単語の集中講義」に書いてあった。

宮崎「スイスイ頭に入る英単語の集中講義」の昔の英語参考書を今は手放してしまって私は所有していないが、機会があれば再び入手して読み返してみたい。私が高校生だった当時、大学受験に使える英語学習の書籍で私が特に気に入っていたのは、宮崎尊「スイスイ頭に入る英単語の集中講義」と山口俊治「英文法講義の実況中継」(1985年)と岩波新書のピーターセン「日本人の英語」(1988年)だった。その中で宮崎の書籍だけ今では絶版の入手困難で再読できない。宮崎尊「スイスイ頭に入る英単語の集中講義」と「メキメキ力がつく受験英語の集中講義」は名著だと思う。両書の再版・復刊を私は強く望む。宮崎尊という人は大学受験英語を教えてはいるけれど、この人は翻訳などもやり、もともと英語そのものをよく知っている方なので、いつも氏の教える英語は「本質的で明るい」の好印象だ。

さて、近年に宮崎尊が執筆の大学受験参考書「東大英語総講義」(2014年)である。本書が発売された際、私は喜びのあまり即購入した。当時、この宮崎の著書とならんで、Z会で東大英語指導をしていた著者による柿崎理「東大英語の総合的研究」(2014年)の東大の二次試験英語対策の参考書も出ていた。東進ハイスクールの予備校生やZ会の通信添削の会員にならなくても、誰でも購入できる書店売りの参考書でここまで詳しい解説の良心的な東大英語に関する書籍が出るとは予想外のうれしい驚きだった。

宮崎尊「東大英語総講義」の帯には次のようにある。

「色んなもの、やるな。この1冊でいい!数多くの受験生を東大合格に導いた宮崎尊先生、渾身の書き下ろし!」

「色んなもの、やるな。この1冊でいい!」。なるほど、本書は総合的な東大英語対策の参考書としてほぼ全ての項目が網羅され指導されている。すなわち、文法・語法、短文精読、長文読解(評論文と小説)、基本語の用法と口語表現、英文ライティング、リスニング。どの章も東大の過去問の英文を使っての解説講義が最初にあり、その後に実戦の問題演習となっている。

「東大英語総講義」の本書は、読者に東大受験生を想定しているため、さすがにその講義内容は高度で難しい。本書にあるのは、おそらく全国の標準的な普通科の高校では教科書にも載っておらず、ゆえに現役生には教えられることはない、予備校の先生が予備校生に向けてやる東大英語攻略のための本格的な大学受験英語だ。例えば、長文読解での評論文における論理展開パターンの提示によるパラグラフ・リーディングや、長文読解の小説における構造分析(語り、場面、伏線)の講義は、読んで「なるほど」と感心させられる。同様に長文読解における速読について、英文の構造を即座に見切り先を予測して読むことで早く読めるという速読指南(例えば、英文中に「between」の語が出てきたら「between・A・and・B」 の形になるから即予測して後に出てくる「and」を探しながら素早く読めというような指導)も参考になる。その他、英文ライティングのいわゆる英作文で「使える論述パターン」や「基本例文の型」をあらかじめインプットしておき、漠然と書き出さずに英作の際には、それら論述パターンと基本例文の型に当てはめて使い倒すというライティングの方法論も、非ネイティブで英語が第二言語である日本人の英作には効果があると考えられ、その英作文指導は非常に合理的で納得できるものだ。

本書「はじめに」に書いてある「過去二十数年、東大受験生の指導に携わり、多くの人たちを見てきたが、東大英語をクリアして合格する人に共通する特徴」という著者の宮崎尊が挙げる「東大に受かる人の特徴」の5ヶ条は、東大英語をクリアするために日頃からどのような思考や学習姿勢が必要なのかが本質的に述べられており、これも大変に参考になる。のみならず、この5ヶ条は東大合格のための大学受験英語だけでなく、大学生や社会人が長い将来に渡って広く深く英語を使いこなすための心構えとしても有益であり、必読といえる。

大学受験参考書を読む(62)本正弘「英語長文講義の実況中継」

「英語長文講義の実況中継」(1990年)らの著作がある元代々木ゼミナールの英語講師である本正弘その人について、私は実際に氏の講義を受けたり、お会いしたことはないが、英語の大学受験参考書を介して氏のことはそれとなく知ってはいた。ここで詳しくは述べないけれど、40代の若さで早くに亡くなった本正弘の事情を氏の周りの人々からの話で後に伝え聞き、かつ予備校産業に関する私の実際の確かな見聞も加味すれば、予備校講師というのは肉体的にも時に経済的にも、また特に精神的に大変に過酷な職業であると思う。

マスメディアへの露出や衛星講義や書店売りの大学受験参考書を通し全国的に有名で一躍人気のカリスマ予備校講師になれば、収入も莫大で社会的な人生の成功を得られるのかもしれないが、そうした有名スターになる人は、ほんの一握りの例外中の例外。ほとんどの大多数の予備校講師は非正規雇用の更新契約制で終身の契約なく、精神疾患を含む病欠対応など社会保障のケアもなく、不安定な雇用に晒(さら)され続ける。まさに予備校講師の悲哀である。昔も今も予備校講師は不安定な職業で、一握りの売れっ子人気講師はよくても他の多くの人達は「使い捨ての悲哀」を味わう残酷な職場なのだから、仮に私の周囲で予備校文化にハマりカリスマ人気の予備校講師に憧れ、予備校産業に従事したいと考えている親しい人がいたら、「悪い事は言わないから、とりあえず予備校講師だけはやめておけ。以前に本正弘という英語の講師がいてね」云々の率直なアドバイスを私は送るだろう。

英語の予備校講師の本正弘その人について改めて述べるとすれば、以下の通りだ。

「本正弘(もと・まさひろ)1953─94年(?)は、元代々木ゼミナール講師、元近畿予備校講師。1980年代後半に駿台予備学校で教え、後に代ゼミ大阪校に移籍した。現代文講師の出口汪が代ゼミから独立してS-P-S(スーパー・プレップ・スクール)を立ち上げた際、初代英語講師に内定していたが、初講日を待たずして亡くなった。この辺りの事情は本正弘と親交が深かった出口汪の著書に詳しい」

本正弘は、英文を返り読みせずに左から右へ読んでいく直読の読解法を指導した。著書の「英語長文講義の実況中継」初級・中級・上級コース(1990年)は広く読まれており、社会人向けに「英文直読TRY・AGAIN!」(2006年)も出されている。直読法を推進する本正弘によれば、昨今、入試問題が長文化傾向にある。この試験対策には、より速く、そして正確に読む力が一番大事だ。英語のリズムそのままに書いてある通り「左から右へ(返り読みは厳禁!)」と意味を捉えていく。読解スピードを重視し、書かれてある英文の頭からどんどん意味をとっていき、日本語表現としては多少不自然であっても英語の原文の流れに即した理解に徹する。これを直読法という。つまりは、直読法は目に入ってくる英語の語順そのままに読み取っていくのでリスニング強化にも直結する。

本正弘が英語を指導する予備校講師として大変に優れており、日本人への英語教育に貢献した誠に優秀な人であったことは、私のような英語指導に門外漢の素人な氏の大学受験参考書愛読の読者が今さらあえてわざわざ言うことでもない。大学受験英語指導における直読法教授の本正弘先生の功績を讃(たた)える。

大学受験参考書を読む(61)「ザ・予備校」

1980年代に高校生で90年代に大学進学した私らの世代、つまりは1970年代生まれは、いわゆる「団塊ジュニア」の第二次ベビーブーム世代にあたり、そのため大学進学を希望する高校生の人数も多くいて大学受験指導の予備校業界が最盛期の絶好調で、世相も昭和から平成にかけてのバブルの時代の只中であったけれども、私は当時から予備校文化にどっぷりハマっている同年代の人達にあまり好感が持てなかったし正直、共感もできなかった。

結局のところ、大学受験は大学進学のための一つの通過点でしかないのだから進学希望の大学に合格するために受験勉強はもちろんやるけれども、大学進学を果たしたら、そんな受験時代のことはやがては忘れてしまう。高校生や浪人生の時点で受験科目の勉強内容以外のこと、特定の予備校講師の熱烈「信者」になって予備校講師の格付けランキングに熱中したり、予備校講師が執筆の大学受験参考書の批評をやったりしていた友人らは、私には幼稚で浅はかに思えた。事実、そういった予備校文化にハマっていた私の周りの人達は大した大学合格実績を残せず希望校以外での不本意な進学を果たしたり、現役合格はおろか泥沼にハマって二浪三浪したりして大学受験に関しては散々な人達が、どちらかと言えば多かったように思う。

また大学を卒業して社会人になった後でも、いまだに予備校文化にハマって熱く語り続ける大人も、幼い成熟していない「子ども大人」というか、私はどうかと思いますよ(笑)。最近ではネット上の動画で一時代を風靡した往年のカリスマ人気な予備校講師が華やかで勢いがあった、かつての予備校業界の内幕(当時の最高収入や契約内容の詳細や他予備校からの引き抜きの実態やライバル講師との確執など)を語ったり、またそういった業界裏話を知りたがり聞きたがる人が多くいて、その手のサイトが人気であるようだが、そういう話を語る方も聞きたがる方もそこそこの年齢の大人であるのに誠に気の毒ながら、どちらかと言えば皆さん年の割には風貌も若く見えて精神も幼く思える。

さて、第三書館編集部編「ザ・予備校」(1986年)である。本書は1980年代、かつての勢いがあって華やかなりし予備校文化の当時の実情がうかがい知れる書籍である。私は本書を以前に軽く読んだことがある。私は大学受験科目の勉強内容には今でも大変に関心興味があるが、他方で受験勉強の内容以外のこと、例えば全国各地の予備校勢力図だとかカリスマ人気講師の移籍動向の行く末など、予備校文化には全く関心がなかったので書籍の内容は忘れた。

前述のように、高校生や浪人生の時点で受験科目の勉強内容以外のこと、特定の予備校講師の熱烈「信者」になって予備校講師の格付けランキングに熱中したりするような、予備校文化にハマる人達は、本筋の受験勉強がおろそかになり学力が下がって大した大学合格実績を残せず希望校以外での不本意な進学を果たしたり、現役合格はおろか泥沼にハマって二浪三浪したりして大学受験に関しては散々な結果になる人が多くいたので、当時の高校生や浪人生で本書「ザ・予備校」を楽しんで読んでいる人が仮にいたなら、その学生は大学進学に際しては上がり目がなく、ある意味「終わっている」と思う。そういった意味で「ザ・予備校」は若い学生の受験生にとっては決して手を出して読んではいけない、有害な「悪魔の書籍」という気も私はする。また大学を卒業して社会人になった大人も、大学受験科目の勉強内容以外での予備校文化にずっとハマったままでいるのは成熟すべき大人としてどうかと正直私は思うので、本書は現在そこまで熱心に読まれるべき書籍ではないと思う。

大学受験参考書を読む(60)土屋博映「土屋の古文講義」

不思議なことに学校や職場でこういう人はだいたい一人か二人はいるものだが、なぜか自分のクラスや部署とは異なる生徒や同僚とも、いつの間にか顔見知りで親しくなっていて、登校時や出勤時に何気に遠くから観察していると、正門をくぐって玄関入口から廊下を渡って自分の教室やデスクにたどり着くまでにやたら多くの人と挨拶したり立ち話をしたりして、なかなか自分の教室やデスクの定位置にたどり着けないような。そういった異常に人好きがして誰とでも分け隔てなくすぐに仲良しになれる人というのが、世の中にはいるものである。

代々木ゼミナールの古文講師の土屋博映は、私は氏の講義を実際に受けたことはないが、昔のメディア露出や土屋博映が執筆の大学受験参考書を読む限り、そのような「異常に人好きがして誰とでも分け隔てなくすぐに仲良しになれる人」といった好印象である。この人は昔から都内の代ゼミで短時間で即定員の締め切り講座を続出させ、土屋の古文講義では前列の良席を求めて受験生が講義が始まるかなり前から教室前に並んで長蛇の列を作っていた、というような話も聞く。

代ゼミの土屋博映に関し特筆すべきは、この人が書店売りの大学受験参考書にて、同僚の代ゼミ在籍の講師が他社の出版社から著作を出す時、ほぼ土屋博映が著者と出版編集部との間の橋渡しの紹介や事後のフォローをしていることだ。だから代ゼミの人が代々木ライブラリー以外で新たな出版社から参考書を出す際には、巻頭の「まえがき」か巻末の「あとがき」に「今回の新刊上梓に当たり、代々木ゼミナールの土屋博映氏には大変にお世話になった。土屋先生からの紹介や助言がなければ本書が世に出ることはなかった」旨の土屋に対する謝意の文章がもれなく、だいたい付されているのである。異常に人好きがして誰とでも分け隔てなくすぐに仲良しになれる世話好きな面倒見のよさから、代々木ゼミナールの土屋博映が書店売り大学受験参考書のラインナップの充実に陰ながら貢献した偉大な功績は後々まで十分に称賛されてよい。

代々木ライブラリーから出ている「土屋の古文講義」シリーズ(1986─88年)ら土屋博映の古文参考書を読む限り、この人は講義中に雑談をやったりダジャレを連発したりすると聞いていたが、参考書紙上では古典文法も単語も読解も古文常識も文学史でもダジャレの語呂合わせなど使わず、割合に真面目で正攻法で正統派の古文講義をそつなくやる人といった好感を私は持った。

大学受験参考書を読む(59)牧野剛「予備校にあう」

私はたまに読んでいるのだが、「絶版」の大学受験参考書を収集して「博物館」形式で紹介するブログがある(「浪人大学付属参考書博物館」)。そのブログ主の「館長」と称する方は、絶版の大学受験参考書のことはもちろん、予備校業界や実際の入試過去問についても非常によく知っており、加えて大学受験参考書に掲載の解説方法や模範解答を時に痛烈批判してダメ出しする程の大変に優秀な方なのであるが、他方でこの人は、西洋近代を模範にしてその理念規範から日本の現状の至らなさを問題にする欠如理論たる近代主義と、そうした近代主義者や戦後民主主義の立ち位置にある左派リベラルな人達を嫌悪する心情右翼な人でもあって、ゆえに絶版参考書の批評でも左派的人物が執筆の書籍に対する評価はかなり厳しい。

特に現代文に関する限り、この人は代々木ゼミナールで堀木博禮(ほりき・ひろのり)の講義を受講していたらしく自身を「堀木門下」と任ずる人であり、「恩師」堀木への忠誠心がそうさせるのか、同じ現代文講師でも、例えば反戦平和を志向する左翼的心情の持ち主である代ゼミの酒井敏行に対してはなかなかシビアであり、さらには反権力で反国家な左派的思想の立場にある河合塾牧野剛に対しては、もうボロクソである。例えば以下のように。

「(牧野剛が執筆の大学受験参考書に対し)共通一次第1問的中だけで20年以上業界のメシを食ってきた一発屋サヨク講師による問題集」「(牧野剛の参考書紙上での模範解答のいい加減さを堀木博禮が作成の模範解答と比較検討した後に)これこそが堀木師の真骨頂で牧野のようなハッタリ講師の及ぶべくもないところである」

これは傑作だと思う。牧野剛は「共通一次第1問的中だけで20年以上業界のメシを食ってきた一発屋サヨク講師」←(笑)。確かにそうである。河合塾の現代文講師である牧野剛は、名古屋大学文学部出身だから。近年の2000年代以降ではそうでないかもしれないが、昔の名古屋大学の文系学部は戦後民主主義反戦平和を志向し国家権力との対決姿勢を明確に打ち出すような左派リベラルの教授陣の巣窟(そうくつ)だった。例えば、一橋大学出身の「一橋社会学派」で高島善哉の弟子であるアダム・スミス研究の経済学の水田洋や、「不戦兵士・市民の会」の市民運動に参加し、福沢諭吉研究の近代日本教育学の安川寿之輔らが昔の名古屋大学にはいたのだった。だから、そこの卒業生であった現代文講師の牧野剛も反権力な名古屋大学出身ゆえ相当に左派の河合塾の中では重鎮な人で、昔の河合塾は文化活動講演に学生運動シンパの吉本隆明を呼んだり、河合文化教育研究所にマルクス研究の廣松渉を招聘(しょうへい)しようとしたりしていた。

共通一次第1問的中だけで20年以上業界のメシを食ってきた一発屋サヨク講師」という牧野剛に関する評価も、確かに牧野は1984年の大学共通一次試験・国語の現代文問題と同じ出典の文章、藤田省三「精神史的考察」(1975年)を直前の河合塾全統模試で出題し、「問題を的中させた」として一躍大学受験界の寵児(ちょうじ)となり注目されたらしいけれども、あの共通一次の第1問目の現代文評論の「的中」は、牧野剛共通一次試験の過去の出題傾向やらを厳密に分析して予測した結果ではなくて、おそらくは藤田省三の思想や政治的立場に共鳴し単に牧野剛が「藤田省三ファン」で藤田の著作を日頃から読んでいたため直前模試で藤田の評論文から作問したら、たまたま「的中」したまぐれ当たりの幸運であったと私は思う。

事実、藤田省三という人も、名古屋大学と同様、反権力な左派的知識人の巣窟のような法政大学に長年在籍した人で、またこの人は、近代主義の立場から日本の戦後民主主義を牽引(けんいん)した左派的知識人の代表格であった政治学者の丸山眞男の弟子であり、丸山の弟子を「丸山学派」と一般的に呼ぶが、藤田省三は丸山学派の中でも最も頭のキレて師匠の丸山眞男から信頼が厚い戦後日本の左派的知識の前衛にいる「斬り込み隊長」のようなイケイケでキレキレな左派リベラルのラディカルな人であった。河合塾牧野剛が、法政大学で丸山学派筆頭の藤田省三がお気に入りで日頃から藤田の著書を愛読していたであろうことは容易に想像がつくのである。

何度書いても面白いから繰り返し、しつこく書くのだが(笑)、「共通一次第1問的中だけで20年以上業界のメシを食ってきた一発屋サヨク講師」の牧野剛はかなりクセのある現代文の予備校講師であったけれども、この人が予備校業界に貢献した良い面も正直、私はあったと思う。牧野剛をして「共通一次第1問的中だけで20年以上業界のメシを食ってきた一発屋サヨク講師」で一刀両断に否定してしまうのは牧野剛その人に対して失礼であるし、また気の毒な思いがする。

まず牧野剛は、1980年代当時からマスメディアに多く露出し、いわゆる「予備校文化」というものを当時の社会に広く知らしめた。昔は予備校に通う大学受験浪人生は挫折で一旦落伍した学生の暗いイメージしかなかったが、この人はよくテレビに出て浪人生と予備校に関する良イメージの宣伝や幅広い生徒集めの予備校業界の市場拡大に貢献した。牧野剛は禿頭(とくとう・つまりはスキンヘッド)で見た目にインパクトがあるから映像でも目立つ。昔に牧野剛河合塾での講義中の教室にテレビカメラが入って撮影していたが、私の記憶では牧野剛は教壇の上に正座して現代文講義をやっていたような(笑)。

またこの人は、高校や予備校が自校の進学実績の成果を誇り宣伝したいがために難関校や上位校に合格進学する生徒に主に力を入れて受験指導する進学主義や偏差値教育に対し異論を唱え、逆に勉強が苦手な生徒や高校中退の学生への大学進学を支援する、河合塾でのベーシックコースと大検コースである「コスモ」の創設を提案して実現させた人物とされる。

ところで、予備校に通う同級生ら「予備校文化」に影響されて「予備校文化」にどっぷり浸(つ)かっている人達に私が昔から感じる違和は、彼らが高校教師や高校での授業を「高校の先生は教え方が下手でクズ」などと時にあからさまに馬鹿にし出すことであった。さらには予備校内部でも受験生の予備校生が、たとえば「駿台予備学校と代々木ゼミナール河合塾」の全国展開の昔の三大予備校の間で優劣の序列をつけたがったり、自分が選択し受講している予備校講師の熱烈「信者」になり、そうすると自然とそのライバル講師を批判してこき下ろすような強烈な「反(アンチ)」に、なぜかなってしまって、「この先生は教え方がよくてタメになるが、かたや、あの先生は教え方が下手でカス」とか、「この大学受験参考書は名著だか、他方あの参考書はゴミ」などと言ってしまうような、予備校講師ランキングとか予備校講師が出す大学受験参考書の採点評価をやり、能力によって人間を判別し暗に、時にあからさまに「クズ」や「カス」や「ゴミ」などと他者を馬鹿にし出す。それは、大学を入学試験の難易度によった偏差値ランキングに依拠して偏差値上位の難関校から比較的偏差値が低い大学まで上下の序列をつけて、そのランキングにて下の方に位置する大学やそこで学ぶ学生を下に見るような「予備校文化」がもたらした大きな弊害により強力に支えられたものであるともいえる。

こういうのは昨今の教育時事でいえば「能力信仰の弊害」に属する問題である。求められる能力程度によって組織(学校や企業)や職種に上下の序列をつけたり、発揮される能力の有無や優劣によって人間その人を判断したり、ましてや安易に人格否定したりしてはいけない。

高校や予備校が自校の進学実績の成果を誇り宣伝したいがために難関校や上位校に合格進学する生徒に主に力を入れて受験指導する進学主義や偏差値教育に対し異論を唱え、逆に勉強が苦手な生徒や高校中退の学生への大学進学を支援する、河合塾でのベーシックコースや大検コースである「コスモ」の創設を提案して実現させた河合塾牧野剛には、そういった教育現場にて昔からはびこる、昨今ではさらに絶望的なまでに隆盛を極めつつある能力信仰の弊害を根本から批判する、わずかながらの可能性の光があるように思う。かつての牧野剛「予備校にあう」(1986年)ら、大学受験参考書以外の一般的な教育論の著作を読んでいると、そうした能力信仰批判のかすかな希望を牧野剛に関し私は感じる。

確かに河合塾の現代文講師の牧野剛は「共通一次第1問的中だけで20年以上業界のメシを食ってきた一発屋サヨク講師」であったかもしれないが(笑)、そのことだけで一刀両断に牧野を全否定してしまうのは、やはり牧野剛その人に対して失礼であるし、また気の毒な思いが私はする。

大学受験参考書を読む(58)前田秀幸「前田の図解日本史」

昔、代々木ゼミナールに出講していた日本史講師の前田秀幸の大学受験参考書はどれもよい。この人が執筆の日本史参考書にはハズレがない。だいたい前田秀幸の日本史参考書は何を読んでも面白い。例えば「前田の図解日本史」(1993年)でも「早稲田への日本史」(2003年)でも「東大合格への日本史」(2016年)でも。特にこの人の早稲田大学対策に特化した参考書が素晴らしい。難問といわれる早稲田の日本史にての細かい小ネタの網羅、枝葉な特殊テーマ史への対策が万全である。

また前田の日本史参考書は、遠回しでまわりくどい余計な文章解説がなく、図表の多用と用語の書き出しの「図解」システムになっている所がよいと思う。実は私は前田秀幸の日本史参考書を大学受験時にはそこまで使っていなくて、むしろ大学進学後や学校卒業後に「前田の日本史」を日常的に読んでいた。大学の歴史講義で「日本史の基礎概要を会得するために、とりあえず岩波書店の『岩波講座日本歴史』の通史を全巻読んでこい」とか言われたけれど、専門の学術的な概説書は説明が遠回しでまわりくどいので、私は大学生になってからも前田秀幸の日本史参考書を平行して隠れて読んでいた(笑)。

大学受験参考書というのは、受験勉強対策に特化した効率的な学習を促す工夫の編集が多々あって、大人の学び直しや基本の再確認に最適なテキストでもあると思う。前田秀幸の書籍に加えて、山川出版「日本史B用語集」(1966年)も、あれはすぐに読めて歴史用語の確認や調べるのに大変に便利だ。大学受験参考書には受験が終わっても後々まで役に立つ良書が多い。

前田秀幸の参考書には以下のような著者からのメッセージがどの本にも、だいたい巻頭に書き入れられてある。

「悔いのない人生を─基本的、頻出事項、そして盲点事項。入試まで『暗記は嫌だ』という前に書いて書いて書きまくってほしい。何回もくり返しくり返し実際に手で書いて覚えることが必要であり、頭の中でいろいろと考えるよりも、まず書いてみること。私も大学を3回かえ、転職も3回。しょせん短い人生。与えらえたれた運命の中で、力の限り全力をあげて生きることをモットーとしている」

前田秀幸という人は真面目で熱心な受験生思いのよい予備校の先生だな、と氏の大学受験参考書を読むたびに私は思う。10代の若い時代に熱意のあるよい先生に出会える学生は幸せである。

大学受験参考書を読む(57)三浦五郎「三浦の日本史頻出問題150選」

かつて代々木ライブラリーから出てた三浦五郎「三浦の日本史頻出問題150選」(1988年)は、非常に懐かしい大学受験参考書だ。私は高校生の時に購入し問題を解いていた。その後、ずっと自宅の書棚にあった。

本参考書を購入した1980年代当時、高校生だった私は地方都市在住で、私の街には代々木ゼミナールの直営支店校舎はなく、また昔は現在の「フレックス・サテライン」のような、東京は代ゼミ本校の有名講師の講義を受講できる映像メディアを介したブースでの視聴システムの学習形態もまだ普及していなかったし、つまりは「大学受験教育の地域格差」が露骨にある時代で、そもそも代ゼミに在籍の人気講師のことをあまり知らなかった。もちろん、代ゼミの日本史講師で菅野祐孝や前田秀幸ら、書店売り参考書を何冊も派手に出していた全国レベルで知られている一部の超有名講師は知っていたけれど。そういったわけで「三浦の日本史頻出問題150選」を執筆した代ゼミの日本史講師の三浦五郎という人を当時から、そして今も私はあまりよく知らないのである。

三浦五郎「日本史頻出問題150選」は、私立大学の日本史入試の過去問を一度バラバラに解きほぐし、山川出版の日本史教科書の時代別の単元順に再構成して掲載し、その原始・古代から近現代までの「通史」と、最後に法制史や史学史や女性史らテーマ史と総合問題からなる「部門史・総合問題」を収録して全150問、タイトル通りの「日本史頻出問題150選」となる。

本書に「セット学習法」というネーミングがあるのは、各問題の合間に「セット」という小見出しで、相互に連想して関連づけたり、違いに注意し混同しないよう区別して、まさに「セット」にして覚えるべき重要基本や盲点となりやすい歴史語句と歴史の内容事項を著者の三浦五郎が書き出し、まとめている本参考書の解説記述の工夫に由来している。またこの「セット」のまとめ同様、「三浦のアドバイス」というのも各問題の合間に頻繁に記載されている。例えば「遺跡の重要な地名は、都道府県名をみながら地図をチェックしよう」や「六国史をすべて順番に覚えよう。つぶやきながら、紙に何度も書くのがよい」や「被仰出書・教育勅語教育基本法の史料を、3回読みこんでおこう」といった日本史学習に関しての三浦五郎からの「アドバイス」がある。今読み返しても素朴で微笑(ほほえ)ましく、「高校生や大学受験に臨む浪人生の日本史の勉強は何だかいいな」の感慨がわき起こる。

大学受験参考書を読む(56)横山雅彦「大学入試 横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本」

前から大学受験英語にて横山雅彦が指導する「ロジカル・リーディング」というのが気にはなっていたが、横山雅彦の参考書「横山ロジカル・リーディング講義の実況中継」(2000年)は絶版品切で古書価格が異常に高騰しており、私は手が出なかった。ところが近年、新刊で「大学入試・横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本」(2013年)のシリーズ全3冊が刊行されていたので先日、入手して読んでみた。

横山雅彦は「ロジカル・リーディング」と称して特化しているが、これは昔からある、いわゆるパラグラフ・リーディングに属する英語の読み方指導で、従来の「英語大意問題」や「英文要旨要約問題」に対応した受験指導の英語参考書に類するものだ。横山の新刊を一読して少なくとも私はそう理解した。パラグラフ・リーディングという、この手のマクロな視点からの英語の読み方教授は、「構文をとる一文の英文解釈は出来るのに長文英語だと全体で書き手が言わんとしている論旨が分からなくなる」とか、「長文英語にて全体のマクロな構成が見切れず、また先の展開も皆目予測できない」とか、逆に細部のミクロな読みの理解に不備を残して、特に難関大学入試の「内容に合致する適切なもの」を見極め選択する内容真偽の問題にて「いつもまぎらわしい誤選択肢に引っかかり失点してしまう」の、長文英語での大意要旨の把握や部分の精密な読みの双方に難がある受験生に歓迎されて昔から評判がよい。

横山雅彦が提唱指南する「ロジカル・リーディング」の内容を大まかに言えばこうだ。だいたい大学入試で出題される長文英語は、「クレーム」と呼ばれる主題に基づく主張文と、「データ」と呼ばれる具体的情報記述と、「ワラント」と呼ばれる背景知識提示の支持文の3要素にて構成されているので、ただ漠然と英語長文を読むのではなく、それら3つの要素を常に意識して探しながら読み、3要素により英文を囲い込んで立体的に、まさに「ロジカル」に論理的に英語を読んでいくべきとする。横山雅彦によれば、文章にはまずクレームの主張文がある。だが、この主張文だけでは「なぜそう言えるのか。そのように主張できるのはなぜか」の説得性を欠き、かつ主張文を書き入れた時点で書き手には読み手に対する論証責任が生じるから、だいたいの英文にはクレームに加えて、具体例示の情報データと背景知識のワラントがあって、「クレーム、データ、ワラント」の、いわゆる「三角ロジック」の3つ内容ににより構成されているという。もちろん、なかには何らクレームがない客観的説明のみの文章や、確固としたデータやワラントがないエッセイ・随筆的文章があることも折り込み済みで、そうした英語長文への対応も横山の「ロジカル・リーディング」では想定されている。

その上で正確かつ効率的にクレームを探すための、クレーム文によく使われるクレーム探しの目安となる単語と構文の一覧まとめや、定番かつ典型的な論理展開パターンの網羅(「俗説→反論・主張」パターンなど)、議論の流れが変わる目印になる、必ず注目して注意すべき論理語(But、for・example、because など)の確認、またワラントに関し、英語の語学以外での現代思想の背景知識(ジェンダー論やポストコロニアル理論など)をあらかじめ日本語で解説してインプットしておき、英文読解の際にスムーズな内容理解を促す指導である。

ところで、比較的近年の横山雅彦の著書に「ロジカル・リーディング・三角ロジックで英語がすんなり読める」(2017年)というのがある。そこでの著者の横山雅彦みずからによる書籍紹介文がなかなかである。

「すべての英文は論理的だ。『ロジック』が分かれば、どんな英文にも対応できる骨太の読解力が身に付きます! なぜ日本人にとって英語習得が難しいのか? それは英語ネイティブの心の習慣であるロジック(論理)を正しく理解していないからです。 英語を学ばずに、ロジックを身につけることはできません。また、英語の心であるロジックを学ばずに、真に英語を理解することはできません。 本書では、ロジカル・リーディングという革新的な英語学習法を通じて、英語を読む力+論理力を身につけていきます。 長年英語を学習しているのに、英語への苦手意識が抜けないという方は、ぜひ本書で『英語ネイティブの心の習慣』である『ロジック』を身につけてください。英語の見え方が180度変わります」

あくまでこれは書籍を売るための広告文の内容紹介文なので、たくさん本が売れるために大げさな誇張や過剰なサーヴィス文句が入って著者の横山雅彦も発売元の出版社も多少は浮き足立たざるを得ない気の毒さに私は同情するけれども、それにしても言い過ぎである(笑)。「『ロジック』が分かれば、どんな英文にも対応できる骨太の読解力が身に付きます! なぜ日本人にとって英語習得が難しいのか? それは英語ネイティブの心の習慣であるロジック(論理)を正しく理解していないからです。 英語を学ばずに、ロジックを身につけることはできません。また、英語の心であるロジックを学ばずに、真に英語を理解することはできません」とか(爆笑)。私は横山の「ロジカル・リーディング」を以前は知らなかったし、今も実践してはいない。しかし昔から英語はそこそこ読める。上級といえないものの、まぁ「中の下」か「下の上」くらいで、リーディングもライティングもリスニングも人並みに無難にできる、別に横山の「ロジカル・リーディング」の方法をわざわざ使わなくても。「英語の心であるロジックを学ばずに、真に英語を理解することはできません」←そんなことはない(タモリ風に)。

大学受験英語の参考書を読んでいると、特に人気があり世間一般からの評判がよい予備校講師は、基礎の英文法や構文・単語・熟語解説の基本事項以外での長文読解や問題解法にて、妙に目立って新奇で変にシステム化された体系的な独自の方法論を、まだあまり世間を知らない、どちらかといえば純真(?)でだまされやすい10代の大学受験生や高校生にやたら売り込もうとする「悪い大人」の悪印象が昔から私は拭(ぬぐ)えない。大学受験に出題される長文英語読解や大学入試問題解法にて横山雅彦の「ロジカル・リーディング」以外にも、富田一彦の「手ががりと雑音」や、西きょうじの「情報構造」など。

私は代々木ゼミナールの英語講師の富田一彦に特に恨(うら)みはないけれども、現役活躍中の人気予備校講師の中でたまたま富田一彦に関し、氏の一般書店売りの受験参考書をほぼ全冊読んで氏に対してだけ例外的に比較的よく知っているのであえて述べるのだが、この人は日常の講義内容や本人の人柄や性格資質からして、受験生に常日頃から教えているような「手がかりと雑音」とか、自身がプライベートで私的に英文を読む際に絶対にそんな面倒で迂遠な読解は実践遂行していない(笑)。あれは、あくまでも富田一彦の「学生に教える用」の便宜的に他人を納得させる英文読解解説用の「後付けな説明のための説明」であり、率直に言って人気予備校講師のお金儲けのための「看板商品」の有用な商売道具みたいなものであって。だが、まだあまり社会を知らない、どちらかといえば純真(?)でだまされやすい10代の大学受験生や高校生は、そういった「悪い大人」の富田「先生」に簡単にだまされるから。

富田一彦、この人は普段の講義中の雑談でも「単に英語のテストで高得点が取れて志望校に合格できる目先の大学受験勉強だけでなく、受験勉強を通して本質的な思考力と、学校卒業後に社会人になっても簡単に人にだまされないような本物の知性の判断力を身につけなさい」みたいな説教を学生相手に得意気にやったりしているけど、だいたい学校をすでに卒業した社会人の私から言わせれば、単純にだます詐欺師よりも「詐欺師にだまされないように気を付けなさい」と言って巧妙に近寄って来て結果、相手をカモにしてだます詐欺師が一番タチが悪いのである。なぜなら最悪、だまされた当人は、そのアドバイスに対する「感謝」の気持ち全開で自分がだまされたことにいつまで経っても気付かないから(笑)。この辺のことは、簡単に人を信じやすい、まだあまり社会を知らない、どちらかといえば世間知らずで、だまされやすい若い10代の大学受験生や高校生にはよく分からないかもしれないけど、大学受験が終わって無事に大学進学して、さらには学校を卒業した後でも、「信者」であれ「反(アンチ)」であれ、どちらにしても「代ゼミの富田先生が…」などと未だに言っている社会人の大人は(仮にそういう人がいるとしたら)実に噴飯で、いい年齢をして頭のネジが抜けた相当な重症である。

そういったわけで、後半は横山の「ロジカル・リーディング」の話から大いに脱線したが(笑)、横山雅彦「大学入試・横山の英語長文がロジカルに読める本」のシリーズ全3冊を一読して「なるほど」と一瞬思えなくもないけれど、どうも横山雅彦が提唱の「ロジカル・リーディング」の方法論が、あくまでも「学生に教える用」の便宜的に他人を納得させる英文読解解説用の「後付けな説明のための説明」で、率直に言って人気英語講師のお金儲けのための「看板商品」の有用な商売道具のように私には思われ、「ロジカル・リーディングとか、そんな面倒な方法を採らなくても並の凡人の読解能力があれば普通に英語は誰でも読めるよな。事実、ネイティブの英米人も非ネイティブな英語が第二言語の日本人でも(私が知る限り)ロジカル・リーディングなどしなくても、割かし正確に精密に普通に英語を読めて話せているし、だいいち横山雅彦その人も実際プライベートで私的に英文を読む際に、いちいち三角ロジックのようなロジカル・リーディングの迂遠な読みを本当はやっていないのでは」の疑念が果てしなく拭えず、世間の好評判とは裏腹に何となくの胡散臭(うさんく)さが残る、横山雅彦の「ロジカル・リーディング」に対する参考書読後の私の感想である。

大学受験参考書を読む(55)西きょうじ「ポレポレ英文読解プロセス50」

西きょうじ「ポレポレ英文読解プロセス50」(1993年)は、初版から度重なる増刷を重ね、なかなか人気な大学受験英語の参考書である。私は大学受験時に本書を使って勉強をしたことがなかったが、大学進学後に周りの人達があまりにも事ある毎に「西きょうじのポレポレは良い、やって良かった」とか言うので、後に本書を購入してやってみた。確かに「良い書籍だ」と私にも思えた。

西きょうじ「ポレポレ英文読解プロセス50」に関しては、本書を「名著で良書。受験生は必ずやっておくべき」と激賞して大推薦する良評価が大勢を占める一方、「実はそこまで良くはない。本書は過大評価されすぎ」とする冷静で否定的な醒(さ)めた意見も一部にはある。前者は西きょうじファンや「信者」をおそらく多く含み、後者には書籍の内容そのものよりも、人気予備校講師の西きょうじその人に対する反感や西きょうじ「信者」への反(アンチ)の意識から、あえて厳しく酷評する人達が、わずかだが存在すると考えられる。

西きょうじという人は、私は実際に会ったことはないが、写真を見る限りいつまでも若々しい、なかなかスマートな方で、この人がモテて人気か出るのも納得だ。もちろん、本業の予備校英語講師としての実力もある。ただ大学受験英語を教える予備校の英語の先生なのに、もはや芸能人の人気タレントのような世間から認知のされ方の扱われ様で、私は別に知りたいとも思わなかったが、西きょうじのプライベートなスキャンダル記事が週刊誌に出てしまう程の注目の人気ぶりなのである。西きょうじと同様、代々木ゼミナールの人気英語講師の西谷昇二も甘いマスクの人気と受験英語指導の確かな実力とを兼ね備えた、もはや芸能人のような有名予備校講師である。氏に関しても、前に私的な家族のことでの不名誉な記事が日刊紙に載ったことがあった。西きょうじも西谷昇二も、大学受験英語を学生に教える予備校講師の本業以外のことで変に世間から注目され、誠に気の毒な思いが私はする。

ただ西きょうじも西谷昇二も、この人たちは芸能タレントのように自身を売り出し、わざとそのように芸能人然として振る舞いたい「自分の身から出たサビ」のような自業自得の脇の甘さもかなりあって、予備校講師が受験指導科目以外でのプライベートな雑談をやったり、教壇でカラオケ流して歌ったりするような、そういう不真面目な予備校産業のレジャー化と予備校講師のタレント化は望ましくないと常々、私は思っているのだけれど。

あまり言うと熱烈な代ゼミの西谷「信者」から激しく恨(うら)まれて石でも投げつけられそうだが、特に西谷昇二に関しては、彼の講師紹介や映像講義の体験動画がネット上に公式で上がっていたりするので、それを私は時たま視聴するのだけれど、西谷昇二の受験英語を学生に教える以外での、あのタレント芸能人のような口調や振る舞いや雑談に、私としては往年の男性アイドル・田原俊彦やプロサッカー選手の三浦知良を見た時のような、いい年齢をした成熟した大人であるべきはずなのに、いつまでも10代の若者のようで幼い、自尊感情や自己肯定感とは明らかに次元が異なる、自分大好きのナルシシズムが入って「俺が、俺が」で自己完結してしまう、いつも端から見ていてこちらが勝手に心配になりハラハラしてしまう、特定芸能人に特有な人物雰囲気の、あの独特の危うい感じが(笑)。田原俊彦三浦知良と西谷昇二を見ると、私の中ではいつも同じ種類の心配のハラハラ感がある。

さて、西きょうじ「ポレポレ英文読解プロセス50」はタイトル通りの書籍で、大学入試過去問の下線部和訳を50問収録してある。しかも構文解釈のテーマ別に、最初は長い一文における主節の「S+V」の見極めの英文読解で極めて基礎的な、しかし重要な本質的基礎を問う下線部和訳の演習から始めて、次に等位接続の共通関係や並列見切りの、これまた英文を読む上でとても大切な基礎の確認を試す下線部和訳の問題が続き、徐々に難度を上げていって、最後の設問50の近くは特殊応用事項な倒置や省略が入った大学入試過去問の難しい下線部和訳をさせる構成になっている。本書はタイトル通りの「英文読解プロセス50」なのである。過去問の下線部和訳の良問を50題厳選して、しかも段階的に「本質基礎から特殊応用へ」あらかじめよくよく精密に考えられた問題の掲載順序の配列が、まさに「英文読解プロセス50」の表題にそのまま合致しており、非常によく出来ている。事前に周到に考え抜かれた大学入試英語の下線部和訳演習の良著であると私も思う。

ただし、この参考書は中級から上級者向けの、どちらかといえば手取り足取りの「親身の指導」な英文解説書というよりはレベルアップの習熟用の良問題集である。掲載英文は冒頭のものから、そこそこ難しい。本書の解説に期待せずに、ひたすら良問に当たって自学自習できる人には評判はよいが、しっかりした英文解説(訳出の際の具体的で細かなプロセス)まで期待する、独力で下線部和訳ができない英語が苦手な初学者や初級者には「不親切な参考書」に思われて評価は低くなるのかもしれない。下線部和訳をして解説を読んでいると、「この本の読者なら、いまさら英語の基礎的なことや細かな訳出手順をクドクドと解説しなくても、もう当然のこととして分かっているだろう」的な著者の西きょうじの高踏で不遜(ふそん)な態度も時に紙面から透けて見える。やはり本書は初学者や初級者ではなく中級者か上級者向け、親切丁寧な解説よりも掲載和訳用英文の厳選センスと序列配置のアイデアが持ち味でウリの大学受験英語の参考書というか、厳密には自学自習用の良問題集なのである。

また、あえて本参考書の難点を挙げるとすれば、その書籍タイトルの最初の枕詞が…。西きょうじ「ポレポレ英文読解プロセス50」である(苦笑)。本体の「英文読解プロセス50」は既述の通り、本の内容をそのまま体現し的確にタイトル表現していて文句はないが、西きょうじもいい年齢をした大人なのに「ポレポレ」とか(笑)。なぜ本書が「ポレポレ英文読解プロセス50」なのかというと著者の西きょうじによれば、「『ポレポレ』とはスワヒリ語で『ゆっくり』という意味であり、西が前にアフリカへ行って、ゆっくりと大きく生きる野生動物をじかに目にしながら自分は何て忙(せわ)しく小さい存在なのだろうと思った、ある種の自己超越を経験し、また受験生に向けて急がず心のゆとりを持って『ゆっくり』と、しかし着実に受験勉強に取り組んでいって欲しい」の思いが込められているという。

以前に代ゼミの西谷昇二の冬季直前講習の講座でも「キャンディ・ロック」というのが(確か)あった。「ポレポレ」とか「キャンディ・ロック」とか、西きょうじも西谷昇二もこの人たちタレント予備校講師は自身の参考書や講座の名称でふざけすぎである。「もう少し真面目にやれ(怒)」と私は昔から思わないこともない。

大学受験参考書を読む(54)前田和貞「前田の物理」

私の高校では物理の教科に関して、明らかに物理が得意で物理ができる人と、あまり物理が得意ではなく、どちらかと言えば物理が苦手で物理に手を焼いている人との両極に分かれていた。前者の明らかに物理が得意で物理ができる人は、駿台文庫の坂間勇「大学入試必修物理」上下(1979・1980年)や山本義隆「新・物理入門」(2004年)の昔の版のものをよくやっていて、大学受験の物理に関しては「駿台フリークの駿台学派」のようなところがあった。

かたや私は後者の比較的物理が苦手な物理に手を焼いている学生の典型だったので(笑)、そうした駿台予備学校の物理科の坂間勇山本義隆の参考書には手を出さず、代々木ゼミナールの前田和貞「前田の物理」上下巻(1995年)の昔の版を所有し、割かし地道に物理の勉強をしていた。当時、代ゼミの「前田の物理」をやっている、大学受験の物理に関して「代ゼミの前田派」であった人は私の周りでは意外に少数であったように思う。

私は地方都市のその地域では大学進学実績がそこそこ良い「上位校」といわれる県立高校に一応は通ってはいたが、そこでの数学のカリキュラムは高校1年で数Ⅰをやり、高校2年で基礎解析と代数幾何をやり、高校3年で微分積分と確率統計をやっていた。そして理科に関しては高校1年で理科Ⅰをやり、高校2年から物理と化学と生物からの選択になっていた。だから物理を本格的に学習するようになるのは高校2年になってからで、高2で力学から物理をやり始めるのだが、高2の時点でまだ数学の微分積分を習っていないから私は高校物理で微分方程式を用いての解法解説など、説明されても皆目わからなかった。

ところが、坂間師や山本師の駿台の物理科の講師が執筆の参考書は高校生がやる大学入試の物理であるにもかかかわらず、微分方程式を派手に使うような物理で、今考えても不思議であるけれど、物理が得意で物理ができる私の同級の友人は独学で微分積分をすでに習得していたのか、駿台文庫の坂間「大学入試必修物理」や山本「物理入門」をやり、大学入試物理に関して「駿台フリークの駿台学派」ぶりを発揮していて、高校生時分に私は非常に驚いた記憶がある。坂間勇「大学入試必修物理」や山本義隆「新・物理入門」は、入試問題を単に解くだけでなく、より美しく華麗に(?)かつ本質直解で効率的な解法へ導くような、高校生レベルにしては相当に高度な物理で(当時も今でも少なくとも私にはそう思える)、どちらかといえば理系学部に進学後の大学の学部生がやるような大学初級の物理であるように思う。

そういったわけで私は代ゼミの「前田の物理」を高校時代にやっていたが、前田和貞が執筆の物理参考書は、ハイレベルで物理が分からない生徒をそのまま置き去りにしていく高踏不遜な所がなく、物理が苦手で分からない学生にも、あの目玉が不気味な(笑)、特徴あるイラスト解説で分かりやすく一生懸命に教えてくれる熱意が間接講義である参考書の紙面を通して実際に感じられ、私は昔から非常に好感を持っていた。「相対運動の基礎原理・ジュウバコ法」や「外力の発見法・ナデコツ・ジュー法」など、氏の独自の命名による説明方法のユニークさも物理の勉強を離れた今でもなぜか鮮明に覚えていて後々まで強く印象に残る。「前田の物理」での著者紹介を読むと、「前都立多摩高等学校教諭。代々木ゼミナール講師歴二十数年。加賀百万石前田家の一族で、当主の従弟にあたる」とある。なるほど「加賀百万石前田家の一族」といった由緒正しい家柄出自の方で、前田和貞に実際にお会いしたり代ゼミでの氏の物理講義を私は受講したことはないが、参考書の書籍を介して前田先生のよい人柄が感じられる。

「前田の物理」は収録問題が少ない割に解説が多く、またページ数も多くて分厚い。本書は、多くの問題をひたすら解いて何となくの慣れで誤魔化(ごまか)すのではなく、よく考えられ厳選された数少ない良問を掘り下げて解いて詳しく解説する「量よりも質」の物理参考書の先駆けであるように思う。前田和貞「前田の物理」上下巻は、学生でなくなった今読み返してみても間違えなく物理の大学受験参考書の名著に思える。