アメジローのつれづれ(集成)

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大学受験参考書を読む(56)横山雅彦「大学入試 横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本」

前から大学受験英語にて横山雅彦が指導する「ロジカル・リーディング」というのが気にはなっていたが、横山雅彦の参考書「横山ロジカル・リーディング講義の実況中継」(2000年)は絶版品切で古書価格が異常に高騰しており、私は手が出なかった。ところが近年、新刊で「大学入試・横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本」(2013年)のシリーズ全3冊が刊行されていたので先日、入手して読んでみた。

横山雅彦は「ロジカル・リーディング」と称して特化しているが、これは昔からある、いわゆるパラグラフ・リーディングに属する英語の読み方指導で、従来の「英語大意問題」や「英文要旨要約問題」に対応した受験指導の英語参考書に類するものだ。横山の新刊を一読して少なくとも私はそう理解した。パラグラフ・リーディングという、この手のマクロな視点からの英語の読み方教授は、「構文をとる一文の英文解釈は出来るのに長文英語だと全体で書き手が言わんとしている論旨が分からなくなる」とか、「長文英語にて全体のマクロな構成が見切れず、また先の展開も皆目予測できない」とか、逆に細部のミクロな読みの理解に不備を残して、特に難関大学入試の「内容に合致する適切なもの」を見極め選択する内容真偽の問題にて「いつもまぎらわしい誤選択肢に引っかかり失点してしまう」の、長文英語での大意要旨の把握や部分の精密な読みの双方に難がある受験生に歓迎されて昔から評判がよい。

横山雅彦が提唱指南する「ロジカル・リーディング」の内容を大まかに言えばこうだ。だいたい大学入試で出題される長文英語は、「クレーム」と呼ばれる主題に基づく主張文と、「データ」と呼ばれる具体的情報記述と、「ワラント」と呼ばれる背景知識提示の支持文の3要素にて構成されているので、ただ漠然と英語長文を読むのではなく、それら3つの要素を常に意識して探しながら読み、3要素により英文を囲い込んで立体的に、まさに「ロジカル」に論理的に英語を読んでいくべきとする。横山雅彦によれば、文章にはまずクレームの主張文がある。だが、この主張文だけでは「なぜそう言えるのか。そのように主張できるのはなぜか」の説得性を欠き、かつ主張文を書き入れた時点で書き手には読み手に対する論証責任が生じるから、だいたいの英文にはクレームに加えて、具体例示の情報データと背景知識のワラントがあって、「クレーム、データ、ワラント」の、いわゆる「三角ロジック」の3つ内容ににより構成されているという。もちろん、なかには何らクレームがない客観的説明のみの文章や、確固としたデータやワラントがないエッセイ・随筆的文章があることも折り込み済みで、そうした英語長文への対応も横山の「ロジカル・リーディング」では想定されている。

その上で正確かつ効率的にクレームを探すための、クレーム文によく使われるクレーム探しの目安となる単語と構文の一覧まとめ(think、must、倒置文、強調構文など)や、定番かつ典型的な論理展開パターンの網羅(「俗説→反論・主張」パターンなど)、議論の流れが変わる目印になる、必ず注目して注意すべき論理語(But、for・example、because など)の確認、またワラントに関し、英語の語学以外での現代思想の背景知識(ジェンダー論やポストコロニアル理論など)をあらかじめ日本語で解説してインプットしておき、英文読解の際にスムーズな内容理解を促す指導である。

ところで、比較的近年の横山雅彦の著書に「ロジカル・リーディング・三角ロジックで英語がすんなり読める」(2017年)というのがある。そこでの著者の横山雅彦みずからによる書籍紹介文がなかなかである。

「すべての英文は論理的だ。『ロジック』が分かれば、どんな英文にも対応できる骨太の読解力が身に付きます! なぜ日本人にとって英語習得が難しいのか? それは英語ネイティブの心の習慣であるロジック(論理)を正しく理解していないからです。 英語を学ばずに、ロジックを身につけることはできません。また、英語の心であるロジックを学ばずに、真に英語を理解することはできません。 本書では、ロジカル・リーディングという革新的な英語学習法を通じて、英語を読む力+論理力を身につけていきます。 長年英語を学習しているのに、英語への苦手意識が抜けないという方は、ぜひ本書で『英語ネイティブの心の習慣』である『ロジック』を身につけてください。英語の見え方が180度変わります」

あくまでこれは書籍を売るための広告文の内容紹介文なので、たくさん本が売れるために大げさな誇張や過剰なサーヴィス文句が入って著者の横山雅彦も発売元の出版社も多少は浮き足立たざるを得ない気の毒さに私は同情するけれども、それにしても言い過ぎである(笑)。「『ロジック』が分かれば、どんな英文にも対応できる骨太の読解力が身に付きます! なぜ日本人にとって英語習得が難しいのか? それは英語ネイティブの心の習慣であるロジック(論理)を正しく理解していないからです。 英語を学ばずに、ロジックを身につけることはできません。また、英語の心であるロジックを学ばずに、真に英語を理解することはできません」とか(爆笑)。私は横山の「ロジカル・リーディング」を以前は知らなかったし、今も実践してはいない。しかし昔から英語はそこそこ読める。「上級」といえないものの、まぁ「中の下」か「下の上」くらいで、リーディングもライティングもリスニングも人並みに無難にできる、別に横山の「ロジカル・リーディング」の方法をわざわざ使わなくても。「英語の心であるロジックを学ばずに、真に英語を理解することはできません」←そんなことはない(タモリ風に)。

大学受験英語の参考書を読んでいると、特に人気があり世間一般からの評判がよい予備校講師は、基礎の英文法や構文・単語・熟語解説の基本事項以外での長文読解や問題解法にて、妙に目立って新奇で変にシステム化された体系的な独自の方法論を、まだあまり世間を知らない、どちらかといえば純真(?)でだまされやすい10代の大学受験生や高校生にやたら売り込もうとする「悪い大人」の悪印象が昔から私は拭(ぬぐ)えない。大学受験に出題される長文英語読解や大学入試問題解法にて横山雅彦の「ロジカル・リーディング」以外にも、富田一彦の「手ががりと雑音」や、西きょうじの「情報構造」など。

私は代々木ゼミナールの英語講師の富田一彦に特に恨(うら)みはないけれども、現役活躍中の人気予備校講師の中でたまたま富田一彦に関し、氏の一般書店売りの受験参考書をほぼ全冊読んで氏に対してだけ例外的に比較的よく知っているのであえて述べるのだが、この人は日常の講義内容や本人の人柄や性格資質からして、受験生に常日頃から教えているような「手がかりと雑音」とか、自身がプライベートで私的に英文を読む際に絶対にそんな面倒で迂遠な読解は実践遂行していない(笑)。あれは、あくまでも富田一彦の「学生に教える用」の便宜的に他人を納得させる英文読解解説用の「後付けな説明のための説明」であり、率直に言って人気予備校講師のお金儲けのための「看板商品」の有用な商売道具みたいなものであって。だが、まだあまり社会を知らない、どちらかといえば純真(?)でだまされやすい10代の大学受験生や高校生は、そういった「悪い大人」の富田「先生」に簡単にだまされるから。

富田一彦、この人は普段の講義中の雑談でも「単に英語のテストで高得点が取れて志望校に合格できる目先の大学受験勉強だけでなく、受験勉強を通して本質的な思考力と、学校卒業後に社会人になっても簡単に人にだまされないような本物の知性の判断力を身につけなさい」みたいな説教を学生相手に得意気にやったりしているけど、だいたい学校をすでに卒業した社会人の私から言わせれば、単純にだます詐欺師よりも「詐欺師にだまされないように気を付けなさい」と言って巧妙に近寄って来て結果、相手をカモにしてだます詐欺師が一番タチが悪いのである。なぜなら最悪、だまされた当人は、そのアドバイスに対する「感謝」の気持ち全開で自分がだまされたことにいつまで経っても気付かないから(笑)。この辺のことは、簡単に人を信じやすい、まだあまり社会を知らない、どちらかといえば世間知らずで、だまされやすい若い10代の大学受験生や高校生にはよく分からないかもしれないけど、大学受験が終わって無事に大学進学して、さらには学校を卒業した後でも、「信者」であれ「反(アンチ)」であれ、どちらにしても「代ゼミの富田先生が…」などと未だに言っている社会人の大人は(仮にそういう人がいるとしたら)実に噴飯で、いい年齢をして頭のネジが抜けた相当な重症である。

そういったわけで、後半は横山の「ロジカル・リーディング」の話から大いに脱線したが(笑)、横山雅彦「大学入試・横山の英語長文がロジカルに読める本」のシリーズ全3冊を一読して「なるほど」と一瞬思えなくもないけれど、どうも横山雅彦が提唱の「ロジカル・リーディング」の方法論が、あくまでも「学生に教える用」の便宜的に他人を納得させる英文読解解説用の「後付けな説明のための説明」で、率直に言って人気英語講師のお金儲けのための「看板商品」の有用な商売道具のように私には思われ、「ロジカル・リーディングとか、そんな面倒な方法を採らなくても並の凡人の読解能力があれば普通に英語は誰でも読めるよな。事実、ネイティブの英米人も非ネイティブな英語が第二言語の日本人でも(私が知る限り)ロジカル・リーディングなどしなくても、割かし正確に精密に普通に英語を読めて話せているし、だいいち横山雅彦その人も実際プライベートで私的に英文を読む際に、いちいち三角ロジックのようなロジカル・リーディングの迂遠な読みを本当はやっていないのでは」の疑念が果てしなく拭えず、世間の好評判とは裏腹に何となくの胡散臭(うさんく)さが残る、横山雅彦の「ロジカル・リーディング」に対する参考書読後の私の感想である。