アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(88)西きょうじ「英文法の核」

駿台予備学校の伊藤和夫による英語参考書の「教室三部作」といえば、「英文解釈教室」(1977年)と「英文法教室」(1979年)と「英語長文読解教室」(1983年)であるが、ニ冊目に当たる「英文法教室」など英文法の受験参考書として分かりづらい。英文解釈以外の、英文法や英作文に対する伊藤師の教える気の情熱のなさが一貫して感じられるのである(苦笑)。前にどこかで非公式に伊藤師は言っていたと思うが、「ネイティヴでない日本人が英作文を学んでも、結局のところ本物の英文は書けないから」といった旨のこと。だから伊藤和夫は英文解釈は本気で教えるけれど、英文法や英作文に関しては、どことなく微妙な手抜きの感が常に漂(だだよ)う。

英文法の大学受験参考書は今でも数多く出ている。私は不思議な思いがする。英文法など最初に一度学んで英語の文法原理が分かってしまえば、後はそこまで懸命に学ぶ必要はないからなぁ。時制の一致も関係代名詞も仮定法も現在完了も、一度その原理を知れば、それまでである。英文法の解説書に、そこまで多種類の多くのバリエーションの需要はあるのか!? 

私は、近年出ている大学受験参考書の英語の英文法の書籍はだいたい読んでいるけれども、例えば関正生「真・英文法大全」(2022年)は、ページ数が多く分厚くて読了するのに時間がかかるので受験生の英文法学習には、あまり実用的ではないと思える。関正生「真・英文法大全」は、昔からある宮川幸久・綿貫陽「ロイヤル英文法」(2000年)に、その読み味が似ている。

成川博康「深めて解ける!英文法・INPUT」(2014年)は、「なぜそうなるか」を掘り下げ、深めて納得させる英文法解説がウリの参考書である。しかし正直、「そこまで著者の解説が上手い」とか、「より根本的で本質的に説明し尽くしている」とまで思えない。あと本書は英文法の解説項目の網羅性にやや欠ける。取り上げて解説している英文法事項が限定的で少ない。

西きょうじ「英文法の核」(2016年)は、解説がコンパクトでそこまでクドくなく、英文法を初学の高校生や学び直しの受験生に最適だと思う。最近の英文法の参考書でおすすめである。本書にて、比較的短時間で英文法の全分野の概要の原理が効率的に学習できる。

英文法の参考書を昔から連続して読んでいると、もう革命的な「目からウロコ」の新しい英文法の教え方など、そうそう出てこない。昔から英文法解説の定番の教え方の基本の型は、だいたい決まっていると思える。

大学受験参考書を読む(87)山口俊治「山口・英文法講義の実況中継」

山口俊治「山口・英文法講義の実況中継」(1985年)を初読の際の衝撃が今でも忘れられない。これは間違いなく大学受験参考書の英語の名著であると思う。高校生の時、部活動の部室に大学進学が決まった卒業を控えた先輩がもう使わない教科書や辞書や受験参考書をそのまま置いていって、後輩は自由にもらってよいことになっていた。その中の一冊にたまたま「山口・英文法講義の実況中継」があり、前知識なく本参考書を読んで私は驚いたのであった。英文法の講義が講義録の口語体で非常に分かりやすく本質的に解説されていたから。

山口「英文法講義の実況中継」は、普段の講義内での雑談やジョークまで全て文字起こしをして活字にし収録した臨場感あふれる分かりやすい講義録体裁がウケて他教科にまで広がる「実況中継」シリーズの画期な大学受験参考書になったが、肝心の「英文法講義」の中身では、氏が「ネクサス」と呼んで解説講義にて常に強調していた「S─P」の主語・述語関係の見極め摘出、山口俊治がいう所の「ここが英語が分かるかどうかの岐路」のヤマが英文法講義の目玉であった。後に山口が語るところによれば、

「受験生に教えていながら、ただ英文の表面だけをとって日本語に置き換えていくのを『英語を読む』ことだと考えて疑わない学生が多いことに気づきました。…そこで、講義中に、学生には耳慣れないネクサス(nexus)という用語と概念を取り入れてみました。…高校のリーディングでも文法でも、そのような視点からの指導は皆無でしたから、学生にはやたらと新鮮で、しかも、わかりやすかったようでした。この言葉を参考書の中で初めて使ってみたのが『英文法講義の実況中継』というわけです」(山口俊治「英語構文全解説・あとがき」2013年)

となるらしい。山口がいう「ネクサス(nexus)」の「S─P」関係の主語・述語の見極めが典型的に現れるのは、例えば第五文型の「S+V+O+C」における「O+C」部分であったり、付帯状況の「with・N+N」にての「N+N」の箇所であったり、分詞構文の従属句の「Ving…」ないしは「Vpp…」の書き出し部分であったりするのである。そして、この「S─P」関係の主語・述語の見極めというのはより具体的に明確にいって「主語が述語に対して能動か受動か」のどちらかの見極めであり、主語が能動の場合は進行形の「Ving…」になるし、主語が受動の場合には過去分詞の「Vpp…」になるわけである。

第五文型の「S+V+O+C」における「O+C」でいえば、例えば「He・heard・the・men・having・an・argument」(彼は男たちが言い争っている声を聞いた)にて、「the・men+having・an・argument」の「O+C」部分は「男たちが(O)言い争っている(C)」の能動の「S─P」関係の主語・述語なのでCは「having・an・argument」の進行形「Ving…」になる。また「He・had・his・decayed・tooth・pulled・out」(彼は虫歯を抜いてもらった)にて、「his・decayed・tooth+pulled・out」の「O+C」部分は「虫歯が(O)抜かれる(C)」の受動の「S─P」関係の主語・述語になっているから今度はCは「pulled・out」の過去分詞の「Vpp…」になるのであった。

同様に、付帯状況の「with・N+N」での「with・her・hands・folded」(彼女は両手を組んで)の場合では、日本語で考えると何ら受動態の要素はないように一見思えるが、「with・N+N」のwith以下の「her・hands+folded」の関係は「彼女の両手が組まれている」の受動の「S─P」関係の主語・述語になっているので、ここでは「folded」の過去分詞の「Vpp…」になる。「with・her・hands・folding」には絶対にならないのであった。

こういった山口がいう所の「ネクサス(nexus)」の「S─P」関係の主語・述語の見極めが、これも山口俊治によれば「ここが英語が分かるかどうかの岐路」のヤマとして英文法講義にて数多くの事例を挙げて、かなり詳しく解説されている。こういう「S─P」関係の主語・述語の見極めは当時、高校の英語の教師は授業で教えてくれなかったからな(怒)。

その他、山口俊治「山口・英文法講義の実況中継」では、比較表現に関する英文法解説が特に優れている。ここで詳しく述べると長くなるからこれ以上書かないけれど、比較表現にて「比較級(…er)+than+(比較基準からして必ず否定的な比較対象)」になるという本参考書での指摘の解説ら、これら文法項目の部分も必読だと思える。

( ※「比較級(…er)+than+(比較基準からして必ず否定的な比較対象)」というのは、例えば「bigger+than」の後に続く比較対象は「big」という比較基準からして必ず否定的な内容のもの、つまりは「大きくないもの(小さいもの)」が来る。「bigger・than・earth」(地球よりも大きい)とか、そんなナンセンス(無意味)なありえない英文は普通に書かれない。「bigger・than・ant」(アリよりも大きい)など、「bigger+than」(…よりも大きい)の後に続く比較対象には「地球」とかの「大きいもの」ではなく、「アリ」などの「大きくないもの」がだいたい来るのである。ここから比較表現には否定の意味が常に含まれていることが分かる。いわゆるクジラ構文、「A・whale・is・no・more・a・fish・than・a・horse・is」(クジラが魚でないのは馬が魚でないのと同じことだ)にて、比較構文に「…でない」の否定の意味が入るのは、「比較表現にてthan以下には比較基準からして必ず否定的な比較対象が来る」の原理に由来している。それにしてもクジラ構文など、こんな文語的で特殊な英語をネイティヴは使わない。クジラ構文が出るのは日本の受験英語くらいであるが(苦笑)。同様に、英熟語「no・more・than」(ただの…にすぎない、わずか…しかない)が否定的な主観表現の意味になるのも、この「比較表現にてthan以下には比較基準からして必ず否定的な比較対象が来る」の原理による)

大学受験参考書を読む(86)富田一彦「富田の入試英文法・Ver1・解法の基礎」

私が高校生で大学受験生だった時には、英語の英文法は何に向かって勉強するかといえば、センター試験英語の英文法・語法の空所補充の4択問題をミスなくほぼ完答で、どれだけ短時間で早く解けるかに全力を傾けていたし、そのことにしか興味がなかった。センター試験の英語は難度はそれほどでなくても、問題数が多く常に時間との戦いである。最初から順番に解いていって、発音・アクセント、会話文、文法・語法の四択問題らを正確にできるだけ短時間で素早く解いて、残りの時間を図表・グラフ・地図を絡めた説明文と物語文と評論文の後半3題の英文解釈の長文読解にどれだけ時間的余裕を持って取り組めるかの時間配分の勝負である、センター試験の英語は。それにセンターのレベルの英文法・語法の空欄補充の四択を完答できる実力があれば、私大入試の個々の文法問題も、難関私大と国公立二次のそれを除いてだいたい対応できる。だから、私が受験生の頃はセンター英語の文法問題の過去問・類似問題をよく解いていた。

同級生で旺文社の宮川幸久・綿貫陽「ロイヤル英文法・改訂版」(2000年)の昔の版を学校に持ってきて自学で最初から読んで英文法の勉強を本格的にやっている人がいたが、大学受験レベルの英文法では「ロイヤル英文法」のような細かい英文法をそこまで詳しくやるのはむしろ弊害で、センターレベルの英文法問題が解ける程度の実践の力を、どんどん問題演習をやって身に付けていくほうが実用的だと思える。大学受験英語の英文法で、そこまで詳しく細かくやたら掘り下げて英文法にハマってはいけない。

当時、高校の必携の副教材で買わされた桐原書店の上垣暁雄「大学入試・英語頻出問題総演習・即戦ゼミ」(1990年)の問題集を私はよくやっていた。桐原の「大学入試・英語頻出問題総演習・即戦ゼミ」を通して文法・語法問題を何問も続けて次々に解いていると、だいたいよく出て毎回定番でよく聞かれる頻出の文法事項や語法ルールがおのずと分かり、要領がつかめて「完答で、しかも最短時間で!」の目標に次第に近づいていくものである。そうした自身の目に見えて徐々に実感できる、英文法知識のスキルアップの学習過程が楽しかった。だから、大学受験英語には英文解釈や英文法や英作文やリスニングら実は様々な分野があるけれど、英文法の勉強は受験英語の中で私は好きなほうだった。

富田一彦「富田の入試英文法・Ver1・解法の基礎」(1995年)が発売された時、私はすでに大学入試を終えて大学生であったけれど、本書を購入して問題を解き解説を読んで非常に感心した。本書には英文法の四択の空所補充問題が各文法項目の分野別に225問収録されている。教科書・センターレベルの基本から難関私大の過去問と思われる、四択の穴埋め問題をひたすら演習解説するものである。ここに収録の英文法問題が解ければ、現行の大学入試の英語試験にほぼ間違いなく対応できるだろう。

当時、私が住んでいる街には代々木ゼミナールら全国展開予備校の支店直営校舎はなくて、私が高校生だった1990年代初頭の昔はインターネット環境も皆無で今のように東京の有名人気講師の動画配信や、彼らの授業を収録した映像ビデオを個別ブースで視聴する形態の学習塾もまだなかった。つまりは「大学受験勉強の地域格差」があからさまにある時代で、しかしそういった東京以外の地方に在住の高校生の私らでも「代ゼミの富田一彦や西谷昇二の英語講義はスゴイらしい」の噂は聞いていたし、「特に彼らが執筆編集の単科ゼミや夏期・冬季講習のテキスト巻末にある自習用のオリジナル付録の解説教材が素晴らしい」という評判も耳に入って知っていた。それで、そうした東京の代ゼミの人気講師のテキストを手に入れ読んで勉強したいとずっと思っていたのだけれど、その願いはかなわなかった。

ところが、1995年に全国書店一般販売の大学受験参考書で代々木ライブラリーから「富田の入試英文法・Ver1・解法の基礎」が発売され即購入して読んで、とにかく私は感動した。おそらく本書は、富田一彦が執筆編集の単科ゼミや夏期・冬季講習のテキスト巻末にある自習用のオリジナル付録の教材をそのまま書店売り参考書にしたものと思われる。

本参考書が良いのは、何よりも「なぜそうなるか」「なぜこの問題の空欄はこの選択肢を選ぶべきか」の文法上の合理的な理由を一貫して最初から最後まで丁寧に解説し教えてくれる所だ。幼少の頃から英語の言語を聞いて話して書いていない、ネイティヴではない英語が第二言語の私らのような中学生になってやっと外国語の英語を学び始める者には、英語は文法理論から理屈で考えてやらないと理解できないし使えない。日本語なら幼少時から絶えず日常的に使っているので何ら理論がなくても、感覚や雰囲気で自然に分かり、聞けるし話せるし書ける。事実、多くの日本人は特に日本語の文法教科書を読んで日本語の理論を知らなくても、日本語を極め自然に自在に使えるのである。日本人の幼児・子どもで日本語を使うのに、わざわざ日本語テキストで国文法を学習する者などいない。ネイティヴであれば理論の理屈抜きに自然に苦もなく、やがて言語習得はできる。しかし、非ネイティヴの学び始めが遅い第二外国語学習の人は、どうしても感覚や雰囲気の自然習得以外の所で、理論の理屈から詰めていちいち文法項目を潰(つぶ)していきながら学んで結果、外国語をマスターする以外に道はないのである、誠に残酷なことに。

その際の「非ネイティヴの学び始めが遅い第二外国語学習の人は、どうしても感覚や雰囲気の自然取得以外の所で、理論の理屈から詰めていく」の内実は、より具体的に言って、(1)最低限のパターン(公式ルール化)の把握をして文法知識を有機的に使えるよう構築しておく、(2)「なぜそうなるのか」あまり深入りしない程度の理論・理屈で詰めて本質理解しておく、の2つの方法が主であると思う。すなわち、この(1)と(2)を網羅的にできるだけ効率的にやることが「使える実用的な英文法学習」の内容なのであり、それらのことを「富田の入試英文法・Ver1・解法の基礎」では著者の富田一彦が、かなり意識的・重点的に強力にやっている。だから私は、本参考書を購入し問題を解き解説を読んだ際、非常に感心したのだった。

代々木ライブラリー「富田の入試英文法・Ver1・解法の基礎」では特に「第五章・時制と法」の解説部分が優れており、この部分は必読である。「日本人が英語を学ぶ際、総じて英語の時制に弱い」と昔からよく言われる。現在形と現在進行形の違い、過去形と現在完了形の相違は私ら日本人にはなかなか理解しにくい。例えば「過去形と現在完了形の相違」に関し、空欄にどちらを入れるか問われた場合、「現在完了には完了と経験と継続の3つの用法があるから」とか、一度日本語に訳し文章の意味から考えて選択すると必ず失敗する。ある空欄に過去形か現在完了形のどちらが適するかには、日本語訳の意味で決まるのではない。ましてや前後の文脈や書き手のその時の感情・心理などでもない。そのような漠然とした曖昧(あいまい)なものではなく、過去形でなく現在完了形になる時には必ず現在完了にするべき目印(サイン)の語句が英文中にあって、それを根拠に「この場合は単なる過去形ではなくて現在完了形の文になる」の判断がなされるのである。そういった英文法理論の根本で本質的なことを、富田一彦「富田の入試英文法・Ver1・解法の基礎」は実に丁寧に親切に教えてくれる。

大学受験参考書を読む(85)塚原哲也「日本史の論点・論述力を鍛えるトピック60」

近年、教学社から出ている「難関校過去問シリーズ」の「東大の日本史・25カ年」(2008年)にて東京大学二次試験、日本史論述問題の対策指導に定評がある駿台予備学校の塚原哲也である。その塚原が参加の共著、塚原哲也・鈴木和裕・高橋哲「日本史の論点・論述力を鍛えるトピック60」(2018年)は、読み味が同じ駿台予備学校の安藤達朗による安藤「日本史講義・時代の特徴と展開」(1994年)とかなり似ている。両書ともに国公立大学二次の日本史論述対策の参考書であり、論述の背景知識や基本事項が教科書や他参考書以上に丁寧に解説されている。同じ駿台文庫であり、塚原「日本史の論点」は安藤「日本史講義・時代の特徴と展開」の正統な後継書であると言ってよい。

駿台文庫「日本史の論点・論述力を鍛えるトピック60」は、「はじめに」にて「本書は第一に、基礎知識を習得するための参考書である。第二に、論述問題に対応できる学力を鍛えるための練習帳である」とある。続く本文でも「本書を使って何ができるか」とあって、

「(1)論述問題に対応するための作法を身につける。(2)定型的な論点に対する理解と表現をストックする。(3)要約することで幹と枝葉を区別する」

の3項目が「本書の効用」として挙げられている。このように本書について様々に長く述べられているけれども、要するに本書は大学入試の日本史論述対策の読み物である。本参考書を通して読者は日本史論述に対応の作法と実力とを身につけることができる。実際の入試過去問の収録はなく論述問題演習ではなくて、「論述力を鍛えるトピック60」という原始・古代から近現代まで全時代の定番論述テーマを60個提示して、それら「日本史の論点」の60トピックの解説を通して、大学受験の日本史論述にて絶対に書かなければいけない論述の柱の加点要素、そのテーマの時代背景、他の時代や類似の歴史事象との対比らをインプットすることで日本史論述問題に万全を期するの趣旨である。

「日本史の論点・論述力を鍛えるトピック60」のタイトル通り、本書は全60の論述トピックとそれに連なるいくつかの論点からなる。例えば、

「トピック1・原始社会の墓制。論点1・縄文時代の墓制は社会のあり方とどのように関連しているか。論点2・弥生時代中・後期の墓制は社会のあり方とどのように関連しているか。論点3・古墳時代の墓制は政治・社会のあり方とどのように関連しているか」

また例えば、

「トピック33・江戸時代の経済と株仲間。論点1・享保改革期に幕府が始めて株仲間を公認したのはなぜか。論点2・19世紀前半、多数の村々を結集して国訴が発生したのはなぜか。論点3・天保改革での株仲間解散策が失敗したのはなぜか」

同様に、

「トピック36・明治新政府の成立。論点1・大政奉還と王政復古を対比せよ。論点2・版籍奉還と廃藩置県を対比せよ」

というように。大学受験用の日本史論述対策の参考書として本書は詳細で内容濃く、解説文も硬質であり、上級レベルの大学受験参考書であると思う。それゆえ難関大学志望の現役の大学受験生のみならず、受験勉強を外れたところで学校を卒業した社会人が日本史の教養を高めるために本書を熟読する使い方も有用である。それほどまでの詳細で丁寧な日本史論述対策の大学受験参考書の良書といえる、駿台文庫の塚原哲也・鈴木和裕・高橋哲「日本史の論点・論述力を鍛えるトピック60」は。

大学受験参考書を読む(84)野島博之「謎とき日本近現代史」

駿台予備学校から始まり、後に東進ハイスクールや学研プライムゼミらで日本史の大学受験指導を重ねられてきたベテラン予備校講師の野島博之に関しては、何よりも駿台予備学校在籍時の直属の上司が駿台日本史科主任の安藤達朗であり、私は昔から駿台予備校の安藤達朗が好きで安藤の「大学への日本史」(1973年)を日々愛読していたので、安藤が逝去後に野島が安藤達朗について折に触れ語る話が大変に興味深く、野島博之の文章を一時期、探してよく読んでいた。

また野島博之は東京大学文学部の日本史学科出身であり、安藤達朗も東京大学出身であったが、この人の妻が同じく東京大学出身の歴史学者で現東大教授の加藤陽子であり、加藤の日本近現代史の研究も私は好きで加藤の著作を前から好んでよく読んでいたのである。日清戦争から日露戦争、日本が参戦の第一次世界大戦の東アジア戦線から十五年戦争まで、近代日本の戦争について概説的に書かせれば近年、加藤陽子ほど手馴れて上手に書ける人は他にいないと私には思えるほどだ。

特に日本近現代史専攻の加藤陽子に関しては近年、自民党保守政権であり、前の安倍内閣よりその保守的な国家意識と歴史観、さらには首相官邸主導の行政の強権発動政治までそのまま継承した菅内閣による「日本学術会議会員の任命拒否問題」(2020年)があった。この任命拒否問題の詳しい内容を説明すると長くなるのでここでは述べないが、菅内閣下で初めて特定の6人の会員候補に任命拒否が出され、日本学術会議会員から外されてしまう。その任命拒否の6人の中に歴史学者の加藤陽子が入っていた。このことを受けて私は、政府の任命拒否は明らかに不当で間違っていると強く思うと同時に、日本学術会議会員の任命拒否者リストに入れられ学術会議会員から強制的に外された加藤陽子が、とても気の毒に思えて彼女に同情の思いもあった。

野島には一度もお会いしたことはないが、氏に近い安藤達朗と加藤陽子が好きな私は、当の野島博之が知らない所で(笑)、相当な親近の情の好感を勝手に一方的に抱いていたのである。

野島博之は予備校講師として日本史の全時代を教えていて大学受験参考書の著作が多くあるが、野島は元は日本近現代史専攻の人であって、ゆえに近現代史についての野島の書籍が特に読んで面白いと思える。例えば講談社現代新書の野島博之「謎とき日本近現代史」(1998年)などは時々読み返してみると、なかなか味わい深い。本書は日本近現代史にて9つの「なぜ」の「謎」の疑問を提示し、それらに著書の野島博之が順次答えていくというものである。いずれも大学受験日本史の論述対策のネタ本のような内容である。本書にて扱われる日本近現代史の9つの「謎」とは以下のようなものであった。

☆日本はなぜ植民地にならなかったか。☆武士はなぜみずからの特権を放棄したか。☆明治憲法下の内閣はなぜ短命だったか。☆戦前の政党はなぜ急成長し転落したか。☆日本はなぜワシントン体制をうけいれたか。☆井上財政はなぜ「失敗」したか。☆関東軍はなぜ暴走したか。☆天皇はなぜ戦犯にならなかったか。☆高度経済成長はなぜ持続したか。

これら野島博之がいう所の「正しい歴史観をみがくための9つのなぜ」の内の7つ目の「謎」である「(満州事変ら、大陸北方の前線にいて内地の陸軍参謀本部と天皇・内閣のコントロールが効かず)関東軍はなぜ暴走したか」などは、大学入試の二次試験の論述問題で一橋大学か名古屋大学あたりでいかにも出題されそうな問いである。一橋大学も名古屋大学も、昔から二次試験の日本史論述で近現代史の問題を好んで出す大学であった。

大学受験参考書を読む(83)荻野文子「マドンナ古文」

予備校講師が大学受験の勉強を教える以外の所で、講義中に面白おかしい脱線の雑談を長々とやったり、自身の趣味や経歴、家族のことや同僚予備校講師との仲の良い付き合い、はたまたライバル講師との関係対立の確執ら個人の私的なこと、その他、予備校業界の裏側などを語って生徒の関心を引き一躍カリスマ人気講師になるような、「いかにも」な予備校文化のノリを私は昔から敬遠してきた。正直、苦手だったのである。大学受験勉強の内容以外のもので、教える側の予備校講師の人柄とか講師個人の私的な事はどうでもよくて私には全く関心興味がなかったので。

だから、昔から案外に根強くある「××先生」のようなキャラクター付けのあの予備校文化のノリも、私は正直どうかと思っていた。外見の服装や容姿、内的な個人の趣味や予備校講師になる以前の特異な経歴・キャリアなどからキャラクター作りをして、一躍人気になる予備校の講師はいつの時代にもいる。例えば、元代々木ゼミナールの英語の佐藤忠志の「金ピカ先生」(高級スーツと金色の高級時計をこれみよがしに身に着けている)、元代々木ゼミナールと元東進ハイスクールの古文の吉野敬介の「ヤンキー先生」(暴走族の不良から一念発起して大学進学し予備校講師になった異色の経歴の持ち主で、今でもリーゼントヘア)など。その他にも名前は知らないが、日本史か世界史かの予備校講師で、授業のたびにその時に教える時代に合わせて毎回コスプレしてくる人もいたような気がする。

そして今回取り上げるのは、以前に代々木ゼミナールと東進ハイスクールに出講していた古文の「マドンナ先生」こと萩野文子である。

荻野文子の著書には「マドンナ古文」(2013年)、「マドンナ先生・古典を語る」(2001年)らがある。女性教師で「マドンナ先生」といえば、学園一の美人で気立てがよく才女で優しくて、同僚男性教師や多くの男子学生から憧れられていて、しかし「マドンナ」と称される当人はそのことに全く気付いていない純情で、お人好しの好人物のような。古い例えで申し訳ないが(笑)、昔のテレビの学園青春ドラマで言えば、村野武範主演の「飛び出せ!青春」(1965年)での酒井和歌子とか、中村雅俊主演の「ゆうひが丘の総理大臣」(1978年)での由美かおる、あと田原俊彦主演の「教師びんびん物語」(1988年)での紺野美沙子が「マドンナ先生」として私には思い浮かぶ。とにかく、女性の教師で「マドンナ先生」とか「学園のマドンナ」といえば、美人で気立てがよく才女で優しくて皆に憧れられていて、しかし「マドンナ」と称される当人はそのことに気付いていない好人物な所が肝(きも)である。

荻野文子「マドンナ古文」「マドンナ先生・古典を語る」←自分から自身のことを堂々と「マドンナ」って自称で言うな(怒)。

荻野文子「マドンナ古文」は、昔からある大学受験の古文の参考書でこれまでに何度も重版・改訂されている人気の書籍である。本書を読むと、各章の最初のページや中途に「荻野先生の授業ライブ」なる特設ページもあって、そこで「マドンナ先生」こと荻野文子の授業中の横顔ら他角度からの多ショットやズームのアップら、正面からのカメラ目線の正式写真ではない、授業中の盗撮っぽい(?)オフショット写真がやたら数多く掲載されていて昔から笑う。まぁ確かに荻野文子は美人だとは思うけれど、わざわざ自分から自身のこと「マドンナ」って堂々と言うな。

荻野文子「マドンナ古文」には古典文法を中心とした読解に加えて、古文単語や古文常識らの別冊もある。本シリーズは古文を初学の現役高校生から古文が苦手な受験生まで、初級から中級クラスの受験生におおむね好評なようである。

ただ問題として、古文の解説が縦書きではなくて横書きなのがな(苦笑)。国語の古文・漢文で横書きはいけない。必ず絶対に縦書きでなければならない。私は、かの「マドンナ先生」の(←笑)、授業を実際に受けたことはないが、参考書紙上での「荻野先生の授業ライブ」の写真にある背景の板書を見ると普段の古文講義でも横書きであるようだ。この人は参考書だけでなく日頃の授業から古文を横書きで普通に書いている。私大の短文記述や国公立二次の長文記述にて解答欄にマス目や罫線がなく、ただ四角で囲まれた指定の欄がある場合、縦書きではなく横書きで書いたら間違いなく減点されるだろう。あえてそこが荻野文子「マドンナ古文」の難点であり弱点か。

大学受験参考書を読む(82)伊田裕「古文講義の実況中継」

伊田裕「古文講義の実況中継」上下(1988年)は、私には非常に懐かしい大学受験参考書だ。1980年代、高校生の頃に私は本書を読んで古文の勉強をしていた。

伊田「古文講義の実況中継」は上下の二巻で、タイトルは「古文講義」となっているが、厳密には「古典文法講義」である。著者の伊田裕は河合塾の古文講師で、本書「はしがき」には「この本は、私の河合塾での『古典文法』の講義を、その内容と雰囲気を忠実に再現する形でまとめたものです」とある。よって上下二巻で全二十回の講義となっているが、順番に動詞・形容詞・形容動詞の講義(全5回)から始めて、中途で助動詞の講義(全10回)がメインとなり、終盤に助詞の講義(全4回)をやって、最後に「特別講義」(全1回)で「識別問題」の解法(助動詞、助詞、動詞・形容詞・形容動詞の一部らの相違の識別、見極め方法)で締める講義カリキュラムになっている。

著者の伊田裕については、この人は河合塾専任の古文講師であり、本参考書の奥付(おくづけ)の著者紹介には次のようにある。

「伊田裕(いだ・ゆたか)河合塾専任講師。古典文法の構造を切れ味よく解明し、実戦力に高める技量はピカ一。量より質を重視するその講義は、感覚的な丸覚えの勉強の悪弊に染まった受験生の頭をあっさり一変させてみせる。ソフトな人柄とあいまって人気は抜群。『河合塾の古文』を担うホープの一人である」

伊田裕「古文講義の実況中継」は上下の二冊を通して「とことん古典文法」な内容で、例題古文をことごとく品詞分解しながら文法解説するものである。動詞なら活用行・活用の種類・活用形(例えば「ラ行・四段活用・連用形」など)を、助動詞なら意味と活用形(例えば「完了『ぬ』の連体形」など)、助詞であれば種別の見極め(「格助詞か接続助詞か副助詞か終助詞か」など)と意味というように。その中途で副詞の呼応、係り結び、敬語の用法、重要古語、古典常識らに便宜、触れるという構成になっている。しかし、やはり講義の中心は古典文法であり、本講義の中でかなりの分量を割(さ)いている助動詞の文法説明は相当に詳しい解説となっている。

本書を読むと分かるが、著者の伊田裕が「古文講義の実況中継」の中で繰り返し述べているのは、単なる暗記の無味乾燥な古文文法ではなくて、本質から理解して結果、覚えて入試問題にて実戦的に使える「生きた文法」を教えたいとする強い姿勢である。それは先に引用した本参考書奥付の著者紹介からも感得できる所である。まさに「古典文法の構造を切れ味よく解明し、実戦力に高める技量はピカ一。量より質を重視するその講義は、感覚的な丸覚えの勉強の悪弊に染まった受験生の頭をあっさり一変させてみせる」ような、伊田裕「古文講義の実況中継」なのであった。

冒頭で書いたように、高校生の頃に私は本書を読んで古文の勉強をしていたので、伊田「古文講義の実況中継」は自分には非常に懐かしい大学受験参考書である。本参考書を読んで「さすがに予備校のプロ講師は教え方が上手いな。高校の古文の先生の授業とは違って日々の教材研究も過去問研究に基づく実戦的な入試対策も、予備校の先生はきちんと親切に教えてくれて正直、感動した」といった当時よりの心持ちであった。数十年前に本書を介して古典文法を学び、今も鮮明に覚えていて最近でも日本史の史料で古文を読む際に、以下のような古典の文法事項に当たると私は伊田裕「古文講義の実況中継」のことをつい思い出してしまう。例えば、

(1)打消の助動詞「ず」に、「ざり」活用があるのはなぜか。それは助動詞は原則として動詞に付くものであるため(だから「動詞」の補「助」で助動詞なのである)、打消の助動詞「ず」の後にさらに助動詞を続けたい場合には間に形式的な動詞「あり」を一度はさまなければならない。つまりは、打消の助動詞「ず」の後にさらに助動詞を続けたい場合には「ず+あり+助動詞」という形に必ずなるので、その「ず+あり」が一語となって「ざり」という音になり、結果「ざり」活用が打消の助動詞「ず」にできた(上巻・129・130ページ)。

(2)格助詞「の」の同格では、「体言+の…連体形+(同じ体言の省略)+助詞」の形になる。このように公式化できる(下巻・162・163ページ)

らの文法事項教授の素晴らしさ、手際(てぎわ)の良さに感動した。それらのことが私は今でも忘れられない。

さて、それから時は過ぎ私は大学受験を何とか突破して大学進学し、その後無事に学校を卒業して、しかし今でもたまに大学受験参考書を読んだり、大学入試の過去問を遊びで解いたりしていたが、1980年代の数十年前に読んだ「古文講義の実況中継」の伊田裕について、氏の最新の大学受験参考書が近年、伊田「入試によく出る・古文の徹底演習」(2020年)で新刊で出ているのを書店店頭で見つけて、また少し感動した。1988年初版の伊田裕「古文講義の実況中継」の著者紹介には「ソフトな人柄とあいまって人気は抜群。『河合塾の古文』を担うホープの一人である」とあった「ホープ(新人)」の河合塾の古文講師の伊田裕は、あれから30年以上経って2020年の今でも河合塾の古文講師で「『河合塾の古文』のベテラン」として教壇に立っておられて今般、新刊の古文の参考書、伊田裕「入試によく出る・古文の徹底演習」を出されたとは!の驚きの感動があったのである。

大学受験参考書を読む(81)西尾陽一郎「覚えやすい英単語」

河合塾の河合出版から出ている西尾陽一郎「覚えやすい英単語」(1990年)は、多義語編と語源編と難関大単語編の三部構成からなる単語帳である。本書タイトルが「覚えやすい」となっているのは、例えば、ある単語の語源の基本の語義を最初に示し、そこから樹形図にして様々に枝分かれした意味・用法を網羅して一気に覚えさせる要領の良さにある。それゆえ「覚えやすい英単語」なのである。同様に、多義語にて覚えるべき複数の意味・用法をまとめて挙げる。また難関大に頻出の英単語を集中して載せる。ゆえに「覚えやすい英単語」なのであった。

ところで私は、英語を本格的に学び始めの高校生の頃には、なかなか英単語を覚えられなくて非常に苦労した。高校の授業で指定の単語帳からの英単語テストが毎回あって、そこで合格点が取れないと放課後の再テストや課題提出のペナルティを荷重に科されて大変だったのである。高校入学直後からしばらくは英単語を覚えるのに相当苦労した。しかし苦しみながらも英単語を覚えていく作業を連日続けていると、なぜか不思議なことに、ある時を境に突然よく英単語が頭にスムーズに入り定着して、前よりも明らかに思考のギアが一段上がって非常によく覚えられるようになった。

この現象を分析するに、それは自身の中で英字の配列のパターンを見切れるようになったというか、だいたい予測して英単語の成り立ちスペルを理解できるようになったからだと思う。典型的な接頭語や接尾語(「Pre」や「―tain」など)のパターン把握に加えて、こういうアルファベットの連続つながりは英語にはないことなどの要領を得て、以前は一文字ずつ厳密に暗記しようとしていたものが、ある程度の英字のつながりのひとまとめにて、より効率的に確実に覚えられるようになってきた。一定の時間をかけて、まさに自分の頭が英単語の英字のパターン配列を見切れたことで、結果として「ある時を境に突然よく英単語が頭にスムーズに入り定着して、前よりも明らかに思考のギアが一段上がって非常によく覚えられるようになった」ということだと思う。

このことはより厳密に心理学的に言って、記憶学習における「レミニセンス現象」を通しての上達と解することができる。すなわち、記憶学習における「レミニセンス現象」とは、

「記憶の直後には今できたばかりの記憶痕跡が互いに抑制し合うため直後の再生はうまくいかないが、しかしその抑制作用が止(や)んだ後には再生が容易になる。よって記憶の直後よりも、しばらく時を経る方が痕跡相互がよりまとまり整理され記憶が体制化されて結果、記憶の再生が容易になる現象」

のことである。

私達の実際の経験でも、スポーツ技術習得など言語を介しない「非陳述記憶」や試験勉強や仕事の手配・段取りの言葉を使った「陳述記憶」にて、詳しく教えられたけれど記憶の直後にはミスが多く、なかなか上手に出来なかったのに、しばらく時間経過して失敗を繰り返しながらもめげずに根気よく継続して努力を重ねていると、ある瞬間から突然、驚くほど飛躍的に向上し上達して上手に出来るようになることがある。いわゆる「コツをつかんだ」「要領がつかめて見切れた」「ようやく自分のものにできた」というような感覚の体得である。

あれこそが「レミニセンス現象」であり、記憶・要領が自身の中で体制化して定着するには即ではなく、ある程度の時間をかけて徐々に自分の中に沈澱(ちんでん)して、ゆっくり定着し神経間の組織化が保持され、相互の連関が緊密に形成される。それは表面的な模倣や即席の「インスタント記憶」ではなく、いわば「遂には自身の血肉になる。初めて自分の腹の底から感得し本当の意味で分かる」状態になるのだと思う。だから、スポーツの技術習得でも勉強の成績向上でも教えられたのにすぐに出来なくて成果が出なくとも、そこで諦(あきら)めてはいけない。人は記銘し覚えても記憶・要領が安定し体制化されるまで上手く再生できない。記憶や要領が自身の中で緊密に組織化して定着するのを待つ停滞期間が少なからず必要である。その事を知り「レミニセンス現象」による習得体制化までのタイムラグ(時間のズレ)を想定し、事前に繰り込んだ上で根気よく努力を続けなければならない。

これは、英語初学者の学び始めにおける英単語の記憶の要領にても同様だ。

大学受験参考書を読む(80)大谷浩三「日本史論述テーマ24」

河合塾の河合出版から出ている大谷浩三「日本史論述テーマ24」(1991年)は、前回紹介した河合出版の大谷浩三・岡野尚起・田中君於「入試日本史・日本史精説」(1988年)の副読本の実戦問題集のような書籍だ。「日本史精説」にて著書みずから「(本参考書では)教科書よりさらに詳しく解説してあります」と述べていたように、特に早稲田や慶応ら難関私大の日本史入試に対応できるよう、やたら詳しく解説していた。一方、今回の「日本史論述テーマ24」は、難関私立の記号式選択対策ではなくて、「難関国公立大学の論述二次試験に対応できるように」との(おそらくは)シリーズ編成出版元の河合出版からの気遣いであると思われる。

本書はタイトル通りの「日本史論述テーマ24」の24題の基本例題にて、原始・古代から近現代までの論述例題が収録されている。本書サブタイトルに「入試ハイレベル攻略」とあるように、この24題は確かに「ハイレベル」でそこそこ難しい。しかし解説の過程が全問に共通して丁寧で親切であるので、独学の自宅学習でほとんどの受験生は本参考書を介して日本史論述の学力を養成できる。

「日本史論述テーマ24」の24題の演習のあり様はこうだ。まず「この形式の論述は」のブロックがあって論述問題のタイプ(問い方)の分析をなし、全体の論述構成・展開、論述に当たり注意すべきこと・書いてはいけないことを箇条書きにして挙げる。次に「なぜここがつっこまれるか」で作問者の出題意図、本問を通して出題者が受験生に聞きたいこと・書かせたがっていること、書き手がためされていることの加点要件の概要を述べる。続けて「基礎知識は正確か」で本論述を書くに当たり、必要となる細かな歴史事項や用語を具体的にまとめの形式で挙げる。そして最後に「解答例」を掲載する構成になっている。さらにその後に「頻出重要歴史用語・記述」なる本論述に関連した周辺知識の補足説明があり、いよいよ最後は類題追加の「実践問題」で、実際に出題された難関大の日本史論述過去問が解答・解説と共に収録されている。全編を通じて「日本史論述テーマ24」の各問ともに相当に丁寧な論述解説になっている。

大学入試日本史論述の過去問を日々遊びで解いている私の感触からして、入試問題は近年の2000年代以降のものよりも、昔の1970年代から80年代にかけてのものの方が各大学ともに全般に難しいという印象だ。これは昔は大学進学率も低くて、大学へ行く人は「ある程度、しっかり勉強ができる」の本当の意味で学力のある人しか進学志望しなかったし、また進学できなかった。それに学生を受け入れる大学側も受験生に対して、それなりの高い学力を入試選抜で求めて、あまりにも低成績な人には入学許可しない「大学側のプライド」もあったと思う。

近年の2000年代以降、今日の大学入試問題は昔のものと比べて全般に易しくなっている。このことは昨今の全日制普通科の高校でのカリキュラム上の必修科目数と教科書内容の範囲・難度が、故意に削減・限定・易化されていることからもよく分かる。また最近は少子化の影響で大学進学志望の学生が前よりも激減しており、「大学全入時代」(大学志望者よりも受け入れ側の大学の募集定員の方が多く、進学希望者は入学したい大学ブランドにこだわらなければ、基本的に大学に無試験で全入学できる状況)といわれる時代で、大学経営の事情からして学生の学力は二の次で、とりあえず入学生の人数を確保したい大学側の思惑による入試問題の易化、さらには学力試験の負担を減らす入試科目の削減(2科目や1科目入試、面接・小論文のみの入試)や推薦入学、提携高校からの内部進学枠の確保にて、今日の大学入試問題は全般に昔のものと比べて易化の傾向にあるといってよい。

大谷浩三「日本史論述テーマ24」ら昔の大学受験参考書を読むと、最近の日本史論述対策の書籍よりも非常に詳細でそれなりに難しく手強(てごわ)く感じてしまうのは、以上のような大学受験を取り巻く社会状況の変化に遠からず由来している、というのがとりあえずの私の結論である。

大学受験参考書を読む(79)大谷浩三「入試日本史 日本史精説」

昔はまだ東進ハイスクールはなくて、全国展開の三大予備校といえば、駿台予備学校と代々木ゼミナールと河合塾で、「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合」とか言われてた(笑)。駿台は受講生のレベルか高く、代ゼミは人気講師の看板が強いのがウリで、河合塾は大学の大教室にあるような長机ではなく、高校で使う一人机で校舎設備が整っていた程度の意味である。

そして、これら全国展開の三大予備校は全国書店販売の大学受験参考書を手がける出版・販売部門をそれぞれに持っていて、駿台予備学校は「駿台文庫」であり、代々木ゼミナールなら「代々木ライブラリー」で、河合塾であれば「河合出版」というように各予備校ともに、本科の内部テキストや所属の専任講師が書き下ろしの参考書、各予備校主催の全統模試を再録した問題集など、出版事業においても全国展開で勢力的に幅広くやっていた。

私が高校生の時は、特に河合塾の河合出版の書店売り大学受験参考書が好きでよく読んでいた、昔にあった河合出版の「新・秘伝のオープン」など、今にして思えば、なかなか魅力的な参考書シリーズのタイトルである。「河合塾専任講師陣が長年の経験で培(つちか)った秘伝を公開」の売り文句で、「なるほど、教科書には載っていなくて高校の授業では教えないような、予備校のプロ講師による入試過去問分析の研鑽(けんさん)に基づく効果的なまとめの上手い教え方とか、受験の裏テクニックのノウハウを河合塾の予備校講師陣は豊富に持っていて、それら知識・方法の『秘伝』は門外不出で普段は予備校に通う生徒にしか教えないのだけれど、本シリーズでは『秘伝のオープン』で蔵出しして一般公開してくれるのだな」の非常に期待を持たせる魅惑の(笑)、河合出版の「新・秘伝のオープン」のシリーズ・名タイトルである。

大谷浩三・岡野尚起・田中君於「入試日本史・日本史精説」(1988年)は、河合塾の河合出版から出ていた昔の日本史参考書だ。出版元の河合出版からの公式の紹介文には、

「国公立から私立大まですべてに対応する参考書です。左頁は、論述対策として暗記よりも論理的に考える力を養成できるよう、教科書よりさらに詳しく解説してあります。右頁は主に私大入試対策として、左頁の項目をよりわかりやすく表形式でまとめました。歴史の大きな流れをつかみ、因果関係を時代の流れの中でとらえ、反復しながら基礎を固めることが大切です」

とある。

本書は全580ページで相当に分厚い。問題集ではなくて日本史の概説書である。表紙に「高校日本史教科書に密着する河合塾入試日本史の決定版!」とあるように、標準的な高校の日本史教科書である山川出版社「詳説・日本史」と同山川出版社「日本史B用語集」をさらに細かく解説したような「決定版」的な詳しい内容である。これは本書執筆に当たり、入試過去問を踏まえて早稲田大学や慶應義塾大学ら、以前に難関私大の入試で出た語句・内容を漏(も)らすことなく網羅で収録しようとする本書の編集方針に由来しているに違いない。その結果、本参考書では「教科書よりさらに詳しく解説してあります」という事態になっている。

公式紹介文にあるように、「入試日本史・日本史精説」は、左ページは教科書形式の文章による歴史解説で、右ページには予備校講義での板書のような簡潔な図表まとめの掲載となっている。史料も解説されている。巻末には「重要用語」の長いまとめもある。

まぁ、これだけ詳細な、まさに「精説」と呼べる内容を入試前までにほぼインプットできていれば、受験日本史に関しては難関私大の記号選択でも国公立の用語記述でも、ほとんどの大学に対応できるだろうな。