アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

YMO伝説(1)「イエロー・マジック・オーケストラ」

今回から数回に渡り、「イエロー・マジック・オーケストラ」(Yellow・Magic・Orchestra)、略して「YMO」の特集をやろう。題して「YMO伝説」である。ただあらかじめ述べておくと、私はYMOに関してそんなに詳しくはない。確かに昔からそれとなくYMO周辺のテクノな音楽が好きだが、実はそんなに熱烈なYMOファンだったというわけではない。

以前にYMOが好きなファンな方と話をしていて何気に「YMOが解散」って言ったら、「解散じゃなくて散開だろ(怒)」と訂正されて、もちろんYMOの場合は普通の「解散」ではなくて軍隊用語の「散開」を使うことを私も知ってはいたが、「あー筋金入りのYMOファンな方は、いちいち理屈っぽくて面倒くさいな」とは正直、多少は思った。テクノが好きな方は文化系で教養があって普段から本をたくさん読んでいて音楽もよく聴いていて映画にも詳しいし、色々なことを広く深く知っている博学な方が多い。何かハードロックやヘビメタ好きの、体育会系勢いのガテン系とは系統が明らかに違う「知識ある理屈っぽい人」が多いような気がする。

YMOの各氏同様、日本のテクノ界の偉大な先人、「Pモデル」(P-Model)の平沢進もそうだ。氏が執筆のCDのライナーノーツを読んでいると、非常に賢くて頭のキレる知性あふれる方で、平沢進の前で生半可にテクノを語るとダメ出しされて怒られそうな怖イメージが私にはある。ちなみに平沢のPモデルでの最良のアルバムといえば、ハイテンションなテクノの名曲「美術館で会った人だろ」を含む、ある意味パンクなファーストの「イン・ア・モデル・ルーム」と、「凍結」を経て「解凍」後の1990年代に発表の、それまでの独り考え過ぎて勝手に自滅していたいつもの理屈っぽさが抜けて、「テクノは原始の音楽だ。ただピコピコなるシンセの音色があれば楽しいからそれで良し」と完全に吹っ切れた、すがすがしい平沢節が全開の2枚のアルバム「P-MODEL」と「Big・Body」で決まりなはずだ。平沢進でお茶の間人気の平沢楽曲といえば、プロレスラー・長州力のテーマ曲「パワーホール」くらいか。日本テクノの奇才・平沢師匠はYMOの御三方と同じくらい、もっと世間に認知され売れて評価されてよいと私はいつも思うのだが。

そういったわけでYMOに関し、正確でないことや記憶違い、間違い記述があるかもしれないが、そこはご勘弁頂き、とりあえずやってみよう。

まずはYMOのデビュー・アルバムのファースト「イエロー・マジック・オーケストラ」である。これには国内盤と米国発売の海外盤(US版)がある。アルバム・ジャケットのイラストの派手さや、「東風」に吉田美奈子の声が入っていることから海外盤の方を私はお薦めする。このファーストの海外盤、昔のレコードの帯には「クラフトワークが脱帽し、ディーボが絶賛したイエロー・マジック・オーケストラ。全世界発売盤新装登場!」というコピーがあった。

ファースト・アルバムの楽曲で私が好きなのは、ミニマム音仕様な「コズミック・サーフィン」だ。あとは昔のレコードでいう怒濤(どとう)のB面、いわゆる「ゴダール3部作」のノンストップ・シリーズである。「東風」から始まって、「中国女」から「ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック」を途中にはさんで「マッド・ピエロ」へ。ゴダールの映画で「中国女」と「気狂いピエロ」は何度も観たけれど、「東風」だけはなぜか機会がなくて私は未見である。なぜヌーヴェルヴァーグのゴダール(Godard)かというと、もともとテクノなバンドといえば、例えば「クラフトワーク」(Kraftwerk)みたいに無機質なマネキンのように、例えばゲイリー・ニューマン(Gary・Numan)みたいに感情をなくしたアンドロイドのように、例えば「ディーヴォ」(Devo)みたいに皆が同じユニフォームの均質の没個性でやりたいYMOのテクノなバンド・イメージが最初にあって、共産圏の北京交響楽団のコンサートをたまたま細野、坂本、高橋の3人で見た時、あのような「交響楽団風の、いかにもな整然とした均質な顔つきで個性を出さずに、汗をかかずクールに黙々とシンセサイザーで演奏する」というアイデアが出てきて、だから「イエロー・マジック・オーケストラ」になった。「北京」が「イエロー・マジック」の東洋魔術で、ゆえに中国の人民服を着て、「交響楽団」はそのまま「オーケストラ」になる。それで、その北京交響楽団からヌーヴェルヴァーグのゴダールにつながって行く。というのも、ゴダールは一時期、中国共産党の毛沢東主義に傾倒して「中国女」という映画を撮ったりしていたから。

特に坂本龍一と高橋幸宏がゴダールにハマっていたらしい。坂本は新宿高校出身で昔は激しく学生運動をやっていた人なのでヌーヴェルヴァーグ、まさに映画の「新しい波」で、撮影クルーが皆対等で上下の階層序列なく、それぞれが自分の役割をやる。加えて、俳優も裏方スタッフも垣根なく皆が平等で機材撤収を俳優も協力して手伝うといった、いかにもなフランスの共和政的伝統、そういったヌーヴェルヴァーグ文脈での激しい民主政、新しい映画制作集団の思想が坂本龍一は明らかに好きだから。おそらくは、そういった役割分担のみの過激な民主政をYMOのバンドに取り入れてやりたいわけだ、坂本龍一は。普通のロックバンドのようにボーカルやギターの花形中心のスターがいて、ベースやドラムやキーボードは、あからさまに格下メンバー扱いのスター・システムは嫌だから。

かたや高橋幸宏、あの人は裕福でハイソな家庭の生まれの方で、日本人にしては珍しいくらいのヨーロッパ志向な本当に洗練されたロマンチックでお洒落な人である。ヌーヴェルヴァーグの劇中、カラーの極彩色を使いまくりなファッションや高級な調度品や家具など好きだと思う。あと映画なのになぜか画面いっぱいに文字が出てきて文章を読ませる、ゴダールの思弁的で知的な映画趣向なども。とにかく高橋幸宏はヨーロッパ志向だ。高橋幸宏にアメリカのヤンキー文化は似合わない。高橋幸宏は普通にファストフードのハンバーガーは食べないし、アメリカのハリウッド映画は観ないし、東京ディズニーランドには絶対に遊びに行かないと思う、たぶん(笑)。

それで、まずは坂本龍一が「東風」を作り、高橋幸宏が「中国女」を作り、細野晴臣が坂本と高橋に引きずられて、それならと「気狂いピエロ」の「マッド・ピエロ」を最後に作る。よくよく考えたらYMOのファースト・アルバムのプロデューサーは細野である、坂本や高橋との共同プロデュースではなくて。YMOのコンセプトを考えてメンバーを集めたのも細野晴臣だし、彼がバンド・マスターで初期YMOのプロデューサー「ハリー細野」だった。にもかかわらず、プロデューサーで年長の細野がイニシアチィブの主導権を取らず、やんちゃで若い坂本と高橋の「ゴダール3部作」アイデアに引っ張られて、本当はヌーヴェルヴァーグなどあまり興味ないのに(笑)、付き合いで最後に「マッド・ピエロ」を仕上げる細野晴臣の人の良さである。

細野晴臣は見た目と同じく案外ボーっとしていて、のんびりで寛容な人だから。彼はYMOの主宰のリーダーでプロデューサーで、後に判明したように実は細野だけYMOに相当な私財をつぎ込んで自身を賭けてYMOプロジェクトを背水で始めるのだけれど案外、坂本と高橋に好き勝手にやらせる。細野が年長の年上で一応はリーダーなのだけれど、先輩指導の強力なリーダーシップの発揮などなくて、若い年下の坂本と高橋に本当に自由にのびのびと勝手にやらせていた。細野のおっとりした人柄ゆえ、奇(く)しくもヌーヴェルヴァーグの制作クルーのような3人対等のバンド内民主政の下で坂本と高橋が、特に坂本龍一が自由勝手にやりたい放題やるわけだ(笑)。それを細野晴臣が寛容の精神を発揮して黙認する。しかし、高橋幸宏は坂本とは違って節度と協調性あるバランスの取れた人だから、YMO内にてミュージシャンのエゴで突っ走る坂本の暴走に途中で気づき、細野に気を使って案外オロオロしたりする。

後にアルバム「BGM」制作をめぐって坂本と細野がとうとう険悪になって二人が上手く行かなった時に、高橋が気を使って坂本と細野の間にわざと入ったりする。高橋幸宏は本当にバランスとれた、これまた寛容な良い人で、「いやぁ、僕はドラム担当なだけに坂本、細野両氏の太鼓持ちですから」とか、「ビートルズでいえば、坂本君と細野さんは2人とも才能あるポールとジョンで時にぶつかって僕は間に入る、おもしろ担当のリンゴ」など、あえて自分を落として軽く言ったりできる人である。

YMOの御三方は、結局は仲が良くて1984年の最初の「散開」(「解散」ではなくて「散開」だ)以降もYMOを再結成したり、別ユニットで3人でやったりしている。細野、坂本、高橋のトリオが何度もいつまでも一緒にやれるのは、時にやりたい放題の坂本、それを自由にやらせる細野、そして空気を読んで坂本と細野の間に上手い具合に入る高橋、対等で三者三様の役割分担がしっかりしていて各自のキャラクターが安定しているからだと思う。そういうのはファースト・アルバムの「ゴダール3部作」にて、若い坂本と高橋がゴダールにはまって、まず「東風」を作り「中国女」を作って、そうしたら少し大人な細野が遅れて「しょうがないなぁ」と思いながら2人に合わせて「マッド・ピエロ」を作って、途中で高橋が坂本と突っ走っていた我に気づいて、そっと細野にフォローを入れる。後々まで続くYMOの人間関係の原型が、あのB面の「ゴダール3部作」には確かにあると思う。だから、私はファースト・アルバムの「東風」以降の流れが「いかにもYMOの三人らしい感じ」がして昔から好きなのである。