アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

YMO伝説(4)「BGM」

「YMO」のアルバム「BGM」は「壮大なファン切り離し」の中期YMOの時代に突入の契機となる音源だ。アルバム「BGM」と「テクノデリック」は、あまりにも暗くて地味で非商業的であり、しかしながら密(ひそ)かに玄人ウケするテクノのラディカルで前衛的な音に今まで「ライディーン」や「テクノポリス」のような分かりやすい明るい楽曲が好きだったYMOファンの熱が一気に醒(さ)めて皆が離れ、レコードの売り上げも一気に急降下していく。だが逆にいえば、この「BGM」や後の「テクノデリック」の音源を好きな人はYMOが本当に好きな人だ。おそらくは後々も離れず、ずっとファンでいられる人ではないかと思う。

周知の通り、アルバム「BGM」制作時にメンバーの坂本龍一と細野晴臣の仲が悪くなる。当時の細野との確執について、坂本は「よくレコーディングすっぽかしてた」「大喧嘩になることを避けて細野さんとはあえて顔を合わさなかったし極力、話すのを避けてた」。しかしながら、坂本と細野の間に入った高橋幸宏は本当にいい人だから、気を使って「ぜんぜんみんな仲悪くなんてないですよ。坂本君もレコーディングすっぽかしてないですし、普通にスタジオで3人で相談しながらやってました」とフォローを入れたりするのだが、もう片方の当事者の細野が「当時は、教授はハレモノでしたね。コミュニケーションが僕とあまりとれてなかったから」とか、後のYMO再結成時に「昔はあんなに反抗してた坂本君が、今ではYMOは自分の人生の中で大切な部分って言ってくれるなんて」と案外あっさり発言したりするので(笑)、「やはり坂本と細野の不和の確執は当時あったんだな。それにしても幸宏さんの『ぜんぜんみんな仲悪くなんてないですよ』の、せっかくのフォローが水の泡」と正直、私は思ったりした。

坂本龍一と細野晴臣の不和の確執は直接的には「BGM」のレコーディング方針をめぐる対立だったはずだが、元々は主に坂本自身の問題があって、少なくとも以下のような理由の背景があったと思われる。

まず、坂本龍一がYMO以前にバンドに属して音楽をやる経験がなかったため、もともと他者との協調性に決定的に欠けていた。坂本龍一は昔は派手に学生運動をやっていた全共闘世代の人だから、その世代の人にありがちな、個人を抑圧する集団組織に対する根源的不信感もあって、おそらくは拭(ぬぐ)いきれなくて組織に縛られたくない根っからの自由人だった。例えば細野晴臣なら「はっぴぃえんど」、高橋幸宏なら「サディスティック・ミカ・バンド」にて今までバンド活動をやってきて他の人と協調してやることを知っているのに、坂本だけはこれまでグループ活動の経験なくスタジオ・ミュージシャンの何でも屋のヘルプの延長でYMOをやっていたから、この人は当時「自分の才能がYMOのバンドに吸い取られる」と本気で思い込んでいたフシがあった(笑)。それで坂本龍一はYMO本体から距離をとってバンドのチームワークとは無縁で、「BGM」制作当時は不安定に独りフラフラとしていた。

次にYMOで皆で「BGM」作る以前に、すでに坂本龍一だけソロ・アルバム「B-2ユニット」を作って先取りで非商業的な実験的音楽をフライング気味に独りで早くもやってしまっていた。坂本ソロの「B-2ユニット」は相当にトガったラディカルな傑作アルバムだ。とくにアルバム収録の「ライオット・イン・ラゴス」は名曲で細野の激賞をあびて例外的にYMO本体のツアーライヴで演奏されるが、「坂本(怒)、『ライオット・イン・ラゴス』級の名曲は、フライング気味にソロで一人でやるのではなくYMO本体のアルバム『BGM』制作時に持っていって、YMO名義でアルバム『BGM』に初出で入れるべきだろ」と正直、私は思った。

「B-2ユニット」は本当に素晴らしいとしか言いようがない、坂本龍一の全音楽キャリアの中で確実に上位に入る後々まで残る最高アルバムである。あそこまで根源的でラディカルで非常にトガった非商業的な音楽を突き詰めてやってしまうと、おそらく坂本自身、相当に消耗しただろうし、精神が荒廃してアルバム「B-2ユニット」はまさに「劇薬」だから、次のアルバム「左うでの夢」の頃には情緒的な揺り戻しが起きて言葉が恋しくなり、本当は歌が下手なのに坂本みずから無理して歌うような文字通り「スナオ・サカモト」で自らに歌を課すリハビリが必要になってくる。

そうしたソロの「B-2ユニット」を作り終えた後の坂本龍一の荒廃した精神状態で、さらにYMO本体での「BGM」の制作に着手する。そもそも坂本ソロ仕事の「B-2ユニット」は、YMOでワールドツアーを数回やらされて半(なか)ば神経症のノイローゼ気味になり、いい加減もうYMOに疲れていた坂本龍一が脱退をちらつかせゴネてアルファ・レコードに制作費や宣伝費の諸々を出させて作った、坂本とYMO本体との不和の確執から生まれた因縁のアルバムだった。なにしろ、アルバム「B-2ユニット」での坂本の創作テーマは「打倒YMO」だから(笑)。そのYMO本体との不和の確執が継続し、さらに増幅されて、坂本は個人仕事の「B-2ユニット」で非商業的な実験的音楽を自分だけ先取りで独りで徹底的にやり尽くし、独りで勝手に燃え尽きていて気分的に「細野と高橋と一緒に『BGM』のようなラディカルな音楽は、さすがにもう作りたくない」。そういったボタンの掛け違いの精神的気分のズレのようなものが坂本龍一とYMO本体、特に細野晴臣との間にあったと推察される。

さらには坂本自身の細野と高橋に対する音楽的な失望もあった。これは後に坂本龍一が述べていて、「細野さんと直接に知り合うまでは、とにかくものすごく音楽のこと研究していてよく知ってる人だろうなって思ってたのだけど、YMOで一緒にやってみたらクラッシックとかヨーロッパのテクノとか全然、聴いてなかった。細野さんって100パーセント、アメリカン・ロックが素地な人なのね」といった結構、身も蓋(ふた)もないコメントがあった。確かに、YMO結成時の最初のコンセプト「マーティン・デニー(Martin・Denny)のエキゾチック・サウンドを電子楽器のシンセサイザーでディスコ仕様でやる」と考えてメンバーを集めたのは細野晴臣だが当時、細野がお気に入りで好きだったのはジョルジオ・モロダー(Giorgio・Moroder)やロビン・スコット(Robin・Scott)の「M」など、どちらかといえばトホホな一発屋のディスコ・ヒットな人達だった。「細野さんも幸宏も最初の頃はクラフトワーク(Kraftwerk)やノイ(Neu!)を全く知らなくて、そういったジャーマン・テクノ的なものや、スロッビング・グリッスル(Throbbing・Gristle)のような過激なパンク・ノイズの実験的な音は、彼らはYMOになって僕経由で初めて聴くようになった」といった坂本のコメントも(確か)以前にあった。

坂本龍一は理論派で、あだ名が「教授」だから。彼はクラッシックからテクノからロックまで教科書的に聴いて理論研究的に分析して音楽を作っていたと思う。だが、細野晴臣は本当にナチュラルな生まれつきの音楽の天才で、海千山千の経験豊富な実用的プロのミュージシャンだから、テクノもディスコも民族音楽も自由に聴き、勘で本質をつかんでその都度アイデアを借用し独自に加工して自在にやっていた、経験的に音楽を作っていた。少なくともYMO活動時の坂本龍一にはそう思えた。だから、アルバム「BGM」を作る時でも「たぶん細野さんはブライアン・イーノ(Brian・Eno)経由だと思うんだけど、もとを正せはエリック・サティ(Erik・Satie)の『家具の音楽』みたいなことを『BGM』のバック・グラウンド・ミュージック(環境音楽)としてやりたいわけでしょう。今さらサティの真似みたいな、そんな孫引きなことやったって」とか、細野と高橋共作の、もろ「ウルトラヴォックス」(Ultravox)な「キュー」に関し、「ここまで露骨に真似していいわけ」と坂本龍一はなるわけだ。

坂本龍一は割合と醒めた目で相対的に海外の音楽を聴いて免疫があるから、細野や高橋のように「イギリスの音楽シーンと日本の音楽シーンとが見事に重なり合って、英国ニュー・ウェーヴのウルトラヴォックスに東京テクノのYMOが共鳴する。地球規模の音楽で素晴らしい同時代性の体現」といった線には安易に行かない。「細野さんも幸宏も『キュー』みたいな、そのまんまな曲作っちゃって、本当に勘弁してよ」という坂本のボヤキの不穏な空気がYMOのバンド内に立ち込める(笑)。アルバム「BGM」と「テクノデリック」を引っさげてのツアー「ウインター・ライヴ」の映像を見ていると面白い。坂本龍一は「キュー」が嫌いで鍵盤を弾きたくないから、「ライヴで『キュー』やるなら僕にドラム叩かせてよ」と言って、「キュー」の時に「これは細野さんと幸宏からの俺に対する復讐なんだ(怒)、コノヤロー、チクショー」と憎しみの怒りをスティックに込めながらキレ気味に太鼓を叩く殺気立った坂本の姿に爆笑する。私は毎回「ウインター・ライヴ」の映像を見て「キュー」での「坂本怒りのドラム」に大爆笑だ。あれは何度、見返しても笑える。

ウルトラヴォックスといえば、私もそんなに好きではなかった。だから、もちろんYMOの「キュー」の楽曲もそんなに好きではない。ただウルトラヴォックス関連では、ジョン・フォックス(Jhon・Foxx)のソロ・アルバム「メタル・ビート」あれは良かった。全体にゆるいシンセの音色がゲイリー・ニューマン(Gary・Numan)のようで。

さて、YMOのアルバム「BGM」の肝心の中身の音楽に関しての印象は、高橋幸宏のロマンチックな甘さ、坂本龍一の冷たい攻撃性、細野晴臣の海千山千なすっとぼけた感じ(笑)、といったところか。中でも、やる気をなくして自身の過去楽曲に再度手を入れて案外、適当にいい加減に提出した坂本曲が意外に良い出来ではないか。「千のナイフ」は「BGM」収録の新バージョン1曲のみで、坂本ソロ・アルバムの昔の「千のナイフ」収録全曲を吹っ飛ばして打ちのめすくらいインパクトの破壊力があると私は思う。事実、私は「BGM」収録の新しい「千のナイフ」を聴いた時から、何だか昔の「千のナイフ」のアルバムは、もはや聴きたくなくなって全く聴く必要がなくなっていた。もともとアルバム「BGM」制作時に細野から坂本へ、「今度のYMOの新作には『千のナイフ』のような、ああいった感じの楽曲が是非とも一曲欲しい」のオファーを出したら、楽曲提出の締切日までに坂本が新曲を作れ(作ら)なかった事情もあり、なぜか坂本が勝手にキレて「だったら『千のナイフ』に手を加えたリミックス的な別バージョンの同曲でいいじゃないか」となり、リアレンジした「千のナイフ」をそのまま提出した。坂本龍一、コイツは当時から細野晴臣に向けての反抗の当て付けが相当にヒドく、実に最悪な男である(笑)。しかし、アルバム「BGM」収録の新バージョンの「千のナイフ」は恐ろしい程に素晴らしく、坂本龍一は音楽の天才である。

あとは、これまたダブ仕様の「もうここいらでYMOを解散させて文字通り『ハッピー・エンド』で終わらせましょうよ、細野さん」くらいの勢いの破れかぶれな坂本曲「ハッピー・エンド」か、他にはカタカタいうドラム音のテクノな「ユーティー」が好きだ。「アルバム『BGM』は『バレエ』など幸宏の曲が全体にロマンチックで甘すぎる。幸宏曲がなければ、より荒廃してラディカルな、今よりもっと訳の分からない作品になってたでしょうね」という後の坂本龍一による、アルバム「BGM」評が実に的確で秀逸だと私はいつも思う。