アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(9)「蝶々殺人事件」

探偵小説にて私立探偵の金田一耕助が登場する、日本の地方の閉鎖的共同体の因習や祖先一族の因縁に絡(から)めたドロドロな本格長編ではなくて、都会が舞台で都市生活の個人主義的なスッキリ洗練された大人な本格推理が読みたい人には、「横溝正史などに執心せず、海外のエラリー・クィーンやアガサ・クリスティ、国内なら鮎川哲也あたりを無難に読んでおけ」といった話になるのだが、どうしても横溝作品にて洗練された都会ものの本格推理を味わいたい人向けには「蝶々殺人事件」(1947年)あたりになるのだろうか。

横溝正史「蝶々殺人事件」に関しては、以前に坂口安吾が「スマートな語り口と謎解きの妙味で『蝶々』を書いた横溝は世界のベスト・ファイブ級の才能」と海外の探偵推理ミステリーに比肩する負けず劣らずの日本の本格推理として絶賛している。本作については、その執筆経緯に以下のような事情があったといわれている。

敗戦を迎え、それまで検閲制限されていた探偵小説を思う存分に自由に書くことができ、「さあ、これからだ。これから新しい本格推理を思いっきり書いてやろう」と意気揚々で創作に取り組んだ戦後の横溝正史。私立探偵・金田一耕助という新キャラクターを創出し、「本陣殺人事件」(1946年)の連載を始める。その間、旧知の小栗虫太郎の訃報が横溝の元に届く。今後の日本の探偵小説界の期待を一身に担っていた小栗虫太郎の、あまりに若すぎる早すぎる逝去の知らせに横溝はショックのあまり数日間、寝込む。そして小栗は新連載「悪霊」(1946年)の執筆中で、彼の急逝のため連載に穴があいてしまった。小栗の連載中止の穴埋めピンチヒッターに横溝へ連載依頼がくる。その時、横溝は「本陣殺人事件」を執筆中で連載を抱えていたにもかかわらず、「これはどうしても書かねばならぬ」と決意する。というのも以前に横溝が喀血して原稿を飛ばした時、小栗にピンチヒッターで穴埋めしてもらった恩義があったから。「今度お前さんが病気するようなことがあったら、私が代わって書いてあげる」と後に小栗に話した横溝であった。そのため、横溝は「本陣」の連載を抱えながら並行して「蝶々」の連載も引き受ける。小栗との生前の約束を果たすため、かつての小栗の恩義に報いるために。

硬派で本格な探偵推理の書き手だった小栗虫太郎のピンチヒッターで代わりを務めるからには、内容も変格や「奇妙な味」ではなく、論理的な本格推理長編でなくてはならない。「蝶々殺人事件」を執筆当初の、横溝正史の並々ならぬ心意気である。後に横溝自身が語っていわく、「そのときの私の気持ちでは、小栗君の弔い合戦のつもりであった。それだけにがっちりしたもの、堂々としたもの、そしてまた、戦後の自分の方針であるところの、論理的な本格ものを書きたかったのである。少なくとも、小栗君のピンチヒッターとして恥ずかしくない程度のものにしたかったのである」。

この小栗のピンチヒッターを引き受けたがゆえの「蝶々殺人事件」にての横溝の論理的な本格推理への強い意欲は、彼の普段の他作品以上に精鋭に突出し、横溝は「蝶々」の登場人物に作中で以下のように発言させて、書き手の横溝正史自身の戦後の探偵小説における論理的本格志向の立場を明確に宣言している。

「どうもいままでの日本人には合理性が欠けているように思えるんですな。物事を理詰めに考えて行く習慣、それが欠けていたように思えるんですがどうでしょう。軽い読物にしてからがそうで、もっと理詰めな小説があってもいいように思われますな。理詰めな小説といえばさしあたり探偵小説、それも本筋の奴ですな、それで私どもの方では今後、そういう探偵小説に力瘤(ちからこぶ)を入れて行きたいと思うんですが」

「蝶々殺人事件」に関しては以上のような執筆時の経緯があり、「本陣殺人事件」と同時連載で並行して書かれたため「本陣」の内容と重複しないよう、「本陣」のような日本の地方の閉鎖的共同体の因習や祖先一族の因縁に絡めたドロドロ怪奇色の味付け風味な長編推理ではなく、都会が舞台で都市生活の個人主義的な洗練されたスマートでモダンな本格推理に横溝はあえてしている。また「本陣殺人事件」で私立探偵に、すでに金田一耕助を使ってしまったので、この「蝶々殺人事件」では探偵に「美しい銀髪をふさふさと波打たせた」由利麟太郎とその助手の三津木俊助のコンビを登場させている。二作品が同時連載で並行して創作執筆ゆえ、あたかも「似ていない双子」の二卵性双生児のように「本陣」と「蝶々」は奇(く)しくも対照(コントラスト)をきれいになす対的(ついてき)作品となった。加えて、前述のように「蝶々殺人事件」は「小栗君の弔い合戦のつもり」の強い気持ちを持って創作に着手したため、いつも以上に論理的な本格推理への横溝の思いを託した探偵小説になっている。

そんな「蝶々殺人事件」の話の概要はといえばこうだ。「原さくら歌劇団の主宰者である原さくらが『蝶々夫人』の大阪公演を前に突然、姿を消した…。数日後、数多くの艶聞をまきちらし文字どおりプリマドンナとして君臨していたさくらの死体はバラと砂と共にコントラバスの中から発見された。次々とおこる殺人事件にはどんな秘密が隠されているのか!」

由利先生が活躍する「蝶々殺人事件」を数年おきに読み返すたびに、金田一耕助が登場の探偵譚とは明らかに異なる一味違った都会的モダンでスマートな感じが「蝶々」では存分に味わえ、それがこの作品の大きな一つの魅力になっている。西洋劇の歌劇団の出張公演にて東京と大阪の都市間を移動する、都会の往復を股にかけての殺人事件である。本作は連載時に「懸賞金付き犯人探し」の趣向を有し、歌劇団で起こる事件に合わせて全体に「序曲・本奏・終曲」の音楽の楽曲に掛けたイカした章立て構成が施され、しかも中途に「間奏曲」の短い章を挿入しての場面転回、音符記号の楽譜を直接に掲載し、その暗号を読者に解かせる横溝による雰囲気満点な気の利いた演出趣味がなされている。はたまた「懸賞金付き犯人探し」で読者からの挑戦を受けるにあたり、小説前半のある作中人物の手記が実は巧妙なミスディレクションの「誤読」を誘う仕掛けになっており、作者・横溝正史のあらかじめの周到さである。

あまり言うと「ネタばれ」になるが、「蝶々殺人事件」はアリバイ崩しの話のパターンで、普段から探偵小説を読み慣れている人なら比較的早い最初の段階で犯人は分かると思う。古今東西の探偵推理にありがちな定番のアリバイ工作トリックといえば、例えば並走する鉄道ダイヤの利用または巧みな乗り換え、時に船や飛行機を利用する大胆な移動で時間的・場所的に「不可能」な犯罪を可能にする「ルートの盲点」。変装や替え玉の身代り、一人二役で偽装証言のアリバイ(現場不在証明)演出をする「人物の錯覚」。遺体に細工加工を施したり遺体を移動させて殺害時刻や殺害現場を偽装錯覚させる「時間と場所の錯覚」。機械装置を使った現場不在証明の物的偽装、ないしは遠隔操作殺人の「機械トリック」などが考えられる。本作「蝶々」でのアリバイ偽装トリックも、もしかしたらその内のどれかなのかもしれない(笑) 。

何よりも「蝶々殺人事件」については、本来は演奏して音を出すための楽器なのに、その楽器の中に盗難品の宝石や人間の死体をあえて隠すという横溝の大胆発想に私は一番シビレた。この点において、角川文庫の横溝正史全集の表紙カバー絵を描き続けてきた杉本一文の数ある歴代傑作イラストの中でも、一絵の一画で最初のコントラバス・トランク詰め遺体の殺人状況が即座に分かる「蝶々殺人事件」の杉本による表紙カバーイラストは屈指の大傑作だと思えて、私は感心する他ない。