アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(50)「山名耕作の不思議な生活」

昔の角川書店は「横溝正史全集」の完全版を期して、横溝が過去に執筆した作品は傍流なマイナー作、あからさまな破綻作・失敗作、他人名義で発表した代筆など、どんなものでも漏(も)れなく片っ端から文庫にして出していたので、横溝のデビュー作らその周辺の短編群を所収した初期短編集も数冊、編(あ)んでいた。それが角川文庫の横溝正史「恐ろしき四月馬鹿」(1977年)と「山名耕作の不思議な生活」(1977年)である。「恐ろしき四月馬鹿」は大正時代の横溝短編を、「山名耕作の不思議な生活」は戦前昭和の横溝短編をそれぞれ収録している。

横溝デビュー作「恐ろしき四月馬鹿」を含む大正期の初期短編は、まだ横溝が10代から20歳前後と若く、筆が定まらないので全般に読んで辛(つら)く、話の内容も記憶に残らず読んでもすぐに忘れてしまうのだが、その続編にあたる戦前昭和の横溝の初期短編集「山名耕作の不思議な生活」の頃になると、次第に横溝正史の筆も慣れてきて安定し、いくらか読める短編が増えてくる。

まず読むべきは、本文庫のタイトルにもなっている「山名耕作の不思議な生活」(1927年)あたりか。本作には殺人や失踪や盗難など犯罪は特段、出てこない。「山名耕作」という大正期のモダン市民の変わり者の、これまた一風変わった生活風景や個人趣味を明かす趣向の都市小説である。これは純然たる探偵小説ではないし、またそのジャンルに属する「奇妙な味」とも言えない。大正期当時のモダニズムの影響下にあった都市風俗のユーモア読み物である。本文庫に収録の「川越雄作の不思議な旅館」(1930年)も、タイトルの類似からして「山名耕作の不思議な生活」と内容と読み味ともに似ている。

そもそも横溝正史という人は優秀で常連な雑誌投稿者で、力量が認められて雑誌「新青年」の編集者となり、それと並行して自作の創作もなし、後に編集の仕事を辞めて作家一本に活動を絞(しぼ)った実に多才な人であった。そのためこの人は、こだわりの自世界構築の自身の作品執筆も深くできるが、編集者の嗅覚(きゅうかく)で自分の味ではない小説も無難に広く書けてしまう。「山名耕作の不思議な生活」も横溝はこんな都市風俗のユーモア読み物など本当は書きたくないのに(笑)、原稿依頼を出した他作家らが殺人推理の本格探偵小説ばかりで内容が重複して雑誌が煮詰まるので多彩な誌面づくりのための編集者の機転から、探偵推理以外のこのような都市ユーモア小説を時に散発的にあえて書くと思われ、そこが「横溝さんはバランスの取れた優秀な書き手だ。自分の世界構築のこだわりだけでなく、雑誌編集者として多様な作風の才能も見せる」の感心の思いが昔から私はする。

次に本書で読むべきは「あ・てる・てえる・ふいるむ」(1929年)だ。これは有名な「横溝による乱歩代筆」の作である。当時、雑誌「新青年」が新年号に代表的な日本の探偵作家を一同に並べる特集を組んだが、乱歩が不調で書けなかったため、編集主任であった横溝が執筆し、しかしそれを江戸川乱歩の名義で世に発表したものである。今日では作家が原稿を飛ばして雑誌掲載できなかった場合に、編集者やアシスタントや他作家が代わりに書いて、だがそのことは隠して当該作家の筆によるものとする「代筆」は、読者や世間をだますことになるので大きな問題になると思う。しかし、昔はこのような代筆は日常的に行われていたらしい。

代筆の難しさは作品の自然さと出来具合の調整の配慮にあるのであって、普段この作家の作品を連続で読んでいる読者に「なにか違う…もしかしたらこれは本人が書いていないのでは!?」と疑われ見破られたら、もうアウトだから、元の作家の日頃の作風や文章に似せてまずは代筆しなければならないわけである。その上で、代筆作品はやたら力を入れて名作や話題作を書いてしまうと、後日、作品に覚えがない本人作家に迷惑をかけてしまうし、また逆にあまりにも駄作の失敗作を代筆として世に出してしまうと同様に当該作家の名誉を傷つけ、後々まで迷惑をかけることになる。だから代作する者は、「あまりに優秀作の名作を書いてはいけないし、逆にあまりにも駄作の愚作を出してもいけない」の両端への配慮が必要で案外、気を使うものである。

横溝正史による江戸川乱歩の代筆「あ・てる・てえる・ふいるむ」は、「実は横溝の筆によるもの」と明かされなければ「これは乱歩の作品だ」と少なくとも私は信じてしまうし、また大して目立って秀作でもなければ逆にそこまでの駄作とも言えず、適当に読み流せる無難な短編であると思う。その辺りの横溝による代筆の塩梅(あんばい)が絶妙だ。

本書の巻末短編「丹夫人の化粧台」(1932年)は、夫人の化粧台の謎で読者を引っ張ってラストまで一気に読ませるものがある。妙齢の美しい夫人を、若い青年数人が取り合う話である。夫人をめぐる決闘の末に絶命間際のライバルが残した「気をつけ給え─丹夫人の化粧台─」の意味深な言葉。同様に、鉛筆で走り書きの遺書のメモ「丹夫人の邸(やしき)で、猫の鳴き声を聞いたときこそ、君は警戒すべきだ」の不可解なメッセージ。「こんな荒唐無稽なことが本当にあるのか…だがしかし、もしかしたら現実の事件であるかも」。横溝の発想が当時の戦前昭和の社会の時代のはるか先を行く。現代の日本社会では「丹夫人の化粧台(の秘密)」のようなことは、実際ありえるかも(笑)。