アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(19)「呪いの塔」

横溝正史「呪いの塔」(1932年)は、戦前に発表された横溝の長編である。

杉本一文による傑作カバーイラスト群に彩(いろど)られた角川文庫の横溝全集を連続して読んでいると気づくが、おそらく杉本一文は横溝の作品を一読してから、その内容を踏まえてイラスト構図を毎回、考えているに違いない。だから杉本イラストはよく見ると、明らかに犯人ばらしの「ネタばれ」表紙絵になっている場合が多い。本作「呪いの塔」も、よくよく表紙イラストを見つめていると、本文を最後まで読まなくても最初から犯人が分かってしまうような気が(笑)。杉本にカバーイラスト発注の角川文庫、それで良いのか!?

「軽井沢高原の朝もやの中にうっそりと聳(そび)えるバベルの塔。この塔の外側には放射状に伸びた七つの階段がある。今、怪奇小説で有名な作家・大江黒潮とその仲間たちが集い、この塔を利用して仮想犯罪劇を演じていた。粋狂(すいきょう)な連中の退屈しのぎにふさわしいゲームである。殺される役は何と黒潮自身。やがてこの劇も終わろうとする時突然、あたりに響きわたる凄まじい悲鳴が聞こえた。黒潮の声である。驚いた人々が迷路のように入り組んだ階段を登り、展望台に辿(たど)り着いた時、そこには肩口にナイフを突きたてられ、えびのように体を曲げた黒潮の死体が。緻密(ちみつ)な構成で練り上げた、横溝正史の傑作長編推理!」(角川文庫版、表紙カバー裏解説)

(以下、「呪いの塔」の犯人を明かした「ネタばれ」です。江戸川乱歩「陰獣」の犯人にも触れています。横溝の「呪いの塔」と乱歩の「陰獣」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

横溝正史「呪いの塔」は長編推理の体裁で二部構成である。「第一部・霧の高原」は軽井沢が舞台で、軽井沢高原に聳(そび)えるバベルの塔ならぬ「呪いの塔」にて、仮想犯罪劇の最中に怪奇小説作家の大江黒潮が現実に殺害される第一の殺人を始め、いくつかの連続殺人が描かれる。続く「第二部・魔の都」は連続殺人事件の容疑者一同が帰京して東京に舞台を移し、さらなる連続殺人事件が発生して、今回の一連の殺人の動機となる九年前のバリトン歌手射殺事件の過去が掘り起こされ、軽井沢(「霧の高原」)と東京(「魔の都」)での連続殺人の真犯人が、いよいよ明かされる。「呪いの塔」にまつわる一連の事件は解決の大団円を迎える。前半の「第一部・霧の高原」が話の進行が遅く緩慢(かんまん)で冗長な感じもするが、後半の「第二部・魔の都」から事件の解決に向けて第一部よりあらかじめ散乱され無造作にあったパズルの断片が有機的に繋(つな)がり始め、読み手を惹(ひ)きつけ一気に読ませる感がある。

より具体的には、第一部のラストで大江黒潮とその他の被害者殺害の犯人らしい有力容疑者は逮捕されるが、すぐに死亡してしまう。事件は「無事に解決」のように思われたが、そこで書き手の横溝正史が「しかし読者諸君は、よく知っていられるはずだ。探偵小説の性質として、こんな思いがけない人間が犯人であってはならないということを。謎はまだ今後に残されている」といった趣旨の口上を入れ、話を継いで後半の第二部につなげる。こういった長編ならではの長い話を退屈させず読み手を惹きつけて、どんどん先を読ませる書き手の工夫が長編「呪いの塔」は優れている。

第一の殺人被害者となる怪奇小説作家の「大江黒潮」、日本の探偵小説を愛読している人なら、すぐに気づくはずだ。大江黒潮は、言わずと知れた江戸川乱歩「陰獣」(1928年)の登場人物「大江春泥」の本歌取(ほんかどり)のパロディである。乱歩の「陰獣」にも大江春泥という謎に満ちた怪奇小説作家が出てくるが、世に知られている実在の彼は偽物作家であり、実際に小説を執筆していない。代筆で大江春泥の陰で、彼の代わりに猟奇で陰惨な怪奇小説を書いている人物がいる。それが妙齢の美しい女性であり、ヒロインの彼女が実は変態嗜好の倒錯的性癖の持ち主で、猟奇な怪奇小説を大江春泥の代わりに創作していたのだ。つまりは、見た目の美貌や上流な社会的地位からは全く想像予測できない美しい彼女こそが裏で怪しく立ち回る「陰獣」なのであった。

そうした江戸川乱歩「陰獣」の結末をあらかじめ知っている読者は、横溝正史「呪いの塔」にて「大江春泥」に非常によく似た名前の「大江黒潮」という怪奇小説作家が出てくれば、これは横溝による乱歩作品の本歌取のパロディであり、「呪いの塔」の大江黒潮も自身で創作しておらず代筆である、見た目からは想像のつかない美しい女性が猟奇な怪奇小説を密(ひそ)かに妄想し執筆しており、大江黒潮の作として世に出している、そして黒潮を始めとする連続殺人の犯人は彼女である、と分かってしまう。事実、横溝の「呪いの塔」の連続殺人事件の犯人は、大江黒潮の妻・折江である。犯人は黒潮の代わりに禍々(まがまが)しい怪奇小説を執筆していた聡明で美貌な折江なのであった。

何よりもそのことは、冒頭にてすでに述べたように角川文庫「呪いの塔」の杉本一文によるイラストカバー絵を見れば一目瞭然だ。杉本一文、表紙カバー絵にて中央の女性の横顔が異常に大きすぎる(笑)。これでは彼女が犯人と大胆に、あらかじめ「ネタばらし」しているようなものである。

大江黒潮の小説にて、ある人物の殺害現場の描写があまりにも詳細で現実味に溢(あふ)れ生々し過ぎる。まるで現実に殺人を犯し自身がその時に目にした殺害現場を思い出して、そのまま記述しているような。大江黒潮の代わりに代筆している妻の折江は、過去に実際の殺人事件を犯していたのである。今では迷宮入りとなった九年前のバリトン歌手射殺事件の犯人も彼女であった。だから、彼女は大江黒潮の代筆作品にて、以前に見たままの自身が犯した殺人事件の凶行場面を無意識の内に書いてしまう。大江黒潮の小説を読んで関係者のある人物がそのことに気づく。まるで本当の殺人事件を思い起こしそのまま描いているようだ、と。この辺り、とるに足らない些細な事柄からほころびが出て過去の犯罪がたちまち露呈してしまう話の運びは、後の戦後の社会派、松本清張が得意とした推理小説の定番の型のようでもある。例えば松本清張「渡された場面」(1976年)にて小説記述の些細な「場面」から過去の犯罪がたちまち、ばれてしまうような。

このように大江黒潮は明らかに江戸川乱歩「陰獣」の大江春泥のパロディである。そして「呪いの塔」にて探偵役を務めて犯人を明かし追い詰めるのは、謎に包まれた寡作の探偵小説家、白井三郎である。「白井三郎」といえば、これまた江戸川乱歩の本名「平井太郎」を彷彿(ほうふつ)とさせる。また、作中にて探偵小説家の白井三郎と協力して二人で「呪いの塔」連続殺人事件の解決に当たるのは、探偵雑誌の編集者であり、かつ自身も探偵小説家である由比耕作である。これも横溝自身が探偵雑誌「新青年」の編集者兼作家であった事実からして、作中の由比耕作は横溝正史その人に他ならない。すなわち、横溝「呪いの塔」にて白井三郎は江戸川乱歩であり、由比耕作は横溝正史である。白井三郎たる江戸川乱歩と由比耕作たる横溝正史の二人が協力して劇中の事件解決に当たるのだった。

探偵小説は、いわゆる「伏線の文学」である。登場人物の配置やセリフや描写には全て意味があり、必ず最後に伏線として回収されるべき計算の上で周到に書かれていて無駄な記述は一切ない。それが探偵小説の理想だ。探偵小説にて事件を推理し最後に犯人を指摘する探偵は本来は一人で十分なはずなのに、あえて探偵役が二人いる場合、だいたい二人のうちの一人の探偵が犯人である。彼が探偵役を務めて現場にて事件の解決を目指しながら、実は裏でマッチポンプ的に犯行を重ねている。それは本来は探偵は一人で十分なのにもかかわらず、わざわざ二人も探偵を登場させている不自然な書きぶりからして明白である。というのも「伏線の文学」である探偵小説において登場人物は全て一定の役割を必ず担っているのであって、無駄な人物配置など本来はない。探偵役が二人なのは、そのうちの一人が犯人であり、彼を「探偵に身を隠して暗躍する犯人である」と話のラストで指摘するもう一人の真正な探偵が必ず必要になるからだ。つまりは探偵小説の原理的構成からして、探偵が犯人の場合には必ずもう一人の探偵が必要になるのである。

横溝正史「呪いの塔」も出てくる探偵役の人物は二人である。寡作の謎に満ちた探偵小説家・白井三郎と、探偵雑誌の編集者兼探偵小説家の由比耕作である。この「事件を推理して犯人を捕まえる探偵は本来は一人で十分なはずなのに、あえて二人もいる」不自然な人物配置からして、本作が江戸川乱歩「陰獣」のパロディであることと杉本一文のあからさまな「ネタばれ」表紙カバー絵から犯人は女性と思いながらも「呪いの塔」初読時、「もしかしたら由比耕作が犯人で、白井三郎が最後にそれを指摘して事件を解決に導く探偵推理のパターンかも」と私は多少の疑いの余地を残し、半(なか)ば警戒しながら楽しんで本作を読み進めていた。しかしながら、私の「多少の疑いの余地の警戒」予測は見事に外れた。探偵は二人いたが、本作では二人目の探偵、由比耕作は犯人ではなかった。

「横溝正史が長編『呪いの塔』にて不自然なまでに無駄に探偵役をわざわざ二人も登場させたのは、白井三郎を江戸川乱歩に、由比耕作を横溝自身に見立て二人の探偵を協力させて作中にて乱歩と横溝の無二の友情を貫きたかったのだな」と後に私は気づいて、さわやかな心持ちで本書読後の余韻に浸(ひた)っていた。