アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(33)「三つ首塔」

横溝正史「三つ首塔」(1955年)は「横溝の暗黒時代」と目される1960年代間近の連載長編であり、しかも本格の探偵推理雑誌「宝石」に掲載の作品ではないため(戦後の横溝は「宝石」に連載のものは力を入れた本格推理をしっかり書くが、「宝石」以外の一般誌にはあからさまに力を抜いた案外いい加減な通俗物を執筆提供する悪い癖があった)、「どちらかといえば出来の良くない横溝作品」というのが昔からの私の率直な感想だ。

戦後に私立探偵・金田一耕助を創出し、謎解きトリックの本格の探偵小説の傑作を次々と果敢(かかん)に世に出したが、やがて1960年代になると戦後に新しく出てきた論理的な謎解きトリックよりも現代社会との接点のリアリティを重んじる「社会派」の推理小説に押され、横溝のような昔からの本格志向の探偵小説の書き手は不人気で干(ほ)されになっていく。後に多数の横溝作品の映像化にて1970年代に「昭和の横溝ブーム」が再び訪れる以前の、いわゆる「横溝の暗黒時代」である。

本作「三つ首塔」も、そうした横溝の人気の陰(かげ)りの暗黒時代に突入前夜に執筆連載されたものだけに、確かに探偵の金田一耕助と等々力警部のいつものコンビは登場するものの何だか横溝の筆の迷いが感じられる通俗長編の悪印象が一読して残る。この時代の横溝は、世間的には社会派の推理小説が大人気であり、自身が以前に書いてきた伝統的な本格の探偵小説が世間ウケしないことを(おそらくは)知っていて変に腰が引けて妙に遠慮して、もはや金田一ものであっても練りに練ったトリック趣向の本格の探偵小説は書けないのである。それで迷いに迷って中途半端な風俗小説のような通俗長編を時に書いてしまう。

横溝正史「三つ首塔」の話の概要は以下だ。

「宮本音禰(みやもと・おとね)は、13歳のときに両親を亡くし、伯父の某私立大学文学部長で英文学者である上杉誠也にひきとられた。 昭和30年9月17日、音禰は、遠縁に当たる佐竹玄蔵・老人の百億円に近い財産を、高頭俊作という見知らぬ男と結婚することを条件に譲られることになっていることを告げられる。その1ヵ月後の10月3日。上杉伯父の還暦祝いの夜に、連続殺人の最初の事件が起こる。その連続殺人事件は、玄蔵老人が、かつて死に追いやった2人の男と自らの合せて3人の首を供養するために建てたという供養塔『三つ首塔』に起因していた」

本作記述は主人公の宮本音禰が語る一人称表記である。自身の幼少の記憶の中にかすかにある日本のどこかに実在する、今回の一連の連続殺人事件のカギとなっている三人の死者の首を模して祀(まつ)ってある供養塔「三つ首塔」の前に立ち、この因縁の場所に至るまでの自分の波乱な数奇の出来事の連続を彼女が語り出すのであった。

本作についての定番評価で「推理小説とメロドラマの融合を試みた作品」というのが昔からあるが、なるほど、そうした読み心地の内容である。トリック重視の本格の探偵小説とは程遠く、男女の肉欲や同性愛や特殊な性的嗜好趣味(SMやハプニング・バーなど)が入り交じる風俗小説である。この事件に巻き込まれる以前は、良家の世間知らずな品行方正な清楚な箱入りのお嬢様であった主人公の宮本音禰が、誠に気の毒なまでに肉体的にも精神的にも女として堕(お)ちていく。こうした長編小説を楽しんで読める読者層とは一体、どういう人達であろうか。良家の清楚な子女を背徳の罠に陥(おとしい)れたい邪悪な欲望を密(ひそ)かに隠し持っている女性調教願望(?)に苛(さいな)まれている仮面の紳士か。もしくは逆に、本作の主人公・宮本音禰と同様な境遇の清純な良家のお嬢様が、「もし彼女が自分だったら!」と危険な背徳の妄想をしながら感情移入してハラハラドキドキで読み進めるのだろうか。

「ある日、突然、音禰は遠縁に当たる佐竹玄蔵老人の百億円に近い財産を、高頭俊作という見知らぬ男と結婚することを条件に譲られることになっていることを告げられる」。見知らぬ謎の男、高頭俊作と結婚しなかった場合、音禰は百億円の遺産を相続することはできない。彼女は遺産相続の権利を失ってしまう。また不幸にも(!)、仮に宮本音禰ないしは高頭俊作の当事者が亡くなった場合には、残された佐竹家の人々の間で百億円の遺産は等分される。もちろん、残された親族の人数が少なければ少ないほど一人分の相続額は増えるわけである。最悪、自分以外の遺産相続権利者が全員亡くなってしまえば百億の遺産は独り占めできるわけだ。そうして「高頭俊作」を始めとして、音禰の周りの佐竹家の人々が次々と何者かに殺害されていく。しかも、肝心な殺害犯行時刻に当の音禰は毎度、謎の男に連れ回され、夜の都会の怪しい会員制の秘密の風俗会合に案内されその度に堕落して、このため「犯行時刻にどこにいたか」家族や警察に真実を告げられず、現場不在証明(アリバイ)が出来ず、かつ毎回、殺害現場に行った覚えはないのになぜか彼女の所持品が現場に残されてあるという犯人の周到さである。

「三つ首塔」を初読の際、多くの人は今回の連続殺人犯人の正体とその殺人動機を見抜くことはなかなか難しいのではないか。それほどまでに犯人は見事な「盲点」となっており、殺人動機もなかなか推測しにくいものだ。

横溝正史「三つ首塔」は横溝作品の中でも過去に割合よく何度も映像化されている。テレビドラマによくなっている。私はいずれの「三つ首塔」のドラマも未鑑賞なのだが、機会があれば視聴してみたい。それにしても原作に忠実に映像化するとなると、「三つ首塔」の主人公・宮本音禰にキャスティングされ演じる女優は肌の露出が多すぎて大変だ(笑)。