アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(39)「迷路の花嫁」

横溝正史「迷路の花嫁」(1955年)は、金田一耕助が登場する長編推理ではあるものの全編に渡って金田一耕助は出てこない。金田一は話の幕間にたまに顔を出すのみである。

その代わりに事件解決には、第一の殺人発見に「偶然に」居合わせた駆け出しの小説家の松原浩三が終始出てきて活躍する。事件の発端は、閑静な住宅街に女性の叫び声が響き、往来の通行人が警ら中の警官と共に駆けつけ屋敷内を確認すると、全裸の女性が身体中をズタズタに突き刺され凄惨に殺されていた。戸口の番犬は毒殺されており、屋内で飼っていた多数の猫が殺害されて血の海になっている女性遺体の主人の周りに集まり不気味に血をすすって、いずれも鮮血に染まり怪しくうごめいていた。彼女は心霊術をやる女性霊媒師であった。彼女は独身であり、この屋敷にて唯一同居の女中はバラバラ死体となって地中に埋められているのを後日、発見された。

タイトルの「迷路の花嫁」というのは、女性霊媒師のパトロンであった呉服屋主人の良家の令嬢で、近日に婚礼を控えた美しい女性をさす。血染めの彼女の手袋がなぜか殺害現場にあり、そのため彼女はこの猟奇な殺人事件の被疑者として結婚式場から警察に連行され、後々まで疑惑の目にさらされる。まさしく彼女こそが「迷路の花嫁」なのであった。

女霊媒師殺害事件の第一発見者たる駆け出し小説家の男と、同じく発見現場に居合わせた足が不自由で手押し車を幼少の男児にいつも紐(ひも)で引かせている「子連れ狼」の逆バージョンのような(笑)、過去に因縁ありそうな中年の男、その他、殺害された女性霊媒師の弟子で「迷路の花嫁」と容姿が似ている美貌の女性、いかにも悪徳らしい女性霊媒師の師匠に当たる男性の心霊術大家、そしてその妻、殺された女性霊媒師と深い関係にあったと思われるパトロンの男性など、この薄気味悪い霊媒殺人事件の犯人は一体誰なのか!?

本作は400ページ近くの長編ではあるが、なかなか読者を飽きさせることなく、どんどん先を読ませるものがある。話の骨子は勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の復讐物で、殺人動機には犯人に同情の余地はある。本作にて探偵の金田一耕助が出ずっぱりでなく事件解決のために終始奔走せず活躍せず、要所での節目の場面で思い出したように出てきて捜査の適切なアドバイスをするに留(とど)まるのは、犯人の復讐劇の遂行を邪魔せず暗に見届けさせる作者・横溝正史による良心の筆の傾きか、と読後に思えなくもない。第一の女性霊媒師のズタズタな凄惨刺殺遺体にて、「不思議なんだが、どうしてあんなところを切られたんだろうと思われるようなところに傷があるんだ。たとえば内股などにね」といった検死の捜査医師の何気ないセリフで横溝の探偵小説を読み慣れている常連読者ならば、何となくラストの筋は読めてしまうかもしれない。そこが本作のポイントであり、不気味な話の内実であるように私には思えた。

横溝正史「迷路の花嫁」は昭和30年代の連載作品であり、この頃には社会派推理小説の台頭人気に押されて、横溝は金田一耕助が登場の小説は書くが、敗戦直後の「本陣殺人事件」(1946年)のような、もう練(ね)りに練ったトリック満載の本格の探偵小説は執筆しなくなっていた。本格推理にてマニアな一部の読者を唸(うな)らせるよりは、どちらかと言えば分かりやすく広く一般ウケするような通俗ミステリーに作風が傾いていた。この「迷路の花嫁」と同時進行で「吸血蛾」(1955年)と「三つ首塔」(1955年)も横溝は当時、執筆連載していたという。なるほど「迷路の花嫁」は、「吸血蛾」や「三つ首塔」と通俗長編のサスペンス・ロマンの点でどこか読み味が似ている。

「迷路の花嫁」角川文庫版の巻末解説は、探偵小説評論家の中島河太郎によるものである。以下のような中島の解説文は横溝「迷路の花嫁」に対する至言であり、簡潔で的確な紹介文であるといえる。だいたい何を読んでも中島河太郎の探偵小説評論は失策なく的確で、いつも上手い。

「昭和三十年といえば、著者は『吸血蛾』と『三つ首塔』を連載中であった。考え抜いたトリックを中核にして、本格物の醍醐味を提供するというより、物語性のふくらみを見せることに興味をもたれた時期の作品である」(中島河太郎、角川文庫版「迷路の花嫁・解説」)