アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(40)「車井戸はなぜ軋る」

横溝正史「車井戸はなぜ軋(きし)る」(1949年)の大まかな話はこうだ。

「ある日、探偵小説家である私S・Y(言わずと知れた横溝正史の匿名イニシャル表記)は、友人の私立探偵・金田一耕助から、ある事件に関する手紙一束と新聞記事の切り抜きと故人の手記を提供してもらった。そこには1946年5月から10月まで繰り広げられた、本位田(ほんいでん)家の中で起きた異変および事件についての全貌が記されていた。

本位田家、秋月家、小野家は、かつてはK村の三名(さんみょう)といわれてきたが、秋月家と小野家が零落する一方、本位田家のみが昔以上に栄えていた。その本位田家の長男・大助と秋月家の長男・伍一はよく似た顔立ちで、見分ける手立ては伍一の二重(ふたえ)の瞳孔のみであった。伍一の二重瞳孔は大助の父・本位田大三郎と同じもので、伍一は母・秋月お柳と本位田大三郎との間に生まれた子であり、お柳の夫・秋月善太郎は伍一が生まれた日に車井戸に身を投げて死んだ。没落した秋月家の善太郎は、繁栄を極める本位田家の大三郎に妻を盗られた形となり、その屈辱で車井戸に身を投げて自死したのであった。ということは、秋月家の子息・伍一は本位田大三郎と秋月お柳との間の子だから、本位田家の子息・大助と秋月家の子息・伍一は、父親が同じ本位田大三郎の異母兄弟になる。ゆえに二人はよく似た顔立ちであり、見分ける手立ては秋月伍一の父親・本位田大三郎譲りの二重の瞳孔のみであったのだ。

そして異母兄弟であるにもかかわらず、それぞれ対立する本位家と秋月家の子息として、二人は終始憎しみ合う因縁の間柄であった。1941年に本位田大助は秋月伍一と恋仲の噂があった梨枝と結婚し、1942年に大助と伍一は戦地に応召され、同じ部隊に入隊する。それから終戦後の翌1946年、大助が復員し戻ってきたが、その両眼は戦傷により失われ義眼がはめ込まれていた。しかも大助は伍一の戦死の報も、もたらした。 かつては朗(ほが)らかで思いやりが深い気性であったのに、復員後は人が変わったように陰気で気性が荒くなった大助の様子に、妻の梨枝と大助の妹・鶴代は『本位田大助と秋月伍一とが入れ替わっているのではないか。復員してきた本位田大助は、本当は秋月伍一ではないのか』と疑惑を抱く。大助と伍一は異母兄弟でよく似た顔立ちであり、見分ける手立ては秋月伍一の二重の瞳孔のみであったが、復員した大助の両眼は戦傷により失われ義眼がはめ込まれていたため、本位田大助か秋月伍一かの見分けがつかないのだ。思い余った鶴代は、胸を病(や)んで結核療養所に入所している次兄の本位田慎吉に手紙で相談し、大助が戦争に行く前に右の手形を押して奉納した絵馬の指紋と、本位田家に戻ってきた大助の指紋を比べるようにとの助言を受ける。生まれつきの心臓弁膜症で一歩も家から出ることのできない病弱な鶴代は、下女のお杉に絵馬を取りに絵馬堂に向かわせるが、お杉は崖から落ちて死んでしまった。鶴代の疑惑がますます深まる中、本位田家に惨劇が起こる。

ある大風雨の夜、寝室で本位田大助の妻・梨枝が何者かによりズタズタに斬られて殺され、心臓をえぐられた主人の大助の死体が屋敷の裏庭の車井戸の中で発見されたのだ。まるで、以前に秋月善太郎が妻のお柳を本位田大三郎に盗られ、本位田大三郎の息子・秋月伍一が生まれ絶望して、みずから車井戸に身を投げて自殺したのと同様に。さらに本位田大助の死体からは右の義眼が失われていた。本位田大助と称して復員してきた男は本当に本位田大助だったのか。もしかしたら本位田大助と秋月伍一が入れ替わり、戦死したとされる秋月伍一が本位田大助に成りすましていたのではないか。因縁の異母兄弟たる本位田大助と秋月伍一との入れ替わりはあるか。また大助と妻・梨枝を殺害した犯人は誰なのか。本位田家の惨劇の真相とは一体!?」

横溝正史「車井戸はなぜ軋る」は、話の設定としては同じく横溝の「犬神家の一族」(1951年)に何となく似ている。ある村の有力家の跡取り息子が出征で戦地に赴き、顔面毀損(きそん)の大怪我をして復員。前よりガラリと性格が変わり、まるで戦地で人物が入れ替わり本人でないような疑い。当人かどうか外見容姿から直接に確かめる術(すべ)がない中、青年が出征前に村の神社に奉納した手形の絵馬があったことが判明。その絵馬にて指紋照合し本人確認しようとするも、照合前に殺人事件の惨劇が次々と起きて…といった一連の話が、「車井戸はなぜ軋る」は「犬神家の一族」に酷似している。また夫婦殺害の犯行動機の真相は「本陣殺人事件」(1946年)に似ている。

「果たして本位田大助と秋月伍一との入れ替わりはあるか否か」の結末も最後まで読者を惹(ひ)きつけ、それなりに面白いけれども、本作「車井戸はなぜ軋る」の真の面白さの作品魅力は犯人の意外性と殺害トリック、そのことに絡(から)めてタイトル「車井戸はなぜ軋る」における「車井戸が軋る」の「なぜ」の理由を作者の横溝正史が最後に明らかにしている、その記述の周到さにあると言ってよい。

(以下、トリックと犯人の正体を明かした「ネタばれ」です。横溝の「車井戸はなぜ軋る」を未読の方は、これから新たに本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

本位田大助と妻の梨枝の惨殺事件を受けて、本位田家と秋月家の関係人物が容疑者として浮かび上がり、各人の事件当夜のアリバイ(現場不在証明)が調べられた。その中でも被害者である本位田大助の弟・慎吉は病身で結核療養中であり、当日も生家から往復五時間かかる村より六里も離れた療養所に入院しており、犯行当夜の本位田慎吉のアリバイは完全証明された。そのため本位田家の次男・慎吉は捜査の犯人リストから真っ先に除外された。しかしながら、本位田大助殺害の真犯人は次男の本位田慎吉であったのだ!

確かに慎吉は結核療養中の身で、大風雨の事件当夜に遠く離れた療養所から本位田の生家に出向いて兄の大助を惨殺し、それから再び療養所に戻ってくるような体力はない。しかも慎吉が事件当夜、療養所敷地から出かけずにいた証言のアリバイは完全にあった。だが事の真相は、結果的に殺害された兄の本位田大助の方があの嵐の夜に下男の運転する自転車荷台に乗り、わざわざ村から出かけ診療所を訪問して弟に面会し、その際に兄の大助は弟の慎吉にその場で殺害されて、死骸となった本位田大助は連れてこられた自転車で再び下男に運ばれ村に連れ返されて、そのまま屋敷の裏庭の車井戸に投げ込まれた顛末(てんまつ)なのであった。

本作の話の肝(きも)は、「本位田大助と梨枝の夫婦が大風雨の嵐の夜に犯人に寝室に踏み込まれ惨殺されたのに、妻の梨枝の遺体は、そのまま屋内の寝室にあって、しかし、なぜ夫の大助の遺体だけが裏庭の車井戸の中に投げ込まれていたのか」の合理的理由にある。それは被害者の本位田大助は犯行当夜、屋敷の寝室で殺害されたのではなく、はるか離れた療養所に自ら出向き、そこで病身の弟に殺害されて死骸となった大助を再び自転車に乗せて大風雨のなか遠く離れた本位田の屋敷に運ぶ際に、どうしても大助の遺体は風雨にさらされ泥まみれになってしまう。そうすると、雨ざらしになった泥だらけの大助の遺体を妻の梨枝の傍らに置いて「屋内の寝室にて主人の大助も同時に殺害された」設定にできないので、本位田大助の遺体だけが裏庭の車井戸に投げ込まれたのである。

本位田大助の殺害犯人たる弟・慎吉のアリバイ証明トリックのために、このアリバイ・トリックは「遺体の移動に伴う殺害現場の錯覚」とされるタイプのものであるが、泥だらけになった大助の死骸から真の殺害現場が露見することを防ぐ目的で本位田大助の遺体だけ、あえて車井戸の中に投げ込まれたのだ。つまりは、このことこそが本作タイトル「車井戸はなぜ軋る」における「車井戸が軋る」の「なぜ」の理由、作者の横溝正史により最後に明らかにされる実に周到な回答なのであった。しかも、この車井戸での死をかつての秋月善太郎の車井戸での身投げの自死に暗に重ね、「これは本位田家と秋月家の両家にまつわる呪われた因縁なのか!?」のオカルト怪奇色を絶妙に醸(かも)し出す、横溝による筆の工夫である。

このように殺害された後、遺体が別の場所に移動させられ、あたかもその場所で実際に殺人が行われたように錯覚された結果、犯行現場のズレが生じ錯覚された殺害現場での同時刻のニセの犯人のアリバイ(現場不在証明)が工作として成就する、いわゆる「遺体の移動に伴う殺害現場の錯覚トリック」は、戦後の日本の探偵小説では鮎川哲也が得意とし、「アリバイ崩しもの」としてよく書いていた印象が私には強い。横溝作品を愛読している読者は分かると思うが、実は横溝は「遺体の移動に伴う殺害現場の錯覚」のような細かなアリバイのトリックはあまり得意ではない。横溝正史という人は、どちらかといえば「密室殺人、顔のない死体、一人二役」が三本柱の大味で大仕掛けなトリックを昔から好んで自作に使う人であった。そういった意味では、細かで精密な現場不在証明のアリバイ・トリックを用いた「車井戸はなぜ軋る」は、横溝作品の中でも割合に珍しく貴重な作品であるといえる。

「車井戸はなぜ軋る」は作者・横溝による客観的三人称記述ではなくて、殺害された本位田家の長男・大助、殺害犯人の次男・慎吉、末の一人娘の鶴代のうち、生まれつきの心臓弁膜症で一歩も家から出ることのできない病弱な鶴代、しかし病弱なため多感な少女であり、人一倍、強い感受性と鋭い観察眼とを備えていた妹の鶴代が、生家を離れ遠方の療養所で治療している次兄の慎吉の求めに応じて大助の復員から惨劇前夜の本位田家の不穏な空気、関係各人の異常な発言と行動を手紙にしてせっせと書き送る、そうした鶴代から慎吉への手紙文章や殺人事件の詳細を報じた新聞記事の引用抜粋にて作品が構成されている。しかし妻の梨枝はともかく、本位田大助を殺害した犯人は弟で次兄の本位田慎吉である。その犯人たる次兄・慎吉に向けて妹の鶴代が「長兄・大助を惨殺の犯人が次兄の慎吉であること」を最初は知らずに、今回の惨劇のすべてをあらかじめ知り犯行を行っている次兄・慎吉に、わざわざ手紙で報告し細かに伝えるわけである。この鶴代の手紙報告の「仕組まれた徒労」ともいうべき絶妙な読み味の余韻ときたら!

横溝正史「車井戸はなぜ軋る」は、おそらく一般にそこまで広く知られてはいない。本作は比較的マイナーな横溝作品の金田一耕助ものの中編であるが、横溝による随所での周到な書きぶりが読んで非常に清々(すがすが)しく、戦後の横溝正史の探偵小説家として乗りに乗った壮年期の傑作といえるのではないか。